【近くて遠き存在】


「…………ふむ…………一計を案じるべきかな…………」

 …………こういうことは姉くんに頼るべきか…………。いや、しかし…………。
 咲耶ならば、こういうことには詳しいはず…………きっと抵抗も少ないのではないだろうか…………。
 そんなことを、書店の雑誌コーナーで考えていた…………。

 今日、偶然クラスの女生徒の話が聞こたんだ…………。どうも、最近流行っているらしいドラマの話のようだった…………。普段ならば、俗世間の物事など興味関心は惹かないものだが…………その女生徒達が発した単語を姉くんの口から聞いたことがあった…………。
 フム…………たまには、俗世間の流行を知るのもよいかもしれないな…………。
 そう考えて僕は、そのドラマの原作となったコミックを求めてやって来たのだけれど…………。やはり、あの空間から漂う独特のオーラのようなものが…………僕を、阻む…………。

 やはりここは…………咲耶に頼んで後日出直すことにしようか…………? いや、しかし…………それでは手遅れになるような予感がする…………。

「やあ、千影。へぇ、千影がこんな雑誌を読むとはねぇ。長いこと兄弟やってるけど知らなかったよ」
「…………咲耶…………君はもう少し、普通に声をかけられないのかい…………」

 …………噂をすれば影がさす…………。これが縁というものか…………はたまた、絆というものか…………。
 だからといって、両手を首に回して後ろからいきなり抱き付いてくるのは…………あまり感心できないな…………。…………何より…………苦しい…………。
 とにかく、こうして目の前に現れたのはこちらにとって好都合というものだ…………。

「咲耶…………君は、あの本を所有してはいないかい?」
「ん? んー、残念ながら持ってないけど。……千影はああいうのに興味があるのかい?」
「…………いい」

 どうやらハズレのようだ…………。咲耶といえども、ドラマを全てをチェックしているわけではないということか…………。まあ、考えてみれば当然といえるのだが…………。
 …………仕方ない…………ここは直接頼むしかないだろう…………。目的を達せずして、ここを去るわけには行かないからね…………。

「…………咲耶、」
「残念だけど、それはちょっと、ね」
「…………まだ、何も言ってはいないが?」
「大体分かる」

 …………共に長い時を経た兄弟というのも、時に不便なものだね…………。…………そんな可愛げのない顔を向けられても困る…………。
 「やっぱり、ちょっと近づきがたいしね」、だそうだ…………。…………ふふふ、全くお互い何を恐れているのだろうね…………。

 …………しかしそうなると、姉くんに頼るしかない、ということになるのか…………。若しくは、覚悟を決めなければいけないということか…………。
 時計の針は5時を指していた…………。この書店に入ってから、約2時間が経過しようとしている…………。…………限界は近い。


「あ、お姉様! こっちこっち!」

 …………どうやら、咲耶と姉くんは待ち合わせをしていたらしいね…………。
 …………天啓か。
 …………フフフ、この僕が“天啓”などという言葉を使うとはね…………。実に滑稽ではないか…………フフフ。


「…………やあ、姉くん。君はあの本を買わなければいけないよ…………」

 …………やれやれ、相変わらずの困惑顔だね…………。しかし、姉くんはすぐに躊躇してしまうところがあるから…………これくらいは必要なんだよ…………。
 …………ああ、心配することはない。代金は僕が出すよ…………。

 こうして、目的の本は姉くんの手へと渡った…………。さぁ、最後の仕上げだ…………。


「…………ところで姉くん、さっきの本なんだが…………一晩ほど必要なんだ。僕に貸してはくれないか…………」

 …………今度の表情は、随分と色々な感情の混じった表情だね…………。…………渾然一体として、それがまた一つの芸術品のように美しいともいえる…………。
 千影がお金を出したんだから、そう言って姉くんは…………僕にその本を手渡してくれた…………。
 …………ともかく、目的の本は手に入れることができた…………。…………ふぅ…………時代は移り変わっているけれども、それでもこうして苦労することというものは、いつの時代にも存在するもの、なんだね…………。
 …………横で笑いをこらえている誰かは、この際無視することにする…………。

「……あはは♪ 千影が少女マンガに興味があるとは、実に興味深い事実だね、うん」

 …………ノイズも無視だ…………。

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