【春、夏、秋、冬】
この者、買い食い常習犯、天海春香。
……だって、仕方ないじゃない。あのベーカリーが美味しそうな匂いを漂わせてくるんだもん。
事務所近くにあるベーカリーは、毎月違った旬のフルーツを使ったパンを出すことで、女性に人気のお店。
私もご多分に漏れず。
と、4月のパン「小夏パン」を片手に事務所へと向かって歩いている私。小夏の果肉を織り込んだ生地に、小夏ジャムが入っていて、ちょっぴり甘酸っぱいさっぱりとしたパンなの。うーん、小夏侮りがたし。
ああ、小夏っていうのは、土佐名産の柑橘類のことらしい。
冬の暖かい日を小春日和って言うけれど、今はまさに小夏日和! うーん、我ながらいいキャッチフレーズかも。
「小夏日和! 天海春香」
……これはちょっと、微妙かな。
そういえば、私がデビューする頃に、キャッチフレーズをつけるつけないで揉めたことがあったっけ。
元は社長が言い出したんだけど、今時のアイドルはキャッチフレーズなんて付けません! と、小鳥さんや律子さんが猛反発したのだ。
私は、そういうのがあった方がインパクトがあるし、他人に覚えてもらいやすいかなあ、なんて楽観的に考えてたんだけど、社長の口から出てきたのが「あなたの太陽、24時間営業中」だの「席替えで隣になった女の子」だの、ちょっと意味不明な上に昭和テイスト全開で、結局、丁重にお断りすることになった。
肝心のプロデューサーさんはというと、外野で面白がって見ていただけで、特にいいとも悪いとも言わなかったなあ。
もし、私のキャッチフレーズが「あなたの太陽、24時間営業中」になっちゃったら、どうするつもりだったんだろう?
もしそうなったら、プロデューサーさんのそばを24時間密着して、ずーっと照らしちゃいますからね!
……24時間プロデューサーさんと一緒にいられるならそれでもいいか、なんてちょっぴり思ったのは、秘密。
程なくして、事務所に到着。
今日は私はオフなんだけど、わざわざ事務所まで来たのは……プロデューサーさんとピクニックに出かけるからなのです!
ピクニックって言っても、プロデューサーさんも午前中はお仕事で、お昼も回ろうかという時間からではそこまで遠出できるわけでもないから、1時間ほど電車に揺られた先にある大きな自然公園に行こう、っていう話になっています。
そんなわけで、春らしく薄桃色のワンピースを着て来たりしたんだけど……いざ、この格好でプロデューサーさんに会うとなると、ちょっぴり恥ずかしい。
プロデューサーさん、何て言ってくれるかな……。
この服を選ぶだけで小一時間はかかってしまって、部屋中服だらけで、足の踏み場もない状態で家を出てきちゃったから、多分怒ってるだろうなあ、お母さん……。
「何やってるんだ春香、こんな所で」
「うわああ!」
目の前のドアが急に開いて、プロデューサーさんが現れる。心の準備もできてないのに、突然なんてひどすぎる!
なんて、さすがに、プロデューサーさんに怒るのはお門違いだってことは、私にだって分かる。
「そんなところ突っ立ってないで、早く中に入れ」
「う……はい」
いきなりかっこ悪いところを見せちゃって、しょんぼり。
「こっちの仕事ももうすぐ終わるから、ちょっと待ってて。……それから、そのワンピース、よく似合ってるな」
あ。
今、私、世界一幸せな女の子かも。
しょんぼりしていた気分もどこへやら、すっかり舞い上がってしまった私。
実は、プロデューサーさんは、私の服装のことなんか気にも留めないんじゃないかと思ってた。だって、私のプロデューサーさんは、鈍感さにかけては右に出るものはいない、って思ってるくらいなんだもん。
仕事で衣装に着替えたときは、さすがに「似合ってるよ」とか言ってくれるけど、逆に言えばそれくらい分かりやすくないと、気付かないのだ、あの人は。
そんなプロデューサーさんが、このワンピースを似合ってる、と言った。
私に背中を向けた去り際に言ってくれたのは、プロデューサーさんなりの照れ隠しだったのかもしれない。
それから、気恥ずかしい気持ちいっぱいのまま自然公園に着いた私たちは、もうほとんど散ってしまった桜の木を眺めながら、お弁当を広げることにしました。
上手く三角形に握れなかったので結局丸くなってしまったおにぎり、ところどころ焦げてしまった卵焼き、揚げるのが楽しくなっちゃった結果、お弁当箱の半分を占める鶏の唐揚げなどなど。
お菓子作りとは勝手が違って、なんだか失敗ばかりだったけど、それでも、私が一人で作ったにしては上出来だとは思う。
横で見ていたお母さんは、見るからに手を出したそうにそわそわしてたけど。
……お母さんのようにできるのは、いつになるのかなあ。
そんな中、プロデューサーさんが一番初めに手を付けたのは、プロデューサーさんにも是非食べてもらいたいと思ってさっき買ってきた、小夏パンだった。
……プロデューサーさんは、もうちょっと女心を勉強した方がいいと思います。うう……。
「しかし、桜の花が散った後の木って、結構寂しいもんだなあ」
小夏パンを片手に、空一杯に広がる枝振りを見ながらプロデューサーさんがつぶやいた。
「そうですね……。桜の花もずーっと咲いていればいいのにな、って思います」
「俺はそうは思わないな」
今し方、桜の花が散った後の木を、寂しいって言ったばかりなのに、桜の花がずっと咲いていて欲しくないって、どういうこと?
「散る美学、とでも言うのかな。キレイなものは消えてなくなるからキレイなんだと、俺は思う」
「そんなことないですよ。キレイなものは、ずっとキレイなままでいられるはずですよ」
「そうかな? キレイなものもいずれ見飽きる。そうなれば、もうそれはキレイなものじゃなくなるんだ」
「うーん……やっぱり、プロデューサーさんの言うことは納得できないです」
……だって、輝けるトップアイドルを目指して頑張ってる私たちですよ? ずっとずっと、輝いていたいじゃないですか。
私から輝きがなくなったら、それは、プロデューサーさんとお別れしなくちゃいけない、ってことじゃ、ないですか……。
私は、そんなのはイヤです。ずっと、プロデューサーさんのそばに居たいんです!
「……プロデューサーさん、もうお別れだなんて、言わないですよね?」
「どうしたんだ?」と、気付けば頬を涙が伝っていた私を見て、プロデューサーさんはうろたえていた。
「俺たちは、まだ始まったばかりじゃないか。お別れなんて、早すぎるだろ? 俺は、まだまだ、春香のことを全然知らないし、もっと知りたいとも思ってるよ」
プロデューサーさんの優しい声が、私の体に染み渡る。
それでも、今の関係が永遠に続くものではないと気付かせられてしまって、心がきゅっと締め付けられる。
「プロデューサーさん、桜の花は、また次の年もキレイな花を咲かせますよね」
「ああ、そうだな」
プロデューサーさんとの別れが訪れても、いつの日か、きっと、また私は、花を咲かせることができると信じている……。