【メールの裏面】

 うー、かゆいなあ……。
 ああ、でも、掻いたらひどいことになっちゃうし。蚊に刺されたのが首の後ろの目立たないところでよかったよぅ。あんまり目立つところだとアクセとかでごまかしきれないもんね。明日、メイクさんにも相談しておこうかな。

「何もじもじしてるの? 春香。トイレでも我慢してるのー?」
「もう! あきちゃんったら。そんなんじゃないよ」

 朝のホームルームが終わった後の、一時限目の授業が始まるまでの僅かなフリータイム。
 私が痒さに身を捩じらせているところに声をかけてきたのは、隣の席に座っている友達のあきちゃんだった。

「ごめんごめん。アイドルはトイレに行かないんだっけ」
「昔のアイドルじゃないんだし、いくらなんでもそんなこと、今時誰も思わないよ」
「そうかな?」
「そうそう」

 なんて他愛のない話に花を咲かせている間にも、蚊の放った魔の手は私を襲ってくる。
 うう、困った。授業、集中して受けられるかなあ?

「で、結局何があったのさ」
「あのね」

 私は首の後ろを指してあきちゃんに見せながら、今朝気がついたら蚊に刺されていたことを話した。

「はあ、相変わらずきれいなうなじね」
「あきちゃん!」
「ははは♪ それはさておき、外もだいぶ寒くなってきたっていうのに蚊に刺されるなんて、よっぽど好かれてるんだねえ。もてもてじゃない。あ、でも血を吸うのってメスの蚊だけだったっけ」

 私のプチ不幸を面白がっているのか、楽しそうに嘯くあきちゃん。
 そんな季節外れの蚊に好かれても嬉しくないよぅ……とほほ。
 どうせ好かれるならもっと別の……そう、例えばプロデューサーさん♪ の方がいいんだけどなあ。
 と、いつものように頭の中以外がお留守になりかけたんだけど、つんつんとあきちゃんに頬を突つかれて我に返る。
 戻ってきた意識で黒板の方を見遣ると、既に一時限目の数学の先生が教壇に立っていた。

 はう〜、やっぱり授業に集中できなかったよー。
 授業が終わってすぐに机に突っ伏しながらも、首の後ろに気を取られる。
 保健室とかに薬置いてないのかなあ。ちょっと行ってみようかなあ。

「ねえねえ春香、さっきの続き……ってわけでもないんだけどさ」

 でも、保健室ってなかなか行きにくい雰囲気なんだよねえ、なんて考えていたところにあきちゃんが話しかけてきた。

「ん? なあに?」
「蚊に刺されやすい血液型ってあるらしいよ」
「え? 本当!?」

 それは私には初耳だったので、少しびっくりしながらもちょっと考えてみた。
 蚊は熱だか二酸化炭素だかに反応して人間を刺すらしい、と以前にお笑い芸人が司会をしている生活情報番組かなんかで見たことがあったようななかったような。
 でも、血液型なんて蚊に分かるものなのかなあ?
 血液型が違っても、別に蚊に分かるようなものが体から出てるとは思えないんだけど……。
 目に見えなくて体から出てるもの? ……フェロモンとか。そんなわけないか。
 そういえば、フェロモンもなんかの昆虫から発見されたって言ってたっけ。
 うーん……そう考えるとこの説もあながち間違いじゃないかも?

「でね、O型が刺されやすいんだって」
「へー……って、私、O型」

 自分を指さしながらあきちゃんに答える。

「でしょー。確かそうだったなー、って思ってさ。だから春香ばっかり蚊に刺されるんじゃないの?」

 うー、そんな理由で刺されても嬉しくないー。
 でもちょっと面白いこと聞いちゃったな。本当のことかどうかは分からないけど、明日事務所に行ったときにみんなに話してみようっと。
 ……あれ? そういえば、プロデューサーさんの血液型って何型だったっけ?
 考えてみれば、聞いたことなかったかも。
 それどころか、年齢も誕生日もよく知らないや。
 プロデューサーさんは私の血液型や誕生日は知ってるのかな? って知ってるよね。だって、履歴書に書いてあるんだもん。
 ……ずるい。
 プロデューサーさんは私のことを知っているのに、私だけプロデューサーさんのことをなんにも知らないのはずるい。
 こんな一方通行でいいはずがない!
 好きな人のことはなんでも知りたい。
 ……って、そういえば前にもプロデューサーさんの誕生日とか聞いてみようと思ったことあったっけなあ。
 でも、変に意識しちゃって結局聞けずじまい。
 プロデューサーさんの誕生日、もう過ぎちゃってたらどうしよう! でも、そう考えると怖くって余計に聞けなくなっちゃうよぅ……。
 でも、せめて血液型くらいはいいよね。
 それが分かるだけでも、雑誌の占いコーナーとか見るのが楽しみになっちゃうもん。
 プロデューサーさんの今月の運勢はどうかな? とか、通りがけに見た献血でプロデューサーさんの血液型が一番不足してましたよとか、話題が増えることは確実だし。
 よーし! じゃあ、早速メール出そうかな。

「うふふ♪ ありがとう! あきちゃん」
「へ? ……どういたしまして。……って、いきなり何よ、気持ち悪いわねえ」

 携帯電話を開いて、プロデューサーさんのアドレスを宛先に入れる。
 プロデューサーさんのアドレスは、登録名の読み方を「あ」にしてあるので、アドレス帳を開くと一番最初に出てくる。
 仕事の上でも便利なのは確かだけど、それだけじゃない。携帯を開いてプロデューサーさんの名前がすぐに目に入ることが、私のほんのささやかな幸せ。

「えっと……件名は【カにさされやすい血液型?】でいいかな?」

 親指に想いを込めて、送信っと。
 あんまり変な内容じゃなかった、よね?
 でも、本当は……私の本当の気持ちが透けて見えて欲しいと……感じ取って欲しいと、願っているのかもしれない。
 目を閉じて、携帯をぱたんと閉じる。
 ストラップの鈴がちりりと鳴った。


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