【タイムラグは90秒】
桜の開花宣言から数日が経ち、ようやく空に薄紅色が混じり始めた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
なんてね。
朝のニュース番組をチェックしていたプロデューサーさんが、「今日のお天気」のコーナーを見ながら、こう言ったんです。
「俺、このお天気お姉さん、好きなんだよね」
鼻の下が伸び放題でした。
もう、担当アイドルの前で普通こういうこと言う? ……どこが好きなの? サラサラの黒髪ストレート? しなやかに伸びたキレイな指先? 果実を思わせるチェリー色の唇?
とにかくそれがなんだか悔しくって……はっきりと言えば嫉妬して。その日一日中、自分がお天気お姉さんになったつもりで、明日の天気とか、桜前線の情報とか、お洗濯もの指数とか、色んな状況をシミュレートしてみた。
けれど、どれも惨敗。
私みたいなちんちくりんは、お天気お姉さんにはあと数年足りなかったみたい。本当にあと数年足りなかった。私だって、あれくらいの年齢になればセクシー間違いなし!
……なんて、言ってはみたものの、私じゃせいぜい「ちんちくりん」の「ちん」が取れて「ちくりん」くらいがいいところかも。トホホ……。
今日から4月です。
4月になるとすぐに私の誕生日がやってくるので、小さい頃からとってもワクワクしていました。それに、今年は……。
そんな私の気持ちを知って知らずか、神様は少し気の早い誕生日プレゼントを私にくれたみたいです。
「こんなになるとは予想外だったなあ」
「はい、そうですね……」
事務所の壁で時を刻んでいる時計は、もうすぐ日付をまたごうとしている。そんな夜遅くに事務所の中でプロデューサーさんと2人きり。私のドキドキ原発は、さっきからフル稼働です。
今日はもう電車が終わってるので家には帰れないから、千早ちゃんの家に泊まることになってます。あんまり遅くなると千早ちゃんも心配するかな?
それから、お母さんにも「千早ちゃんの家に泊まる」って電話してあります。お母さんはすんなりOKしてたけどいいのかな? 大事な一人娘が外泊するんですよー。もしかしたら、男の人の家に泊まるかもしれないんですよー。信頼されているのか、それともそんな人がいないことなんてお見通しなのか、……もしかしたら、そんな人がいるんじゃないかと思ってOKされたとか。
はわぅ……。
色々と考えてみるけど、結果は出ず。とにかく、今日は千早ちゃんの家に泊まるわけだから、後ろめたいことなんてないんだけどね。
……本当は、秘密のアバンチュール! なんてことも、ほんのちょっぴりくらいは期待してみちゃったりもしたんだよ? でも、どだい相手が悪かったと言わざるを得ない。
だからかな、このチャンスを逃しちゃいけないと、ちょっとだけ積極的な私がしきりに声を掛けてくる。
だけどやっぱり、あと一歩の勇気が出ない。
それは、この気持ちが嘘偽りない本物の気持ち、だから。
「ところで春香、この事務所、移転するらしいぞ」
「え? 本当ですか!?」
事務所を閉める準備をしていたプロデューサーさんが、突然そんなことを言い出した。
私ったら、そんなことぜんっぜん知らなくって!
この事務所が別の場所に移る……それはもしかしたら、私達が一生懸命頑張って765プロに貢献してきた結果なのかもしれないけれど、この場所は初めてプロデューサーさんと会った場所でもあるし、他にも思い出がいっぱいで。なんだか、寂しくなるなあ……。
なんて、思っていたら。
「なーんてな! どうだ、今のは本当っぽかっただろう」
「え? え?」
私はさっきから驚いてばかりで、プロデューサーさんが何を言ってるのか理解できずに、でもなんとか理解しようと一生懸命考えてみる。うーん……。
「なんだ? もしかして、春香は相当鈍いのか。今日は何の日だ?」
むっ。プロデューサーさんの方が鈍いくせに。なんか納得いかないなあ。
……ん? 今日は何の日?
今日は何の日って……4月1日……あっ!
「その様子じゃ、やっと分かったみたいだな」
そう、今日はエイプリルフールです。わ、私だって忘れてたわけじゃないんだよ! 今日一日、ずーっとどんな嘘を吐こうか考えてたんだから。
千早ちゃんに「私達の期間限定のデュオ結成だって!」ってメールを送ったら、「嘘ね」って素っ気ない返事でバッサリ切られたけど……。でも、どうしてすぐに「嘘だ」って分かっちゃったんだろう? それに、この返事じゃ、まるで私とはデュオなんて組みたくないって言ってるみたいじゃない? 千早ちゃん……本当はどう思ってるんだろう?
……今日これから千早ちゃんの家に行くんだから、そこで聞いてみればいいか。悩んでても仕方ないもんね!
とにかく、プロデューサーさんの方からエイプリルフールの話題を振ってもらったのは、私にとって好都合かもしれない。
木を隠すなら森の中、嘘を隠すなら嘘の中。今日は本当のことを言っても嘘っぽく聞こえるから、プロデューサーさんの嘘と混ざり合ってすぐに流れてしまうはず。
ちらりと壁の時計を見て、時間が思ったよりもないことに気付いた私は、気持ちの整理を付ける暇もなく、プロデューサーさんに話しかけた。
「あははっ! すっかり騙されちゃいましたよ! それで、私もプロデューサーさんに話があるんですよ」
「ほう、なんだ?」
プロデューサーさんの顔は、もうすっかり「春香はどんな嘘を吐くつもりだ?」と待ちかまえていた。
だから私は、こう言った。
「……あの、私、プロデューサーさんのことが大好きです! 一人の男性として!」
「――」
ああっ! 言っちゃった! もう、顔が熱いよー。
そんな私の告白が予想外だったのか、プロデューサーさんは不思議そうな顔で固まっていました。
「あ、あの……プロデューサーさん?」
「……あ、ああ。嘘、なんだよな? 今の」
「そ、そうですよ? ほら、時計見てくださいよ。まだ今日は終わってません」
指差した時計は、4月2日に向けて残り30秒弱のカウントダウンの真っ最中だった。
「ふぅー……。なんか、ドキドキしちゃったな、今。じゃ、事務所閉めるぞ」
「はい」
玄関口へ向かうプロデューサーの背中から、時計へと再び目を向ける。
秒針が「12」の文字を横切り、日付が変わる。
けれど私は知っていた。あの時計の時間がずれていることを。
タイムラグは90秒。