【Sランク】

 ……プロデューサーさん、“Sランクアイドル”の“S”ってどういう意味だか知ってますか……?


 私が世間から“Sランクアイドル”と呼ばれるようになって、もう1ヶ月ほど経ちます。
 んまぁ、正直なところ“Sランクアイドル”なんて言われても、全然ピンと来ないかな。
 そりゃ確かに、地元の商店街だけじゃなくって、事務所の近くとか人の多い街に出かけたりなんかすると、「あ、天海春香だ!」なんて声をかけられちゃうようにはなったんだけど、ね。
 オーディションに合格して765プロに所属したての頃と今とを比べたら、やっぱり歌もダンスも表現力も格段に上手くなっているとは思うんだぁ。
 でも、でもさ……昨日と今日を比べたら、その違いはきっと目に見えないくらい小さな差。その積み重ね。昨日と今日は変わらない、今日と明日も変わらない、その積み重ね。
 そしてなにより、私は歌が好き。歌うことが好き。それはやっぱり変わらない。
 だからきっと、“Sランクアイドル”なんて言われても、自分じゃピンと来ないんだと思う。

 でも、変わったこともある。
 気づいてしまったこともある。

「おはようございます、小鳥さん♪」
「あ、おはよう春香ちゃん♪ 今朝は早いのね」
「え、あ、はい!」

 小鳥さんと挨拶を交わしながら、ちらっと横目でプロデューサーさんのデスクを盗み見る。盗み見るなんて、我ながらちょっと行儀が悪いなあとは思うんだけど、なんというか止められません。
 そして発見したのは空っぽのイス、にかかったスーツの上着。

「あの、小鳥さん。プロデューサーさん、来てるですか?」
「……ああ、そういうこと」
「ん、ん?」
「っとごめんなさい、こっちの話♪ えっと、プロデューサーさんだっけ。プロデューサーさんだったら、ほら、向こうのソファーで寝てるわよ。アイマスクして。なんだか徹夜したみたい」

 小鳥さんの言葉が向けられた方にはソファーの裏側。ということは、向こう側ではプロデューサーが寝息を立ててるってことか。

「あ、春香ちゃん。私、ちょっと出てくるわね。すぐに戻ると思うから、留守番お願いできるかしら?」
「あ、はい。まかせてください!」

 バタン、と扉の閉まる音が聞こえ、パタパタと階段を下りる音が聞こえ、やがて何も聞こえなくなり、抜き足でソファーに近づく私。

「……何やってるんだろう、私」

 うう……。
 別に普通に歩いたくらいじゃプロデューサーさんは起きないっていうか、そうそう! プロデューサーさんは徹夜して疲れてるんだから、ちょっとでもながーく寝かせてあげたいじゃない♪ ああ、私ってばなんて優しいのかしら♪
 ……なんて、自分に言い訳してちゃ世話ないわ……とほほ。

 にゅっと首を突き出して、ソファーの上から覗き込む。
 ドキッとした。
 何に? そりゃ、プロデューサーさんに。正確に言えば、プロデューサーさんの寝顔に。
 それから何をするわけでもなく、ただただ眺めるだけ。
 あー、なんだろうなー、この感覚。パッと頭の中に浮かんだ言葉が1つ。
 “新妻”。
 い、いやー、いくらなんでもそれはどうかと! 何がどうかってそりゃちょっと一足飛び過ぎるんじゃないかって、そうじゃなくってまずはその前の段階が存在するわけで、って、わー! やめやめ! 恥ずかしすぎるー!
 きっと今の私の顔は太陽がジェラシーするくらい真っ赤。
 もし、こんなところをプロデューサーさんに見られたりしたら、私だって穴を掘って埋まりたいですー!

「……何、百面相してるんだ、春香」
「!? え? うわっ!」

 み、見られた!?
 ドンッ! とお馴染みの音を立てながらプロデューサーさんを見上げる私。
 なんでか知らないけれど、こういうタイミングは何故か外さないのが私のプロデューサーさん。
 あー、またやっちゃったー……。
 プロデューサーさん、いつから見ていたの? 百面相って言ったわよね? ってことは、それなりの時間がそこにはあったわけで、真っ赤っかな私の顔を見られ放題!? いやいや、まだ分からないし。ここは、転んじゃって照れくさいから顔が赤くなった、ってことにして、っていうかそうしちゃう! そう! それでいこう!
 この間、1秒弱。

「大丈夫か? 春香」

 差し伸べられた手を取って、なんとか立ち上がる私。

「あ、ありがとうございます! プロデューサーさん! ところで、プロデューサーさん? いつ頃から起きてたんですか?」
「ん? んー……なんか、人の気配がしたから起きた……から、本当についさっき、かな?」
「ということは……見られてない! ……ほんのちょっとしか」
「何を見られるって?」
「あー、なんでもないです! なんでもないです!」

 ほっ。
 でも、プロデューサーさんは、ほっとなんてさせてくれない。

「それにしても、“Sランクアイドル”にもなったっていうのに、春香の転び癖は相変わらずだなあ。昔のまんま」
「……えへへ。で、でも私だって“Sランクアイドル”になって変わったこと、ありますよ!」
「へえ、なんだい?」

 ちょっとだけ、勇気出してみちゃおう、かな。

「プロデューサーさん、“Sランクアイドル”の“S”って、なんていう言葉の略だと思います?」
「“S”? ……そりゃ、“Special”とか“Super”の“S”じゃないのか?」
「ぶぶーっ! ハズレです、プロデューサーさん♪」
「違うのか? 何となくみんなそういう意味で使ってるような気がするんだが……」
「もっと単純で簡単な言葉です。でもとっても大切な言葉です」
「……ヒント! ヒントが欲しいな、春香」
「じゃあ、大きなヒント! これを言っちゃったら、すぐに答えが分かっちゃいますよー♪ ヒントは『日本語』です」
「日本語? …………ダメだ、降参だ」

 ……そっか、分からないんだ。
 まあ、プロデューサーさんだしね。ちょっと納得しちゃう自分も悲しいけど。

「正解はですね……」

 “Suki”の“S”ですよ、プロデューサーさん♪

「教えてあーげない♪」
「えー、なんだよそれー」
「そんな子供みたいな声出してもダメです。これは宿題にしておきますから、頑張って考えてくださいね、プロデューサーさん♪」

 “Sランクアイドル”の“S”は“Suki”の“S”。
 “好き”の“S”。

 FランクからEランクへ。EランクからDランクへ。
 私の気持ちはどんどん大きくなっていって。

 DランクからCランクへ。CランクからBランクへ。
 気づいたのに気づかないふりをしてみたり。
 
 BランクかAランクへ。そして、AランクからSランクへ。
 “好き”な気持ちを偽る事なんてもうできない。
 世界中の誰にも負けないトップアイドルになった私は、世界中の誰にも負けない“好き”を持っている私。

 間違いなくプロデューサーさんのことを“好き”だと言えるランク、それが“Sランクアイドル”の天海春香です!

 

 ……プロデューサーさん、“Sランクアイドル”の“S”ってどういう意味だか知ってますか……?


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