一枚絵で書いてみm@ster

第8回『一枚絵で書いてみm@ster』参加作品
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 いつまでも制服のままじゃまずい。みんなが来ちゃうぞ。
 スツールの上に置いてあった通学鞄を肩に引っ掛けて、セーラー服の襟をはためかせながらお店の奥に引っ込もうとしたけれど、そういえばそろそろ温め直しておかなきゃいけないな、と思い出して踵を返し、寸胴を火にかけた。
 あまりに急いでいたせいで、危うく通学鞄をカウンターの上に置いてるホスタの花瓶に当てるところだった。これがヒヤリ・ハット、ってやつかな?
 そして、コンロのつまみから手を離そうとしたそのタイミングで、お店の入り口に人の気配がした。
 どうやら、コーヒーカップまで片付ける時間はなさそうだ。
「貴音。随分早いんだな」
「そうでしょうか。待ち合わせは7時45分。現在の時刻と照らし合わせるとさほど遅いとは感じませんけれど」
「まあ、そっか。自分もそろそろみんなが来る頃かと思ってたし」
 自分は今、この小料理屋さんでバイトをしてる。ハム蔵達と住んでる部屋代もバカにならないからね。
 ……今はまだ、765プロから家賃の補助が出ているけど、それもいつまでのことか分らないし。
「それにしても、貴音一人なんだな。みんなと一緒に来ると思ってたぞ」
 お店に入ったはいいもののどうしていいか分からず、店内ををきょろきょろとしたり、気になるものに目を留めたりしていた貴音に声を掛けた。
 そして、とりあえず自分がいるカウンターの向かいの席に座るよう促した。
「他の方がどうかは分りませんが、私は一人で参りました。予定が合わなかったものですから」
 ようやく居場所を見つけたとばかりに落ち着きながら、貴音が返事をした。
「久しぶりですね」
「ああ……そうだね」
 今日は765プロのみんながこのお店で、自分の新しい門出を祝ってくれる会を開いてくれるんだ。新しい門出、なんて大げさな言い方だけど、要するにこのお店でバイトを始めたことを応援してくれる会、かな?
 自分がこのお店でバイトを始めたことを社長には伝えて、是非来てほしい、なんて宣伝したのがここまで大事になっちゃんたんだ。
「でも、事務所には何度か行ってたぞ」
「そうでしたか。すれ違いが多かったのかもしれませんね」
 貴音が薄く微笑んだ。久しぶりに貴音の顔を見ながらおしゃべりしていると、すっごくほっとするなあ。
 765プロのみんなに会えるのもすごく楽しみだぞ。
「響……」
 貴音が静かに話を切り出した。
「しばらくはこのお店のバイトに重きを置くのでしょうか」
「そうだな。なんていっても東京は家賃が高いから。今の自分と動物達が住むにはちょっと頑張らないと。それに小料理屋の看板娘っていうのも悪くないと思わないか? それもある意味でアイドルって言えるんじゃないかな」
「……。それでは、沖縄に帰るという選択肢はなかったのですか?」
「それは……ない!」
 貴音の質問に、自分は強く答えた。それは決意の表れでもあるから。
 もっと、もっと上に、トップアイドルになるまで家には帰れない。兄貴に啖呵を切って沖縄を飛び出してきた手前、実家にはとても帰りづらかった。
 けれど、今の自分は……。
 デビューできる! それが分かった時はすごく嬉しかった。突然自分の目の前に現れた男の人が、自分のプロデューサーだと知った時、心臓がものすごく跳ね上がった。
 それからお互い二人三脚、手探りで頑張ったんだけど、ダメだった。
 自分とプロデューサー、どちらがダメだったとか、そういう話じゃないんだと思うけど、結果は売れないアイドルのまま終了。売れないどころか、知っている人さえ一握りの記憶にも残らないアイドル活動だったと思う。
 そんな活動だったけれども、何度かデパートの屋上で歌った時に自分の歌を喜んでくれた子供達の心くらいには何かが残っていると嬉しいなって、アイドル活動を休止した今でもときどき思うんだ。
「では、別のプロダクションに移るというのはどうでしょう。フリーで活動するという手段もないではありませんし」
「それも考えたさ。でも、そうするのはまだ早いって思ってる。自分をスカウトしてくれた高木社長には恩義を感じてるから、それをしっかり返さないうちはまだ出ていけない」
 765プロにはオーディションで入った子とスカウトで入った子がいるけど、自分と貴音は後者だった。
 さらに二人の共通点として、地方から上京してきたっていうのがある。高木社長のスカウトということもあって、それなりに面倒もみてもらってるんだ。
 だから余計に、結果を出せなかったことが、申し訳なくて……悔しくて……。
 想いを強くするほどに目頭が熱くなる。
「響?」
 貴音が心配そうに顔を覗き込んできた。
「ああ、ゴメン。ちょっと考え事してた」
 目は潤んでるかもしれないけれど、それくらいなら多分ごまかせると思う。
「とにかく! 自分はもうしばらくは765プロで再デビューを待つつもりだ。これからもよろしくな、貴音」
 繋がりを確かめたかったからだろうか、自然と握手を求めていた。
「はい」
 貴音は快くそれに応じてくれた。
 デビューを待つ仲間として。ライバルとして。
「ところで響……」
 そこまで言いかけて、貴音は言葉をつなげないでいた。何を言おうとしてるんだ? 少し、不安になる。
「なんだ? 貴音」
「あ、いや……。いえ、やっぱり訊きますけど、響はやはりあの方にもう一度選んでもらえるのを待っているのでしょうか」
「あの方って」
 分かってる。
 プロデューサーのことだ。
「……そうだな。プロデューサーがもう一度自分のことを選んでくれると嬉しい、って思う」
 本当は物凄く選んでほしい。プロデューサーが隣にいてほしい。
 アイドル活動の最中は、まだ期間が短いこともあって信頼関係もそこまで育まれたわけじゃなかった。
 けれど、自分のために一生懸命だったことは、自分にもしっかり伝わってきた。
 活動休止前のラストライブが終わった後、顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、「力が及ばなくてすまなかった」って謝られた時は、色々と我慢していた自分もさすがに決壊して涙が止まらなかった。
 そして今、プロデューサーを失って、その大切さがよく分かった。
 自分の知っているプロデューサーは、あのプロデューサーだけだ。
 顔や雰囲気がどことなく兄貴に似ていて、だからちょっと突っかかったりもするんだけど、それを上手くいなせなかったりするところも可愛いと思えた。
 そうだな。兄貴に似ているっていうのもあって、親近感は最初からあって、今は別のプロデューサーにプロデュースされるってこと自体考えられないって感じかな。
 そんな自分の思いを知ってか知らずか、貴音は沈痛な面持ちで話を続けた。
「あの方は、もう別の子のプロデュースを始めています。それでも響は待つというのですか」
「そう……だよね」
 はは、当たり前だよね。プロデューサーは765プロで初めてのプロデューサーなんだもん。自分のプロデュースが終了したら、次の子のプロデュースに移らなくちゃいけない。
 頭では分かっていても、体が、心が震えて止まらない。自分を抑えていられない。
「あの方は高木社長も目をかけているようですし、765プロには私を含め、デビューを待つ子はたくさんいるのです。私だって、早くデビューしたい」
「一度デビューして失敗した自分よりは、貴音みたいに初デビュー待ちの方が、きっと選ばれる可能性は高いはずだよ」
「響、そこまで分かっていながら……」
 それでも自分はギリギリまで待ち続ける。夢を見続けていたい。
「そんな顔するなよ、貴音。自分達にはアイドルになりたいという願いがある。トップを目指す理由がある。自分だって、それを捨てるわけじゃないんだ」
 そう、「待つ」けれど「捨てる」わけじゃない。
 ただ、寂しいだけなんだ。寂しさから来る、ちょっとしたわがままなんだ。
 自分の言おうとしたことが貴音にも伝わったのか、重く暗かった貴音の表情にも日が差し込んできた。
「己が成すべき事、見失ってはいないようですね。響が思いの外しっかりしていて安心しました。どうやら杞憂でしたか。歴史を繋ぐのか、終止符を打つのか。期限はそう遠くはありませんよ、響」
「ああ、もちろんだ! 終止符を打つ気なんてないさー」
「それでこそ、響です。ところで、もう一つだけ訊ねたいことが……」
 貴音がそこまで口にしたところで、賑々しい声がお店の中に舞い込んできた。
 765プロのみんながやってきたみたいだ。
 おっと、こうしちゃいられないぞ。自分、まだ制服のままだからね。
「ごめん、貴音。また後で!」
 そう言い残して、自分は着替えの為に今度こそお店の奥に引っ込んだ。

 貴音が最後に訊きたかったこと、自分にはなんとなく分かるんだ。
 カウンターの上に置かれていた、ホスタの花瓶と飲みかけのコーヒー。店内に入って勝手が分からずにきょろきょろしていた貴音が目を留めたもの。
 自分はコーヒーはほとんど飲まないし、今日は貸切だって貴音も知っているはずだから、自分以外の誰かが残したものだって、気が付くはず。
 ホスタは765プロの中で自分の机に置くくらい好きだった人がいた。そっちは花瓶じゃなくて、小さな鉢植えだったけど。
 どちらか一つだったら、貴音も気に留めなかったかもしれない。けれど、どちらも同じ人を、それも極めて身近な人を指し示すとなったからこそ、貴音も黙っていられなかったんだろうね。
 自分は通学鞄を開け、中からお姫様ティアラを取り出した。それを頭上に載せ、鏡を覗き込んだ。
 「捨てる」わけじゃない。
 けれど「待ち」たい。
 だって「捨て」たくない。
 だから迎えに来て欲しい。
 もう一度、このお姫様ティアラを戴いてステージで輝く瞬間を、自分は待っているんだから。

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