【Lunatic】


夕陽が、空を緋色に染めている………。もう………遠くの人物の顔さえ分からない………
そんな黄昏時………。
でも………向こうから歩いてくる顔は………どんなに遠くても間違えることのない顔だ………。

「やあ………兄くん。今日は………私の家に寄っていかなければならないんだよ………」
「えっ!?」

フフフ………兄くんはあいかわらず面白い顔をする………。私がこういうことを言う時は………決まってこうなんだ………。
「千影は相変わらず強引だなぁ」そんなことを言っても………兄くんが来ないことはなかったね………フフフ。
でも………それが愛おしい………。

そのまま私の家へ行き………すっかり闇に包まれた空を眺めていた………。

「兄くん………今日はいい月が出ているよ………」
「そうだね」

月を見上げている兄くんの横顔を見ていると………少しいたずら心が首をもたげてくる………。

「月といえば………こんな話を知っているかい………?
 狂気を表す"lunatic"は………月を表す"lunar"から来ているんだよ………」

兄くんは………ちょっと驚いた顔でこちらを振り向いた………。フフフ………もう思うツボだよ………。
そして………兄くんの顔を見つめながら話を続ける………。

「潮の満ち干きが月の引力の影響だということは………兄くんも知っているだろう………?
つまりは………それと同じことなのさ……」
「と言うと?」
「人間の体というものは………60%が水分でできている………。つまり………人間も月の引力の影響を受けている
………と言うことさ………。
そう………月と人間の狂気とは密接な関係にあるということ………それを昔の人も知っていたんだろう………」
「…………」
「ところで兄くん………今日はいい満月だ………。これなら………人を狂わせるのに十分すぎるとは、思わないかい………」
「あはは……」

兄くんはちょっと引きつり笑いを浮かべながら………「で、今日はどんな用事があるんだい」なんて聞いてきた………。
しかし、その問いに………私が口を開くことはなかった………。
なぜなら………それはとてももったいないような気がしたからだ………。
そのかわり、と言ってはなんだが………私はこう答えた………。

「兄くん………私は月なんかでは狂わされたりはしないよ………」

そう、私は月の引力なんかには………狂わされたりしない………。
だって………私を狂わせることができる存在………それは、兄くんただ一人なんだからね………。