「モモタロス、耳かきしてあげるからおいでよ」

がたん、ごとん。
静かなデンライナーの中でピンクの空気を作り出してる二人組がいた。
タン、タン。
僕は足を踏みならしながら黙って音楽を聴いている。
時々、コーヒーを一口啜って大人っぽくため息をついてみた。
神様って残酷だ。
不公平だ。
だって、この距離は縮まる所かどんどん離れていく。
僕らの距離は。

「お、じゃあ良太郎の膝の上に寝てやろーっと!」

「あはは、モモタロスは甘えん坊だね…」

聞きたくない。
僕はBGMの音量を一気に上げた。
ガンガンに頭の中で響くその曲は憂鬱な気分を紛らわせてくれる。
それでも目線を移動させると仲良さそうにしているアイツらの姿が飛び込んできた。
人の気も知らないくせに。
でも。

「…僕はあんな奴がいなくても平気だ…」

口を動かしてそう呟く。
僕は音量を徐々に戻して、再びコーヒーを煽った。
その時、目の前で眠っていたでっかい熊が目を瞬かせながら何か喋っているのが目に入る。
おもわずヘッドフォンを外すと、熊の声ははっきり聞こえた。
どうやら僕の独り言が耳に入ったらしい。

「あんな奴がいなくても平気…?あんな奴がいなくても…いなくても…なくても…なく…泣くッ!?」

熊は慌てたように立ち上がって、浴衣の合わせから出した懐紙を僕に突きだした。
おもわずそれを受け取ると熊は満足そうに言うんだ。

「泣けるでぇ!!」

「…何のつもり?」

「涙はこれで拭いとき!」

「…泣いてないし」

僕は懐紙をぐしゃぐしゃにまるめて遠くへほおり投げた。
その紙が天然バカップルの片割れにぶつかる。
赤い目のバカだ。

「コラァ!今ちり紙投げたの誰だ!亀、テメーかァ!?」

「やだなぁ先輩、僕ならちり紙じゃなくてゴミ箱ごと投げて汚物まみれにしてやるのに」

「だよなァ、俺は汚物まみ…ってやっぱこの前寝てる時にゴミ箱ぶつけてきたのはテメーかエロ亀ェェェエ!!」

「え?あれは先輩が自分からゴミ箱に突っ込んだんだけど…覚えてません?」

「嘘つけッ!」

「本当ですよ。僕が嘘をつくような男に見えますか?僕は大事な先輩にゴミ箱を投げるなんて死んでもできない…」

「亀…おまえ案外良い奴じゃねェか…」

「まあ、ゴミ箱はともかく次は出来立てのコーヒーを投げてみようかなっておもってます」

「い、いっぺん死ぬかこの亀野郎〜〜〜!!!!」

僕に火の粉が飛ばなかったのはありがたいけど、また車内が騒がしくなった。
ドタンバタンと車内を揺らしながら喧嘩している二人組のせいで軽く乗り物酔いしそうだ。
僕は口を押さえて声を詰まらせる。
ふと、そんな僕の肩を叩いたのはさっきの熊だった。

「酔うんか?俺についてこい」

熊は僕の手を強引に引いて立ち上がると、大股で食堂車を出た。
そのまま引きずられるようにして熊の後に続くと、奴は迷うことなくデンライナー内のトイレへと入り込む。
このトイレは結構広い。
さすが電車内のトイレと言うべきか…暇つぶしには最適の場所だ。
僕はトイレの壁に背を預けて熊を見やった。

「ありがとー…」

小さい声で礼を言うと熊は意外そうに目を瞬かせて言う。

「お、ちゃんと礼が言えるんか。偉いで〜、いい子や」

失礼な奴だな。
熊は僕の頭をくしゃくしゃと撫でて屈託のない笑みを浮かべた。
なんとなく熊を黙って見つめていると、こいつはゆっくり手を下ろしてトイレのドアを見やる。
トイレの中からでもドタバタとしたバカの騒ぎ声が、僕の耳には入ってくる。 聞きたくないのに。

「…バカだよねー、あいつら…」

僕は抑揚のない声で言った。
そんな僕を熊が見つめている。
僕のきもち、バレたかなぁ?
感情がすぐ顔に出てしまうのは僕の悪いくせなんだ。
直すつもりなんてないけど。

「良太郎とモモンガが羨ましいんか…」

「…何言ってんの?羨ましくなんかない」

熊の言葉にかちんときたから言い返す。
羨ましいわけ、ない。
それなのに語尾が震える。
僕は自然と、拳をきつく握っていた。
情けなさで涙が滲んでくるのをこらえて唇を噛んでも、じわじわと溢れてきたそれは頬を伝っていく。
僕は何で泣くんだろう。
あのバカに劣るのが悔しいから?
それとも、良太郎が僕を見てくれないから?
どっちもヤだ。
涙をこらえてしゃくり上げる僕を見つめて、熊が言った。

「泣き虫やなぁ…ほれ、涙はこれで拭け」

熊はまたもや懐から懐紙を取り出した。
お節介にも僕の鼻に当てて、子供に言うみたいになだめるような声を出す。

「…ちーん、してみ?」

「…ちーん」

「口で言ってどーする」

熊は僕の頭を撫でてから鼻を拭いてくれた。
涙も拭い終えると、懐紙をゴミ箱に捨ててから熊が僕をちらりと見やる。
情けない顔を見られたくなくて顔を逸らした僕は、懐紙で拭かれた目元を何度か擦って俯く。
そんな僕から目を逸らさずに熊が言った。

「…そんな苦しそうなツラすんなや。俺も泣けてくるわ…」

熊の手がポンポンと僕の頭を撫でる。
ちらりと見やると熊の目にも情けなく涙が浮かんでいる。
こいつ、涙もろいんだな。
僕は熊の頬をつねった。

「勝手に泣けば」

「いてて…そうはいかんわ。気になるんやから」

熊はナチュラルにそんなことを言う。
ふーん。

「熊は僕のこと好きなんだ」

「ごほっ!げほ…」

僕の問いかけに熊がせき込む。
別に深い意味はないんだけどな。
でも、その反応を見て僕は少し強気に笑った。
一歩踏み出して、熊の両肩に手を乗せる。

「僕が好きなら…キス、できるよね?」

何言っちゃってるんだろう、僕は。
案の定、熊はびっくりしたような顔をして僕を見つめている。

「な、な、な、何や…そんなん…」

「答えは聞いてない」

拒否権を与えない僕の返答に熊がもごもご言いながら口を閉じた。 長い沈黙が続く。
…いくじなし。
僕はおもむろに手を離して顔を背けようとした。
その時、熊の手が僕をきつく抱き寄せる。

「く、熊…いたいんだけど…」

語尾が震える。
熊は僕の体をきつく抱きしめたまま何も言わない。
恐る恐る顔を上げると同時に、唇に何かが触れた。
すごく柔らかい何かが僕の唇に触ってる。

「んっ…んん…はぁっ、あ…うぅ…」

熱っぽい吐息が僕の口から漏れた。
頭のてっぺんから痺れる感覚がじわじわと広がっていく。
がっつくようなその行為に少しの恐怖と期待を忍ばせながら、僕はきつく目を伏せる。
長い長い沈黙の後、ようやく唇が解放された。

「はぁ…熊、いま…僕に何したの?」

壁に凭れながら問いかけても、熊は返事をしない。
黙ったまま唇を押さえて申し訳なさそうな顔をしている。
濡れた唇が目に付いた。

「……すまん、いきなり」

「…べつに。びっくりしただけ、だから…」

熊の声は小さい。
真似をするわけじゃないけど僕の声も小さくなった。
何となく、この気まずい現状の理由を理解した僕は熊の顔をじっと見つめて言う。

「もう一回して」

「な、何ィィイッ!?」

僕の言葉に熊がおもいきり後ずさった。
さっきは自分からしたくせにその驚き方はないだろう。
僕は一歩踏み出して、熊がしたみたいに手を伸ばした。
何やってるのかなァ、僕は。
だって僕が好きなのは熊じゃない。
僕が好きなのは…。

「しよう…キス」

僕が好きなのは良太郎なのにさ。
ちょっと優しくされたからって簡単に熊とキスしちゃうなんて変だ。
絶対変だ。
オカシイヨ。

「リュウ、俺はフリーやで。乗り換えるなら今や…」

熊は、顔を寄せた僕の肩を掴んでキスをとめた。
金の瞳がまっすぐに僕を見つめている。
びっくりするくらい綺麗だったから、そんなきもちを悟られたくなくて僕は、少し不機嫌な声を出す。

「なんでそんな事言うの?」

僕の声は情けないくらいに掠れている。
やたらと体に力が入った。
そんな僕の緊張をほぐすように、熊はあどけない顔をして笑う。

「…俺にもわからん」

その笑みは良太郎特有の笑顔に似ている。
けど、こいつは熊なのに。
妙にどきどきするのは何でだろう。
…僕にもわかんない。
わかんないよ。
だから、わかんないのが悔しくて僕は指を鳴らした。
ギクッと熊の体が強張る。
僕は笑って見せた。
できるだけ、大人の余裕を感じさせるように。

「バァカ。フェイクだよ」

そう言って熊の胸ぐらを両手で掴んだ僕は、そのまま唇を重ねる。
熊が僕にしたみたいに、出来るだけ乱暴で柔らかなキスをしてみせる。
突然キスをしたせいか熊の口からはくぐもった声が聞こえた。
熊の両手がぎこちなく僕の腰を抱き寄せようと動くけど、ロボットみたいにカクカクとした動きで腕が下ろされていく。
…へんなの。

「んっ…はぁ…熊、きもちいい?」

僕は、熊の体を強引に抱き寄せて言った。
もちろん唇を押し当てたまま。
僕の問いかけに、熊は何も言わない。
どこか気まずそうに目を逸らして、それから伏せてしまった。

「……すまん」

すまんって何?
何でそんな顔するのかな?
イライラする。イライラする。
熊の態度に、僕はきつく眉を寄せた。
熊からキスしたくせに。
僕が嫌いなら…ハッキリ断ればいいじゃないか。
同情であんなキスなんかしないで欲しい。
ああむしゃくしゃする。
僕は、怒りに任せて熊の体を両手で突き飛ばした。
熊の身体は僕に突き飛ばされてから離れる…ハズなんだけど、コイツは熊だからそう簡単に吹っ飛んだりしない。
僕に胸を押されて不思議そうな顔をしている熊の姿が視界の隅に映った。

「どうかしたんか?リュウ」

熊は僕の頭を撫でて首をかしげている。
良太郎とおなじ、あったかい手。
その優しい手を払った僕は、熊の顔を見ずに言った。

「…おまえ、邪魔。どっか行ってくれるかな」

「うん?…具合でも悪いんか?」

熊が神妙そうに僕を見つめた。
顔色を伺うみたいに。
馬鹿だな。僕は具合なんて悪くない。
機嫌が最悪なだけだ。

「熊なんて…デカいしウザいしだいっきらいなの!早くどっか行け!」

パチン。
僕が指を鳴らすと、熊の体がパッと僕から離れた。
その隙にトイレから抜け出した僕は逃げ込むようにして食堂車に飛び込んだ。
いつもコーヒーを出してくれるお姉ちゃんがきょとんとした顔をしている。

「どうしたの〜リュウタロちゃん。コーヒー飲んでく?」

「うん、飲んでく…」

なだめるような声に、僕は少し安心して小さく頷きを返す。
お姉ちゃんはニコニコと上機嫌に笑って僕を席につくように促した。
とぼとぼと歩きながら、僕はヘッドフォンを外して席に着く。
コーヒーはすぐに運ばれてきた。
ツンとした辛そうなにおい。
デンライナーのコーヒー独特の香りが鼻をつく。
たちのぼる湯気を見つめながら、僕はただぼんやりと唇をいじっていた。
キスが恋しいわけじゃない。
そうおもいこみながら。

















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金竜。マイナーだろうと大好きだぁあああ><
ゆうこは金竜→リョモモを応援中ですー。