「くしゅっ…げほんっ!」

部屋に大きな咳が響く。
俺は毛布をかぶったまま寒気に耐えていた。
誰だ。あったかいものを着なくてもへーきだよとか言った奴は。

「おにいちゃん…」

ああ、こいつだったっけ。
まじまじと俺を見つめて、真剣な顔をしている。
俺は気遣う余裕もなくて手を振った。

「部屋出てってろ、風邪移るぞ」

「…やだっ」

「はぁ?」

「ぼくが大おにいちゃんの看病するんだもん」

小さな少年はそう言って膝の上に乗せた皿をぎゅっと握った。
春先を祝うあの祭りのあと、俺は帰ってきてすぐ風邪を引いた。
トーマはケロッとしていて、家についたあとはレンジでチンしたたこ焼きを食べたり、知香が買ってきた金魚を嬉しそうに見つめてたっけ。
そんな笑顔が見れたなら俺の風邪も安い…なんておもう。
学校もズル休みできるしな。
いや、これは立派な風邪なんだけど。

「ごほっ、ごほ…いいから、本当出てけ…母さんに殺される」

俺は毛布を頭までかぶろうとした。
その手をトーマが押し留める。
トーマは少しだけ長い睫毛を揺らして俺を見ていた。
アイスブルーの大きくて丸い瞳がゆらゆらと動く。
見つめれば見つめるほど揺らめいて見えて、海みたいだとおもう。
俺がトーマに見惚れていると、奴は皿を取って不器用にスプーンですくった。

「小百合お母さんがつくってくれたの。卵の入ったおかゆだよ…あーんして?」

トーマは舌足らずな声で言うと、あどけない笑みを向けて首を傾げる。
何だろ、この感じ。
すげー照れくさくてむずむずする。
俺はしばらく喉奥で唸っていたけど、すぐにスプーンに口を寄せた。
一口だけ食べてみる。
いがいがした喉となってしまった俺にはとても優しい食べ物だ。
まるで幼児にでもなった気分だよな…。
俺はゆっくりと上体を起こして、またトーマからおかゆを貰った。

「…ごめんな、お前…お客なのによ、こんな事させちまって」

俺は小さくむせながらトーマに言った。
ゆっくりとスプーンを皿に置いたトーマは、俺をじっと見つめておもむろにかぶりを振る。
白い肌が赤くなっているのが一目で分かった。

「ぼくがしたかったの。大おにいちゃんは…おまつりのときにぼくをまもってくれたでしょ…?」

トーマの言葉尻が小さくなる。
それでも俺が黙っていると、ゆっくりと顔を上げて笑った。
その顔は俺の知っているトーマよりもどこか少し大人びた色をしている。

「…だから、こんどはぼくが…おにいちゃんのことまもるよ。あーんして」

「あーん」

何となく照れくさかった俺は何も返さなかった。
トーマの言葉に含まれるものがいつものものと違う気がする。
理由は…とっくに分かっていた。
祭の日、神社の境内で俺たちは…キスをしたんだ。
今おもうと、何考えてんだ子供相手にとか。
ファーストキスが男…とかおもわないわけじゃない。
それでも不思議と、心底後悔はしていなかった。
それどころか、俺は何かを期待している。
今、このときもトーマに何かを期待していた。
風邪がうつるかもしれないのに…。

「大おにいちゃん…顔が真っ赤だよぉ…。小百合お母さん呼ばなきゃ…」

「いらねえよ」

俺はおもわず強い言葉で言ってしまった。
小さな体がびくりとすくみ上がる。
顔を上げると、トーマは申し訳なさそうに俯いていた。
そうして少しばかり目を細めると、俺のベッドに置いているガオモンを見て小さな口を開く。

「…ぼくがもっとおとなだったら…大おにいちゃんにめいわくかけないのに」

拗ねたような声だ。
俺は、下を向いたままのトーマを見て少しだけ嬉しくなった。
トーマが俺の事を考えてくれてるんだな、とかおもうとやっぱり胸の奥がくすぐったくなる。
俺はトーマの頭に手を置いた。
そうしてゆっくり撫でてやる。

「ばーか、お前はそのままで良いんだよ。兄ちゃんがいっぱい守ってやる。俺の背中を見て格好良い男に育てばいいんだ」

「おにい、ちゃん…」

トーマは、ぽーっと俺を見つめるとすぐに立ち上がって俺に飛びついてきた。
じゃれるように、ふくふくとした腕が俺を抱きしめる。

「だいすきだよぉ、大おにいちゃん!」

がっしゃーん。
同時に、皿が床へと落ちた。
ずっとトーマの膝に置いてあったんだから当たり前だ。
トーマは慌てて立ち上がると、ぐちゃぐちゃになった床を見てあたふたと辺りを見回す。
その目はすっかり涙目だ。

「うぁ…ぼく、ぼく…おかゆ、こぼ、し…うわぁああぁーん!小百合お母さぁあん!」

トーマは5秒もたたずに泣き出した。
そうして、パタパタとスリッパの音が聞こえてくると扉に向かって振り返る。
母さんが律儀にノックをしてから扉を開けると同時にトーマが母さんの腰に飛びついた。

「ふぁああっ…ごめんなさい!ごめっ…うぁああん…」

「あらあら、どうしたの…?」

泣きじゃくるトーマをなだめる母さん…いつもの図だ。
俺は咳き込みながらまた毛布を深くかぶった。
まあそんなこんなで、風邪はなかなか治らない。
つきっきりで、一生懸命にドジなトーマがボケてくれるからだ。
いや、本人もボケたいわけじゃないんだろう。
俺が、スープが飲みたいといえば1人で運んでこようとして階段にスープをぶちまけて火傷しかけるし。
布団を取り替えると言ってベッドの足でくじいて大泣きするし。
とにかく、一生懸命で馬鹿なのだ。
…そういうやつ、嫌いじゃないけどな。

「大おにいちゃん、もう起きてだいじょうぶなの?」

何日か経った頃、制服に着替えて朝食に起きた俺にトーマが声をかけてきた。
俺はトーマの頭をポンポンと撫でながら答えてやる。

「おう、誰かさんが看病してくれたからかな」

「誰かさんってだれ?ねえ、だーれ?」

俺の遠まわしな言葉にトーマが食いついてくる。
ズボンをぐいぐいと引っ張って可愛い声を上げていた。
俺はネクタイを締めながらおもむろに屈む。
そうしてトーマの耳朶に唇を当てた。

「お前以外に誰がいるんだよ」

意外にも低くなってしまった声でそう言うと、トーマは俺を見てパッと表情を輝かせると子供特有の可愛らしい奇声を上げてだらしなく笑った。
そうして、ぜんぜんなってないスキップをしながら俺の腰に抱きつく。
この調子にも慣れて来た俺はトーマを抱きかかえて朝食の席についた。
トーマは幸せいっぱいの笑みを浮かべると、フォークでウインナーを刺して俺に向けた。

「おにいちゃんにあげる。あーんして?」

にっこりと笑いながら言うもんだから、俺は母さんと知香の目が気になりながらもそれを口に入れる。
案の定、母さんが満足そうにニコニコ笑った。
知香はと言えば黙々と飯を食って俺なんか見向きもしない。
くっ、可愛くない奴…。

「トーマくんは大が本当に好きなのね?」

母さんはしみじみと俺たちを眺めた。
トーマはためらいもなく頷く。
他意がないとしても、ちょっと恥ずかしくて嬉しい。
トーマは俺を強く抱きしめて笑った。

「ぼく、大おにいちゃんとけっこんするもん」

「あらあら…」

でれでれっぷりをアピールしているトーマを見て母さんがくすくすと笑う。
これは公認っていう合図か?
いやいや、そもそも男同士で結婚できるかよ!

「トーマ、あのなあ…男同士じゃ結婚できねーんだよ」

「…そんなのやだぁ…大おにいちゃんがいい」

トーマは不意に泣きべそをかいて俺の胸に顔を擦り付ける。
あああ、そんなに顔擦り付けたら制服にケチャップがつくじゃねーかよ。
そう言いたいのを堪えながら、俺はトーマの額にキスをしてやった。

「せめて、お前が俺くらいの年になったら…な?」

そう言った俺の言葉に、トーマは頷かなかった。
いや、頷かなかったと言うよりも赤面して返事ができない状況だったようだ。
トーマが弾かれたように顔を上げる。

「ぼく、早くちゅうがくせいになりたい」

「そーかそーか、んじゃ行って来ます」

「まじめに聞いてよぉー!」

席を立って真っ直ぐに玄関へ向かった俺の後ろでトーマが抗議の声を上げている。
バーカ、母さんや知香の前で「中学生になるまで待ってやる」なんて言えるかよ。
俺はちらりとトーマに振り返ってからすぐ家を出た。
最近、トーマの事が頭から離れない俺がいる。
それはトーマも同じみたいで、片時も俺の傍を離れようとしなくなった。
すべてはあの祭の日から変わったんだ。
あの時、俺はトーマのキスを受けて嬉しいとおもってしまった。
みずあめを舐める顔がえっちに見えるとか、すぐ傍で聞こえる吐息にドキドキしたり…俺は確実にトーマに惹かれてる。
うわ…俺犯罪じゃん。相手、いくつだよ…。
結婚なんて出来る年齢じゃねーし、つか2人とも男だし。
そんな事を考えながら一日を過ごしたせいか、その日の夜は少し興奮していた。
風呂から上がって部屋に戻ると、いつものようにトーマが俺の布団の上でガオモンをいじって遊んでいる。
俺は肩にかけたタオルで髪を拭きながらベッドに座った。
スプリングのせいでトーマの体が揺れる。
トーマはゆっくりと俺に近付いてはにかんだ。

「あのね、あのね、僕ね、今日ね…おにいちゃんのベッドで寝たい!」

まさかトーマから誘ってくれるとはおもわなかった。
俺は言葉を選ぶように口をもごつかせながら顔を背ける。
そうして、手だけはトーマの肩を掴んだ。
おもったよりもずっとずっと小さい肩。
いつも触ってる肩なのにずっと小さく感じる。
恐る恐る顔を向けると、トーマの顔がすぐ傍にあった。

「大おにいちゃん、ちゅー…ってして?おにいちゃんとキスしたい」

ピンク色の薄い唇が俺を誘う。
いや、だめだだめだ。
こいつはまだ二桁にもなってない子供なんだぞ。
キスなんか100億万年早い。
それでも…。

「…逃げんなよ?」

「にげないもん」

それでも、体の底からせり上がってくる欲望が俺の意思を押しのけた。
鼻先まで顔を近づけたとき、少しだけ躊躇してしまう。
本当にいいのか?
目だけで問うと、トーマはゆっくりと目を瞑った。
そんな顔されたら…キスしないほうが有罪だ。
俺は壊れ物を扱うみたいにゆっくりとトーマにキスをした。
俺の唇よりもずっと小さいそれが少しだけ動く。
幼いながらに俺を求めてくれているんだろうか。
キスの角度を変えて俺にしがみついてきた。

「ん、あふ…おくちのちゅー、だいすき。おにいちゃあん…」

幼児とは違う、艶の入った声が俺の理性をぐずぐずにしていく。
そうだ…トーマはこんなに俺を好いていてくれる。
だからちょっとくらい良いじゃないか。
子供特有のぷにぷにした肌を触ってみたって罰は当たらない。
もっと、この行為の先をねだったって罰は当たらない…はずだ。
俺はおそるおそるトーマを抱きしめた。
そっとパジャマのボタンに指を絡めながら口を開く。

「トーマ、大人の遊び…しねえか?」

返事は無い。
これは了承の合図なんだろうか。
そうおもった時、コロンとトーマの体がベッドに倒れる。
胸がゆっくりと上下していた。

「良いとこなんだから寝んなよ…」

俺は大きくため息をついてトーマの額を指で押す。
その時、俺はまだトーマの異変に気付けなかった。
あんなに白い肌を赤く染めてたっていうのに。


















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3話終了ですー。ちょっとだけ後半エロチックでした(笑)

萌え (GPO5個、デジモン5個/良ければ押してやってください。管理人の活力源になります)


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