天が回ったとおもったとき、どこからともなく声がした。
「マスター!」
「ちょっ、トーマ…大丈夫?」
ガオモンと淑乃の声だ。
僕はいつの間にか、冷たい床に頬をつけたような格好で横たわっていた。
どうしてこんなことになったんだろう。
身体を起こそうにも上手く腕が上がらない。
手足が痺れるような気がする。
ふと、目の前に赤いスパッツが見えた。
「トーマ、平気か?」
涼やかな声が頭の上から聞こえる。
僕は目を瞬いて、小さく頷いた。
それが僕にできる精一杯。
体中がポーッとしたような、変な感覚にやられてる。
それの原因を考えようともせずに僕は黙って目を伏せた。
目の前で、細身の男が床に倒れた。
ガオモンと淑乃が慌てたように駆け寄ると、奴は普段からは考えられないような抑揚のない声で返事を返す。
俺はおもむろに歩み寄った。
仰向けに倒れこんでいるそいつの名前は、トーマ・H・ノルシュタイン。
間違ってもトンマなんて言ったら目から容赦ないアイスビームが飛んでくる。
つまり、ものすっごく寒いものを見る視線ってこと。
その男は白い肌を赤く染めて、アイスブルーの瞳をきつく細めていた。
淑乃の手がトーマの額に触れる。
けどすぐに振り返ったかとおもうと、眉間に皺を寄せて言った。
「ちょっ…熱いんだけど!早く何か冷たいもの持ってきて!」
自分でも混乱しているんだろうか、パニックになりながら淑乃は俺たちに言った。
反射的にガオモンが駆け出していく。
俺にできることはと言えば…。
おもわず辺りを見回してみる。
すると、カメモンがのんびりとみんなに冷たい麦茶を注いで回っているのが目に入った。
「おーいカメモン!ちょっとそれ貸してくれ」
俺は大股でカメモンに近寄ると、カメモンの手に下げられた冷たい麦茶の入ったヤカンを奪い取る。
カメモンが何か言いたげに口をパクパクさせていたけどこれも人助けのためだ。
俺は顔の前に片手を出すと軽く頭を下げて謝罪の意味を込めた。
そうしてガオモンが戻ってくるのとほぼ同時にトーマの元へと駆け寄る。
ガオモンが持ってきたのは冷えたタオルだった。
淑乃の手がそれを受け取って、トーマのブーツを脱がせる。
白い靴下を取り去って、ズボンの裾を捲り上げてから足首や足の裏にタオルを当てていた。
「脱水症状ね。…身体に水が足りないからこんな感じになるのよ。脱水症状が起きたときはこうやって体の一部を冷やしたほうがいいの。大、コップに麦茶入れて」
「お、おう」
俺は言われるがまま、先ほど飲んでいた自分のコップにヤカンの中身を注いでいく。
それを淑乃に手渡すと、淑乃は一旦コップを置いてからトーマの肩を抱いて上体を起こさせた。
そうしてコップをトーマの口元へと近づけると、トーマは小さく呻きながら麦茶を飲み下していく。
顔は相変わらず赤かった。
「……ん…」
トーマが鼻にかかったような声を上げて身じろぎする。
ここはDATS本部で、クーラーだって効いてるのに何だって脱水症状なんか起こすんだろう。
そんな俺の疑問に答えるように淑乃が俺を見た。
「トーマね、君が来る前にさっきまでずっと街をパトロールしてたのよ。しかも徒歩で」
「…マスターは日本の暑さに弱いんだ」
淑乃の言葉のあと、ガオモンが小さく言った。
苦しそうに眉を寄せてぐったりしているトーマを見ると、確かに辛そうなのはよくわかる。
オーストリアは日本より気温が低いんだろうか。
そんな事を考えていると、淑乃がトーマを抱き寄せてから言った。
「ねえ大、トーマを医務室まで頼める?」
「おう、分かった」
「あんまり揺らしちゃだめだからね」
「わーってるよ」
俺はトーマの肩に手をやってからゆっくりと抱き起こす。
ガオモンが黙ってトーマの事を見つめているのが視界の隅に映った。
嫉妬してんのが丸分かりだ。
俺は苦笑を返して部屋を後にした。
できるだけ揺らさないようにトーマの腰に手をやって抱き寄せる。
がくんとトーマの首が下がった。
「ちょっ…おい、ちゃんと掴まってろよ」
「…うん」
トーマはおずおずと頷いて俺の身体を抱き寄せる。
いや、これは掴まるというより抱き合うっていうか…。
すぐ近くにトーマの顔が見えた。
トーマは顔を赤くしたまま俺を強く抱きしめている。
こんな状況なのにドキドキしちまう俺ってサイテーだ。
俺はトーマの腰に手を当てたままそっと歩き出した。
ほとんど引きずるように歩いてる感じなんだけどな。
「トーマ、医務室ついたぜ」
俺は声をかけてから医務室の扉を開けた。
室内はクーラーが効いていて涼しい。
抱きついたまま離れないトーマの身体を引っ張って、俺は奴の身体をベッドへと寝かせる。
…つもりだった。
トーマは俺の背中に手を回したまま離れようとしない。
「なぁ…そのー…離して?無理?」
「無理、だ…」
俺はトーマとベッドに寝転がったままの体勢で静止した。
体の下にいるトーマの体温が伝わってくる。
トーマはおずおずと俺の背中を強く抱いて顔を寄せてくる。
「マサル…傍にいて」
「いっ!?」
アイスブルーの潤んだ瞳が俺をじっと見て言った。
普段のトーマならありえない発言だ。
俺はパクパクと口を動かしてから、ぎこちなく抵抗をやめる。
そっと視線を泳がせると、トーマはうつろな目をしてどこかを見上げている。
待て待て、大門大。
こいつは憎たらしいトーマ・H・ノルシュタインで、俺たちは男同士だ。
だからいくらこいつが綺麗でも好きになるなんて絶対ありえねえ。
俺はこいつのことがだいっきらいなんだ。
だから落ち着け…クールになれっ、大門大!
…ってキャラが違ぇか。
「ん…僕の事、強く抱きしめて?」
トーマはまたしてもとんでもない事を言って俺の首筋に顔を埋めた。
シャンプーのいい匂いが鼻をくすぐる。
こんな奴でも、結構可愛い匂いするんだな…なんてついつい感心しちまう。
俺はお望みどおりに、そっとトーマの背中に手を回した。
傍から見ると、俺がトーマをベッドに押し倒しているように見えてしまう。
そんな事絶対絶対ありえねーのに。
暑さで俺まで頭がやられちまったんだろうか。
いや、まさか。
「こう、か?」
「うん…優しくしてね」
トーマの声は夢を見ているような甘ったるい声だ。
その声が耳に入るたび、俺は変な気分になった。
少しだけ熱い息が俺の耳にかかる。
うわっ、ちょっと待て。マジで。
俺はトーマの腕を振り払うと、慌てて上体を起こした。
そんな俺を、トーマが哀しそうな瞳で見やる。
うう、何だかものすごく良心が痛む。
「マサル…僕の事がそんなに嫌い、かい?」
ゆっくりとトーマが腕を下ろす。
そうして、ベッドの枕へと身体を移動させて顔を埋めてしまう。
それでも時折俺を見ては何かを言いたそうに口を開く。
俺は欲望に耐え切れず、おもむろにトーマの上にのしかかった。
不意に体の上に現れた俺を見て、トーマが目を瞬く。
でもその瞳は濡れているから、誘っているのかとかそういう事を考えちまう。
俺はおそるおそるトーマに顔を寄せた。
「と、トーマ…お前さ、自分が何言ってんのか分かってるか?」
「…分かっている、けど…」
トーマの声には抑揚が無い。
俺はトーマの頬に手をやって体温の高さを確かめた。
やっぱり熱い。
冷やしてやろう、それがいい。
俺はへっぴり腰でトーマの上から離れようとした。
だが。
「マサル…どこに行くんだ…?」
「う…」
トーマの目は綺麗なアイスブルー。
その瞳がゆらゆらと震えている。
まるで、離れないでとでも言うように。
俺はなるべくトーマを視界に入れないようにして口を開いた。
「冷やさねぇとだろ?体…」
「僕は平気だが」
「全然平気じゃねーじゃん!」
思わずトーマを見てツッコむと、トーマは隊服の前を俺がしているみたいにはだいて大きく息をついた。
それだけなのにすごく色っぽい。
自然と目線が腰やら下腹部へむいてしまった。
俺の気持ちに気付いてるんだか気付いてないんだか知らないが、トーマは無防備にベッドへ身体を投げ出して俺を見る。
「…君が傍にいると落ち着くんだ。だから…いてほしい」
トーマの声はさっきよりも幾分落ち着いている。
こんなに素直だと、何か裏でもあるんじゃないかと思ってしまうが今のトーマにそんな余裕はないはずだ。
俺はおもむろにトーマの隣へ寝転んだ。
ふかふかのベッドだ。
医務室のベッドなんて利用したことがなかった俺には、ベッドから見る天井は新鮮だ。
あの天井の模様、学校とか病院でも見るし…なんつーか独特だよな。
「マサル…」
不意にトーマが身を起こして俺の顔の横に手をつく。
頭の上から覗き込むようにして俺を見るトーマの目は、やっぱり綺麗だ。
俺は目を逸らすことも出来ずトーマを見つめていた。
トーマはと言えば、俺をじっと見つめてからおもむろに目を伏せる。
その先にあるものが何なのか、俺も薄々分かっていた。
俺だってもう、子供じゃないんだから。
「……」
静かな空白。
トーマはそっと俺にかぶさるように口付けた。
応えるように唇を吸い返してやると細い肩が震える。
口付けを解くと、困ったような顔をしているトーマが目に入った。
「僕が、したかったのに」
可愛い声だ。
俺はコクンと息を飲んだ。
男1人にドキドキしているなんておかしいし、変だけど…俺はきっとこいつに恋愛感情みたいなものを抱いてしまっているんじゃないかとおもう。
じゃなけりゃ…夏の暑さのせいで俺もバテちまった、としか考えつかねぇ。
俺はトーマの腰へと腕を回した。
「…してやる、こいよ」
そう言ってもう一回口付けると、トーマが小さく息を飲んだ。
はだけた部分からのぞく胸に手を這わせた俺の行動に、抵抗は無い。
服の上からこっそり主張しているかわいらしいふくらみを指で摘む。
少しだけ唇が噛まれた。
それも愛情表現なのだとおもうと、すごく愛しくおもえてしまう。
俺は口付けを解いたあと、指できつく引っ張るようにしてそれを愛撫した。
口の端から漏れるトーマの吐息に艶めかしいものが混じる。
トーマは軽く下腹部同士を押し付けるように体重をかけると、俺を見て少しだけはにかんだ。
「好きだよ、マサル…」
アイスブルーの瞳が柔らかく笑う。
俺は頷きを返してから、そっとトーマの髪を撫でてやった。
それからは…まぁ、いざ本番にいこうかとトーマを寝かせたとき、どうやら本格的にバテてしまったらしく、コイツは気を失っちまった。
慌てて淑乃やら隊長を呼びに行ったらバタバタしてしまって、ようやくトーマが起きたのは夜の6時。
俺はすっかり私服に着替えた姿でトーマの事を待っていた。
廊下で1人ニヤニヤしてみたり、どんな顔をして会おうかなんて考えちまう。
あんな可愛い顔で「好きだよ」なんて言われちゃホモにだって走っちまうだろっての。
俺は、照れ隠しに壁を2、3回叩いた。
「大門大、建造物破損で賠償金を請求するぞ」
ふと、可愛い奴の声が真横から聞こえた。
そちらに目を向けると、貴族とは思えないシンプルな私服に着替えたトーマが立っている。
プライドの高そうなツンとした表情だ。隣にはガオモンを連れていた。
俺は壁から手を離してトーマへと向き直る。
「なははは、ごめんごめん…もう身体は平気なのかよ」
「当然さ。僕を誰だと思ってるんだ。壁を殴っていた君こそ大丈夫かい、とうとう馬鹿になったのかな?」
トーマははちみつ色の髪をかきあげると心底憎らしい態度で言った。
耐えろ…こいつは、数時間前あんなに可愛かったし俺を好きだと言った男だぞ。
だからこれも愛情の裏返しに違いない。
そうおもった俺は引きつった笑顔で言い返したいのを堪えた。
そんな俺を見て張り合いがないとでも言うようにトーマが片眉を上げる。
「気味が悪いな…何も言い返さないなんて。何か不味いものでも食べたのか?」
「べ、べっつにー…それよりさ、一緒に帰ろうぜ」
俺は何とか堪えながらそこまで言った。
とたん、トーマの目が点になる。
傍にいるアグモンとガオモンは俺たちの様子を見守っていた。
しばし間を置いて、トーマが鼻で笑う。
「お断りだね、馬鹿が感染る」
「なッ…」
トーマはやれやれとばかりに肩をすくめると、腕を組んで俺を小馬鹿にしたように見やった。
な、何でこんな態度されなきゃなんねーんだ?
いや、いつもの態度なんだけどさ。
あんな事があった後だぜ?
ちょっとは可愛くなってくれたっていいんじゃねえか?
俺は拳を震わせつつ口を開いた。
「あのさー…俺、お前が倒れたとき介抱してやったよな?」
「ああ、不本意ながら感謝している」
トーマはあっさりと数時間前の出来事を認めた。
だったらちょっと優しくしろー!
俺は目だけで言ってやる。
そんな俺には目もくれずに、トーマは隣のガオモンを見やった。
「それじゃ…こんな馬鹿に構ってないで帰るぞ、ガオモン」
「イエス、マスター」
そうしてそっけなく俺の隣を通り過ぎていく憎らしい男プラスデジモン。
プチン、と頭の中で何かが切れた。
俺はおもわずトーマの首根っこを強く引っ張ってこっちを向かせる。
だがそれよりも早く動いたトーマの手が俺の胸ぐらを強く掴み上げた。
冷え切ったようなトーマの目が俺を見つめている。
だが、耳元に当てられた唇はそれよりずっと優しくてあたたかい。
トーマの唇が小さく動いた。
「…マサル、明日…僕と今日の続きをしてくれる?」
「いっ?」
おもわず変な声が出てしまう。
トーマはそれだけを優しい声で言うと、乱暴に俺を解放して背を向けた。
ぼーっと、トーマの後ろ姿を見つめているだけの俺に、パートナーの後をついていこうとしたガオモンがやにわに振り返る。
ガオモンは2、3度瞬きを繰り返してからちらりとトーマを見て言った。
「…マスターは素直じゃないんだ。マサルにも苦労をかけるな」
「ガオモン、何をやってる…早く来い」
振り返ったトーマの頬が赤く染まっている。
聞こえただんだろうか。
ガオモンは俺を見て少しだけはにかむと慌ててパートナーの後を追った。
俺は2人が見えなくなるまで微動できずにいた。
何なんだよ。
つまり、トーマは本当に…本当に俺が好きなのか?
あのツンツンした態度は全部照れ隠しってことだよな。
そうおもうとたまらない幸せがこみあげてくる。
「ちくしょー、俺の幸せ者ッ…」
俺はおもわずもう一度だけ壁を叩いた。
隣にいたアグモンが不思議そうな顔をして俺を見ている。
「トーマもあにきもすげー真っ赤だな…何かいいことあったのかー?」
そりゃーもちろん。
俺は肯定するようにアグモンの頭を乱暴に撫でると、軽い足取りで廊下を歩いていった。
明日、きっとまた照れ隠しに辛辣な事を言われるだろうがソレを逆手にからかってやろう。
そうしたらどんな顔するかな?
いたずらな心ばかりがムクムクと湧いてくる。
俺はだらしなく笑って生意気で可愛い恋人の事を考えていた。
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マサトマですー。うちのマサトマはエロ抜きでこのくらいのラブラブがいいとおもってます(笑)
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