何が原因かは知らない。
ただすごく悲しそうにしていたから、ほおっておけるわけがなかった。
強く枕を握って、目に涙を溜めながら寝苦しそうにかぶりを振っている青髪のお前は時折ぐすぐすと泣きじゃくりながら「かえる。おれ、デジタルワールドにかえる」と呟いている。
俺は眠気を追い払ってベッドから身を起こした。
既にみんな寝静まった真夜中のことだ。

「イクト、どうしたんだよ?」

「うえっ…うう…かあさん…」

どこかで見たことのある光景だった。
夜になると必ずぐずつきだして「おかあさん」と言う子供。
確か俺が小学生の頃、母さんが近所の集まりで半場強引に旅行に誘われてしまったとき、まだ小さかった妹の知香は真夜中にぐすぐすと泣きながら「おかあさんといっしょに寝たい、おかあさんはどこ?」と言って泣きつかれて眠るまで俺の傍を離れなかった。
きっと夜のせいだとおれはおもう。
俺だって小さい頃、夜は父さんの事を考えてとても怖くなった記憶がある。
いつもじゃれて夜は父さんの布団で寝ていたのにそれがいつの間にかひとりになっちまって、急に孤独がこわくなった。
暗闇が昼間の楽しさをすべて吸い取ってしまって、急に人を弱くするから。
だから俺は夜が嫌いだった。
もちろん、年齢と共にそれは克服したけど、こいつみたいな小さい子供はまだ克服できてないんだ。
一番、複雑な年頃だとおもう。

「…うっ、うぅ……おれ…うっく…かえる…」

俺の隣で眠っていたイクトは枕を涙で濡らしながら小さな肩を震わせていた。
時折漏れる「かあさん」と言う言葉は人間の母親のほうではなくてデジモンのほうを指しているのだとおもう。
今はこの世にいないイクトの育ての親を、俺は知らない。
でも良い親だったんだと言うことだけは分かる。

「…イクト、おまえの居場所はここにあるだろ?」

「そんなのない!」

俺のなだめるような言葉を震える声で遮ったイクトは、頬を濡らして俺に枕を投げつけた。
胸に当たった枕がゆっくりと俺の膝の上に落ちていく。
いつにも増して子供のようなことを言うイクトは、自分の感情を制御できないらしく顔を真っ赤にして泣きじゃくっている。
俺が何か言おうとすると、先にイクトが口を開いた。
パジャマの上から自分の胸に手を当てて、吐息はすっかりしゃっくりで止まらない。
息をするのもくるしそうだった。

「…おれ…っ、くるしい。ひっく…ふぇ…くらいの、きらいだ…おれのこと、どんどんおしつぶす」

イクトはくるしそうに息を吐きながらポタポタと涙を零した。
ここで、甘ったれるなと怒鳴りつけるべきなのか、優しく抱きしめてやるべきなのか俺にはよく分からない。
しばらく考えた末に抱きしめてやろうと手を伸ばすと、控えめにノックの音が聞こえた。
俺が返事をする前に、部屋の扉が開かれる。
扉の向こうにいたのは寝巻きの上にカーディガンを羽織っている母さんだった。

「マサル、イクトくんを連れてらっしゃい。飲み物…出してあげるから」

母さんはにっこり笑って俺とイクトを軽く手招くと、ゆっくりと廊下を歩いていく。
イクトの夜泣きが聞こえたんだろう。
俺はそっとイクトを抱き上げると、アグモンとファルコモンを起こさないようにベッドから降りてキッチンへ向かった。
真夜中の家は静まり返っていてすこし不思議な感じがする。
俺はイクトを椅子に座らせてから自分も隣に腰掛けた。
すでに台所で母さんが湯を沸かしているのが見える。
イクトはまだ枕を抱いたまましゃくりあげていた。

「なぁ、イクト…俺さ」

俺はじっとテーブルの模様を見つめながら呟いた。
徐々に眠気が襲ってくるのを堪えながら、そっと目を閉じる。

「…おまえが寝るまでずっと隣で見てるから。…もう泣かなくていいんだぜ?」

少しだけ声が舌足らずになる。
欠伸混じりに消えた言葉をイクトが聞いていたかどうかは分からない。
しばらくの間、時計の音を聞いてまどろんでいた俺は母さんが2つのカップを手に戻ってきたのを見て目を覚ました。
ふんわりと甘い香りが漂ってくる。

「さあ、イクトくん…飲んでみて?きもちも落ち着くわ。マサルもどうぞ」

俺たちの目の前に出されたのはココア、だった。甘い匂いがついつい食欲をそそる。
もう真夜中だっていうのに。
イクトは目の前の飲み物を凝視しながら不安そうに俺と母さんを交互に見た。
泣いていても興味はあるらしく、マグカップの中で揺れている茶色い飲み物に目が注がれている。
俺は自分の前に置いてあるカップを手に取って口をつけた。
ミルクの匂いとココアの甘ったるさが喉にしみこんでいく。
本当は甘い飲み物は好きじゃねえんだが、今のココアはどこか格別だった。

「うめぇ…すげーあったまる」

「うふふ、よかった」

息を吐き出しながら言った俺に、母さんが満面の笑みを浮かべる。
その様子を不思議そうに見てイクトが口を開いた。

「…それ、おれしってる。ドロだ…にがくないのか?」

まだ言葉尻は震えていたけど、イクトの興味はすっかりココアに向けられている。
ココアを泥と言ったイクトについつい苦笑すると、俺はかぶりを振ってマグカップを指でつついた。
細かいことを言ってもわからないだろうから簡単に説明してやる。

「これは泥じゃねえんだよ、すげえ甘いの。しかも体に良いんだぜ、傷の治りが早くなるとか、便秘予防になるとか言われるしな」

「……?」

俺の言葉がよく分からなかったのか、イクトは小首をかしげてしばらくぽかんとしていたがすぐにココアに向き直って立ち上る湯気を見つめている。
母さんはそんなイクトを飽きもせず見つめていた。
子供を見守る母親みたいだ。一応2児の母親なんだけどさ。

「…あまい」

俺がぼんやりとそんな事を考えている間に、イクトはマグカップに手をつけてココアを一口飲んでいた。
酔っ払ったように顔を赤くして呟くと、もう一口もう一口と飲み込んでいく。
俺は軽くイクトの頭を撫でて笑った。

「うまいだろ?」

「…うん」

さらさらとした髪に指を通しながら言うと、俺はココアを口に入れて大きく息を吐いた。
ぽかぽかとしたココアが胃に流れ込んでくるのがよくわかる。
カカオにはリラックス効果があるっていうけどホントだな。
それはイクトも感じているらしく、俺といっしょに大きな息を吐いて先ほどよりも落ち着いた吐息に戻っていた。
どことなく表情にも笑みが見て取れる。

「…ふぁあー…」

ココアをすべて飲み終わったイクトは、大きなあくびをして強く枕を抱きしめた。
口についたココアを枕で拭こうとするから、それを慌てて押し留めてやる。
本当に子供だよなぁ。そんな事言ったら怒られそうだけど。

「…ねむい」

「眠れそうか?今度は夜泣きすんなよな」

「し、しない!」

俺がくしゃくしゃと髪を撫でながら言うと、イクトがムキになったように反発した。
そんな俺たちを見て母さんが満足そうに笑う。

「イクトくん、もし寂しかったら私の部屋に来ていいからね?」

にっこりと笑う母さんにイクトは少し考えたそぶりを見せてからかぶりを振った。
軽く俺の腕が引っ張られる。
イクトは俺を見上げると甘えたように少しだけはにかんだ。

「へーきだ。…こいつ、おれがねるまでそばにいてくれるって…いった…」

言葉尻が少し不安そうなのが可愛い。
俺は安心させるように大きく頷いた。
イクトがホッと息をつく。

「もう泣くな。…俺が傍にいるからな」

夜中だからだろうか、普段の気性が荒いイクトにしては珍しく素直に頷いている。
俺の言葉を聞いてぎこちなくはにかむ様子が不器用なイクトらしいとおもう。
もっと素直に笑わせられたらいい。
そんな事をおもいながら、俺はココアを喉に流し込んだ。



















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あまったれイクトを世話するマサルがたまらなく好きです…(ノ´∀`*)