「今日から夏休みね…暑くなるわよ〜」

妻がそう言いながらカルピスを作っている。
俺はその様子を息子と一緒に見つめながら夏の暑さにダレていた。
息子は足をぱたぱたさせてカルピスの登場を待っているといったふうだった。
ようやく、キンキンに冷えたカルピスがテーブルの上に置かれる。
ストローを入れて早速飲み始めた息子は額に汗をかいていた。
よっぽど暑かったんだろう。

「んく、んく…うまーい!おとうさん、カルピスのんだら、カエルさんとりにいこー?」

「カエル?」

俺は妻に出してもらった熱い茶をすすりながら尋ねる。
息子のマサルは大きく頷いて、ストローに息を吹き込んでいる。
ぶくぶく、と泡を立てながらそう言うもんだから、妻が「マサル、お行儀が悪いわよ?」と軽くたしなめた。
俺は茶を飲み干してから額の汗をハンカチで拭う。

「よしよし…じゃあマサルと近くの田んぼにでも行くか」

「わぁーい!」

そんなこんなで、今に至る。
知り合いの家の田んぼをのぞかせてもらって、水の中を泳いでいる何匹ものおたまじゃくしを見つけた。
マサルは小さなおわんを持っておたまじゃくしの動向を探っている。

「何だ、マサルはおたまじゃくしが飼いたいのか…そうならお父さんが…」

「ちがうよー、カエルさんがほしいんだもん!」

マサルは俺の言葉をきっぱりと否定しておわんを田んぼへ近づける。
きもちよさそうに泳いでいるおたまじゃくしをすくっておわんに入れたマサルはとても機嫌がよさそうだ。

「へへ…ぷにぷにしててかわいい!ねえねえ、うちでかってもいい?おとうさん!」

「え?うーん…」

おたまじゃくしを見ながら嬉しそうにはしゃぐマサルはねだるような声を上げて俺に擦り寄った。
こんなに喜んでいるんだしマサルにも生き物を飼う勉強を教えるべきだとおもう。
俺はそう考えた。
前に大型犬を飼う約束をしたら知り合いの薩摩くんに「危ないですよっ、小さい子供がいるのに大きな犬を飼ったら!」って延々と説教をされたのを覚えてる。
耳が痛くなるほど説教をされた俺は犬を諦めて今度は猫にしようとおもった。
だがそれも薩摩くんに「猫アレルギーを起こしたらどうするんですか!!」ってカンカンに怒鳴られて失敗。
おたまじゃくしなら害はないし、薩摩くんも怒鳴ったりしないだろう。

「よし、飼おうか!」

「やったー!おとうさんだいすきっ!」

俺の返事に、マサルは目をきらきらさせながら喜んでくれた。
子供のこういう笑顔を見るたびに、親っていいもんだなぁとおもう。
本当はもっと過保護に可愛がってやりたいんだが、今の時期が一番大切なのだとこれまた知り合いの野口夫妻に教えられた。
特に奥さんのほうなんだが、育児関係の本をどっさり持っているらしくて色々とお世話になったことがある。
「お尻を叩いたりするしつけは子供のトラウマにしかならないのでだめです」とか「英語のビデオを見せると学習能力がつきますよ」ってマザーなんとかのビデオを貸してもらったこともあるのだ。
野口夫妻も子供がひとりいて、まだ生まれたばかりだそうだ。
だから子育てにはそこらの親よりも人一倍気を使っている。
夫妻の子供は生まれたばかりの男の子らしい。
郁人くん、と言ったかな?
きっとマサルのよき友達になってくれるだろう。

「おとうさぁん、カエルさんってかわいいね」

自宅までの帰り道、マサルはそんなことばかり言っておたまじゃくしを見つめている。
すっかりおたまじゃくしのファンになってしまったようだ。

「マサル、それはカエルじゃなくておたまじゃくしだぞ?」

「お…たま…じゃくち?なんだぁ、それ!これはカエルさんだよぉー」

俺の言葉に、マサルはかぶりを振っておたまじゃくしを指した。
マサルにとってはおたまじゃくしだろうと「カエル」らしい。
確かに大きくなればカエルになるんだが。

「しっかし、大きなおたまじゃくしだなぁ」

「うん、あのね…カエルさんはにほんいちのカエルさんになるんだよぉ」

「ははは、そうかそうか。それはすごいな」

そんな事を話しながら家に戻った俺たちは、小百合におたまじゃくしを見せてペットを飼うという了承を得た。
おたまじゃくしのエサなんて何があるんだろう?
一応、超生物博士である俺もおたまじゃくしのエサなんて忘れてしまった。
小さい頃はおたまじゃくしなんて魚やザリガニのエサにしていたからなぁ…。
考えていても仕方がないので、俺は次の日早めに仕事を終えて本屋へ向かった。
おたまじゃくし関する本を探しているうちにカエルの生態に関する面白い本を見つけてしまったのでそのまま読みふけっていたが、ふと隣に見覚えのある後姿が2人ほどある。
その内のひとりが振り返って笑った。

「ん?おお、英くんじゃないか」

「湯島さん…それに薩摩くんも。どうしたんですか?珍しい…」

俺の言葉に振り返った薩摩くんは、俺の手の中にあるものを見て目を細めた。

「今度はカエルを飼うつもりですか?大門博士」

「や、やだなぁ…カエルじゃなくておたまじゃくしだよ、薩摩くん」

つい声が裏返ってしまう。
どうもこの人は苦手みたいだ。
なんというか、ものすごい気迫に圧倒されてしまって言葉もない、というか…。
苦笑気味に本を背中に隠した俺をよそに湯島さんが言った。

「万引き犯とやらが出る店らしくてな、ここで調査しておったのじゃよ」

「わっ…万引きGメンってやつですか?かっこいいなぁ!俺も協力させてもらっていいですか!?」

「だーいーもーんーはーかーせーっ!これは我々の仕事ですっ!」

万引き犯との言葉に、おもわず身を乗り出した僕は薩摩くんに制された。
つい唇を尖らせると、「2児の父がそういう顔をしないでください」と怒られる。
悔しいのでひとさし指同士で指遊びをしながら言い返す。

「だって…力なら薩摩くんにも負けないし…薩摩くん、顔怖いし…」

「顔が怖いとかそういう問題じゃないでしょう!民間人をまもるのが我々警察の役目であって、部外者のあなたにとやかく言われる筋合いは…」

「馬鹿、大声で何を言っとるか」

ツバを飛ばすぐらいの勢いで怒鳴った薩摩くんを制したのは湯島さんだった。
確かに、大声で警察だ警察だと叫んでいたら万引き犯だって逃げてしまうだろう。
俺はなんとなしに店内を見回した。
すると、服の中に数冊の本を隠した男が俺たちの会話を聞いていたのか、慌しく店内から出て行く。

「湯島さん、薩摩くん、あの人…本を!」

「何!?」

俺はおもわず駆け出していた。
目の前で見てしまった以上、無関係じゃない。部外者でもない。
滑るように店内から出ると、小走りに逃げていく男を見つけた。

「止まれ!万引き犯っ!!」

そう叫んで走り出すと、すぐに男へ追いついた。
どことなくチンピラ風の、俺よりも若い男だ。
男は振り返りざまに服の中の本を数冊投げつけてくる。
身を伏せてそれを避けると、本はバラバラと地面に叩きつけられた。

本は、卑猥なアダルト雑誌数冊。
おもわず拳が震えた。

「ばっかやろぉーっ!!」

繰り出した拳が男の顔面にヒットする。
男はもんどりうって倒れた。
転がった雑誌と男を見下ろして、俺は大きく息を吐く。

「えっちな雑誌を買うほど女性の体を知りたいのなら触ればいいじゃないか!電車の中でも街中でもっ!君の探究心を満たせばいいじゃないか!!違うか?!」

「全然ちがいます」

バスン。
落ちていた雑誌で叩かれた。
振り返ると、追いついてきた湯島さんと薩摩くんがいる。
殴ったのは薩摩くんのほうだ。
刑事が一般人の頭叩いていいのかよ。
唇を尖らせると、彼は「このぐらいで死ぬあなたじゃないでしょう」だって。
湯島さんはゆっくりとした足取りで男に近付くと雑誌数点を手に取ってから男を立ち上がらせた。

「ご協力ありがとう、英くん。わしは本屋の店長に報告してくるでの」

「あ、はいっ!」

俺は深々と頭を下げて笑った。
去っていく湯島さんと万引き犯を見つめながら、ちょっとすがすがしい気分になる。

「ふふ、いいことをしたなぁ…」

「ところで…大門博士はその本を清算しましたか?」

「え?本なんか持ってきて…なッ!?」

薩摩くんの言葉に両手を見ると、俺の手にはまだ清算されていないカエルの本がある。
しばしの沈黙。
俺は猛ダッシュで本屋に戻った。
店長に苦笑いされるわ、薩摩くんにはため息をつかれるわと散々な一日だった。
そんな不機嫌な状態で家に帰ると、小百合がコーヒーを出してくれる。
俺はそれを飲みながら今日の出来事を愚痴った。

「今日、本屋で万引き犯した人を店の外で捕まえたんだけど…俺、清算してない本を外まで持っていってたんだ」

「ぷっ…ふふっ…」

「笑い事じゃないだろー?店で会った薩摩くんにもグチグチ言われるし…あー、薩摩くんて職場でもああなのかな…」

「ふふ…薩摩さんは英さんが大好きだからつい口に出してしまうだけよ」

小百合はにこやかに恐ろしい事を言ってのけると、フライパンの中にある卵焼きに味付けをしながら鼻歌を歌っていた。
そんな後姿を見ながら、マサルの奴はどうしてるかなぁなんておもっている俺に反応したのか小百合が振り返る。

「マサルね、英さんの買ってきた本読みながらがんばってたまちゃんを育ててるわよ」

「たまちゃんって…おたまじゃくしの名前かい?」

「そう、私がつけたの!可愛いでしょう?」

小百合は子供のように笑ってそう言うと、再びフライパンに向き直った。
見たいテレビも無いし、マサルと遊んでやろうかなぁなんて考えていた俺は席を立ってからコーヒーのカップを流しに置く。
その時、とたとた、と小さな足音が階段から聞こえた。
マサルだ。

「おとうさぁん…ひっく…」

「ど、どうしたんだ!?マサル…」

階段から降りて来たマサルは泣きじゃくりながら俺の足に飛びついてくる。
泣いている理由を聞くと、どうやらマサルは近所の子供にからかわれたらしい。
しかも「おたまじゃくしは油で揚げると美味いからよこせ」とまで言われたそうだ。

「ひどいな…」

「うぇっ…く…たまはたべものじゃないのにぃ…ひっく…ぐす…」

マサルは悔しそうに目を細めて言った。
家族の一員であるペットを馬鹿にされて悔しいんだろう。
マサルの小さい拳は震えていた。
そんなマサルを元気付けるように、俺はその場に座り込む。

「マサル、たまは食べ物なんかじゃないよ。友達の言った言葉なんて撤回させられるさ。だってたまは1週間もすれば今の倍以上に強くなるんだからな」

できるだけゆっくり優しく言うと、落ち着いてきたのかマサルはしゃくりあげながら俺の話に聞き入っていた。
その顔が笑顔に近いものへ変わっていく。

「ほん、と…?たまがつよくなるの?ほんとにほんとっ?」

「ああ、もちろん」

俺の言葉に、マサルは涙をぽろりと零してから嬉しそうに笑った。
癖のある髪を撫でて、額に軽く頬擦りをしてやるとマサルが甘えたように俺に抱きついた。
そんな俺たちを見て、小百合がのほほんと呟く。

「でも…カエルの丸焼きって言う料理もあるのよねぇ。鶏肉みたいでおいしいのよ」

「ふぇええん…!!まるやきやだぁー!おとうさぁんっ!」

「ちょ…小百合!せっかく泣き止んだのにっ…ああ、マサルっ、気にするな!お母さんは冗談で言っただけだからな!」

「冗談なんて言ってませんよ、英さん。カエルのお肉は結構おいしくってて、私も学生時代にしょっちゅう友達と…」

「いいから君は早く卵焼きを作るっ!」

「びぇええ…っ…まるやきやだよぉー!」

再び、キッチンに子供の泣き声が響く。
また、ドッと疲れが押し寄せてきた。
人生は楽しい事よりも辛く、悲しいことのほうが多い。
それをなんとなく実感した一日だった。

















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こういう英さん大好き!(爆笑)というシリーズです。
マサルのカエル育成話とあとからじんわりくるサツ→スグ。
珍しく健全シリーズスタートです。