息子がおたまじゃくしを買い始めて1日が経った。
毎日の飼育を飽きずにこなしていく姿は父親としても微笑ましいもので、つい妻ともおたまじゃくしの話をしてしまうほどだ。
俺は妻から渡された弁当を食べながら薩摩くんに言った。

「…でな、とっても可愛いんだぞ。マサルが呼ぶとすぐ水槽の淵に近付いてエサをねだるんだ」

俺が言うと、薩摩くんは少し迷惑そうにして俺の口にハンカチを押し付ける。
「食べながらしゃべらないでください」という意味らしい。
それはすまないことをした。
喉を鳴らして水筒に入れた麦茶を飲み込むと、研究室の奥から助手の倉田くんがやってくる。
ここはいわゆる仕事場…兼、憩いの場所だ。
連続失踪事件を解明する為に組まれた「デジタルワールド探検隊」のアジトといってもいいだろう。

「倉田くん、君は確かカエルに詳しかったよな」

研究室の奥で昼食を済ませたらしい助手に言うと、彼はため息まじりに眼鏡をかけなおした。

倉田明宏、俺の助手だ。
何を考えているのか解らないところはあるが仕事なのだからそんなことは言ってられない。

「カエルの飼育なんてご勝手にどうぞ。何のカエルか知りませんがウイルスを移されても知りませんよ」

「あ、おたまじゃくしって何を食べるんだっけ?」

倉田くんの言葉をつい遮ってしまう俺。
あのおたまじゃくし、飼い始めて1日経ったとはいえ何を食べてるんだ?
田んぼにいた時は微生物を食べていたんだろうけど…。

「おたまじゃくしはグリンピースがいいですよ、よく食べてくれますから」

「あれ、美鈴さん」

軽く肩を叩かれて振り返ると、そこには野口さんの奥さん…美鈴さんがいた。
美鈴さんはちゃっかり俺の弁当から卵焼きを取って口にほおりこむと嬉しそうに噛んでいる。
小百合の卵焼きは結構評判で、あの薩摩くんも「うまい」と感嘆したほどだ。

「グリンピースなんか食べるんですか?草とかじゃなくて?」

美鈴さんの言葉に、俺より先に興味を示したのは薩摩くんだった。
グリンピースを食べるとは俺も初耳だ。
そんな俺たちを見て、部屋の片隅からガラスケースを持ってきた倉田くんが言う。

「グリンピースは植物。カエルの幼生は草食…つまり植物性のエサを与えるんです。意味分かります?うちでも育ててるでしょうが。こいつを幼生期の時から」

倉田くんがぶっきらぼうに差し出したガラスケースの中には、やたらと長い爪を持った手先足先の長いカエルだった。
ウシガエルとは違うのだろうけど…それにしてもデカイカエルだ。

「レバーとか喜ぶんですよ、この子」

そう言ったのは美鈴さんだ。
小箱からピンセットを取り出して固形のレバーを摘む。
そうしてケースの中に沈めると、のっぺりした顔のカエルはきょろきょろと辺りを見回してからレバーに手を伸ばした。
まぐ、まぐ、と大きな口を動かして食べていくさまはなかなか愛らしい。
手についたカスまで口に入れている。
美鈴さんはこのカエルのトリコみたいだ。

「て、手を使って食べましたよ!?」

俺の耳元で言った薩摩くんは身を乗り出してカエルを観察している。
確かに、カエルは舌を使って獲物を捕らえる生き物だ。
俺は得意になって薩摩くんを見やる。

「この種類はとても長生きで、10年近く生きるんだよ。熱帯魚代わりにじっくり観賞できる生き物なんだ」

「じ、10年…?」

俺の声に応えるように、カエルはガラスケースに張り付いてのっぺりした顔を俺たちに向けている。
何やら構って欲しいらしい。
俺は軽くガラスケースをつついた。
カエルはぱくぱくと口を動かしている。
エサだと勘違いしてるのかな?

「カエルは頭が良いんですよねー。とぼけた顔してるのに」

美鈴さんは、大きなカエルを眺めながら言った。
ふーん、勉強になるなぁ。

「大門博士…あなた一応生物の博士でしょうが」

そう突っ込んだのは薩摩くん。
俺は慌てて後ずさった。

「な、何で考えてることが分かったんだ?」

「声に出して言ってました」

もちろんその場にいた全員が口を揃えたよ。
そんな事を、帰宅してからの我が家で話し終えた俺は熱い茶をすすって喉を潤した。
話を聞いていたマサルは目をきらきらさせながらグッと両手に拳をつくる。

「おたまじゃくしってグリンピースたべるんだ!へぇー…」

薩摩くんと全く同じ反応だ。
大きな金魚鉢をテーブルに置いたマサルは、おたまじゃくしの「たまちゃん」を眺めている。
たまはすくすくと育っているらしく、俺がさっそく買ってきたグリンピースをすり潰したものを与えてみると近付いてきちんと完食した。
その時のマサルの喜びようといったら、見ているこっちが嬉しくなるくらいだった。

「たま、はやくおっきくなるんだぞ」

マサルは金魚鉢をぎゅっと抱きしめて言った。
金魚鉢の中でゆっくり泳いでいるたまは健康そのものと言ったふうで、俺の出る幕はなさそうだ。
既にカエルらしい顔立ちをしているものの、まだ小さくてふっくらしているたま。
数日ですぐ変態するだろう。
そうおもっていたのだが…たまを飼い始めて3週間ほど経過したある日のこと。

「おとうさん、たまはいつになったらおっきくなるの?」

仕事に出かけようとした俺に、マサルが言った。
飼い始めてから金魚鉢を肌身離さず持ち歩いているマサルは、たまの親になったつもりでいるらしい。
どことなく不安そうに水中を見やっている。
たまは相変わらず手足が生えないまま、すいすいと泳いでいる。

「おかしいな。普通はすぐに変態するものなんだが」

「ヘンタイ?たまはヘンタイじゃないぞ!」

「いや、そのヘンタイじゃなくて…カエルに変わることを変態と言うんだよ」

ふっくらした頬を膨らませて抗議をしたマサルは金魚鉢を軽くつついてたまにエサをやっている。
それなのに、たまは未だにカエルへと変わらない。
おたまじゃくしはすぐにカエルへ変態するものなのに。

「…で、どうおもう?倉田くん」

俺は仕事場でゲート発生装置の機械の様子を見ながら助手へ声をかけた。
カエルの話にうんざりしている様子の倉田くんは白衣のポケットに手を突っ込んで小さな本を取り出す。
本の表紙には『カエルのそだてかた』と書いてある。
俺が何度も何度もカエルの話しをするから、すぐ答えられるようにと研究室から持ってきてポケットに入れているらしい。

「普通のアマガエルじゃないんでしょうねェ、そのカエルは」

「え…だとすると?」

「デジモン、かもしれませんよォ?」

倉田くんは不気味に笑ってから本を俺に見せた。
カエルの種類、生長期間などが細かく書いてある。
俺もこういう、詳細の載った本を買えばよかったかもしれない。
マサルにプレゼントしたカエルの本にはあまり詳しく書いてなかったから。

「…1ヶ月で変態するカエル…研究用なのか…」

俺は本を見ながらあるカエルへ目をつけた。
丁度、この仕事場にいるカエルと似た、手や足先の長いカエル。
倉田くんが顔を覗かせた。

「研究用のカエルが一般人の田んぼにいるわけないでしょうが」

「いや、でも…捨てられたりして、田んぼで繁殖する巨大なカエルもいるんじゃないか?」

写真のカエルはとても大きい。
マサルの両手に抱きかかえられるかは解らない。
俺は本を閉じてたまの事を思い浮かべてみた。
あいつは、研究用のカエルから生まれたおたまじゃくしなのか?
だとすると成長の遅さにも納得がいくんだが。
そんな事を考えながら今日も帰宅する。
バタバタと、子供部屋で足音が聞こえてきた。
金魚鉢を持ったマサルが慌てたように降りてくる。

「おとうさん!おとうさん、たいへんだっ!たまがっ…」

転びそうな勢いで現れたマサルは、金魚鉢を突き出して俺に言った。
金魚鉢の中ではたまがすいすい泳いでいる。
何のへんてつもない丸々とした体。
だが、よくよく見るとたまの尾の近くに2本の小さな足がちょろりと映えているのが分かる。

「たま、足が生えたのか」

「うん!いっぱいごはんたべたからおっきくなれたんだぜっ」

マサルは嬉しそうに言うと、金魚鉢を指先でつついて笑った。
その2週間後だ。たまがしっかりと一人前の大人へ変わったのは。
おたまじゃくしなんてのは、こまめにエサを与えなくてもいい。
そのはずなのだが、説得しようとしてもうちのマサルは「ごはんあげないとたまがしんじゃう!」と言って泣いてしまう。
おたまじゃくしもカエルも、加減をしらない。
与えれば与えるだけどんどん食べる。
だから人間がエサの量を調整してやらないといけないのだ。
俺は風呂から上がった就寝前、いつものように金魚鉢にいるたまを覗き込んだ。
見ると、綺麗な光沢をした立派な姿のたまがいる。
顔立ちもすっかりカエルだ。
だが…。

「た、たま…大きくなったな」

「ゲコ」

たまが鳴いた。
金魚鉢の中で苦しそうに外を見上げているたまの身体はずいぶんふくよかでパンパンになっている。
いわゆるおデブさんだ。
このデカさはウシガエル並なんじゃないだろうか…?
通常のカエルだって太らせると大人の拳ほどの大きさに成長すると聞いたが、これは…。

「たまー!」

ぽかんとしたままの俺の後ろから息子が飛び出してきた。
息子は、金魚鉢の中からたまを取り出して無邪気に笑う。

「…マサル、エサ…何をあげてるんだ?」

「こおろぎとイモムシいっぱい!」

「ゲフ」

マサルの声に応えるようにカエルがげっぷをした。
金魚鉢から取り出されたたまはマサルの両手に抱かれて目をキョロキョロさせている。
まぁ、顔は愛嬌がない…わけでもないか。
俺はおもむろにカエルとおなじ目線になるために座り込んだ。
間抜けなたまの顔が俺の目の前にある。
たまは口を開けて舌を伸ばした。

「だめだぞぉ、たま。おとうさんはたべものじゃないんだから!な?」

たまを叱咤した息子は、その大きな体を抱きなおしてにっこり笑う。
果たして、カエルに日本語が通じるのか解らない。
一応、カエルは賢い生き物だが…。

「ねえおとうさん!おとなになったたまになまえつけよっ!」

不意に、マサルが顔を上げる。
たまの顔や体をちらちら見ていた俺は返事が遅れてしまった。
どっしりとしたたまの体は、どうみても重そうだ。
金魚鉢で飼えるだろうか?
今度からは水槽で育てたほうがいいのかな。
そんな事を考えていると、マサルは顎に指を当てて考えるようなそぶりをした後にパッと顔を輝かせて見せた。

「キャベツ太郎!」

「へ?」

「たまのあたらしいなまえっ」

マサルは自信満々に言ってのけると、たま…いや、キャベツ太郎を見てにっこり笑った。
キャベツ太郎は短い手足をパタパタさせている。
そんなキャベツ太郎を抱き直したマサルは、俺を見て得意げな笑みを見せる。

「たまってキャベツみたいないろしてるだろ?だからキャベツ太郎!」

「うーん…」

どこぞの菓子みたいな名前だが、とツッコミたくなってしまったけど俺は口を噤んだ。
マサルが責任を持って面倒を見ているカエルだ。
奇妙な名前のセンスくらい気にならないとおもえる大人になろう。

「さーて…明日も仕事だ」

俺は欠伸をして改名したカエル…キャベツ太郎を見た。
どっしりとした体に、とぼけた表情。
可愛い…か?
おもわず眉を寄せて魅入ってしまうと、キャベツ太郎が喉を鳴らして歌を歌い始めた。

「お、鳴いた鳴いた。明日は雨だな」

「えっ?そうなの?」

マサルがきょとんとしている。
カエルが鳴くと次の日は雨が降るモンだ。
そう教えてやると、マサルは目を輝かせてキャベツ太郎を抱きしめる。

「すごいや!キャベツ太郎っててんきをあやつれるんだなっ!すっげーすっげー!とーまにじまんしよーっと」

「とーま?」

聞きなれない名前だ。
トウマ?トーマ?外人か…?
俺が聞き返すと、マサルはこくんと頷いてキャベツ太郎の頭を撫でる。

「うんとね、このまえ…おかあさんとやおやさんにいったときにともだちになった!にんぎょうみたいですげーかわいいんだっ!…きょう、ぷろぽーずしちゃったもーん」

プロポーズの意味を分かっているのかいないのか、マサルはだらしない顔をして笑った。
このくらいの年代の子供は同性に憧れるモノなんだろうか?
俺もそうだったかなぁ、なんておもいながらしかめっ面をしている俺に、マサルが笑いかける。

「来週の日曜はとーまとさっかーするやくそくしたんだー!へへ…あいつねぼすけだからなぁ…おれがとーまをむかえにいくんだぞ。それがおとこってもんだからなっ」

「ゲロゲーロ」

マサルはイッチョ前に大人びた顔をして見せた。
同時にキャベツ太郎が鳴く。
いつの間にか成長したマサルの言葉に、父親としてちょっと嬉しくなる。
俺はマサルの頭を撫でながら言った。

「そうかそうか…今度トーマくんを家に連れてきなさい。母さんの卵焼きを食べさせればきっともっと仲良くなれるぞ」

「はーい!」

息子の頭を撫でながら、ハタと俺が気がつく。
マサルは来週の日曜に用があると言った。
俺もその日に、大事な用があったのだ。
デジタルワールドへの調査の日が、来週の日曜だと決まっている。
きっと長い長い調査になるだろう。
何しろデジタルワールドは今まで足を踏み入れたことがない場所だ。
家族と離れるのは少しだけ心が痛む。
今が穏やかで楽しいから、尚更…一時の別れが辛い。

「マサル…明日、遊園地に行かないか?家族みんなで。トーマくんも連れてきていいぞ」

「え…ほんとっ?わーい!ゆーえんちだぁ!」

できるだけ明るく、いつものように言うとマサルは無邪気に喜んでパタパタと俺の周りを走る。
もちろん、キャベツ太郎を抱いたまま。
俺は腰に手を当てて笑ってみせると、息子を抱き上げてほっぺたにキスしてやった。
一応…おやすみのキス、のつもりだ。
今日も一日が終了…明日もがんばろう。

















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第2弾終了ですー。ほんのりマサトマ(笑)
マサルのサッカー発言は「ひどく簡単な数式」とリンクしてます。
キャベツ太郎発言はイラスト群の中にある仔マサルパズルより。よければそちらもどうぞ〜。