「にゃー…」
雨が降っていた。
雨が僕の肩を打つ。
髪からはぽたぽたと雫が落ちた。
おかあさんは、どこ?
おとうさんは、どこに行っちゃったの?
大好きな人に、暗くて狭い箱の中に押し込まれて、寒い寒い雨が降る空の下に僕は捨てられた。
寒い。
僕は死んじゃうのかな。
こごえそう。
おかあさん、おかあさん。
「にゃう…」
僕はおかあさんの名前を呼んだ。
だけど声は、冷たい雨の音にかきけされてしまう。
冷たくて、感情のない雨の音。
僕は、箱の中に敷き詰められた毛布を頭からかぶって身を震わせた。
寒い。おなかがすいた。
おかあさんのミルクがほしい。
「にゃー…にゃー…」
「ひっく…ひっく…」
僕の懇願の声にかぶるように、小さな子供の声が聞こえた。
全身を雨で濡らして、しゃくり上げながら車道を歩いている。
まるで、今の僕みたい。
初めて会ったはずなのに僕は勝手に親近感を覚えた。
「おとうさぁん…どこいったんだよぉ…?うぇえ…ひっく…」
子供は涙と雨で濡れた顔を懸命に拭きながらすすり泣いていた。
僕の目の前を、子供が通り過ぎようとした。
「…にゃあ…」
おもわず声を上げると、僕の首に填められている首輪の鈴がチリリと音を立てる。
僕と同い年くらいの子供が、ゆっくりと僕を見た。
大きな浅葱色の瞳が印象的な人間の男。
僕は人間が嫌いだ。
だって、僕を捨てたんだもの。
大好きだったのに、僕を物みたいに捨てたんだ。
「…ひっく…ねこぉ…こんなところでなにやってんだ…?」
僕は猫じゃない。
少しだけ睨んでみたけど、子供はしゃくり上げながらその場に座り込んだ。
小さな手が、僕の頭を乱暴に撫でる。
痛い、痛いよ。そんなに乱暴に撫でたら。
「にゃ…ふーッ!」
「…おまえ、びしょびしょだぞ」
僕は子供に文句を言った。
けど、子供には聞こえなかったらしい。
また乱暴な動作で僕を撫でてからゆっくりと抱き上げる。
何をするの?寒い。やめて。
僕は目を瞑った。
同時に、子供が僕の体をぎゅっと抱きしめる。
子供の身体はおもった以上に冷たかった。
「にゃう…」
きみも大好きな人に捨てられたの?
僕とおなじなの?
「…おれ、まさるっていうんだ。おとうさん、さがしてるんだけど…みなかった?」
子供…マサル、は目に涙を浮かべて僕をきつく抱き寄せる。
見るわけないじゃないか。
僕は自分の置かれた状況に絶望していたんだから、人が通ったか、なんて…覚えてない。
「にゃあ…」
「そっか…おまえもひとりなんだな。ずぶぬれねこ…」
マサルは僕をずぶぬれねこと呼んだ。
僕には立派な名前があるんだ。
大好きな人がつけてくれた素敵な名前が。
僕はきみと違って、気高い猫なんだぞ。
「マサルーッ!!」
ふと、どこからか澄んだ男の声がした。
マサルの名前を呼んでいる。
耳を立ててあちこちを見回すと、僕らとおなじようにずぶ濡れで走ってきた背の高い男がいた。
「…っ、おとうさんっ!」
マサルの声が上擦る。
涙を堪えるように鼻を啜って、それから男の胸に飛びついた。
男はマサルの父親なんだろう。
顔立ちがマサルに似てる。
「…寒かったろう、マサル…。ごめんな、無事でよかった…」
マサルの父親は、優しい顔で笑う。
僕はそれを見て少しさみしくなった。
僕にはおとうさん、いないのに。
マサルにはおとうさんがいる。
僕の大好きな人は僕を捨てたし、マサルもきっと僕を手放すんだろう。
父親が迎えにくるまで僕を暇潰しにするつもりだったんだ、きっと。
これだから人間は嫌いだ。
だいっきらいだ。
「マサル、その猫はどうした?」
「んう?ずぶぬれねこ、ここですてられてたんだ!おれとおんなじで、ないてたの…」
マサルの手が僕の頭を乱暴に撫でる。
その撫で方は痛いんだ。やめろ。
「ふーッ!」
「ははは…気性の荒い猫なんだな。ちょっと失礼するぞ」
マサルを睨む僕を見て、マサルの父親は可笑しそうに笑う。
そうして大きな手で僕を抱き寄せた。
不安定な抱き方じゃなくて、しっかりした優しい抱き方。
僕は鼻をヒクつかせた。
少しだけ、おとうさんの匂いがしたような気がしたから。
「俺は大門英。こっちは息子の大門マサルだ。息子が世話になったな」
英は、そう言って優しく僕の背を撫でた。
どきどき。
おなじ親子なのにこうも違うなんて。
撫でられるたび嬉しくて、もっと撫でて欲しくなる。
人間なのに、すごく身近に感じる。
「にゃふ…にゃん…ゴロゴロ…」
「あー!なんでおとうさんにはなつくんだよぉ!」
マサルが英の腕を掴んでダダをこねた。
僕はと言えば、英の腕のぬくもりを鼻いっぱいに吸い込んで身を寄せる。
毛布よりもあったかい。良い匂い、するし。
「マサル、おまえの抱き方じゃあ猫に嫌われるぞ?優しく丁寧に抱いてやらないとな」
「にゃうー…」
僕は英に同意した。
そうだ。あんな抱き方、僕を痛めつけてると言っても言いすぎじゃない。
乱暴に頭を撫でられたらどんなきもちになるか、マサルには解らないんだ、きっと。
「うー…なんだよぉ…。おれ、かえるもすきだけどねこもすきなんだぞっ!」
マサルが拗ねたような声で僕を抱き寄せようとする。
だから、その抱き方は痛いんだって言ってるじゃないか。
「にゃうっ!」
「いてっ!なにすんだよ、ばかねこ!」
マサルの手を引っかいて、僕は英の服にしがみついた。
人間は嫌いだけど人間の子供は特にだいっきらいだ。
英は…人間の中でも特別なだけ。
「…お、この猫…首輪に名前が刻まれてるぞ、マサル」
僕に引っかかれて不機嫌そうなマサルをよそに、英が僕の首輪を摘む。
ドキドキ。無意味に胸が高鳴る。
さあ呼んで。僕の名前を、その口で呼んでください。
「トーマ…だってさ。上品そうな猫だなぁ…」
「にゃあ…」
英はとことん僕の喜ぶことを言ってくれる。
大きな手が僕の顎の下を撫でた。
そこを撫でられるときもちいいよ。もっとして。
僕は英に体をすり寄せてお願いする。
英の顔をちらりと見ると、その顔はマサルに似ていたけどすごく優しそうだった。
「にゃふ…にゃあー…」
そんな英の顔を見ていると僕もご機嫌になる。
不機嫌なのは大門マサル、ただひとりだ。
「とーま、おれのとこにもこいよっ!」
「ふーッ!!」
絶対嫌だ!
僕は英の服にしがみついて言った。
あんな不安定で危ない手に抱かれるなんてごめんだ。
それに痛い。
「なあなあ、おとうさん…そのとーま、どうするんだ?」
僕の言葉なんか聞こえちゃいないんだろう。
マサルは顔を上げて英に言った。
どこか甘えの混じる声。
そんなマサルを見る英の目は、僕を見る目よりも優しい。
「そうだな…こんな所に捨てられていたら病気になってしまうだろうし、家につれて帰ってお母さんの手作り料理を食べさせてやろう。それでいいか?トーマ」
「にゃう…にゃ…ゴロゴロ…」
僕は媚びたような声を上げて英の服にしがみつく。
おなかは減ったし、いつまでもここにいたら寒い。
それに…このぬくもりと離れたくなかった。
「とーま、よかったな!もうひとりじゃないぞ」
誰かが僕の頭を優しく撫でる。
英だとおもった。
けど、目を向けるとそこには精一杯体を伸ばして僕を撫でるマサルの姿がある。
まだまだ小さいその手で僕の頭を撫でてくれた。
ミルクみたいな、子供の匂いがする。
「…にゃあ…」
僕はマサルの手を舐めた。
引っかいてしまった手の甲を。
それから口の中で、引っかいてごめんねと呟いた。
マサルに伝わったかは分からないけど。
「よーし、帰ろうか」
英の手がマサルの小さな手を握る。
もちろん、片手で僕を抱きしめて。
心地良い揺れを感じながら、僕は腕の中で体を丸めた。
僕は気高い猫。人間は嫌い。
だけど…ほんの少しだけ人間のぬくもりが好きになった。
たぶん、この親子のおかげだ。
=====================================================================
ミクシで書いたパラレルですー。
英←トーマに萌えます。フランツがヘタレだから余計にね…!(爆)