青森の冬は寒いのだと痛感した。
耳が寒さで痛い。
肌を切るような風が吹いていた。
石田咲良は、マフラーをきつく巻いて自転車を飛ばしていた。
久しぶりの休暇を申請して、部下たちにもそれぞれの休みを与えた。
中隊長である石田咲良もこの日ばかりは15歳の女の子らしい休みを迎えることになる。
耳で揺れるペンギンのピアスを指で弄りながら、笑った。
どうしてこんなことになったのかは分からない。
ただ、いつもより少しだけ気になる少年の傍にいただけだった。
少年は相変わらず無言で、他人を寄せ付けない雰囲気を放っていたがつい先日、制服のポケットから青いイヤリングを見せてくれた。
よくよく見ると小さなペンギンがついたイヤリングで、それがどうやら手作りであるらしいと言うことが分かった。
手先が器用なのねと笑うと少年、小島航は少しだけ照れたようにそっぽを向いてそれを突き出した。
やる、とそれだけ言って。
市販のものではないため、少々いびつな作りでもあったがそれでも細かな部分にまで彩色してあるペンギンは可愛くて綺麗だった。
咲良は面食らってそれを受け取ると、おずおず頷いて微笑んだ。
礼を言う暇もなく去っていく航の後姿を見ながら、咲良は何だかもやもやした照れくさいような気持ちにつつまれてそれをスカートのポケットへ仕舞ったのだ。
それから数日後、咲良は航への礼に遊園地のチケットを差し出した。
イヤリングのお礼にこれをあげるから今度の休みは親睦を深めましょうと邪気のない笑顔で言うものだから、航は断らずにそのチケットを受け取った。
自然と二人ともそわそわしながらこの休暇を待っていたのだ。
咲良は自転車をこぎながら待ち合わせ場所の喫茶ボナールの前へと到着する。
朝飯はボナールで食べようと事前に話していたので、咲良は自転車を止めると鍵をかけてボナールの扉を開けた。
聞き慣れた声が聞こえて目を向けると、常連なのか鈴木と佐藤の姿があった。
鈴木がいち早く咲良に気付いてぺこりと頭を下げる。
佐藤も慌てたように頭を下げた。
「中隊長おはようございますっ!」
「おはようございます。中隊長も隅におけませんね〜」
ふふ、と意味ありげ笑う鈴木に咲良は一瞬何の事かと面食らうがすぐにそれに気付いた。
店員の目にも届かないくらい隅の席に黒髪の少年が腰掛けている。
ぼんやりとメニューをめくりながら、誰かを待っているようだった。
「小島くん!ごめんなさい…待った?」
咲良は少しだけ声を潜めて航のいる席まで行くと、合い向かいに座って苦笑した。
黒髪の少年はつり目がちの瞳を少し細めてメニューを咲良へ向ける。
「…別に」
ちら、と航が咲良の耳元を見たような気がして、咲良は照れくさくなった。
耳には航からもらったイヤリングが揺れている。
航はそっけない声だったが、他人を威圧するような空気ではない。
咲良はメニューを受け取ってオーナーのユミを呼んだ。
「すいませーん、シーフードサラダとチョコレートパフェ下さい」
「…俺はコーヒーをもう一杯」
咲良と航の注文に、ユミはにっこりと笑ってカウンターへと戻っていく。
カウンターには鈴木に佐藤、竹内がいた。
竹内は相変わらずユミを見つめては熱っぽい瞳で長いため息を吐いている。
鈴木は佐藤にパフェを食べさせていた。
「どう?美味しいよねー、尚くん」
「真央が食べさせてくれるならどんなものでも美味しいよ」
「やだ、尚くんたらぁ〜。食べ終わったら一緒に買い物行こうねっ」
「もちろんだよ、真央」
いちゃいちゃしている二人組の声を聞きながら咲良は苦笑してメニュー表を閉じた。
顔を上げると、航が咲良を見つめている。
丁度目が合ってしまったことに吹き出して咲良が首を傾げた。
「ん?なあに、小島くん」
「……」
航は無表情のまま咲良を見つめていたが、すぐに目を逸らしてカップの中の残り少ないコーヒーへ目を移す。
無愛想と言うのか、冷徹なイメージを持たせるが別段悪い人間と言うわけでもない。
それにイヤリングをくれたという事は少なからず友好的な気持ちをもっているということだろうし、と感じて咲良は笑った。
そのまま少し遅い朝飯を食べて喫茶店から出た二人はチケットを取り出して目的の遊園地へと向かう。
休日だと言うこともあり、遊園地は賑わっていた。
「小島くんは好きな遊具とかある?」
咲良が目を向けると、航は辺りを見渡してから大きな観覧車を見てぽつりと「あれ」とだけ言った。
あれだけ大きな観覧車なら町中が見渡せるのではないかと咲良はおもう。
咲良は小さく頷いて航の袖を引いた。
引っ張られるように付いて来る航が何だか可愛くて、咲良は少し気持ちが高揚している。
その時、観覧車に乗る順番を待っている列の中で見知った人物を見つけた。
咲良に気付いたのか、その人物は振り返り様に不機嫌極まりないといった表情で二人をねめつける。
「あーら、石田中隊長じゃない」
菅原が嫌味たっぷりに笑って腰に手を当てた。
はらりと肩に垂れたマフラーを片手で払って、咲良が航と一緒であることを察して眉を寄せた。
菅原と一緒に来ていたのか、彼女の後ろからひょこりと渡辺も現れる。
咲良は軽く頭を下げた。
「菅原さんに渡辺さん…あなたたちも遊園地に遊びに来たの?ここの観覧車は大きいのね」
「……そーね」
菅原は興味がなさそうに返事をすると、ちらりと航に視線をやった。
少しだけ好意を寄せていた相手がよりにもよって中隊長とデートしてるだなんて、と言わんばかりの表情で菅原が眉を寄せる。
渡辺が咲良と航を見てニヤリと笑った。
「へー、石田って二股かけてるんだァ」
「…二股?どういう意味よ」
妙に含みのある渡辺の言葉に、少しだけ咲良が目を細めた。
菅原が渡辺の肩にしなだれかかって挑発するように笑う。
「あんたさぁ、タマキとか言う男と付き合ってんじゃなかったの?」
「た、タマキくんと私が!?」
「…タマキ?」
航の言葉と咲良の言葉がかぶる。
咲良は何度もかぶりを振って、傍から見ても分かるように慌てている。
肌を切るような寒い風が舞った。
咲良の狼狽ぶりを見て菅原が笑う。
「それにしても…何なの、そのダサいイヤリング」
菅原の冷たい目は咲良の耳に注がれていた。
揺れるペンギンのイヤリング。
姑みたいな子だなぁと思いながら、咲良はイヤリングをさり気なく隠すように髪をいじった。
それが面白いとでも言うように菅原の攻撃は続く。
「今時イヤリングなんて流行んないわよ、しかもペンギン。今の時代はピアスでしょ」
「ぷふっ…変なペンギン」
菅原につられるようにして渡辺が笑った。
イヤリングを隠そうとしていた咲良の手が止まる。
航は何も言わなかった。
「ちょっと…あなたたちっ!これは小島くんが…」
咲良が声を上げた途端、それを遮るように航が咲良の手を取った。
そうして菅原たちを通り越して観覧車へと乗り込む。
何だかんだと雑談しているうちに菅原たちの順番だったらしい。
菅原は慌てたように航を指差した。
「ち、ちょっと小島…割り込み禁止よ!あたしたちが先に並んでたんだからッ!!」
「そーよそーよッ!」
怒鳴りつけた菅原たちに見向きもしなかった航だが、ちらりと翡翠の瞳を見せて勝気に笑った。
その笑みが滅多に見られないものであり、なおかつ美しい微笑だったので菅原は思わず赤面する。
航は笑いながら静かに言った。
「…係の人にさっきから"乗らないんですか?"って言われていたのに聞いていないお前が悪い。行こうぜ、石田」
一息にそれだけ言うと、航はさっさと観覧車に乗り込んでいった。
咲良も後に続いて、航と向かい合うように座る。
パタンと観覧車のドアが閉まった。
扉の向こうで菅原たちが何か言っているが、咲良にはよく聞こえない。
鈍い音を立てて、観覧車がだんだんと上へ上へと昇っていく。
狭い観覧車の中で膝を突き合せるように座っていることの緊張感と、先ほどの航の行動を思い起こして咲良は何だか申し訳ない気分になった。
あそこで、強気に言い返せばよかった。
せっかくもらったイヤリングをバカにされてしまったのだから。
「……」
膝に乗せた手で拳を作っている咲良とは対照的に、航は外の景色を見つめている。
それが、何だか余計に気を使わせてしまっているような気がして咲良には気まずかった。
下を向いている咲良に気付いたのか、航は不思議そうに目を丸くして咲良へ視線を合わせた。
「…外、見ないのかよ」
無愛想な口調とは正反対の少女じみた表情にギャップを感じて、咲良はちょっぴり安心するのを感じる。
少し笑った咲良を見て、航が驚いたように目を瞬いた。
咲良が首を傾げると曖昧に顔を背けてしまう。
航は相変わらず無感情だった。
でも…意外と結構表情のバリエーションあるんだ、と咲良が笑う。
氷のプリンスなんてこっそり呼ばれていたり、女子にはかなりの人気を持たれている航だが色恋には興味がないと言った顔をしている。
咲良は少しだけ気を抜いた。
「小島くん、さっきはありがとう」
「……」
航は景色を見つめたまま黙っている。
そんな横顔を見ながら咲良が続けた。
「ごめんなさい、本当は私がちゃんと言わなきゃいけなかったのに」
「……タマキ、って」
咲良の言葉を遮るようにして小さな声が聞こえた。
航の口から聞こえた名前に咲良が苦笑する。
ちらりと景色を見ながら口を開いた。
「ああ…タマキくんは、振武台での友達よ。ったく、誰がタマキくんと付き合ってるっていうのよ…今は戦争中なんだから恋愛なんかしてる場合じゃないのに」
「……戦争中じゃなかったら付き合うのか?」
「え?」
航から発せられたのは真っ直ぐな言葉。
ぎょっとして目を向けると航は真っ直ぐに咲良を見て、それからすぐに目を逸らした。
小さくため息をついて目を瞑ってしまった航を目にして、ますます重くなった場の空気を感じる。
咲良はがくりと肩を落とした。
そんな咲良の心情を知ってか知らずか、航が目を開けて呟く。
「…外、何が見える?」
不意に話題を振られた咲良はやや上擦った声で返事をすると、窓に目を向けた。
青森の町並みがよく見える。
ちらりと学校も見えた。
「あ、私たちの学校が見えるわ」
「…そうか」
会話終了。
咲良はまた肩を落とした。
しばらくの間の後航へ目を向けると、航は窓の桟に肘をついて目を瞑っていた。
眠っているようにも見える。
咲良は航の顔に魅入っていた。
「…小島くん?」
返事はない。
その代わりと言うように小さな寝息が聞こえた。
学校での訓練で疲れていたのだろうか。
外泊もしょっちゅうしているし色々と彼も大変なのだろうと咲良は納得する。
かたんかたんと観覧車の心地良い揺れが妙に眠気をそそった。
「あ〜、私も眠くなっちゃった…」
咲良は航と同じように窓の桟に肘をついて笑った。
まだ真冬だと言うのに、日差しが少しだけ暖かく感じる。
狭い観覧車の中では静かな寝息が聞こえた。
穏やかな寝息を聞きながら咲良はだんだんと近付いてくる景色を見つめている。
少しだけくすぐったい気持ちを胸の内に仕舞って、そっと目を伏せた。
戦争が終わった後の事を想像して、普通の女の子に戻った自分を思い浮かべて。
「…戦争が終わったら付き合うのか、ね…どうなのかしら」
不意に航の言っていた言葉が脳裏によぎった。
今は戦いの事でいっぱいで、色恋も、何がしたいのかも分からない。
15歳の女の子に戻ったとき、どうなるのかなんて分からない。
戦争が終わったら。
「わかんないわよ…」
咲良の中に、少しばかりの恐怖が広がっていった。
戦争がずっと続いていればいいのに、とか不謹慎な事を考えてしまう。
中隊長で、エリート学校の卒業生だとか言われているけど戦争がなくなればそんなもの何の役にも立たない。
咲良は小さなため息をついて航へ視線を向けた。
「…っあ…!」
翡翠の瞳がじっと咲良を見ている。
まるで考えている事を読まれてしまったかのような錯覚に陥って、咲良は目を逸らしてしまった。
無駄に上がっていく心拍数。
咲良は眉を寄せて俯いた。
「ご、ごめんなさい」
「…どうして謝る」
航はしっかりとした声で言った。
ぎしりと観覧車が揺れる。
「あ、ちょ…小島くん?」
咲良が顔を上げると、航はゆっくり腰を上げて咲良の隣へ座った。
うろたえる咲良を見て航が眉を下げて不思議そうな顔をしている。
邪気のない瞳が綺麗だと咲良はおもった。
「…戦争が終わった後の事を考えていたのか?」
「そんなこと…」
咲良の言葉が遮られる。
体を向けるようにして座った航は少しだけ笑った。
控えめに咲良の肩に手が置かれる。
「…お前は俺たちの大事な隊長だ。戦争が終わったらみんなで考えよう。1人で考えるな」
航の声は抑揚がないものだったが、ずいぶん穏やかだった。
肩に置かれた手がしっかりとした少年のものであることを感じて、咲良がようやく安心したように笑う。
その笑顔を見て、航が少し何か言いたそうに口を動かしていたが何も言わなかった。
「…何?小島くん」
「いや…」
咲良の言葉に歯切れ悪く、航が視線を逸らす。
さっきと逆の立場だ。
珍しく焦っているような航を見て、咲良が笑った。
そのまま返答を強要することもなく見つめていると、航が少しだけ口を開く。
「…似合ってる。そのイヤリング」
「え?」
耳で揺れるペンギンに触れた咲良は、航の言葉を聞き返してからようやく気付いた。
長い黒髪で顔は隠れているが、そっぽを向いた航の頬は赤く染まっている。
咲良はペンギンに触れながらこくんと頷いた。
胸いっぱいに気恥ずかしさと嬉しさが広がっていく。
「小島くんが作ってくれたものでしょ?だからきっと小島くんにも似合うわ」
咲良はゆっくりと片耳のイヤリングを外して言った。
顔を背けたままの航は、かぶりを振って「そうじゃない」と言っていたがよく聞こえない。
片方外したイヤリングを手に咲良は続けた。
「だから、私がつけてあげる。じっとしててね」
「…石田?何を…」
航の髪をかきわけて耳を露出させると、咲良はそっとイヤリングのネジを巻いた。
航の耳で揺れるペンギンを見ながら、少しだけ笑う。
私たちお揃いねと笑ってから、それが何だかカップルの会話のように聞こえてしまって咲良が慌てて訂正する。
慌てふためいている咲良を見て、航は照れくさそうに笑った。
耳のペンギンに触れて、咲良の耳に揺れるペンギンにも目を向ける。
咲良は、航と同じようにはにかんだ。
「ありがとう、小島くん」
少しだけ頭を下げて咲良が言うと、航は眩しそうに目を瞬いた。
そうして、とても小さな声で一言。
「…礼を言うのは俺のほうだとおもうが」
口の中でそう呟いた航を見て、咲良が不思議そうに首を傾げる。
航は小さく息を吐いてから咲良を見て笑った。
「…今日は楽しかった。ありがとう」
かたんと観覧車の中が揺れる。
とても長い時間、この空間にいたような気がして咲良は窓の外を見た。
もう地上に戻ってきている。
係の人が扉を開けた。
先に観覧車から出た航が、ズボンのポケットに入れていた手を咲良に差し伸べる。
「…来いよ」
咲良へ手を出した航の瞳が優しい色に変わっている。
翡翠の目がしっかりと咲良を捉えていた。
航の表情に心臓が跳ね上がる気持ちを覚えた咲良は、ワンテンポ置いてから航の手を握った。
肩を叩いてくれた手と同じ、暖かい手だ。
航は少しだけ強引に咲良の手を引くと、お化け屋敷を指して笑った。
お化け屋敷に行こうと言う事なのか、咲良がそれを察する前に航が口を開く。
「…案内してやるよ。知らないだろ?遊園地もこの街のことも」
「小島くん…ありがとう」
咲良は一度だけ大きく頷いて笑った。
信頼や友情とも違う、春の訪れにも似た気持ちが咲良の中に芽生え始めている。
同時に航も咲良とどこか似た気持ちを寄せていた。
お互いに、自分自身の気持ちに気付いてはいなかったがその感情が心地よくて口にはしない。
隊長と部下であるという事には変わりないが、今日だけは主従関係のない少年と少女だった。
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アニメ設定の航咲良がすごく萌えです。
咲良が可愛すぎる…!そして航は無口すぎる…!(爆笑)