迷子の迷子の子猫ちゃん
あなたのお家はどこですか
お家をきいてもわからない
名前をきいてもわからない
(困ったな)
僕はそんな子猫を目の前にして、めんどくさくなった。
こんな所に迷い込んでくる子供なんて滅多にいないのに。
ああもうこんな時間。
葉月さんに怒られちゃうよ。
そうおもいながら僕は頭をかく。
子猫はくすんくすんと泣いていた。
黒い猫だ。
猫、っていうのは本当に迷子の猫ってわけじゃない。
小さな男の子だった。
見る限り男の子っぽい服装をしている。
黒い髪を肩まで垂らして、よくよく見ると瞳の色は翡翠色。
女の子かとおもったけど男…なのかな?
半ズボンを履いていて、むきだしの足に白い靴下を履いている。
僕はさっきから路地裏でこの少年と2人きりだった。
「ねえ、君」
名前を聞いても答えてくれない子猫に、僕は少しだけ優しい声を出す。
猫撫で声ってやつだ。
少年は泣きじゃくりながら可愛い声で「お兄ちゃん」と言った。
「お兄ちゃんを探してるの?」
「…うん」
ようやく言葉が返って来た。
やっぱり女の子に見える。
ちょっと乱暴な言い方をして怖がらせたかな、なんて反省して手を出してやる僕。
「僕は、仲俊。よろしくね」
「なかとし?…ぼく、コウ」
コウと名乗った子供は僕の手を取って立ち上がった。
女の子なのに自分の事を「ぼく」だなんて変な子だ。
僕は少し苦笑した。
「女の子なら"私"って言わなきゃおかしいよ」
「…おんなのこ…?」
コウは少しだけ訝しそうな顔をしたが、すぐにこくんと頷いた。
それでも二言目で既に一人称が「ぼく」になっている辺り、全然分かってない。
僕はコウのズボンを叩いてやりながら歩くように促す。
いつまでもじめじめした場所に座り込んでいたら気分も晴れないだろう。
僕はコウの髪を撫でてやった。
おもったよりもすごく柔らかくてさらさらした髪が指に触れる。
僕はおもわず手を引っ込めた。
触ってはいけないものに触れてしまったような気がしたから。
あんまりあどけなくて、壊してしまいそう。
コウは僕の後に続くようにして歩きながら舌ったらずの声を聞かせてくれた。
「ぼく、お兄ちゃんと買い物に来てたの。それでね…お兄ちゃんが迷子になっちゃったみたいで…」
コウの言葉に僕はつい吹き出してしまう。
迷子になったのはコウのほうじゃないか。
聞く限りだと、コウとお兄さんは年の差7つ。
コウは7歳で、お兄さんは14歳だと言った。
ということは、コウは僕よりお兄さんなんだ。
「僕は6歳だよ、今年小学校に入るんだ。コウのほうがお兄ちゃんだね」
「ぼく、なかとしのお兄ちゃん?」
僕の言葉に、コウが甘えた声で返す。
嗅いだ事のない花の香りがふんわりと漂った。
子供独特の匂いなんだろうが、僕はちょっと苦手だ。
甘ったるくて、変なかんじ。
「そうだよ、お兄ちゃんなんだからもう泣いちゃだめ」
未だ濡れているコウの目尻を僕が拭ってやる。
コウはぽーっとした顔をして僕を見ていたが、何かを見つけたのかすぐに大きく手を振った。
「お兄ちゃーん!空お兄ちゃーん!!」
コウが手を振った先では、人並みに揉まれながら買い物袋を大量に提げた髪の長い少年が歩いている。
それでも、コウに気付くと泣きそうな顔で笑ってすぐに駆け寄ってきた。
近くで見ると大きい。
子供である僕から見ると、コウの兄は大人に見えた。
コウの兄が泣き笑いのような笑みを浮かべる。
「航がいなくてお兄ちゃん怖かったぞー。俺、もう迷子にならないからなっ」
「もー、お兄ちゃんてばすぐ迷子になるんだから」
…。
何か違うだろと僕は内心でツッコミを入れた。
明らかに迷子になってのはコウのほうなのに、コウの兄はどこか抜けている。
そうおもったとき、コウが僕の袖を引いた。
「お兄ちゃん、この子、なかとしって言うんだよ。一緒にお兄ちゃん探してくれたんだから」
「え?いや、僕は…」
「本当か?いやー、見ず知らずの方の世話になっちまって申し訳ない。俺は小島空。一応こいつの兄だ」
空と名乗った人物はそう言って航を抱き上げると、子供っぽく頬ずりをした。
変な兄弟だ。
空は髪を腰まで垂らしてみつあみを一本縛りにしている。
一見、女の子かとおもったが、兄と言った時点で無理やり男なのだと納得した。
僕は軽く頭を下げてその場から立ち去ろうと試みる。
「あ、じゃ…僕はこれで失礼します」
そう言って2人に振り返ることなくきびすを返すと、コウの小さな声が聞こえた。
呼び止められた僕は何となしにコウへと振り返る。
同時に唇に柔らかなものを感じた。
「お礼だよ。えへ…じゃあね」
いつの間にか僕から離れたコウが無邪気に笑って手を振っている。
僕は黙って唇を押さえると、ロボットみたいにこくりと頷いた。
ふらふら。
別に疲れたわけじゃないのにほとんど千鳥足で家へと帰る。
家のドアを開けたとき、いいにおいがした。
パタパタと忙しそうな足音を立てて葉月さんがやってくる。
「ただいまー」
「おかえりなさい俊くん、今日はお赤飯よ」
「…え、何かあるんですか?」
「ほら、私たちもうすぐ入学式でしょう?そのお祝い」
葉月さんはにっこり笑って早く手を洗ってくるようにと僕に言った。
そういえば、もうすぐ小学校だっけ。
僕は玄関に座り込んで靴を脱ぎながらぼんやり考えていた。
赤飯、赤飯。
去り際に交わされた、コウからのキスが僕の唇にしっかりと染み付いている。
僕は慌てて唇を袖で擦った。
何だろう。
入学祝いのはずの赤飯なのに、僕自身さえ気付かなかった恋を祝福しているみたいで恥ずかしい。
「俊くん、顔真っ赤よ?」
そう言った葉月さんの声すら聞こえない僕は、熱くなっていく頬を押さえながらしばらく頭から離れない少年の事を思い描いていた。
数年後、また再会して恋をするなんて今はまだ想像もしていない。
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子供岩航ですー。