しあわせ、の話をしてから数日後のことだ。
いつものように窓の外を見ながらぼんやりと時間を潰す石田の後ろから手が伸びた。
きゅっと石田の両目をふさぐように手を当てて、その人物が耳元に唇を当ててくる。
いきなり視界を塞がれたことにより、石田は泣きそうになった。
だが耳元からの声は甘く優しい人のもの。
「だーれだ」
「そ、空先生だ!」
「大当たりだ。偉いぞ〜、咲良」
石田の目をふさいでいた手はゆっくりと解放された。
安心したように石田がため息をつく。
石田を抱きしめるような形で後ろに立っている教師は、ズボンのポケットから板チョコを取り出した。
「咲良の好きなお菓子だぞ〜、いるか?」
「先生がお菓子くれるの…珍しい」
「俺だって可愛い娘に菓子くらい与えるさ。…食うか?」
「うん!」
石田は空の手から板チョコを受け取ると銀の包みを剥がしながらパクリと一口。
一旦チョコを包みの中から全て取り出すと、パキンと半分に折って空へと差し出した。
「はい、先生にも」
「おお?ありがとう…咲良はいい子だ」
「うん!」
甘いものが好きな二人は揃ってチョコをかじりながら笑った。
そんな二人を見て、石田と二人きりだった航は呆れたような顔をしている。
「兄さんが食べてどうするんだよ…。全部石田さんにあげればいいのに」
「ははは。俺が食いたいから買ってきたんだ、俺が半分食べる権利くらいあるだろう」
「…いや、権利というか何と言うか…まあいいや」
「美味しいー、しあわせ!」
「先生もすっごく幸せだ」
「…はぁ。石田さん…兄さんに似てきちゃったな…。可愛いからいいけど」
同じような会話を続ける何の変哲もない日々。
そのまま、いつもと同じ調子で一日が終わった。
その次の日。
「たーいちょう、お菓子買ってきたんだ。だからちょっと息抜きしよっ」
屋上で気力の訓練をしていた石田は、後ろから聞こえた声に振り返った。
サクサクと雪を踏みしめながら手の中のコンビニ袋を軽く振る航が笑う。
断る理由もなく、石田が頷いた。
航はコンビニで買ったアイスを取り出して石田へと差し出す。
「やっぱりアイスは夏じゃなくて冬に食べるほうが断然美味しいよねー、はいどうぞ」
「小島は食べないの?」
「俺は石田さんの食べるところ見てるだけでおなかいっぱいなの」
「えと…武士は食わねど高楊枝…?」
「何横山さんみたいなこと言ってるの?違うよ、ダイエットなんかじゃないさ」
「小島はもう少し食べたほうがいい…痩せすぎだ。今検索してみたけど17歳男子の平均身長は170.7cmなのに小島は169cmだぞ」
「…そ、それを言うなら石田さんだってもっと食べたほうがいいよ?隊長なんだから栄養とって精力つけなきゃ」
「隊長が健康でも部下が健康じゃなきゃ部隊は壊滅的だ。だから小島も食え、上官命令だ」
「…あー…ええっとね…」
甘いものが嫌いなんだとハッキリ言えない航は、石田の真剣な眼差しに目を逸らせず口をくぐもらせた。
そうして渋々とコンビニ袋の中から、石田にやろうと思っていたイチゴのソフトクリームを取り出す。
口に入れると、甘酸っぱく、思わず眉間を押さえたくなるような冷えが襲ってくる。
航は恐る恐る石田を見た。
この寒さの中で平気でアイス食べてるなんて…信じられない。
航は自然と歯をガチガチ言わせながら引きつった笑みを浮かべた。
「…さ、寒くない?教室で食べようよ…ストーブもあるし暖かいし…」
「食べたらすぐ訓練するんだからだめ。小島…唇紫色になってるよ?」
「い、いや!そんなことありません」
航は思わず敬語になりながらソフトクリームを頬張った。
涙が出るくらい…冷たい。
それに甘ったるい。
今は戦時中で、甘いものが滅多に食べられないからこれを食べている自分は幸せなのだろうとは思うが…。
正直ちっとも幸せじゃない。
航は内心そう思いながら震える手でアイスを食べた。
石田は相変わらず笑顔のままだ。
「おいしい、しあわせだ」
「よ、よかったね…」
「うん!」
ゆきだるまを見つめながら二人の男女がアイスクリームを食べている姿はかなり滑稽に映るのだろう。
最年長のしっかりとした声が後ろから聞こえた。
「二人とも…ゆきだるまなんか見て何やってるの?訓練は?」
航と石田が同時に振り返ると、やや呆れたような顔をしている村田彩華の姿があった。
石田はアイスを舐めながら無邪気に笑ってみせる。
「これ食べたら訓練するの。今は休憩中だ」
「そ、そうなんですか…寒くないですか?」
「外気温は低いよ?」
「そっ、そうじゃなくて」
村田が石田の相手をしている間、航はアイスのコーンを片手に震えている。
見てるこっちが寒くなってくるわ、と感じながら村田が航へと視線を向けた。
「航、くちびるが紫色になってるけど平気?」
「へ…平気じゃないです。彩華ねえさん、ポジション変わって?」
航は自分の肩をさすりながら食べかけのアイスを村田へ差し出す。
可愛い美少年の頼みだが、さすがにそれは拒否して村田が苦笑した。
こんな真冬にアイスは食べられないわと手を振って。
「彩華ねえさんのバカ…」
航がふと、拗ねたような目で彩華を見てからアイスへ目を戻す。
唇に白いアイスがついていて、何となく卑猥なものを連想させる気がする。
村田はごくりと喉を鳴らした。
航にそのつもりはないだろうが、そのテの人が見たら誘っているように見えてならない。
ここで村田は、「ああもう、航はほんっとに可愛いんだから!彩華ねえさんに任せなさい」とアイスを奪い取ってやろうかと思ったが、思っただけだった。
同時に石田の短い悲鳴が聞こえた。
「だ〜れだ?」
「きゃあっ!!」
ぼとり。
石田の手からアイスのコーンが滑り落ちる。
両目に手を当てて視界をふさいだ人物が恨まれるであろうことは分かりきっていることだ。
航と村田は、石田の目元に手を当てている人物を見て、航は「来た…」と言うような顔をして、村田はやや頬を赤らめた。
「空先生だ!」
「当たりだ。偉いぞ〜咲良」
「ひどいよ先生!アイスが落ちちゃった…」
石田は、瞬時に振り返るとアイスを落とした張本人の胸をぽかぽかと叩いた。
犯人、小島空は石田を抱きとめるとアイスを見て「んー」と可愛らしく首を傾げる。
「ここは雪の上だ、アイスに雪がついて風流じゃないか。きっと美味いぞ〜」
「そうなの…?」
石田は、空の言葉を本気で信じて雪まみれのアイスを拾い上げている。
それを慌てて阻止した航が空を睨んだ。
「兄さん!雪がついたアイスなんて汚いよ!石田さんがおなか壊したらどうすっ……」
勢いよく怒鳴った航だったが、不意に喋る事をやめてその場に座り込んだ。
ぎゅるるる…と腹が下っているであろう音がする。
空はにんまりと笑って、航の言葉に不審がっている石田の手の中からアイスを取った。
「俺が子供の頃はな〜、落ちてるものだって食ったんだぞ?泥まみれのアメだって洗えば食える。こんな風に」
ぱくり、と空の口がアイスにかぶった雪を含んだ。
みつあみを垂らした可愛らしい顔の教師がアイスを食べているなんて絵になるなぁ、なんて思いながら村田は航の腹を擦ってやる。
石田は、雪ごとアイスを食べた空を興味深そうにじっと見つめた。
「先生、雪って食べられるの?どんな味?私にも食べられるかな?」
可愛い娘の質問に、父親は喜んで頷いた。
そうして石田の口元にアイスを持っていってやる。
石田はやや戸惑いの色を見せたが、やがてゆっくりとそれを口にした。
ぱっと石田の表情が明るくなる。
「美味しい!しゃりしゃりしてる。シャーベットみたいだ」
「だろ〜?これはいいぞ〜、もっとつけるか」
空が雪をアイスにかぶせて石田に与えている間、いつの間にかやってきた谷口が事のありさまに「一体何をやってるんですか!?」と混乱状態に陥っている。
ほとんど雪のアイスとなったそれをしゃりしゃりと食べながら石田は、しあわせしあわせ、と言いながら笑った。
そんな一日のおわりである。
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アイスは冬に食べるのが美味しいとほざいたうちの妹が元ネタです(笑)