喧嘩をした。
原因は些細な事で、嫉妬をされたと言うだけのこと。
人気者は辛いなんて言うけれど本当だ。
「石田さん、待てったら!」
「くるな、くるなっ!」
廊下を走るなという張り紙を無視して二人はバタバタと音を立てて走り続ける。
小島航は、事件のいきさつを思い出しながら途方に暮れていた。
事の発端は、丁度授業を終えて昼飯の時間になったころ。
何かを後ろ手に隠して航を見ている石田と目が合った。
きっといつものように弁当を作ってきてくれたのだろうと航は直感する。
前までは無邪気に昼飯に誘ってきた石田だが、時が経つにつれ航を異性と意識するようになったのか顔を赤らめる事が多くなっていた。
少女の変化に多少戸惑ったが、航はそれでも気づかない振りをして石田を昼飯に誘っていた。
だからきっと今日も自分から誘えば少女はホッとするに違いない。
航はそう思って五時間目の美術の教科書を取り出すと急いで席を立とうとした。
その時、隣の席から小さな手が航の袖を引っ張る。
慌てて振り返ると、東原希望が大きくとても豪華な弁当を机に広げて笑った。
「えへへ、こーちゃん…ごはん食べよー?」
上目づかいで希望が首を傾げる。
幼児特有のふくふくしたピンク色の肌とぽってりとした唇が父性本能をくすぐる。
航は思わず断ろうとした言葉を飲み込んでしまった。
希望はフォークを逆手に持つと不器用にミートボールを刺して航へ差し出してくる。
「あのねあのね、今日はいっぱい作ってきたけどたかちゃんお休みだから…私ひとりで食べられないんだ。だから…あーんして?」
希望は舌足らずな声で笑った。
熊本からやってきた瀬戸口と希望が仲睦まじい関係にあることは航はもちろん、皆知っている。
だから航はなんとなく納得して頷いた。
「東原さんはえらいね、いつも瀬戸口くんのお弁当も作ってあげてて」
「てへへ…そんなことないのよ」
柔らかな髪を航が撫でると、希望は自分の頬に手を当てて笑った。
そんな様子を石田が拗ねたような目で見つめている。
何となく危険を感じた航はすぐさま振り返って石田へ笑いかけた。
「石田さんも…今日は教室で食べない?おいしそうだよ、東原さんのお弁当」
「…たべる」
石田は少しだけ拗ねたような顔をして頷いた。
三人で机をくっつけて弁当披露大会となる。
航は、今日は学食で済ませようと弁当を作ってこなかったので希望と石田の弁当を分けることになった。
希望が先ほどと同じくミートボールを笑顔で差し出す。
それを口に入れた航は、満面の笑みで「おいしい」と言った。
弁当を開けかけたまま、石田が眉を寄せている。
その視線に気づいたのか、航は慌てて石田に向き直った。
「い、石田さんのお弁当は何が入ってるんだい?」
航から視線を向けられると、石田はすぐさま機嫌をよくしてにっこりと笑う。
単純で子供っぽいけど、それが彼女のいいところなんだよな…と航は内心思った。
石田は弁当袋から弁当箱を取り出してゆっくり上蓋を開けている。
そこにはサンドイッチが並んでいた。
ただのサンドイッチであれば航も喜んだろうが、問題はその具だった。
「小島、隊長命令だ。さっさと口を開けろ」
「いや…ええっと…」
石田が取り出したものは、ぎっしりとアイスの詰まった冷たそうなサンドイッチ。
よく見ると弁当袋には保冷剤が入っている。
航は思わず身震いした。
「それはいったい…」
「おいしそうでしょー?空先生に教わったの」
石田は無邪気に笑って手の中のサンドイッチを見つめた。
兄さんが…。
航は身震いしながら、実の兄が石田に調理指導しているところを想像する。
サンドイッチを見て希望が無邪気に「おいしそうだねぇ」と声を上げた。
きんきんに冷えたサンドイッチを差し出す石田に対して、航は曖昧な返事をしながらその場を凌ごうと試みる。
煮えきらない態度の航を見て、石田は不満そうに眉を寄せた。
「何だその態度は!上官のサンドイッチが食べられないって言うの?希望の弁当は食べてるくせに…。小島なんて嫌いだっ!」
そうして教室を出て行ってしまった石田を追うべく航は、そして石田は航から離れるべく廊下を走っている現在の状況へと場面は移る。
ぜぇぜぇと息を荒げながら続く追いかけっこは既に5時間目の授業も潰していた。
こりゃ極楽トンボ確定だなぁ、なんて思いながら航は階段を昇る石田の後を追う。
石田は、振り返らず屋上の扉を開けた。
航もすぐさまその後を追う。
大きな音を立てて扉の閉まる音が聞こえる。
石田は唐突に振り返ると、自分の後ろにいた航を見て後ずさった。
「わっ…いつの間に。逃げ切れる自信あったのに…」
独り言のように呟く石田に、航はやや上がった息を整えながら口を開く。
今だ機嫌の悪そうな石田を見ながら出来るだけ刺激しないように言うのだ。
「どうして逃げたの…かな」
「愚問だ。小島は希望と楽しそうだった。命令違反だ。…だから」
石田の声が震えている。
怖がらせるように言ってしまっただろうか。
航はやや声のトーンを落とした。
「ごめん、命令違反して」
「それに…」
航の言葉を遮るようにして石田が唇を尖らせる。
口の中だけで"希望の弁当のほうがおいしそうだった"と拗ねたような声を上げた。
下手に刺激をしてまた逃げられてしまうのも困り者だと思いながら、航は石田の頭をポンと撫でる。
確かにね、と呟くと石田は泣きそうな顔をして俯いた。
航はそんな顔に弱い。
石田のおとがいを掴むと、そのまま視線を上げるように促した。
「確かに東原さんのお弁当は豪華だったよね。素敵な弁当だった。でも…」
「でも?」
石田は不思議そうに航の答えを待っている。
そんな様子がなんだか可愛くて、航はついつい恥ずかしい事を口にしてしまう。
「石田さんのほうが何倍も美味しそうだよ」
「私は食用じゃないよ?」
指の腹で石田の下唇に触れると少しズレた答えが返ってくる。
航は、何だかもう笑うしかなくなってしまって苦笑いを浮かべた。
一応告白のつもりだったんだけど…と内心呟きながら。
複雑そうな航を見て、石田は何を勘違いしたのか弁当を広げて少しはにかんだ。
「私のほうが美味しいって言ってくれるなら、今からお昼にしよう」
「も、もう五時間目始まってるよ?」
「上官命令が聞けないのか?食べれば許してやるって言ってるんだぞ」
ジロリと石田の瞳が航を睨む。
仕方なくその場に座ると、先ほどの弁当箱からサンドイッチが顔を覗かせた。
やはり冷たそうではある。
航は恐る恐るそれを手にすると一口頬張った。
アイスの甘みと冷えが同時に襲ってくる。
思わず眉間を押さえてしまう航を見て、石田が唇を尖らせた。
「アイスは冬に食べるのがいいんだぞ」
「そうかもね…。で、でも次はサラダとかツナとか入れてみてくれないか?きっと美味しいから」
「…小島が食べてくれるなら作ってくる」
さらりと恥ずかしい事を言ってのける石田に、航は少しだけむせこんだ。
そうだ、この機会だ。言ってしまおう。
ふと顔を上げた航に、石田は不思議そうな顔をして首を傾げた。
手の中のサンドイッチを押し込んで噛み砕くと、航は口元をハンカチで拭いながら一言。
「好きだよ、石田さんのこと」
「私も好きだよ?」
「うん」
無邪気に返した石田に、航は少し面食らったがそれでも嬉しそうに笑った。
きっと、この子は好きの意味など分かってはいない。
それでも言わずにはいられなかった。
この笑顔を独占したくなったから。
「あはは…両思いだね、俺たち」
「両思いだと…何かいいことがあるの?」
「あるよ、もちろん。石田さんが俺を独占できるようになる。逆もまた然り」
航は石田の頬を撫でると、さらさらした青い髪を指に絡めて顔を寄せた。
石田はアイスの匂いをさせてくすくすと笑っている。
この笑顔を守りたい。
そう、純粋におもう。
「小島を独占するってことは、いつでも私の弁当食べてもらえる?」
「もちろん」
「てへへ…嬉しい」
「ただし条件がある」
航は石田の唇に指を当てて声を潜めた。
厳しい声と言うよりも、どこか甘い声。
石田はそんな航の変化を不思議そうに眺めている。
吸い込まれそうな紅綯の瞳が瞬いた。
「俺と、恋人同士になること。君に拒否権はない…いいね?」
航は不意に大人っぽく笑ってみせると石田の髪を指に絡めて抱き寄せた。
恋人、の意味がまだよく分からない石田には唐突に恋人だと決められてしまったことへの不満があったが、それでも恋人という響きに悪いイメージは持たなかった。
それどころか、どこか気持ちが浮いてしまうような、ふわふわした気分へと変わってしまう。
間近で見つめている航の視線が熱くて仕方なくて、石田は目を瞑った。
「可愛い」
そんな石田を見て、航が気付かれない程度に吹き出す。
まだアイスの匂いがするお互いの匂いを確認するようにやや目を細めると、航は石田のおとがいにやんわりと触れた。
石田の肩が震えるが、大丈夫だよと声をかけると安心したように口元だけで笑う。
もう一度だけ、好きだよと囁いて航も目を瞑る。
クリスマスまで後数週間を控えた平日の日、そっと二つの影が重なった。
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あまあま航咲良ですー。