人を殺すことにためらいはなかった。
白銀の絨毯の上を走って走って、ただひとつの握り飯を手にして僕は走った。
鳥になったような気がする。
こんなに早く走れたなんて知らなかった。
僕は血まみれの握り飯をかじった。
鉄の味がする。さっき、切り裂いた奴の味がする。
僕は貪るようにして唯一の食料を口に押し込むと、ふたたび走った。
辺りは吹雪で真っ暗。
後ろから提灯の光が僕を追っているのが分かった。
重くなってきた剣の鞘をしっかりと握った僕はぜぇぜぇと喘ぎながら、ただ走った。

僕の名前は岩崎仲俊。生まれは知らないし、どうやって育ったのかも覚えていない。
動乱の世がすぎて、文明開化と呼ばれる時代に差し掛かって西洋の建物が立ち並ぶ世界でも僕は剣ひとつで生きてきた。
それしか生きる方法を知らなかったから。
生きるためなら、指だって売ったし体だって売った。
僕はそれだけぎりぎりの…がけっぷちの世界で生きていた。

「まずいな、苦しくなってきた…」

僕は息を荒げながら笑った。
ぼんやりと、雪の先に灯りが見える。
西洋の大きな建物だ。
あそこにはきっと金持ちの貴族が住んでいるのだろう。
そうおもうと、こんなに不幸な自分がいるのに金持ち共は何て贅沢なんだろうとおもった。
あの中でダンスをしたり、優雅に茶を飲んだりするんだろうか。
そういうことに縁が無い僕にはさっぱりだ。

「はぁ…はぁ…」

ようやく建物の全貌が明らかになったとき、僕は二階の窓に灯った光を見た。
窓から、黒髪の少女が見下ろしている。
目が合った。
大きな翡翠の瞳が僕を捉えて離さない。
その瞳は驚いたような、どこか哀しげな瞳だった。
あんなに綺麗な人を見たのは初めてだ。
僕は壁の窪みに足をかけると、できるだけ素早くその娘の部屋まで登った。
顔を見られたから、かくまってもらうついでに始末をする。
それが僕の狙いだった。
少女は僕が壁を登って窓を叩いたのを見て、おずおずと窓を開けた。
なかなか物分りがいいじゃないか。

「はぁ…厄介になるよ」

僕は口元だけで笑うと、すぐに窓から部屋へと転がり込んだ。
窓の外を見た少女が慌てて窓とカーテンを閉める。
追っ手が見えて怖かったのだろう。
僕は息を切らせながら立ち上がった。
改めて、オレンジ色の光の下で少女を見やる。
少女は長いスカートを着ていた。
ワンピースというのはこれか。
黒髪は肩まで垂らしていて、ほんのりと紅を差しているのか唇は綺麗な桃色をしている。
大きな目と、不安そうな表情が印象的だった。
そりゃ、いきなり男が押しかけてきたんだから怖いに決まってるだろう。
僕はとりあえず何か言おうとして口を開いた。

「君は…」

「こーう!」

僕が口を開いたとたん、大きな扉が音を立てて開いた。
姉妹なのか、みつあみの女性がゆっくりと部屋に入ってくる。
やれやれ…面倒な事になった。
僕は腰の剣に手をかける。さっさと殺してしまおう。
そうおもって剣を抜くと、みつあみの女性が僕を指差した。

「おう、客か?」

ズレた質問をした女性は僕と少女を見やって笑いかける。
どうやら天然のようだ。
僕は黙って、剣を女性に向ける。
はらりと茶色の髪を一筋斬ってやると、女性は目を瞬かせてから背後を見やった。

「…客がきたみたいだぞ?お前の」

「……」

僕は舌を鳴らした。
からかうような口調で言った女性は腰に手を当てるとかぶりを振って自らの胸を軽く叩く。

「まあここは俺に任せろ、上手く言ってきてやろう。…妹に変なことをするなよ?」

僕は少女を殺すかもしれないというのに、女性は少女をほっぽって部屋を出て行ってしまった。
自分の命が一番大切だから逃げるということだろう。
僕は黒髪の少女に剣を向けた。

「残念だったね、お姉さんに逃げられて」

「…姉さんはそんなことしないよ」

初めて、少女が口を開いた。
とても優しい声が耳に入ってくる。
少女は怯える事なく僕を見つめると、剣を見やってから少しだけ笑ってくれた。

「俺の名前は小島航。…君は?」

「…岩崎仲俊」

僕は少女、航を睨んだまま答えた。
同時に、再度航の姉が部屋に入ってくる。
彼女は満足そうに笑うと扉を閉めた。

「家に無理やり入ろうとしたから、警察呼ぶぞって軽く痛めつけたら帰ったぞ。あー快感」

「空姉さん、また無茶な事して…」

空と呼ばれた女性は気持ちのいい笑みを見せると、航の肩を抱いてから僕に向き直った。
しばらく剣を見つめていたけど僕の顔に目をやると何がおかしいのか口元を引きつらせながら楽しそうに笑い始める。

「ははは…変な口!真っ赤だぞお前」

「…あ、本当だ。岩崎くん…口拭く?」

かしましい空とは違って、航は机の上に置いてあったふきんを手に取って僕の口に当てた。
握り飯についていた血のせいだろう。
僕は、航の親切が苛立たしくて手を払った。
びっくりしたような航の顔が僕の目に飛び込む。
航は、落としてしまったふきんを取ろうと手を伸ばした時、不意にがくりと膝をついた。

「はぁっ、はぁっ…うぐ…」

「航!」

胸を押さえて苦しそうに喘ぎ出した航を見て、空が息を飲む。
そうして僕を見やると航の肩を掴んだまま言った。

「岩崎とか言ったな、妹をベッドまで運ぶのを手伝ってくれ。助けてやったんだからな」

空は嫌味のように目を細めて言った。
何て性格の悪い女だろう。
僕は舌を打つと、言われるがままに航の体を抱いた。
想像以上に軽い航の体に軽い恐怖を覚える。
こいつは、病に侵されているのか。

「…っ、はぁ…はあ…」

航は苦しそうに息をしながら僕の首筋に顔を寄せた。
こんなに身近に人の吐息を感じるなんて、生まれて初めてかもしれない。
暖かくて、でも冷たい人間のぬくもりに僕はおもわず突き飛ばしてしまいたくなる衝動を抑えて航をベッドに寝かせた。
胸の中がぐるぐるする。
どうして僕がこんなことをしなきゃならないんだ。
死期が迫っているなら殺せばいいのに。
黙って航を見下ろしている僕を見て考えを察したのか、空が僕の隣に立った。

「航は、心の臓の病気を持っていてな…お医者様でも治せんのだ」

「なら殺せばいい」

「お前気が短いなぁ。がはは、気が短い男は嫌いじゃないぞ」

空は、僕の返事を満足そうに受け取ると航の額を撫でて笑った。
下品な笑いではなく、少し哀しそうな笑みだ。
けれどもすぐにその笑みをやめて俺へと目を向ける。

「今日は泊まっていきなさい、吹雪が酷いだろう?追っ手がいつ来るかも分からないしな」

「……」

僕は、無言で問いかけた。空も分かっているはずだ。
こんなあからさまに怪しい人間を泊まらせるということがどういうことか分かっているのだろうか。
それに答えるべく、空が口を開きかけた。
でも一旦口を閉じて、どこか子悪魔のような笑みを見せる。

「何となく、気まぐれだ。…早く寝ろ、剣は別に取り上げないから好きにするといい」

空は、大事な妹を男と同じ場所に残して部屋を去った。
貴族は頭がどうかしているんだろうか。
僕は大きくため息をつくと壁に背を預けた。
慣れない、女の匂いがする。
本当に、あの女は妹が大事じゃないのか?
僕だって性欲がないわけじゃないのに。

「…小島航、か」

僕は口元だけで笑って、航の寝ているベッドに馬乗りになった。
落ち着いてきたのか、ゆっくりと胸を上下している航を一瞥した僕は、無抵抗なスカートを捲り上げる。
航が目を瞬いて僕を見ていた。

「…岩崎くん?どうし…」

航が何か言う前に、僕は彼女の唇に口吸いをする。
柔らかい唇だった。
菓子のように甘くてふくふくしていて、気持ちいい。
航の手が僕の上着を掴んだ。
口吸いを解くと、航は目尻を赤くして僕を見つめている。
初物なんだろうか、その瞳には初々しさと期待の色が見えた。

「航、君も可哀想だねぇ…男と2人きりの部屋にされて。君のお姉さんを恨むといいよ」

僕はそう言うと、スカートの中に手を突っ込んでふくよかな膨らみを手にした。
初めて触れた女のものが僕のかさついた指を弾く。
航は痛そうに身を捩ると、それでも抵抗せずに僕を見つめていた。

「…岩崎くん、何だか俺…恥ずかしい」

「……」

この行為の行く末を何も知らないんだろうか、航は無防備に僕に胸を触らせたまま困ったように言った。
なんなんだ、この少女は。
僕はスカートの中から手を出すと、大きくため息をついた。
そうして乱暴に、航の隣に寝転がる。

「…しらけた。怖がってもらわないと面白くないね」

「怖がってほしかったのかい?岩崎くんて変な人…」

嫌味のように言ったはずなのに、航は不思議そうに言ってから僕の肩に擦り寄った。
どうしてべたべたとくっつくんだ。
人肌の温もりが怖い僕は、航を払うように背を向ける。
それでも、背中に弱々しいぬくもりを感じた。

「男の子と一緒に寝るなんて初めてだよ…どきどきする」

航はそう言って笑った。
わけが分からない。
背中のぬくもりが少しだけ熱くなったような気がして、僕は目を伏せた。
僕だって女の子と一緒に寝るのなんてはじめてだよ。
生まれてこのかた、誰かのぬくもりに頼って眠った事なんかないんだから。
自然とそう零すと、航は黙ってそれを聞いていた。

「じゃあ俺たち、初めて同士だね」

航がそう言って笑う。
同時にものすごく恥ずかしくなってしまって、僕はふかふかとした羽根布団に顔を寄せた。
早くこの熱が冷めればいい。
そんな風におもいながら、ただ背中の熱を感じていた。

















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岩航でパラレル。続き物です。