[ やわらかい関係 ]
 手をつないでいた。骨ばってかさついた俺の手とは違う、ふんわりとした感触のそれをやわらかく包み込むように握る。
部室の机をはさんだ真向かいで、じっと目を見つめられて俺は真っ赤な顔をして視線を逸らすこともできない。手が汗ばんでいるのが伝わっているだろう。わずかに震えているのが伝わっているだろう。もしかしたら、ありえない速度で波打つこの拍動を知られてしまっているのかもしれない。でも虫ピンで刺されたようにこの形を維持し続けるしかなくて、心の中ではどうにかしないとと焦るのに、それでもどうあっても動けないのだった。
 いつもそうだ。突飛なことが起こると突如パニックに陥って考えることができなくなる。だけど自分をそんな状況に陥れることだけは得意で、いつだって周囲から浮いてしまうわけだ。(得意というかやらずにはおれんというか、性分だからと開き直っているのだ俺は。)自分が起こした事柄についてだってそんななのに、それに対して返された行動が更に突飛だったりするともう、どうしようもない。俺は硬直する。硬直して、若干の時間をかけて理解して、建前と作り笑いでどうにか返し、流してもらう。今はそれすらもできないぐらい、切迫してしまっている。傍から見なくても自分の中の第三者がものすごく滑稽であることを教えてくるのだった。
 動悸ってのはどこまで激しくなると相手の耳に聞こえるんだろうな。
俺はもう自分の心音以外きこえなくて、よくある漫画の1シーンみたいだな、などと自分を揶揄する言葉さえうまく紡げない。頭のなかで、高校生までやらされた今でも存在意義の全くわからないマラソン大会でへろへろになって走ったときみたいな音が溢れかえっていて、考えることさえこの騒音に負けてしまいそうで情けなくなってきた。あの時のほうが小さな音量ではなかっただろうか。でも何事か考えていないと現実を直視しなくてはならないから、無理やり平静を取り戻そうと、無駄なあがきを試みなくてはいけない。全力疾走で心の中に逃避して、状況を投げ出すのだ。どくどくと頭を打つ音がうるさい。思い出しついでに逃避の材料にしようとしたけれど、どうしてもマラソンの順位は思い出せなかった。

 薄いピンクのマニキュアが塗られた形のいい爪、すらりと白い指、そして柔らかい手のひら。彼女の手は俺の手と比べて指の第一関節よりもすこしばかり小さなものであるということを知ったのが、きっと数分前のこと。もう何日も経ってしまったような、75分の1秒であるところの1刹那でしかないような、具体的な数値など本人の時間感覚に比べれば遥かにあてにならないのだという実感だけ残る。
またさしてとりとめもない話をしたものだ。よく知りもしない隣人とする天気の話題に等しい、挨拶を何回も言い換えて繰り返しているだけのような内容の無さ。何となく居づらくて所在のない手をペットボトルに伸ばしたら、今初めて見たみたいにけっこう手え大きいんだねと言われて右手を拾われた。するりと彼女が手を合わせてきて、俺は最初なぜか焦ることもなく存外小さなものなのだな、と感心していたように思う。急に一瞬頭が真っ白になり、その手の平のやわらかさに気が付いて引くに引けなくなった。また固まってしまう。俺は焦りがモロに出るからこういった瞬間が一番困るのだ。彼女の手は俺の手よりも少しばかり冷たい。どう逃げ出そう。
 真っ白な頭で、軽い思いつきみたいな気軽さで、キモイだのなんだの言われればいいなと、熱が離れる前にこの右手で彼女の左手を包み込んだ。いつものような虚勢ばった声で、冷え性なの?とかなんとか言ったかも知れない。とにかくそれがきっと数分前のことで、俺は今とても後悔しているのか真逆の気持ちなのかわからない。一瞬のことだが、逃げるための冗談だと自分に言い聞かせているのは建前で本音は本気だったのかもしれない。

 目の前には春日部さんがいる。俺が手を握ると一瞬驚いたような顔をして、それからよく俺たちがゲームや漫画の話をしているのを遠目から見るときと同じような顔をして、俺を見た。どうしようもないやつらだと呆れた時の見慣れた顔に、悲しいかな少し安心する。さあこの手を振り払って何事かわめいてくれればいい、俺の焦りもどうしようもなさも愚かな冗談に変えてくれればいいと念じたつかの間、ちょっと目を閉じたかと思うとやわらかく微笑み返してその左手でそっと手を握り返してきた。

血の流れる音がうるさくて逃げ遅れたかどうかもわからない。実直に注がれる視線から目を外すこともできずに、右手にあるやわらかい感触だけを感じながらただただ呆然と手を繋ぐのだった。
ものすごくへたれた斑目さん
ラブラブなのかからかっているのかわかりません
あとこの間は数秒しか経っていない
07/02/11