大荷物を抱えた笹嶋直己が盛大に喋りながら盛大に転ぶにいたって、背後を歩いていた彼らはその二つ下の後輩に向かって大きな溜息をついた。
「なんであんなのが文芸部にいるんだ……?」
 同級生が額を押さえて呟くのに高橋は苦笑を漏らして笹嶋を見やった。その視線に押されたわけでもないだろうが、笹嶋がまた転ぶ。
「だーからー。俺は文壇でゆーめーんなって賞とか取るんですって!」
 散乱した荷物を集めながら笹嶋が叫び返す。その拍子にまた一つ、別の荷物が転がった。
「憧れのあまねちゃんに見つけてもらうにはちょっと手間がかかりすぎじゃないか?」
「んなことないっす。あまねちゃんは本好きだったし、絶対読んでくれるって」
「いや、手間だ」
 断言する文芸部部長に食って掛かる笹嶋に業を煮やした高橋はまだ散らばったままの荷物を手に取った。
「すいません、シュウ先輩」
「謝るくらいだったら、さっさと片付けろ」
「うい」
「はい、だ」
「はーい」
 にっこり返事をするあたり、とてもわざとだ、と高橋は思う。物も言わずに手にした本で殴りつけた。
「ッてぇ」
 額を押さえてうずくまった笹嶋を、部員たちが揃って笑った。

 文芸部の夏合宿だった。文系の部活で夏合宿をする意味などないに等しいのだから、つまるところは顧問公認の遊びとも言う。
 紅葉坂学園の文芸部は、弱小中の弱小。中高別に活動することができず合同になっているにもかかわらず、現在は高校生しか在籍していない。しかも三年が数名に一年生がいるのみ。
 それでも伝統だけはある部活のせいで、夏合宿は恒例行事の一つだった。おかげでほぼ全部員、十名弱が参加している。
「花田先輩ー。まだっすかー」
 先輩の分の荷物も――別に強制しているわけではない。自主的に――抱えた笹嶋が部長に音を上げる。へらりと笑って花田泰史は笹嶋を蹴る真似をした。
「そろそろだと思うけどなー。まだじゃね?」
「先輩ー。んなこと言わないで。重いっす」
「お前が勝手に持ってるんじゃん」
「そりゃ、まぁ。先輩に重いもん持たすのもなんですし」
「なんて体育会系なやつだ」
 相変わらずの台詞で花田がからかえば、揃って部員が笑う。こうしているのもあと少しか、と思えば高橋はどことなく寂しさを覚える。
 夏合宿が終わって、二学期も半ばになれば三年生の活動は終了する。ほとんどの生徒が上の紅葉坂大学を目指す、とは言え大学受験に違いはない。
「俺ゃ文系っす」
 毎日のように部室にたむろして聞いていた笹嶋の阿呆な発言も、もうすぐ聞くことが少なくなるのだな、そう高橋は思う。
「シュウ先輩?」
「ん、なに」
「そりゃ、俺の台詞っす」
 大荷物の影から覗き込んでくる目に、高橋はなぜか苦笑した。
「世の中は広いな、と思ってた」
「なんすか、それ」
「お前みたいな文系がいるんだな、と」
「ひどいっすよー。シュウ先輩! 花田先輩ー。シュウ先輩がいじめるー」
「苛めてない」
「だな。高橋は事実を述べてるだけだ。うん」
 三年生にそろってからかわれ笹嶋は情けなさそうに眉を下げた。そんな彼の表情が小動物を連想させて、高橋はなんとなく悪いことをしたような気になってしまう。これもいつものことだった。
「笹嶋」
「なんすか」
「お前、なんで文芸部入ったの。柄じゃないだろ」
「言ってるじゃないすか」
「あまねちゃん?」
「うい」
 返事と共に笹嶋の顔が崩れる。これ以上ないほど蕩けた顔はいっそ清々しいほど。
「初恋のあまねちゃん、か」
 まだ笹嶋が幼い頃のことだと彼は言う。どこか高原地帯の貸し別荘にでも家族で行ったのだそうだ。そこで出会ったのがあまねちゃん、だった。
「もうほんと、凄い可愛かったんですよ! ちっちゃくって細くって、んー。華麗?」
「それを言うなら可憐、だ」
「そうそう、可憐!」
 花田の訂正にも笹嶋はめげることなく笑み崩れたまま過去を見ていた。何度となく聞いた話を、高橋は温かい目、と言うよりはいささか低い温度で眺めている。彼らの後ろから部員たちの馬鹿騒ぎの声が追ってきていた。
「あまねちゃんは病気だったんですよ。療養ってやつですよね。夏の間は別荘ですごしてるんだって言ってて」
 そのあまねちゃんのいる別荘の庭に笹嶋が迷い込んだのが始まりだったらしい。以来、笹嶋が自宅に戻るまであまねちゃんとの交流は続いた、と言う。
「お前さ、なんであまねちゃんの連絡先とか聞いとかなかったわけ?」
「無理っす。俺、まだ幼稚園児っすよ。俺が年長さんだったから、あまねちゃんは年少さんくらいかなぁ」
 遠い目をして言うのだが、言葉が言葉だけに締まらないこと甚だしい。
「あまねちゃん、あんまり外で遊んだりできないって言ってて、だから本読むのが好きって。きっとあのまま大きくなってると思うんすよ」
「だから文芸部、か」
「うい。シュウ先輩、そのとおりっす」
「……安直だな」
 溜息まじりの声に花田が大きく笑った。抗議をしているつもりか、ぴょんぴょん跳ねる笹嶋の肩の上、荷物が盛大に揺れていた。
「笹嶋、あんまり揺らすな」
「うい。すいません。なんかまずいもん入ってます?」
「まずいもん?」
「酒とか酒とか酒とか」
「他に選択肢はないのか! それより誰がそんなもん持ってくるか!」
「やだー。シュウ先輩が怒ったー。花田先輩助けてー」
「ごめんこうむる」
 すがりつく笹嶋の手を無下に払い落として花田が笑う。つられるように高橋もまた笑っていた。
 つくづくいいものだな、と思う。たいした実績も残せなかったし、そもそも内申書の点を上げたかったらこんな小さな部には入っていない。
 ただ本が好きだった。読むのも書くのも。だから高橋は文芸部にいる。中学時代から在籍して六年間。わかったのは書くほうの才能はさっぱりだ、と言うことだけ。才能なんかなくとも、好きだった。それで楽しかった。
「なんか、ちょっと寂しかったりする? 高橋」
 歩きながらぐるりと部員を見回した高橋に花田が目をとめてそう言った。この辺がさすが部長、と思えば高橋の口許が緩む。
「ま、少しは」
「意外かも」
「そう?」
 そのように思われていることこそ、意外だと高橋は思う。自分は精一杯部活を楽しんでいたはずなのに、と。
「高橋君は大人だからなー」
「なんだよそれ」
 殴りかかる真似をすれば、前で笹嶋が暴力反対、とじゃれて騒いだ。おかげで拳は笹嶋に向く。
「高橋ってあんま、騒がないじゃん」
 後ろから話しを聞きつけた同級生が口を挟む。そのとおりとばかり花田がうなずくのに高橋は唇を尖らせた。
「お前ってなんか窓辺で俺らが騒いでんの見て微笑んでるってイメージ?」
「花田」
「なんだよ」
「眼科に行け」
「マジで言うなよ!」
「言いたくなるだろ!」
「……って言い返すこと、お前珍しいじゃん? だからなんかあんま馴染んでないのかなぁっと思ったりしてたわけよ、俺は」
「あのなぁ。俺、うちに六年いるんだけど。花田って確か中二ん時だよな、入ってきたの」
「そうそう。ほら、藤井先輩が入ってたじゃんか」
「あの一年だけな」
「かっこよくってさ、憧れてたんだよな」
 そう言ってとっくに卒業してしまった三つ上の先輩を花田は懐かしむ。が、どこまで本気か高橋にはわからない。
 花田は藤井が部をやめたあとも在籍し続け結局は部長まで務めてしまった。だから照れくさいだけで、本当は本が好きなのだ、と高橋は解釈していた。
「シュウ先輩ー。まだっすかぁ」
「俺に聞くな。場所を知ってるのは花田だ」
「てか、場所教えただろ! なんでお前覚えてないんだよ」
「そりゃ頼りになる部長がいるからな」
 茶化しながら高橋はだるそうに荷物を持っている笹嶋の手から自分の分を奪い返した。
「あ、シュウ先輩」
「いいよ、お前が持ってると壊しそうでいや」
「そりゃないっす!」
 大きな声を上げながら、笹嶋は嬉しそうに笑った。
「この辺だと思うんだけどなぁ」
 花田が荷物から地図を取り出し、辺りを見回しては首をかしげている。ちらりとそれに目をやって笹嶋が背伸びをした。
「ちょっと怖くないすか」
 聞こえよがしの耳打ちに高橋は苦笑し、今度は自分がかがんで笹嶋の耳許で言う。
「そんなこと言うと晩飯抜かれるぞ」
「そりゃねーですよ」
「花田はやるぞ」
 言った途端に当の花田が振り返る。きつい目をして睨んでくるのに、二人揃って目をそらす。それを部員が総出で笑う。
「高橋」
「なんだよ」
「笹嶋の躾がなってない。監督責任ってやつな、お前も同罪。二人揃って晩飯抜きな?」
「ま、それでもいいけど……」
「なんだよ。部長様に文句でも?」
「俺が笹嶋の監督責任を問われるんだったら、部長は最終責任を負うべきだよな?」
 にやりと笑った高橋に花田が言葉を返せないでいるうち、笹嶋がうっかり吹き出す。慌てて部員が笹嶋の頭を叩いたものの、今度は上級生がそろって笹嶋を睨んだ。
「うわっと。えーと、あ! 先輩先輩。あれ、違いますか? あってるといいなーって、俺思うんすよぉ」
「姑息だな」
「シュウ先輩ー」
 じゃれる二人に、花田が大きく溜息をついた。




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