はじめは奇怪なカレーに文句たらたらだった部員も、食べ始めてからはそれなりに気に入ったようで笹嶋はほっとしていた。
「よかったな」
 隣に座った高橋が小さな声でそういうのに笹嶋はにっこりとうなずく。
「なんか、ちょっとだけ自信がつきました」
「自信か、これで?」
 からかうように言ったけれど、笹嶋にはわかっていた。高橋が自分に自信をつけさせようとしてくれていたことが。
「シュウ先輩」
「うん?」
「あざっす」
 高橋に身を寄せて、小さく言う。他人に聞かれるのは気恥ずかしかった。
「なに言ってんだ。変なやつ」
 ぷっと吹き出して高橋はそれで話を終わらせてしまった。もう少し何かが言いたいような気がしていた笹嶋は肩透かしを食らった気分だ。それでも自分がなにを言いたいかはわからなかった。
「先生」
 顧問が黙って首をかしげて高橋を見た。その仕種に花田が驚いた顔をする。
「どうかしたか、花田?」
「いやぁ、先生って妙なとこで水野に似てんなぁと思って」
「似てるか?」
「いまの顔つきとか、すげー似てた。びっくりした」
 言われても高橋には似ているとは思えなかった。さほど水野とは親しくない。それをどうとったのか顧問の水野は苦笑する。
「あれの父親と俺は双子だからな。似てるのも当然かもしれない」
「水野って、あんまり話さないからよくわかんなくって」
 そう言ってしまってから高橋は口をつぐむのだったと思う。なにか告げ口をしているような気になってしまった。
「友達いないからなぁ、あいつ」
 だが顧問はくっと笑っただけで取り合わなかった。別に友人が少ないことを嘆いている風でもない。
「さっきの水野先輩って、学校でその……寂しかったりってないんすか?」
「ササ?」
「俺、だめなんすよー。友達が休んだりするとめちゃくちゃ寂しくって」
「水野はなー」
 花田は訳知り顔で言って、顧問に向かって唇を吊り上げる。
「あいつ、友達いないわけじゃないと思う。クラスでも普通に話してはいるよ」
「そうか?」
「高橋も厳しいやつだからなー。気がついてないんだと思う。適当に騒ぐときは騒いでるよ」
「あぁ……なるほどね」
「そそ。でもクラスメイトを友達だとは思ってない」
 お前もそうだろ、とでも言いたげな顔をされて高橋は言葉に詰まる。水野ほどではない、と言い返したいけどさすがにそこまで言うのは気が引けた。
「それにほら、水野はシュヴァルツェン先輩がいるじゃん」
「先輩だろ?」
「だから?」
 不審そうに問い返す花田に高橋は何も言えない。先輩と友達は違うのではないか、と思うけれど、ではどこが違うのか、となれば高橋にもわからなかった。思わず笹嶋を見る。
「シュウ先輩?」
「……なんでもないよ、笹嶋」
 つい、目をそらしてしまった。これでは飲み込んだ言葉があるようだ、と高橋は困ってしまう。それに目を留めて救いの手を差し伸べたのは顧問だった。
「それで、何か用があったんじゃないのか。高橋」
「え、あ。そうだ。肝試し、どうするんですか?」
「どう……?」
「ほら」
 高橋の視線が窓の外へと投げられる。それを追った顧問もまた黙ってうなずいた。
「そうだなぁ……」
 風はまだ強く吹いていた。楽しみにしていたのだろう部員たちから盛大な抗議の声が上がる中、笹嶋だけがほっとした顔をする。
「ササ。よかったなぁ?」
「んなことないっす! 俺だって楽しみにしてました!」
「本当かー?」
「……ちょっとは」
 渋々言う笹嶋を花田は大きな声で笑い、彼の頭に手を乗せては乱暴にかき混ぜた。
「花田先輩!」
「ん、いやか? いやだったら言えよー」
「言ってもやめてくんないくせに」
「おう。当然だ」
 にかり、笑って言う花田に笹嶋は気が抜ける。何度となく繰り返されてきた会話。もうすぐ三年生がいなくなってしまうなど、思えない。
「どうします、先生?」
「そうだなぁ。いつも一人ずつ行ってたっけ?」
「はい」
「じゃあ、二人ずつ組んで行かせるか。それだったら危なくないだろ」
「んじゃ……」
 ちらりと高橋は花田を見る。それでいいかと尋ねる視線に花田は笹嶋とのじゃれあいを止めてうなずいた。
「不思議だよ、先生は」
「なにがですか」
「なんで高橋が部長じゃないんだ?」
「先生! そりゃないですよ、俺だって頑張ってきましたー」
「それは認める。でもこういう時に色々考えるのは高橋が多くないか」
「それは高橋君が仕切り屋だからでーす」
 手まで上げて言ってのけた花田につかつかと高橋は近づき力いっぱい襟首を掴む。
「花田?」
 にっこり笑って言うのを部員たちが笑いながら眺めていた。
「なんでもない、なんでもないって! 俺たちお友達だろ!?」
「そうだっけ?」
 片手をこれ見よがしに振り上げた高橋に、思わず花田は笹嶋の袖を強く引く。
「うは、先輩!」
 強引に二人の間に割り込まされた笹嶋は、目の前で高橋の拳を見ることになった。ぴたりと眼前で止められた手が触れることはない。はじめから冗談でしていただけだったのだろう。それでも腹の底がびくりとした。
「お前なぁ。後輩を盾にするなよ」
「同級生を殴んなよ」
「殴ってない」
「だから、俺が悪かったって。いつもいつも感謝してます。ありがとう、高橋君」
「もの凄い棒読みだよ、花田」
 溜息まじりに言って高橋は手を離す。その拍子に体をぐらつかせた花田につられるよう、笹嶋までもが転びそうになった。
「うわ」
「なにやってんだ」
 そこに伸びてきた手は高橋のもの。心から呆れられてしまった気がして笹嶋は目を伏せる。
「大丈夫か、笹嶋」
「うい。平気っす」
「さっき、当たってないよな?」
「え……」
 見上げれば、少しばかり心配そうな顔をした高橋がいた。何度か目を瞬いて笹嶋はにかりと笑う。
「大丈夫っす! 問題ないっす!」
 手にすがって立ち上がる。力強く引かれた手がなんだかとても嬉しかった。
「高橋ー。籤作ろう、籤!」
「籤、なんの?」
「肝試しの籤引きだよ」
 がさがさとそこら中を漁って筆記用具を探しつつ花田は振り返る。
「……立ち直りの早いやつ。笹嶋、手伝え」
「ういっす」
 それから花田の指示通り、三人で紙を切りそこに数字を書いて籤を作る。部員たちの誰もが手伝おうとしないあたりが文芸部らしい、と高橋は内心で笑っていた。
 いつものことだった。花田が何かを始める。自分が手伝わされる。笹嶋が巻き込まれる。もう少しでこんな風に過ごす時間も終わってしまう。
 惜しみつつ高橋は他愛ないことを話しながら紙を切っていた。
「これでよし、と。なんか入れるもんあるかな」
「ティッシュの箱でよくない?」
「あぁ、それでいっか。ちょうどいいよな」
「花田先輩」
「うん?」
「この籤、足らないっす」
「え、足りてる……よな?」
「俺が数字書いてたんすけど、数が足らない気がします。……ほら、やっぱ足んないっす」
「あぁ……いいんだ、それで。高橋は留守番だよなー?」
 なんでもないことのよう花田は言う。留守役を押し付けている風でもなかったけれど、高橋も困り顔でうなずいていた。
「それだけどさ、花田。今年は二人組みで行くんだろ。だったら俺も行こうかなぁ、と」
「ん、なに。俺と組んでくか、それじゃあ?」
 さらりと言う花田に笹嶋はなぜか軽い嫉妬を覚えた。
「花田先輩ー。それじゃ籤の意味ないっす」
「いいの、いいの。俺と高橋の仲だもん」
「どんな仲だよ」
 いやそうに言う高橋に笹嶋の表情が晴れる。それを目にしたのは正面から彼を見ていた花田だけだった。
 思わず顔色を変えずにいるのが難しいほどだった、花田は。それから少しばかり考えて計画を作ってしまう。
 いつも高橋任せ、といわれる花田ではあったけれど、率先して先頭に立つことの少ない高橋と違って花田はこのようなときにこそ真価を発揮する。
 適当としか見えないやり方でティッシュの箱に籤を放り込む。それから無造作に立ち上がって部員たちに籤を配り始めた。
「一人一枚ずつ取れよ。続き番号で一組な?」
「一番と二番でまわるってこと?」
「そそ。そういうこと」
 高橋はぴんと来た。花田が何か仕組んでいる。笹嶋はまだ不満そうに花田の背中を目で追っていた。
「ほれ、ササ。取れよ。お前の番だ」
「うい」
「何番? ふうん。で、ここになぜかもう一枚あるんだな、籤が」
「おい、花田」
「つーことでまだ引いてない高橋君。これが君の分だ。さぁて、誰と一緒になったかなー?」
 わざとらしいやり方で自分と組ませようと言う花田に高橋は苦笑して、それでも籤を開く。
「おやおや高橋君はササと一緒だー。驚いたなー。うんうん」
「ちょっと待て」
「不満か? 不満なのか、高橋! いつもの優しい君はどこに行ってしまったんだ!」
「俺はいつもどおりここにいるよ……」
 頭を抱えんばかりの高橋に、笹嶋がいっそう不安そうな顔をした。ちらりとそれを視界の端に収めて花田を睨んだ。




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