「散歩に行こうよ」 「どこに」 「港まで」 琥珀が誘う。 そしてそういう事になった。 お互いに普段室内にいることが多いだけに、こうやって気分のいい時には散歩にでるようにしている。 一人でそぞろ歩くのは、けれどもつまらない。 だからこうやって誘い合わせて歩く事が多かった。 横浜は歴史ある町だ。 ペリーがやってきたのもここ。新しい文化や物が入ってくるのも、この港からだった。 その所為か、今でもやたら史跡だの何々の碑だのと言うのがあふれている。 横浜で生まれ育った私自身、ほぉと思うようなものまでがある。 「ジャックまで行こうよ、篠原さん」 琥珀が悪戯をするように笑えば秋の陽がその目に入って、まるで石のようだ。琥珀の名の通りに。 「ジャックがね、一番好きなんだよ。僕は」 「ほぉう」 「一番意匠がこんでると思わない?」 ジャック。 それは横浜のシンボルのひとつだ。 ジャックがあるからにはもちろんキングもクイーンもある。 一口に言ってしまえばそれらは塔屋だ。キングは県庁の、クイーンは税関のそしてジャックは開港記念館の。 それぞれが非常に美しい、今では到底作る事叶わぬであろう意匠を持った建物だ。無論、塔そのものも美しいが建物、として見ても格別である。 その三つの塔を海から戻る船乗りたちは懐かしく見たという。 「あぁようやく横浜に帰ってきた」 と。 横浜は海とともに歩いてきた町だ。その海の男たちが愛したものをやはり町の人は大切にしてきた。 なんともゆかしいではないか。 明治四十二年に制定された横浜市歌もそうやって海とともに栄えた姿がありありと見えるようでなかなか良いものだ。 せっかくなのでここに掲げる。 わが日の本は島国よ 朝日かがよう海に 連りそばだつ島々なれば あらゆる国より舟こそ通え されば港の数多かれど この横浜にまさるあらめや むかし思えば とま屋の煙 ちらりほらりと立てりしところ 今はもも舟もも千舟 泊るところぞ見よや 果なく栄えて行くらんみ代を 飾る宝も入りくる港 どうだろう。良い詩だとは思わないだろうか。 「なに、横浜市歌?」 いつのまにか口ずさんでいたらしい。 リズムの良いこの歌は一度覚えてしまうとこれがどうして忘れないのだ。 「子供の頃、学校で歌ったよね」 琥珀も懐かしげに口ずさむ。 どこの学校もそうなのだろうか、横浜出身者はいちようにこの歌を歌えることが多い。 「篠原さん、この作詞って誰だか知ってる?」 「当然」 生活をともにする琥珀は時折私の職業を忘れるらしい。 「森鴎外だな」 そう、この歌はかの鴎外の手になるものなのだ。文語のくせに口に心地よいのは彼の文章の持ち味かもしれない。 道はいつのまにかジャックの横にまできていた。 ちらり、琥珀をうかがう。 琥珀は笑って首をふった。 ジャックの中には「ペリー来航の図」という一枚のステンドグラスがある。日本で作られた最初のステンドグラスだ。 これが息を飲むほど美しい。 赤、緑、黄色の原色を基調としていながらとても日本的だ。南蛮趣味でもある。 画面中央に描かれている船はもちろん黒船。それがさまざまな色をした海の中に浮かんでいる。 右下から左へ三羽。飛んでいるのはかもめであろうか。絵巻物風に飛び立ったその白い鳥が船から上り立つ煙とあいまって画面を柔らかくしているように思う。 とにかく、美しい。 「だから見ない」 そう琥珀は言う。 一度見たその感動を薄れさせたくないのだと、言う。 それも納得できる。 「とま屋の煙がちらりほらり。今はこんなにビルが建ったね……」 だから今では港からジャックたちを見ることはできない。 船乗りたちもさぞ寂しい事だろう。 「帰りは日本大通を通ろうか」 両側に植えられた公孫樹の木。 夏はうっそりと茂って信号が見えなくなるほどの公孫樹も今はもう黄色に色づいて人々の目を楽しませている。 「銀杏、まだかなぁ」 日本大通の公孫樹は雌雄そろって植えられているのか、たくさんの銀杏がなる。毎日通る人は匂いに閉口するらしいけれど、銀杏拾いもまた私たちの散歩の楽しみのひとつだった。 「まだ少し、早い」 「銀杏落ちたら拾いに来ようね、篠原さん」 秋の陽がさやかにゆれた、そんな日だった。 昭和四十三年十月十四日 篠原忍記す |