最果ての島にやってきた。
 北海道、稚内沖にある礼文島である。
 別名を花の島と言うだけあって高山植物の群生で足の踏み場もないほど、美しい。
 稚内からのフェリーがつく香深港からのんびり歩いて三十分と少し。
 桃岩と呼ばれるここが礼文島随一の見所である。
 その名の通り桃のような形の大岩、そして一面の花、また花……。
 北の彼方の一瞬の夏を謳歌する背の低い植物たちが一斉に花開く様は圧巻の一言だった。
「篠原さん、あれ」
 相変わらず同道の琥珀が不意に一点を指差す。
「敦盛草だ」
 正しくは礼文敦盛草、という。片仮名で書く向きが多いが私はこう、漢字で表記する方を好むのであえてそうする。
「咲き残り、かな」
 琥珀の言うとおり敦盛草の時期は過ぎてしまっている。
 そのひっそりと健気な花が咲くのはだいたい六月ほどか。
 七月の初めの今、小さな花が私たちを迎えてくれたのがなにか彼らに歓迎されている様で妙に、嬉しい。
 今を盛りと咲き誇っているのは敦盛草よりもまだなおそっと咲く
「礼文薄雪草だ」
 緑を帯びたようでいてまだなお純白といいうる花弁にうっすらと繊毛が生えている。
 まさに薄雪草、とはいいえて妙。
「薄雪草?」
 聞き覚えのない花の名に琥珀は戸惑い、その可憐な花を探しきれず私にそう問い返した。
「礼文のエーデルワイスなんていう品のない別名のある花さ」
 思わず笑い答えた。
 どうして日本人はどこそこの何々と日本のものに外国の名を冠するのを喜ぶのだろうか。
 我々の祖先たちがあの敦盛を想い「敦盛草」と呼び、うっすらと雪化粧をしたような花を「薄雪草」と呼んだ。
 なんと美しい感性かと驚嘆せずにいられない花々の名、土地の名。
 それをなにゆえにあえて片仮名で呼び、外国の名を冠するのか。
 私たち日本人が愛してやまない桜をあえて「チェリーブロッサム」とは言わないだろうに。
「あぁ、本当に。夏空の下の雪だね」
 琥珀が笑い、指差した。
 その指でひとつふたつと数え始める。
「十三……十五、あれ?六かな」
 少年の頃に帰ったかの明るい笑い声が夏の青い空に吸い込まれていく。
 それを聞いて思った。
 花にとっては名前などどうでもいい事かもしれない、と。
 彼らはただそれだけで美しい。
 いや、美しいという事すらどうでもいいのかもしれない。
 精一杯に生きること、それのみを一途に思う人間の生き様を美しいと感じる、その感情にも似た思いだった。
 柔らかい小鳥の鳴き声を耳にしつつ、ゆったりと散歩をする。
 足元にはたくさんの花々。
 こんな所を歩いていると最北端の島に来たという事を忘れてしまいそうだ。
 突然だが礼文に咲く花はいわゆる高山植物だ。
 だからと言って礼文島が高い山になっているわけでもなく、起伏はあるものの一般的な島である事は間違いない。
 それなのになぜ高山植物が咲くのか。
 なにと言う事はない、答えは簡単だ。
 緯度が高いのだ。
 だから本州では高い山に登らないと見ることのできない花がこうして散歩をしながら愛でる事ができる。
 そうして元地海岸へと歩く途中一人の漁師に会った。
 手にはガラスだまを持っている。
 興味深そうに琥珀を見ているのを知った漁師が愛想のない顔で物珍しいのだろうと言わんばかりに言った。
「漁に使う浮き玉さ」
「ええ、懐かしいな、と思って」
 人懐こい琥珀は彼の手からその浮き玉を受け取りほうっと陽に透かして見惚れている。
 青とも緑ともつかない淡色をしたガラス玉を透かして見ればなにか海の中から空を見上げているようだ。
 ゆらゆら、空が揺らめく。
「懐かしいかね」
 一転してなつこい顔になった漁師がよければ譲ろうかと言う。
 普段はいくらかのお金を取っているようなのだが、琥珀の「懐かしい」という笑い顔がなにか嬉しかったのか。
 着物姿の男二人連れというのもひとつあるのだろうが、琥珀も私も年よりだいぶ若く見えてしまうからどうにも前時代趣味の観光客に見られてしまう。
 はじめ彼の表情が固かったのはどうやらそんな訳だったようだ。
 ひとしきり漁師と琥珀は会話に花を咲かせ、見た目よりもずっしりと重いガラスを手に私たちは彼に別れを告げた。
 元地海岸はメノウ海岸とも呼ばれる。
 波打ち際でメノウの原石が拾えるのだそうだ。
 私たちの目的はそのメノウよりもこの桃岩の裏手になる海岸からの夕陽だ。
 だが幾分まだ時間が早すぎた。
 だからせっかくだから、という琥珀の一言で面白半分に探してみると。
 あったのだ。
 はじめは波打ち際でばかり探していたのだが、なにとなくもっと離れた所を見てみれば、ちょうど男の親指よりも少し小ぶりほどの石があちらにひとつ、こちらにふたつと転がっている。
 なんとも言えないおっとりとしたいい色だ。変な表現かもしれないが、硫黄の白濁した温泉を凝らせたような色、とでも言えばいいか。
 こうして拾えるくらだから宝石、としての価値はほとんどないのだろうが旅の思い出にはちょうどいい。
「篠原さん、ほらこんな大きなのあったよ」
 声を弾ませ今までの石よりふた周りほども大きな石を示すその姿は確かにいい大人には見えず、先ほどの漁師が見たらなんと思うかと思わず苦笑してしまった。
「帰ったら根付にしようかな」
 彫刻できるかなとわずかに首をかしげ、問う。
 昔からメノウは彫刻に適した石と言われて来た。ただこれほど小さなものだとどうなのかわからない。
「腕のいいい人ならきっと大丈夫だよね」
 琥珀は楽観的にそう言い、そして帰郷後「腕のいい人」をちゃんと見つけた。
 薄雪草に細工された小さな根付は時折琥珀の帯に下がっている。

昭和四十二年七月十日     篠原忍記す



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