物書きとして反則は承知の上で少々前回の補足をしたい。

 戦争の話だ。

 私は前回
「あの戦争は侵略ではなかった」
 そう言った。
 それは私たちが与えられてきた教育として間違ってはいない。
 が。
 あれは国際的には紛れもなく「侵略戦争」である。
 それを間違ってはいけない。
 私たちはあの頃
「日本人は優秀でアジアを率いる義務がある」
 そんなような事を教えられたのだ。
 教えられた、それを免罪符にするつもりはない。
 けれども教育は人の根本である。後世の眼で見て間違った事を当時の人間が知る由もなく、おそらく実行者の大半はそれを正しい事、と思っていたのも間違いではない。
 琥珀は言う。
「実行者って言うけどね、篠原さん……」
 彼は戦争中、陸軍幼年学校の生徒だった。幼いながらも軍服を身につけ「神国日本の選良」として教育された人間だった。
「あの頃、間違ってるなんて言えなかったよ」
 哀しげに、言う。
「どんな酷い事をやっても上官には逆らえない」
 逆らったりしたら自分だけじゃない、家族だってどんな目にあうかわからなかった。
「それがあの頃の日本だ」
 彼はため息混じり目を伏せる。
「僕の同窓にもその考え方を当然だと思ってる人間はたくさんいたし、疑ってかかる僕の方がひねくれてるのかもしれない」
 でもね、篠原さん。
 彼は続ける。
「そういう人間こそ、戦後になって軍部の間違いを声高に言ったものだよ」
 たぶん、そうなのだろう。
 人と言うのは弱い生き物だ。
 特に日本人はどうも大きな声に弱いらしい。それにさえ従っていれば安全だと思うのかそれが正しい事だと誤認しているのか……。
 実際に軍部を批判した男がいるとする。
 彼はどうなるだろうか。
 無論、考えるまでもない。
 闇から闇へと消されていく。その意見が正しければ正しいほど、である。
 彼の家族も無事ではいられない。
「非国民」
 というわけのわからないレッテルを貼られ迫害され生活も立ち行かなくなり、そしていつしか消えてしまう。
 また。
 徴兵された青年がここにいるとする。
 彼は上官に人道に反する振る舞いを強要された、とする。
 もしも逆らったらどうなるだろうか。
 半死半生の目に合わされてその上命を失ったとしても
「戦死」
 の一報でことは足りる。
 そうでなくとも新参兵は古参の暴力を甘受するのが当たり前だ、という軍隊だったのだ。

 それが日本の、日本軍のやった事だ。

 残虐非道の侵略戦争。
 事実はこれに違いはあるまい。
 けれどそこにいた人間すべてがその行為を
「是」
 としたわけでは無論ない。
 自分の命、家族の命を守るため鬱々としながら従った人間だってたくさんいたのだ。
 味方、祖国。
 そこから生命を守らなければいけない。
 なんと言う皮肉だろうか。
 また。
 教育によって洗脳された人間を責める事も出来まい。

 大切なのはもう二度とあのような過ちを繰り返さない事。
 誰かの大声に踊らされる事なく、自分の考えを持ち、それを表明したからとて身の危険を感じる事のない世の中にする事。そういう人間である事。
 それも大きな意味での教育である。
 家庭でのしつけも学校での授業も日々の遊びにしても変わりはない。
 きちんと自分の二本の足で、他人に踊らされずに生きた考えを持った大人になるように。

 そんなにも難しい事なのだろうか。

 起こしてしまったものは仕方ない、とまでは言わない。けれど時間は帰らない。
 ならばせめて。
 そこに学ぶ事は出来ないだろうか。
 あの酷さをきちんと子供に教える事。
 もう二度と繰り返してはならないのだ。
 子供は誰に言われるまでもなくきっとそれを理解するだろう。
「人の痛みを思いやれる大人になりなさい」
 そう言われたことはなかっただろうか。
 あの頃やった事を学んだなら少なくとも痛みを知る人間にだけはなれるはずだ。

 私は前回の言葉を翻したのではない。
 私自身あの頃一時的ではあったが
「アジアの盟主」
 を信じた。
 もしも日本が手を差し伸べる事で彼らの暮らしがもっと楽になるなら。
 そう考えた。
 大きな間違いだった。
 私は悔悟する。自分自身の情けなさに涙も出ない。
 けれど前線に送られていった人たちは。
 大方それを信じて行ったのだ。
 戦った人たちの大部分が自分たちのやっている事に疑問を感じ、戦争終結間際には疑問を感じる余地もなくなっていただろうと思う。
 これで彼らは救われるのか、と。
 自分たちこそが侵略者ではないのか、と。
 恐れおののき、そしてこの両手の小さな力ではどうにもできなくなってしまった事体に慄然とし。
「侵略」
 を考えて戦場に立った一般兵士などいないだろう。
 無論私は最初からそういった兵士の話をしていたのだ。
 軍部、の話をしていたのではない。彼らは自業自得で滅びていった。
 そんな人間と戦って死んでいった人間を一緒にして欲しくない。
 そもそも人間とくくりたくさえ、ない。
 
 そういうことだ。




昭和四十四年二月十三日    篠原忍記す



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