クリスマス、である。
 午後から降り出した雪が、はらりはらり、舞う。
 朝から出かけていた私は、対の着物に襟巻きだけ、という軽装を少し、後悔した。
 鳥の柔毛のような軽い、雪。
 風にふわり、舞い上がる。
 さらり、落ちる。
 そして枯れ草がみるみると白に染められ。
 いつのまにか傘の上にもうっすら、積もり始めた。
 甥との待ち合わせに学校の門の前に立てば子供らがはしゃぎ、走りすぎる。
 今日は終業式でもあった。
 ああして駆けていく子供らを待つ家では、やはり暖かな食卓を囲むのだろうか。
 ささやかなご馳走。
ケーキにプレゼント。
 普段は飲まない母親も今日はほんのり、頬染めて。
 あるいは。
 家族皆でおしゃれして、聖なる夜のきらきらと光も美しい町へと出て行くのか。
 それもまた、横浜らしい。
 クリスマス商戦、そう言われ始めて久しいが、それがなんとこの町には似合う事か。
 街路樹に飾られたイルミネーション。
ウィンドウにはまばゆく光が灯り、さまざまなプレゼントが。
 仲睦まじい男女の姿、あるいは微笑ましい家族の、それ。
 街中にあふれかえる。
 そんなものを眺めているのが好きだった。
 けれど。
 妙な所で私に似た甥は人々で騒がしい場所を好まない。
 だから。
 いつか琥珀が望んだように今年も三人で聖夜の食卓を囲もう。
 いつも任せきりですまない、とあちらこちらで言いはするのだが、琥珀の料理の腕は絶品で。
 今日もきっと逃げ出すように家を出た私と甥の帰りを温かい料理で迎えてくれるに違いない。
 私とて手伝う気がないわけではないのだが、家政に長けた彼にしてみると
「用が増える」
 から邪魔だ、というわけだ。
 いつだったか
「猫の手でも借りたいね」
 などと言っているから手伝おうとしたら
「冗談だよ、座ってて」
 と明らかに邪魔者扱いされてしまった。
「篠原さんは猫だから」
 琥珀は笑う。
 忙しい時に猫の手なんぞを借りたら用が増える、そういうことらしい。
 だからそれ以来忙しそうにしている時はおとなしく家を出ることにしていた。
 その点、甥は琥珀のしつけがいいのか本来のものか、琥珀を良く手伝い、腕もなかなかのようだ。
 あれならば将来一人暮らしをしても
「埃だらけの部屋で洗濯物に埋もれて飢え死にする」
 なんて私が琥珀に言われるような目には会わないだろう。
 私とて自分ひとりきりならばやらない事はないのだが、まぁ酷い言われようではある。
 雪が酷くなってきた。
 傘をさしているのにはらはらと肩にも積もる。
 邪険に指先で払えばひやり、冷たい。
 校庭に残る子供らが積もり初めたばかりの雪を掌で集め、不恰好な雪だるまをつくっている。
 またある子は泥まじりの雪玉で雪合戦を。
 それもきっと明日になったらまっさらに白い雪でつくることだろう。
 まだ幼いとばかり思っていた甥も随分大人びて、時折はっとさせられることもある。
 今はまだ雪まみれで遊んでいてもいつしか一人暮らしでもすることだろう。
 その時琥珀の教えている事が役に立つか。
 そうすると私はさしずめ反面教師、とでもいうところか。
 困った事だ。
 それでも。
 こんな私たちは家族、なのだ。
 面映い言葉、だけれど。
 甥を預かる、そう決めた時琥珀は言った。
「不自由させないように、なんて僕は思わないよ」
 と。
 それは琥珀なりの一番の愛情の発露だった。
「けしてこの子は不憫な子なんかじゃない」
 二親から離れて暮らすのはそれはそれで淋しいかもしれないけれど
「でも可哀相なんかじゃない」
 まるで自分が置き忘れられた子供みたいな顔をして、琥珀は言ったのだ。
 琥珀には家族が、いない。
 血縁はみな、先の戦争で死に絶えた。
 だからあの家で暮らす私と甥、それだけが琥珀には「家族」なのだ。
 血縁がいはしてもまた、私も同じように感じている。
 だからきっと、甥もそうなのだろう。
「義兄さん、この子ったら私の顔見ると緊張するのよ」
 弟の嫁は困った顔して、笑った。
 目下の心配は遠からず親元に帰ったときに甥が本来の「家族」になじめるか、だ。
 今からそんな心配をする事もないのかもしれない。
「なじめなかったらウチにいればいい」
 琥珀ならきっとそうやって笑い飛ばす事だろう。
 いつしか子供らの歓声も消えた。
 それはまるで。
遠く空に吸い込まれていったように。
 降りしきる白い雪に溶けていったように。
 雪に願えば溶けて空に還る時、私の願いも共に連れて行ってくれるのだろうか。
 願い、なにを。
 聖夜の雪は人に感傷をもたらすのかもしれない。
 ふと、笑った。
 ぱたぱたぱた。
 軽い音が駆けてくる。
 足音。
「ごめんなさい、待たせちゃって……」
 白い息を弾ませながら甥がそこに立っていた。


昭和四十三年十二月二十四日  篠原忍記す



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