「えー……何だよ、それーー……」

 ディスプレイに映し出された文字の羅列に、コウは思わず声を上げた。
『エロホロテープどんなのが好き?』
「えーーーー……」
 確かに、今の今まで、夢のMSの話だとか、今日の夕食に出てきたミートローフが美味しかったとか、オークリーで流行っている女性歌手の話だとか、そう言ったとてつもなく他愛ない話をしていた。
 だからといって、これは唐突過ぎはしないだろうか。
 他の何を聞かれるより悩んで、コウはゆっくりとキーボードを叩く。
『見たことないよ、そんなの。何でそんなこと聞くんだよ』
 相手は、自分と同い年の青年士官……今も軍籍にあるのかどうかは知らないが……である。
 成人男性向けホロテープ、というものは知っている。キースに何度か上映会と称して誘われたこともある。だが、とてつもなく居たたまれず、映像が始まる前に逃げてしまったことしかない。
 何が映っているのかも知らないわけではないが、映像を見てどうしようというのかも、今ひとつ理解できない。
 実地体験の方が明らかに先行している。
『嘘だろー!? 歳幾つだよー!』
『見たことないってば! 信じてよ。駄目なんだ、そう言うの。もの凄く苦手で。それよりさぁ……僕は、明後日月に行くんだ。もう決めたし、いろいろ整理もついたから。そういう話、させてよ』
 時差の関係で向こうは昼間らしい。こちらはこちらで、就寝直前である。
『いたいけな青少年が困ってるんだ』
『あのさぁ……もう「いたいけ」なんて言わないと思うんだけど、僕達』
『ホロテープなんか要らないよ、僕だって。今一緒にいる若者が求めてるんだ』
『若者?』
『うん。まだ十七だし。月やソラで会ったら気に掛けてやって』
『そっかー…………そういう子なんだ』
『この間会った時に名前だけ言ったかな。本当に、いい子だからさ。弟みたいで』
『分かった』
『月に行っても、メールくらい寄越せよ』
『勿論!』
『じゃあ、僕は今から買い物に行くから、落とすよ』
『ホロテープ?』
『まあね。じゃ、また』
『うん。またね』
 ログアウトが表示され、消える。ログも残らない。
 たったこれだけの繋がりでも、非常に大切なものだった。
 前回会った翌日にはメール添付で送られてきたモバイル用のソフト。無駄失くすっきりと組まれたそのソースに感嘆したものだ。
 それへこちらに合わせたセキュリティを幾つか継ぎ足せば、本当に堅牢で、身許偽称などもお手の物だった。
 パイロットなどではなく……直接の戦闘要員としてではなく、こんな形でだけ参加できるのなら、彼にとってどれ程幸せだっただろう。
 ディスプレイを落とし、部屋の電気も消す。
 ベッドに身を投げて、友の顔を思い浮かべた。
 綿毛の様な髪、自分と対を張るほどの童顔に小柄な身体。
 妙なことを言い出す前の会話の中で、暗にMSに乗っていると言っていた。
 戦える様になってしまったのだ。また。
 似合わないのに。細い腕をして、それに見合った小さな手をして、操縦桿を握って……。
 ここで寝ようとしている自分に焦る。
 駄目だ。戦わなくてはいけない。自分の様な軍人が、ちゃんと。

 シャーロットから戻って直ぐに提出した休暇願は速やかに受理されていた。
 重大な私用で月へ行く。そんな理由であったにも関わらず認められたのは、勢いと、その直前の身内の不幸という名目の休暇、そして、彼女が月にいると言うこと、それで基地指令は納得したらしかった。
 戦闘状態が続いているが、それはティターンズとエゥーゴの戦いであって、基本的には関わりのないこと、というのがスタンスらしい。
 堕落だと唾を吐きかけたい衝動にも駆られたが、コウは何とか飲み込んでいた。
 そのお陰で簡単に抜け出せるのだ。その事に感謝せねばならないくらいの筈だ。
 キースはやはり直ぐには動けないということだった。
 それでいいと思う。
 キースの彼女は地上にいる。それを置いて月までついて来いだなどと、言える立場ではない。
 コウの行動には呆れつつ賛成してくれた。それで十分だ。アムロがいるならカラバもいいかだなどと、言っていた。
 アムロのメールアドレスを渡して、後は任せている。
 もうそれなりに軍の生活が長いので、不要なものはあまり持たない癖が付いていた。荷物も最小限で済む。
 そうして、月へ向かうシャトルの一つにどうにか乗り込むことが出来たのだった。


 辿り着いた月。フォン・ブラウン市。
 中でもとりわけ大きな会社の受付で、彼女を呼び出して貰う。
 現れたニナは本当に嬉しそうだった。
 大事な話がある。今すぐ会いたい。
 そう言われて喜ばない恋人などいない。
 だが、連れ出した公園でコウが話し始めるや、表情は一変した。

 彼女との話し合いは、もうどうしようもなかった。
 泣き崩れる女を慰める言葉もない自分に愕然とする。
「どうして……貴方が戦争なんてしなくちゃいけないのよ!」
「ニナ……でも、君だって、作ってるじゃないか、兵器なんて」
「それは……そうよ。それが仕事だもの。でも!」
「俺だって、これが仕事だ」
「違うでしょう! 貴方の仕事は、」
「もう決めたんだ」
「どうして、そんなに何でも一人で決めちゃうのよ! 貴方が来て、大切な話があるって言うから、私は……私……っ……」
 拳が胸を打ち付ける。ただ、それを受け止めてやることしかできない。
 何を期待していたのか……想像できないわけではない。ただ、今の自分には遠い選択だ。
「……ごめん、ニナ……」
「厭よ、コウ! 私のいない所で死んだりしたら……許さないんだから!!」
「うん。……死なないよ、俺は」
「どうしてそう言いきれるのよ!」
「ニナが待ってくれてるし……俺には、たくさんやらなくちゃいけないことが残ってるから」
「戦争なのよ、これは! 安請け合いしないで頂戴!」
「うん。それでも……俺は、ちゃんと戻ってくるから」
 抱き寄せる。キスをする。
 背中に回された手が震えていた。マニキュアで防備された爪が背を掴んでいるのが分かる。
 ニナを愛しく思う。それは、確かなのだ。ただ今はそれを優先させる時ではない。
 ただ、謝罪の言葉しか出て来なかった。
「……ごめん……っ」
 乾いた音が立つ。
 頬がじんじんと痺れた。
 手を振り下ろした形のまま、ニナは涙を隠すこともなくコウを睨む。
「謝らないで! 止めたって行くんでしょう!? もう、これ以上私が何を言ったって行くんでしょう!? それなのに……謝ったりしないでよ! 貴方は、信じた道しか行けないんでしょう!!」
「あ、ニナっ!!」
「もういいわ、貴方なんて!!」
 思い切り突き放される。
 腕を掴もうとしたが遅かった。
 振り返りもせず全力で走り去る彼女を追いかけることも出来ない。
 ただ、ハイヒールの高い音だけが耳の奥に残った。

 戦いを知っている人だから、余計に許せなかったのだろう。男は馬鹿ばかりだと思ったかも知れない。
 しかし、許しを請うのは戦いが終わってからだ。今、何を言っても受け入れては貰えないだろうし、どれだけ詰られても、コウの決意は揺らがなかった。
 少し落ち着いたらまた連絡を取るしかない。
「…………いてっ……」
 気付けば口の中に血の味がする。頬の内側が少し切れたらしい。
 血の混じる唾液を側の茂みに吐き出して、コウはクワトロから紹介された場所を目指して歩き出した。
 もう立ち止まることは出来ない。

 案内人へ紹介状渡し、部屋へ通される。
「あ……あーーーー!」
 中で迎えてくれたのは、紹介状を書いた本人だった。
 コウの驚いた表情に満足したらしく、楽しげに笑って椅子を勧めてくれる。
 その奥には髭を蓄えた壮年の男性の姿もあったが、クワトロに気を取られ過ぎて視界に入らない。
「えー、もう……何で言ってくれなかったんですかー!」
「すまないな。たまたまタイミングが合っただけだ。君がこの紹介状を持ってくるまで、知りもしなかったのだから。……ブレックス准将、こちらが、先立ってお話ししたことのあるコウ・ウラキ中尉です」
 手で示され、コウは漸くその存在に気が付いた。慌てて敬礼をする。
「コウ・ウラキ中尉であります! クワトロ・バジーナ大尉よりご紹介頂いて参りました!」
 ブレックスはじっくりとコウを眺めると、微笑んで大きく頷く。
「気持ちのいい青年だな。まあ、座りなさい」
「はい! 失礼します」
 エゥーゴは軍ではあるが、コウの知っている空気より少し柔らかい様なのが、この二人の雰囲気から分かる。

「経歴を掻い摘んで頼む」
「はい。地球連邦軍ナイメーヘン士官学校卒後、地上軍オーストラリア方面トリントン基地MS試験中隊所属、後、同軍ノースアメリカ方面オークリー基地MS評価試験中隊に所属していました」
「テストパイロットか。なら、十分だな。階級は中尉……地上軍ということは……宇宙は」
「……ひと月だけ、宇宙軍第三地球軌道艦隊所属索敵攻撃部隊アルビオンに乗艦したことがあります」
 漸く、表情をたいして変えることなくそう言える様になってきた。その様を見てクワトロは目を細める。
 また少し、男の顔になっている。微笑ましく、弟か何かを見守る様な心持ちだった。
「宇宙軍の経験もあり、と。他は、クワトロ大尉のお墨付きなのだな」
「ええ。彼のことは、私と……アムロ・レイが保証します」
「ほほう……それはまた、凄いな」
「友人なのですよ、彼は。それにガンダムへの搭乗経験があります。問題ないでしょう」
「Mk-IIか?」
「いえ。ガンダム試作一号機、それと三号機。アナハイムで製造され、程なく抹消された幻の機体です。彼は、ソロモンの悪夢と一騎打ちをして、生き残ったパイロットですから」
 クワトロの補足に、ブレックスの目の色が変わる。
 一年戦争の激戦の中を生き抜いた人間には、赤い彗星程ではなくとも恐れるに足る名前だ。
「直ぐにも使える人材というわけだな」
「はい。そう考えています」
「結構。コウ・ウラキ中尉。共に戦ってくれることを嬉しく思う」
「ありがとうございます」
 手を差し出される。躊躇うことなく握り返した。
「我々の趣旨に賛同して同士が増えてくれる。頼もしいことだ。なぁ、クワトロ大尉」
「全くです。それで、ウラキ中尉の所属ですが」
 手を離し、ブレックスは髭を撫でた。
「そうだな。アーガマに人手は足りているか」
「何処も人手不足ですよ。だが、MSの搭載上限です」
「ラーディッシュはどうか」
「ラーディッシュも、現在パイロットの頭数は足りています」
「ふむ……勿体ないな。これだけの人材を前線に出せんのは」
「現在建造中のアイリッシュ級が何隻かあります。そちらに搭乗して貰うのがいいかと思いますが、暫くは」
「そうか。……そうだ。この後アーガマへ補給船を出すんだったな。その護衛がいい。戦闘空域だ。戦える人材は多い方がいいだろう」
「どうだね、ウラキ中尉」
「はい! ありがとうございます!」
 小気味よい返事は、アーガマ所属の少年パイロットなどより余程素直で気持ちがいい。
 民間人の割合が増え始めているエゥーゴにとっては、貴重な人材だ。
「クワトロ大尉、ウラキ中尉だが、大尉でどうかな。カミーユを中尉待遇で扱っているのに、彼も同じでは申し訳ないだろう」
「はあ……しかし、エマ中尉もいますし、彼だけ特別というわけにもいかないでしょう」
「実績だよ。これまでの」
「ふむ…………そうだな。エゥーゴ加入前の実戦経験の有無ということなら、彼の方に分はあるかもしれません。……一度私が手合わせしてをしてみましょう。実力で判断を」
「そうだな。……見物だなぁ、それは」
 クワトロに微笑みかけられて、コウは一瞬言葉の意味を見失う。
 クワトロと手合わせ、と、言うことは。

「えっ…………………………ぅえええええーーー!?」
 思わず叫ぶ。
 赤い彗星と手合わせだなどと、考えたこともない。
 それは、命が幾つあっても足りないのではなかろうか。
 あのアムロと互角に戦える人間なのだ、この男は。アムロの操縦を間近で見たから、その事の凄さは一層実感できる。
 興味は、勿論ある。強い人間と戦えるのは嬉しいし楽しい。だが、勝ちたいものがこれ以上増えたら自分はパンクしそうだ。
「安心したまえ。ただのシミュレーターだ。ここで下手にMSを出すわけにはいかんよ」
 にっこり笑うクワトロに何とか食い下がる。
「それでも!!」
「あの、ソロモンの悪夢と戦った……その実力を見せて貰いたいな」
 テストパイロットとしては動かしていたが、戦いがそれとは全く違うものであることは分かっている。
 戦場の熱気をまだ肌に思い出していない。直ぐにあの時程戦える自信はなかった。
 あれは、特殊な環境下で、実力以上のものを出し切った結果だと、分かっている。
「残念だな。せっかくZやメタスが出来上がったというのに」
「仕方ないでしょう。運搬ならともかく、戦えばいろいろと拙い」
「分かっているよ。データは見せて貰いたいな」
「了解です。構わないかな、ウラキ中尉」
「は、はい!」

 連れられた施設の片隅にあるシミュレーターに乗せられる。
 がやがやと人が集まってきていた。
 クワトロが誰かと対戦するのが珍しいのだろう。
 人の目が落ち着かず、コウは何処か頼りない表情で周りを見回した。
「ウラキ中尉、そんな表情をしてくれるな。生身ではないのだから気楽にしていればいい」
「落ち着かないんですよ! 何だか……見せ物みたいで」
「まあ……見せ物なのは確かだろうな。娯楽が少ないのだ。勘弁してやってくれ」
 クワトロは人が集まっているのが面白いらしい。
 人の目に慣れているのは見ていれば分かる。見られている方がよりサービス精神旺盛になるタイプなのだろう。そうでなければわざわざ、真っ赤な軍服にスクリーングラスなどという酔狂な格好をしている筈もない。
 何人かの男達は賭け事を口にしているが、結局全員がクワトロに賭けることになったらしく破談になっていた。
「機体は好きなものを選ぶといい。ティターンズの最新機以外は、大体揃っていると思う」
「ちょっと手慣らしの時間、下さいね」
「ああ。好きなだけ」
 クワトロはスクリーングラスを外し側の男の一人に投げた。男は難なくそれを受け止め、自分の上着のポケットに差す。
 露わになる顔に、一瞬回りが静まった。
 何度か見ていても、コウも慣れない。
 やはり、美し過ぎる人だ。怖い程。
 背筋がすっと寒くなるのを感じた。それと同時に、表情が引き締まる。
 ガトーと同じ、美し過ぎるもの。
 ガトーと同じ、ジオンの軍人。
 ガトーと同じ、エースパイロット。
 かっと頭に血が昇るのが分かる。

 ディスプレイを睨み、グリップを握る。
 ボタンを押すとシミュレーターの中は外界と遮断される。
 最も慣れているジムIIを機体に選んだ。
 ペダルがコウの好みより若干硬いが、困る程ではない。
 深く踏み込むと、ディスプレイの中の画面が急速に動いた。
 全天周囲モニターと同じに作られ、まるで宇宙に浮いている様だ。
 一回りして軽く関節を動かす。
 負けるだろう、恐らく。
 だが、それならそれで一矢なりとも報いなくては性に合わない。
 視界の端に、緑色をした機体が入ってくる。ネモといった筈だ。クワトロの乗機ではないことを知っている。あの男はこんな量産型などには乗らないだろう。嫌みな程にカスタムされた、完璧な自分の機体を持っている筈だ。そしてそれは、ここのデータになら入っている筈。
 それを使わないことに、一層血圧が上がっていく。
『準備が出来たらいつでも声を掛けてくれ』
「分かりました」
 落ち着き払った声さえ癪に障る。
 思っていたより簡単なのに気が付き、その事に驚く。

 自分に火が点くのは、容易い。ガトーのことを思い出して、腹立たしい目にあって、後はただ、グリップを握るだけ。

「お待たせしました。構いませんよ」
『了解した』
 返答と共に、ふ、とネモが視界から消える。
 出遅れた!
 そう思う間もなく横へ避け、視界に入った何かの残骸へ身を寄せる。
 身を掠めるビームライフルの音に、戦慄を覚えた。

 負けた。
 完璧に。
 ガトーに負けた時と同じ程悔しい。
 後もう少しが届かない。
 外からシミュレーターを叩かれている音がする。
『ウラキ中尉、大丈夫か。開けたまえ』
 それでも辛うじてライフルの一発は膝の関節に当てたし、右の腕を切り払ってやりもしたが、それでも気分として完敗に変わりはない。わざと切らせたのが分かるのだ。厭なことに。
 まだ感覚が少し痺れている様な気がした。
 こんなものだっただろうか、戦いというものは。
『ウラキ中尉』
 目の前のコンソールに勢いよく額をぶつける。
 駄目だろう。昇進どころか、中尉待遇も危ういかも知れない。
 深く息を吐く。
 悔しい。しかし、アムロはこれを凌ぐのだ。
 テストパイロットとして模擬戦を繰り返すのと、本物の戦いは、全く違うものなのだ。それを改めて思い知る。
『ウラキ中尉!』
 急に明かりが射した。

「ウラキ中尉!」
 シミュレーターが外から開けられる。
 額をまだコンソールに押しつけていたコウはそこから無理に引き離された。
「大丈夫か。何故返答しない」
「っ……く……離せっ!」
 様子がおかしいと判断して後ろから抱き取ろうとしたクワトロを強く振り払う。こんな時に、安易に触れられたくなどない。
「っ……」
 拳が難なく頤に決まり、クワトロは後ろへ蹌踉めいた。
「っあ…………あ…………」
 手に残る感触で、漸く我に返る。
 自分は今何をした。上官になるだろう人間に。
「も、申し訳ありません!! クワトロ大尉!」
 慌ててシートから立ち上がり、クワトロの様子を確かめる。
 口元を押さえながら半ば蹲っている。大急ぎで抱き起こす。
「済みません、大尉っ、あの、頭に血が昇ってしまって、それで……その、」
「…………構わないよ……ウラキ大尉」
 コウの腕力は、同僚達に比べればそう飛び抜けたものではない。だが、その基準はあくまで軍人として、である。
「あの……痛いですよね……」
「まあな。…………まだ、戦うのは難しいことだったか?」
「いいえ。その……完璧に負けたのが、悔しくて。さすが、赤い、ぅ」
 手が伸び口が塞がれる。
「クワトロ・バジーナだよ、私は」
 こくこくと頷くと手を外してくれる。
「……はい。さすが、大尉です。だけど……また、お願いできますか」
「次は、勝てるかな?」
「勝つまでやります! 付き合って下さいよ!!」
「……私をガトーの代わりにする気でいるな」
「代わりになんて誰もならない!」
 クワトロを支えている手に力が籠もる。
「………………そうか」
「バジーナ大尉だって誰もアムロの代わりになんかならないでしょう!?」
「ああ…………そうだな。……立てるよ、私は。手を離していい。ウラキ大尉」
「はい。…………っ、て、え?? あ、あの、今」
「ウラキ大尉、手を離して構わない」
 優しげな手がそっとコウの手を外す。
「でも、僕は完璧に負けて」
「そういう条件ではなかっただろう。君の実力を確かめる、とそう言っただけだ」
「納得できません!」
「…………変わった子だな、君は。昇級を拒むなどと、聞いたことがない。納得できないなら、私の目を疑っているということになるな。そう受け取っても構わないか?」
「いえ、それは……でも!」
 迷いも澱みもない瞳に気圧される。
 クワトロはそれを受け流す様に苦笑を浮かべ、小さく溜息を吐いた。
 この青年がガトーと同僚だったなら、どれ程気が合ったことだろう。この清冽さは近しい。
「納得できないなら、腕を磨け。シミュレーターはいつでも使って構わないし、宙域次第ではMSでの実習も出来る」
「…………はい」
 まだ納得いかないという顔だったが、コウは渋々頷いた。

 二人してシミュレーターから出ると、途端に囲まれる。
「え、何?」
 口々に何か言っているが、あまりに数が多くてよく分からない。
 楽しげにばしばし背中を叩かれても、どうすればいいのか分からない。
 困ってクワトロを見上げると、さり気なく肩に手を回された。
 そうすると、僅かに人の輪に空間ができる。
「ウラキ大尉が困っている。君達は下がりたまえ。……ウラキ大尉、皆に挨拶を。ここにいるのは皆エゥーゴのメンバーだ」
「はい。……本日よりお世話になります、コウ・ウラキです! 宜しくお願いします!」
 気の利いたことなど言えはしない。形通りの挨拶をし、正しい型で敬礼する。
「彼は大尉として迎える。以上だ。アポリー」
 名を呼んだだけで、横合いからスクリーングラスが差し出される。
 クワトロが宣言し、スクリーングラスを掛けて歩き出してしまえば追い縋れる者などいない。
 肩を抱かれたままのコウも必然的に付いて行くことになる。

 一通り施設の中を引き回され、面通しされる。
 乗機は、取り敢えずネモに決まった。決まったと言うより、それしか余りがない。
「済まないな。君の腕なら、もっといい機体を任せたいのだが、生憎、な。リック・ディアスがじきに上がるから、それまで我慢してくれ」
「いえ。乗って、戦えるなら十分です。……あの、さっきみんな何であんなに騒いでたんですか?」
「君の腕前に感嘆したのだろう。様子は外でスクリーンに映されていたのだろうからな」
「……あんな無様なの、見られたくなかったです」
「そう言うな。君は、私が認める」
 まだ片手触れていた手を振り払って、コウはクワトロを睨んだ。
 形ばかりとは言え、現在は同階級だ。それしきのことは許されるだろう。
「アムロと比べたって仕方ないのは分かるけど……馬鹿にされるのは厭です」
「誰も馬鹿になぞしていない。久々に私も面白かった。君は、中々いい発想をする。実戦ではあまり当たりたくないタイプだ。君がエゥーゴに来てくれて良かったよ」
「最後、わざと腕を取らせた!」
「あの間が欲しかったからな。あれを気に入らないと言われたら、私がやられていた。……私こそ、皆の前に醜態は晒せんよ」
「嘘だ! 貴方はずっと余裕綽々で俺をあしらってた!」
「余裕などないよ。分からない子だな」
「アムロと互角に戦える人が、あんな程度のわけがないでしょう!?」
「…………互角ではないよ。私は、彼に勝ったことがない」
 静かな声に、ぞくりとする程の低さが宿る。
 コウは口を噤んだ。
 居たたまれなくなって周りを見回す。格納庫には、コウが大好きなMSが数並んでいる。
 その中に一際美しい、トリコロールカラーの機体が見える。
 コウの顔が一瞬にして輝いた。

「あ、あれ!! 大尉、あれ、ガンダムですか!? 顔がもの凄いシャープで綺麗なの!」
「ん? あ、ああ……ウラキ大尉、走るな! 転ぶぞ!!」
 叫びながら既に走り出している。
 案の定足を配線に引っかけながらも抜群のバランス感覚で転けずに済む。
 足に取り付いて、見上げながらぐるぐる周りを回り始める様子は、どう見ても子犬だった。……なりは大きいが。

「……ウラキ大尉は、ガンダムが好きなのかな?」
「ガンダムが、じゃなくて、MSが好きです。こういうプロトタイプとかだと、もう、落ち着かなくって!」
「よく分かるな、プロトだと。これから量産するかも知れないだろうに」
「エゥーゴって、そんなにお金持ちですか? これ量産するの、コスト的に無理でしょ? こんなジェネレーター見たことない。凄いな……」
「君がそんなことまでよくチェックしていることの方が凄いと思うよ」
「これ、ガンダムだけどコアブロックシステムじゃないんですね。やっぱりこの方が効率がいいよなぁ。……? これ……足回りとかの駆動がかなり変わってますね。何……? あっ」
 側にランチャーを見つけて、その方にも駆け寄っていく。
「これ、このガンダムのですか? 凄い……単機でこれを扱えるんですか?」
「……余程好きな様だな」
「好きが昂じてパイロットになった様なものだから」
「乗りたいか?」
「それは、勿論! もうテストは終わってるんですか?」
「後は最終調整後運ぶだけだ。パイロットに合わせた設定をするから、もう乗せられないな」
「残念! もの凄く面白そうな機体なのに」
「面白そう、とは?」
「これ、普通のMSじゃないですよね。何だか、関節周りがもの凄く気になるんです。何なんですか?」
「…………よく分かるものだな。これは、可変型MSだ。変形をする」
「変形!?」
 一層コウの目が輝く。
 よくよく好きなのだと分かる。微笑ましい。
「バリュートなく大気圏に突入も出来るし、コストと時間を抑えて移動も出来る。素晴らしい機体なのだが、君が言った通り、コストが掛かりすぎて量産は難しい」
「パイロットは決まっているんですか?」
「ああ。この基本設計をした子がな」
「子……?」
「まだ十七だそうだからな。この前にあったときに話したか。カミーユ・ビダンという」
「ああ……」
 脳裏には、アムロとのホロテープにまつわる会話が思い出される。このMSを設計した子だというなら、仲良くなれそうな気がした。少なくとも、話は合うだろう。
「こんな綺麗なMS、見たことないです。凄くセンスがいい」
「言ってやれば喜ぶ。そろそろアーガマに戻るだろうから、会う機会もあるだろう」
「向こうのも、変形ですか?」
 視線は更に奥に向いている。
 変わった形の黄色い機体があった。
「ああ。このZの変形システムの試作で作ったものだが、勿体ないので武装を付ける。こちらもじき完成だ」
「へぇぇ…………ここで働くのも面白そうだ」
 子供のままの目だ。本当にMSと言うもの自体が好きなら、こんな目をして機体を見るものなのだろう。

 ふと、アムロやカミーユの顔が脳裏を過ぎる。
 あの二人も、戦いの場でなかったならこんな顔をしてMSを見るのだろうか。わざわざハロを細かくカスタマイズする程二人とも機械が好きで、カミーユに至っては趣味で設計までする程だ。
 戦う力を持ってしまったことが、彼らの不幸なのだろう。
 自分には、こんなにも足りていないというのに、自分ではなく、そんなことを望まない人間ばかりが力を増していく。
 コウの顔を見たまま歯を噛み締めたクワトロに、コウは振り返った。

「……どうかしましたか?」
「いや、何でもないよ」
 妙な雰囲気を感じながらもどう言葉にすればいいのか分からず、コウはクワトロを見詰めてみた。
 その瞳の余りに真っ直ぐな様に、クワトロは落ち着かなくなった。
 苦手だ。そんな風に、何の疑いもなく見詰められるのは。
 かつて裏切った者を数々思い出さざるを得ない。
 その目を覆ってしまいたくなるが、その代わりに格納庫を後にすることにした。
 コウが戸惑いながら後ろを付いてくる足音が聞こえる。

「君は、取り敢えずこの部屋を使いたまえ。さっきの……私のグラスを預かった男を覚えているな。アポリー中尉という。彼に君のことは頼んでおこう。君には小隊を一つ任せることになるだろう。正式な人事はこの後ブレックス准将と詰めるから、それまでは自由にしてくれて構わない」
 小さな個室を一つ与えられる。
「直ぐに任務に出ることになるだろうし、その後も乗艦が完成次第そちらに移って貰うから、この部屋で過ごすのもそう長い時間ではないだろう。ゆっくりするといい」
「はい。お忙しいのに、ここまでして貰って、ありがとうございます」
「なに、手間ではないよ。私は君のことが嫌いではないからな。アムロの友人でガトーの好敵手ともなれば、構ってやりたくもなる」
 頭を撫でてやり、部屋を出て行こうとする。
 コウは荷物をベッドへ放り、クワトロの手を取って引き留めた。
「バジーナ大尉は、これからどうするんですか?」
「これから……というのは?」
「貴方がただのパイロットでいちゃいけないと思うんです。エゥーゴの中核は、ブレックス准将お一人なんでしょう? 僕だって、僕なりに調べたんです。入ろうっていう組織のことくらい。だから」
「……そうだな。時が来れば考える。私はこの後、ブレックス准将と共に地球へ降りることが決まっている。会議に同伴させたいのだそうだ。…………君と同じ事を考えていらっしゃるのだろうが……今の私には、まだまだ重い」
「シャア・アズナブル…………それだけではないから?」
「…………そんなに有名な話だっただろうかな」
 茶化す様に肩を竦める。
 コウの顔は、変わらず真剣だった。

「気になったら、出来るだけ調べないと気が済まないんです。……キャスバル・レム・ダイクン」

 ひどく気を使って発せられた名に、クワトロの唇が綻ぶ。
「重い、と言ったろう。せめてシャアまでにしておいてくれ」
 コウの口の前に指を一本立てて塞ぐ。
 スクリーングラス越しにも、クワトロの表情は大体読めた。
「ウラキ大尉、私の居ない間、宇宙を頼む」
「大尉…………勿論です。出来る限りのことはします」
「それでいい。帰ってきたら、また考えるよ」
 もう一度さらさらとしたコウの髪に触れる。
 名残惜しい手触りに目を細め、今度こそクワトロは部屋を出て行った。
 コウは何となく不安になりながら、ただその背を見送った。

 二日後。
 コウはアポリーらと共にアーガマへ向けて出航した。
 その中に年端も行かない少女の姿を見て驚く。
「ファ・ユイリィ軍曹、だっけ」
 名を呼ばれて少女は振り返った。東洋系の名と顔立ちは、何処か親近感を覚える。
 コウに呼ばれたのが分かったのだろう。ぎこちなく慣れない敬礼を返してくる。
「呼びました?」
「あ、ごめん。君みたいな女の子がいるって思ってなかったから、ちょっとびっくりして」
 女の子、という言い方が気に障ったのだろう。ファは軽く眉を寄せる。
「軍人に見えなくて。ごめんね」
「まだ、入隊したばかりですから。でも、これでもシミュレーションはしてます。パイロット候補生ですから」
 張り詰めた様な空気が尚のこと痛々しい。
 見るからに戦いをする子ではない。本来ならハイスクールに行っている様な少女だ。黄色いミニの制服から伸びた足が眩しい。
「そうか……」
 悲しそうな顔になったコウをファは下から覗き込む。丁度、その様な身長差だった。
「変な人」
「どうして、君は戦っているのかなって思って」
 軍人らしくない女の子が戦場にいるのは異常だ。
 ファは困って小さく首を傾げる。
「居場所が欲しいんです。ここに。あたしに出来ることをしたいから、……あたしにはパイロットの素養があるって。だから、それで、訓練を受けて」
「どうしてアーガマに? ここじゃ駄目なのか?」
 戦艦に乗り込むより、まだ月だろうがコロニーだろうが、そうして地に足を着いた気分になれる所の方が余程似つかわしい。
 しかし、ファはきっぱりと言った。
「カミーユの側にいたいんです。アーガマに乗るには、戦えないと」
「カミーユ君……か。その名前ばかり聞くな」
 十七歳の少年。Zガンダムの設計者で、パイロット。アムロはいい子だと言っていた。
「君は、カミーユ君の、恋人?」
「え? あ……どうかしら……分かりません。でも、側にいたいって思いますから」
 補給艦のタラップを踏み、中へ乗り込む。
「側にいたい、か…………」
 ファは並んで歩きながら、この何処か頼りない表情を見せる大尉の事が気になった。

「ウラキ大尉は? お付き合いしてる方とか」
「喧嘩した。思い切り泣かれてしまって。。ここに来るのは、反対だったみたいで」
「ちゃんと話し合ったんですか?」
「話したんだけどね。エゥーゴに行くって。彼女は納得できなかったみたいで。……女の人にとって、男が戦うのは困ることなのかな」
「死んで欲しくないから。戦うって、そう言うことでしょう? だからせめて……知らない所では死んで欲しくなくて、あたしも一緒にいる為に戦おうって思いました。コウ大尉、エゥーゴに行くって話した、って……それじゃあ、彼女さんには相談しなかったってことでしょう? それなら、怒るのも無理ないわ」
 いかにも女の子らしい見解だ。
 ニナには、行く、と告げた。行きたいと考えている、などではなくて、行く、と。
 相談するべきだったのか。今気が付いても遅い。
 大きく溜息を吐き、肩を落とす。
「大丈夫ですか?」
「うん……。だから、上手く行かないのかな、なかなか」
「彼女さんと?」
「気遣いがないってよく怒られてた。もう、今からじゃ遅いかな。でも……今の仕事だったら、またフォン・ブラウンには戻るか。よしっ、今度はちゃんと謝って、最初から説明しなおそう!」
 ぐっと拳を握って宣言したコウに、ファは思わず吹き出す。
「え? 何?」
「変な人」
 笑いを抑えられない。
 しかし、コウの襟章が視界に入り、何とか収めようと努力する。
 この人は、そう見えなくても、大尉なのだ。先日のクワトロとのシミュレーションをファも見ている。
 クワトロが勝ちはしたが、決着が着くまでに三十分もかかっていた。歳より若く見えるし、何処か少し天然で頼りない気もするが、腕はその目でしっかりと見ている。
「え、僕、何かおかしいこと言ったかな」
 大体、一人称が僕というのがアンバランスだ。見た目は軍人にも見えるが、まだどうも学生っぽくも見える。
「いいえ。でも、コウ大尉、大尉なのに……そんなに、立派な軍人さんっぽいのに」
 何だか可愛い人だ。カミーユの様に何処か皮肉屋の男と付き合っていると、この素直さは貴重だと思えてくる。
「彼女さんも、喧嘩しても待っててくれてると思いますよ、きっと」
 こんな人の彼女なら、きっとそれくらいの器量はあるだろう。
 面白い人、とファの中で位置づけられる。
「彼女さんのこと、大切にしてあげた方がいいですよ。女って、怖いんですから」
「君に言われると、何だか可愛いな」
「可愛いのは、大尉だと思います。じゃあ、あたし、待機室向こうですから」
「うん。……ありがとう!」
 にっこり笑って手を振ってくれる。
 クワトロやエマ、ブライトの様な厳めしい軍人しか見ていなかったファには、コウの存在はとても新鮮だった。

 ネモを駆り、哨戒任務に当たる。
 ティターンズの襲撃がいつあるか分からない。一通り互いの航路は読んでいるが、相手からの攻撃などいつあるか分かったものではないのだ。
 周囲を一回りして戻ってくる。
 この宙域は綺麗なものだ。宇宙塵が少ない。コウの腕慣らしを兼ねた程度の哨戒だ。
 ネモは汎用性の高い量産機なだけあって、少し動かすだけでも機体には十分に慣れた。
 なかなか馴染めないのは、全天周囲モニターと宇宙空間というものだ。
 本当に、宇宙には天も地もないことが分かる。以前に乗った機体では頭で理解していてもここまで痛切には感じなかった。
 モニターが足下まであるのがこんなにも不思議な気持ちにさせるとは思いも寄らなかった。
 慣れない感覚が面白い反面、この環境下で戦うことの難しさと恐ろしさをより意識する。
 こんな場所で戦ったのだ。四年も前に。
 緩やかにカーブを描き、もう一周に発とうとする。
 しかし。
「っ」
 突然のアラートが響く。
 緊張が走った。
『B小隊隊長ウラキ大尉、距離5000に敵艦捕捉! 第一戦闘配備、カタパルトへ一時帰投願います』
「了解! B小隊各員、一時帰投!」

『ティターンズの艦隊旗艦ドゴス・ギアがアーガマを捕捉した模様。各員、待機』
「待機だって……くそっ!」
 ネモではまだ届かない。
 補給をしに行く先がなくなっては、こちらとて困る。
『B小隊は待機。A小隊、アポリー中尉Zガンダム、ファ・ユイリィ軍曹スーツキャリアにて中途搬送願います』
 オペレーターの声が遠い。
 あの少女まで出るというのか。
 コウはコンソールに拳を打ち付ける。
 NTだか何だか知らないが、あんな優しげな少女が飛び出して行くべきではない。
 距離から、届くのは飛行形態で宇宙を駆けることの出来るZに限られる。途中までスーツキャリアというのは、推力の節約の為だろう。
 自分で良ければ何時だって出られるが、小隊を任されていてはそれも出来ない。ドゴス・ギアが近いとなれば、何時こちらにも攻撃の目が向くか分からない。
 飛び出していく機体を、ただ見詰めることしかできない。

 補給艦は船速を緩め、様子を見ながら進む。
 この辺りの宇宙は静かだ。
 ドゴス・ギアの目はあくまでアーガマのみに向いている。
 ガンダムは間に合っただろうか。
 ファ・ユイリィ軍曹は。
 生きていて欲しい。顔を知っているというだけで、誰も死んで欲しくない。
 宇宙の孤独が厭わしかった。

『ドゴス・ギア、撤退。戦闘状態解除。アーガマ隊、無事確認しました。これより補給に向かいます。待機各員、解除します』
「損害は!?」
 誰も傷ついていなければいい。
『アーガマ所属リック・ディアス、Mk-II損傷。ネモ二機大破とのことです』
「Zや、スーツキャリアは無事なんですか?」
『はい。被弾していない模様です』
「了解。ありがとう」
 ほっとする。
 しかし、直ぐに頭を振った。大破した機体もあるのだ。喜ぶわけにはいかない。

 接触したアーガマはそれなりの被害を被っていた。補給に加え、暫く同伴して修理を手伝うことにもなる。
 待機を兼ね、コウはアーガマへと招かれた。
「ご無事でしたか、コウ大尉」
「ああ、ユイリィ軍曹。僕こそ、心配してた。こっちには何もなかったから」
 駆け寄ってきてくれるファを可愛らしいと思う。
 年上の女性としか付き合ったことがないので、その存在そのものが新鮮だ。
「ファ、さっきは……あ」
 ファの後ろから追いついてきた少年が、コウを見て立ち止まる。
「お疲れ様です」
 軽く緊張した様子でぎこちなく敬礼され、コウも返した。
 綺麗な顔立ちの男の子だ。ファと並んでいると、まるで姉妹の様に見える。
「カミーユ! アポリー中尉の方は、いいの?」
「マニュアルは貰った。見た後で話を聞こうと思って」
「……カミーユ……君。君かぁ」
 アムロやクワトロが気に掛けている子の名前を聞いて、コウは微笑む。
 実際、この二人の会話する姿は微笑ましい。
「僕が、何か」
「アムロとか、バジーナ大尉が君のことを言っていたから。名前だけ知っていたんだ」
「アムロさんとお知り合いですか?」
 警戒心も露わだったのが、ふわりと解ける。余程アムロを信頼しているのだろう。
 いい子だと言っていた。確かにそう見える。
「ファ、エマ中尉が探してたよ」
「そう。分かった。じゃあ、コウ大尉、また!」
 側のハンドグリップを握り、ファはコウに軽く手を振って去っていく。

「いい子だね」
「ええ。そう思います。あの、貴方、エゥーゴのパイロットの方ですか?」
「うん。ほんの少し前に、エゥーゴに入ったばかりだけど」
「大尉ですか」
「コウ・ウラキ大尉だ。宜しく。カミーユ君」
 屈託もなく手を差し出され、カミーユもその手を取る。
 厭な大人ではないことを、カミーユも直感的に感じていた。
 今まで身近にはいなかったタイプだが、付き合いづらい風ではない。
「ブライト艦長に会われますか? アムロさんの話を、艦長も聞きたいと思います」
「この艦にいるんだ! ブライト・ノア艦長!!」
「ええ。この艦の指揮官です。案内しますよ、ブリッジまで」
「凄いなー。アムロと知り合ったってだけで、凄い人が向こうから来るみたいなものだもんな」
「クワトロ大尉に会ったとか」
「会った会った。ここに来る前にも、月で。地球でも二回も会ったよ。何て言うのかな……凄いな、あの人は。入隊テストで完敗した」
「あの人、それしか取り得がないですから。でも、さっきちょっとだけファから聞いたんですけど……クワトロ大尉とシミュレーターで対戦して、三十分なんて長期戦をやったって」
「言うなぁ、君も。したけどね、三十分。でも、完敗は完敗だ」
「あの人も熱くなりやすいから、ああいうの」
「落ち込んでるときに話しかけるから、殴っちゃったよ、つい」
「あはははははは! それくらいでいいんですよ、あんな人!」
 どちらかといえば取り澄ました様な雰囲気だったのが、一転して大笑いする。
 クワトロを殴ったというのが、面白くて仕方ない様だった。
 十七歳、確かに、ハイスクールへ行っている様な歳の、少年らしい反応だ。
「取り敢えず、休憩室にご案内しましょうか」
「ああ、うん。何か飲みたいな」
「ジュースのサーバーとかマクダニエルの自販機ならあります」
「最新鋭だな」
 そんなお手軽なものが艦に乗っているというのが面白い。
 アルビオンには、ドリンクのサーバーはともかくハンバーガーはなかった様に思った。

「あの、Zガンダムって、君が設計したんだって?」
 ハンバーガーを一つとコーラ、それぞれに手にして休憩室のソファに腰掛ける。
「はい。中は勿論、もっと凄い様にアナハイムの方が作ってくれたみたいですけど」
「見たときに感動した!! あんまり綺麗だったからさ」
 うっとりと言うコウに、カミーユの顔も輝く。自分が込めて設計したものを褒められて悪い気がする筈もない。
 手にしたコーラのストローを唇で弄んで照れを隠す。
「大尉は、お好きなんですか、ああいうもの」
「大好きなんだ! アムロともそれで仲良くなった様なものでさ。それで、あのZの可変システムなんだけど、」
「いいでしょう、あれ。移動の推力節約と、スピードがウェブライダー形態だともう段違いで」
「ああ。凄いね、あれ。それに、もの凄く綺麗だ。シャープで……あんな綺麗な機体、見たことない」
「……そんなに褒められると、恥ずかしいな」
 照れる様が可愛らしい。
「いや、本当にいいな。僕は、ああいうのが大好きだし、整備とか、弄ったりするのとかも大好きなんだけど、どうも図面を引いたりするのは性に合わなくてさ。君とかアムロが羨ましい」
「アムロさんは、本当に凄い人です。一回、引きかけの図面を見せて貰ったけど……本当に、発想が全然違う」
「アムロは……もう、MSに乗れる様になった?」
「はい。それも、本当にもの凄いですね。あんなの見たことない。敵機のランドセルだけ切り離すんですよ、信じられます?」
 アムロに心酔しているのが分かる。
 弟みたいでいい子、そう言ったアムロの言葉が分かる気がした。
 アムロと同じ一人っ子のコウにも、弟の様に思えてくる。
「さすがだなぁ、アムロ。僕も見たかった」
「コウ大尉は、アムロさんとは?」
「一回だけ、テスト機を動かしてるのに同乗したことがある。綺麗で、滑らかで……バレエでも踊ってるみたいだったな」
 繊細なカスタム機。触れる程近くにあった頭。腕の中の小さな身体。
 あれから、もう三年も経ってしまった。
「やっぱり、ブライト艦長に会って下さいよ。多分、喜ぶと思います。アムロさんのこと、いつも気にしてるから。ちょっとブリッジに聞いてみますね」
 壁際に走って行き、受話器を取る。
 コーラを飲みながら、コウはカミーユを少し眺めてみた。
 戦っていい子には、やはり見えない。
 軍人という道を選びそうにはない。アムロと同じで。そんな戦争は、やはり間違っていると思った。
 エゥーゴ、ティターンズ、どちらに与するかはともかくも、確かに軍人がただ燻っていていい状況ではない。
 アムロも、早く宇宙に上がって来られたらいい。そう思う。
 子供を戦わせるくらいなら、まだ……軍に組み込まれてしまったアムロが戦う方が、まだしも道理に適っている。
「今なら少し空いているそうです。ブリッジに行きましょう」
「ああ。ありがとう」

 本物だ。写真で見たのと同じ顔がある。
 コウは緊張しながら敬礼した。
 ガンダムに憧れてMS乗りを目指した程である。WBについては雑誌や本で何度も見た。教科書にだって載っていた。ブライトは、丁度自分がガトーと戦ったのと同い年で、WB一隻を任され、戦い抜いた筈だ。
 自分だったら、などとは恐ろしくて考えたくもない。戦略、戦術、共に指揮系の成績は、正直言って全く自信がなかった。紙の上での成績はそこまで特徴的ではなかったものの、実戦の時の自分の読みの浅はかさは痛感している。
「近頃エゥーゴに参加させて頂きました、コウ・ウラキ大尉であります。お会いできて光栄です、ブライト・ノア、大佐」
 襟章を確かめて挨拶する。
 ブライトはコウへ手を差し出した。握手を交わす。
「ようこそ、エゥーゴへ。そして、アーガマへ。生憎今は何の構いも出来ないが、補給が済むまでゆっくりしてくれていい」
「はい! お気遣いありがとうございます。この船、ペガサス級のリファインなんですか? 凄くいい船ですね」
「君は、ペガサス級を知っているのか?」
「はい。ひと月だけ、乗艦経験があります。ペガサス級七番艦アルビオンに」
「……名前だけ、聞き覚えがあるな」
「いい船でした」
「そうか」
 深くは聞かない。言い方に含みがあったのが分かる。

「君は……アムロを知っているとか」
 先のカミーユの通信で聞いている。
「はい。友人です」
「友人……」
 意外そうな顔で見詰められる。確かに、アムロのことをよく知っている人だと言うことが分かった。
 アムロを知っていれば、友人という存在が大変面白いことに気が付くだろう。
「あいつに……そうか、友人か……」
 嬉しげに微笑む。
「あいつは……まだ宇宙は無理なのか」
「今はまだ、時じゃないと」
「そうか。……顔くらい、見たいものだが」
 ひどく懐かしんでいる。
 会いたいのだろう。大切な仲間なのは、見ていれば分かる。
「地球で、ハヤトと行動していると聞いた。上手く行っている様なのかな?」
「それは、カミーユ君の方が知っていると思いますが……特には聞いていません」
「仲良さそうでしたよ、ハヤト館長と、アムロさん」
 後ろで二人を眺めていたカミーユが口を挟む。
「そうか。まあ、そうだな。二人とも、大人になったのだから」
「仲、悪かったんですか?」
「悪いというかな……ハヤトもあれで、案外負けん気が強かったから、アムロに突っかかっていくことも多かった。アムロもあれでかなり我が強くて偏屈だったしな。そう言うより、仲のいいメンバーというのは、いなかったというのが正しいか。みんな衝突を繰り返して、大切な人を失って、成長して……大人になった。懐かしいものだ」
 表情が柔らかい。
 僅か三ヶ月でも、二度と崩れることがない堅固な絆が刻まれるだけの過酷な日々であったのは想像に難くなかった。
「アムロさん、優しそうでいい人だと思いましたけど」
「……七年で、丸くなったんだろう。あいつにも、いろいろあっただろうから」
 偏屈、というのは、確かにコウにも分かる。アムロの第一印象は、変で、むかつく男だった。話してみれば、趣味が近い所為もあってそれ程でもなかったが。
「君は知っているのか? 七年、アムロに何があったのか。シャイアンに幽閉されていたことは知っているが……こちらからは会いに行くことも出来なかった」
「ほんの、少しは……」
「教えて貰えないか」
「ええと……」
 アムロの悲鳴は覚えている。だが、その悲痛さを覚えているからこそ、こんな人の多い所で不用意に口にしたくない。
 戸惑うコウに、ブライトはオペレーター席へ声を掛けた。
「暫く外す。トーレス、この場を頼む」
「了解です」
「大尉、私の部屋へ来てくれ」
「はい」

 艦長室へ、何故かカミーユまでついてくる。
 ブライトは追い返しはしなかった。カミーユがアムロに懐いたことは分かる。後であれこれ聞かれるより、一緒に聞かせた方が楽だと判断したのだろう。
「済まないな。君も休みたいだろうに。何か飲むか?」
「いいえ。自分は、戦闘に出ていません。飲み物は先程頂きました」
「そうか。……それで、アムロは」
 勧められた椅子に座る。どう答えたものかに悩んだ。一部、伏せた方がいい単語もあった様に思う。
「戦争が終わって、英雄と祭り上げられて……そこまでは、ご一緒だったんですよね?」
「ああ…………アムロは軍を辞めてホビー屋かジャンク屋にでもなると思っていた。まだ、たった十六だったしな」
「ニュータイプ研究所で、人体実験をされたそうです。廃人寸前になるまで薬物を投与されたり、頭の中に直接電極を埋められたりもしたって。あとは……虐待があったと」
 全員の顔が曇る。
 事にカミーユは、フォウとアムロの顔を交互に思い出していた。綺麗な顔が苦痛に歪む。
 アムロは恐らく、自分にも責任を感じていたのだろう。自分のデータを元に少女達が強化されたのだと。
 そう思うと泣きそうになる。
「初めて会った時は、本当にMSに乗るのを厭がってた。気分が悪くなるとか、酷いと気絶するって言ってました。僕と一緒なら、乗れたんですけど」
「初めて会ったのは、何時」
「二十の夏です。僕も、アムロも。ニュータイプ研究所からシャイアンに移ってからは、実験はなくなったって聞いたけど。でも……ずっと監視が付いている様で」
 ぼすっ、と鈍い音がする。カミーユが椅子の座面を強く殴りつけていた。
「とんでもない奴らだな」
 低い唸る様な声は、大人二人の心も代弁している。
 カミーユにとってはそれだけではない。あんなにも感覚の鋭い人間が四六時中見張られていたら……並の人間なら精神が持たない。それが痛切に分かる。

「今は、無事なんだったな、カミーユ」
「はい。凄い人です。本当に。お世話になりました」
「メールやメッセンジャーで下らない話をしています。ホント、口を開くと機械の話ばっかりなんだけど。楽しいです。アムロも喜んでくれているといいんですけど」
「もの凄く楽しそうでしたよ。その……ホンコンで、少しだけ、コウ大尉とのメッセンジャー見せて貰ったけど」
「そっか。良かった。ああ……そういえば、あの時、」
「わーーーっ! 言わないで下さいよ!! あれは土産であって、僕のじゃないです!!」
 カミーユは冷やかす風でもなくコウが口にしかけたモノを慌てて掻き消す。
 ブライトは首を傾げ、コウは何処か赤面していた。
「何だ?」
「何でもありません!! アムロさんとコウ大尉はとても仲良しそうでした!!」
「…………そうか。あいつに、仲良し、なぁ…………」
 ブライトは、軽く目頭に指を当てた。
 後悔がある。
 無理に戦わせ続けなければ、アムロもあれ程までには覚醒しなかったのかも知れないだとか。そういったことを考えもしないには、ブライトは生真面目で思慮深過ぎた。
 こんな艦長の下で働けるなら幸せだろう。
 コウはそう思ったが、この艦に優れたパイロットが集まっているのも分かる。
 自分をクワトロが認めて、かつ別の艦へ乗ることを勧めるなら、我が儘は言えない。アルビオン搭乗時に出くわしたかの紛争の様に、戦力を集中させて勝てる様な戦いではない。あの時とは、相手の戦力が段違いだ。
 この艦に於けるクワトロの様な役割を、恐らく期待されているのだろうと悟っていた。

 会話がふと途切れた所へ通信が入る。
『補給物資搬入終わりました。続いて確認に移ります。搬入デッキで立ち会いをお願いします』
「了解した。直ぐに行く」
 応えて通信が切れた後、ブライトは長い溜息を吐いた。
 やがて、コウを見る。
「君にいて貰えたら頼りがいがありそうなのだが、無理なのだろうな」
「一緒にいてくれたら凄くいいのに。クワトロ大尉と三十分も戦える人なんて、そうざらにはいません」
 カミーユも口を挟む。
 まだ若いとは言え、戦いが歳ではないことを十分によく分かっているブライトは、軍人としてしっかりしていると見えるコウに親近感を覚えていた。
 クワトロやエマはともかくも、正式に士官学校で訓練を受けた人間が少な過ぎるのがブライトの悩みの種だ。自然、指揮を出来る人間が限られてくるのは、辛いものがある。
 WB時代を思えばこの程度の苦労、何とかなるのは分かっているが、面倒なのは確かなのだ。
 コウはコウで、同じ様なことを考えていたブライトが嬉しかった。
「光栄です。しかし自分は、建造中のアイリッシュ級に所属が決まっています。現在は、補給艦の護衛を」
「そうか。クワトロ大尉と三十分。それは、凄い。……しかし……そうだな。残念だ。補給艦を守ってくれるのは、何より大切な任務だ。無理は言えない。アーガマ隊にばかり戦力を集中させても、困るか」
「また、参ります。アーガマに、敵の目は集中していると伺いました」
「ああ。……お互いに、無事ならいいな」
 何処か通じるものを感じて、微笑み合う。
 士官学校卒業直後の教導中に戦闘に巻き込まれた辺りは、そう言えば近しいのかも知れなかった。
「お邪魔しました。物資の確認に」
「ああ。こちらこそ、アムロのことを話してくれてありがとう。これからも、いい友人でいてやってくれ」
 何処か父親の様に言う。
 コウはにっこり笑って大きく頷いた。
 コウの笑顔は清々しく心地がいい。
「勿論です! 僕は、アムロのことが大好きですから」
「あいつがなぁ……こんなに人に好かれるとは思ってなかったよ」
「いい奴です。だから、僕は先に宇宙に上がってきた。アムロが、僕と一緒なら宇宙にも来られるかも知れないって言ってくれたから」
「頼もしいな。君がアムロを引き寄せてくれるなら、期待していよう」
「はい」
 トーレスがやきもきしているだろう想像がついて、ブライトは漸く立ち上がった。
 もう一度、コウに握手を求める。
 コウも立ち、強くブライトの手を握った。互いの手は力強く、温かだった。


作  蒼下 綸

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