籠の中の鳥が逃げました。
 けれど、そんなに高くは、まだ飛べない。
 この地上で、もう一度、会いたい。
 運が良ければ会えるかな。

 0087.5.24。北米、オークリー基地。
 休息時間に入り習慣でメールチェックを始めたそのディスプレイに、映し出されたのは、詩の様な一節。
 感傷的だが、それは、暗号とも呼べない稚拙な文章だった。
 差出人は、一見すればただのSPAMに見えただろう。ヘッダからも辿れない、そんなメールだ。

 自室のPCからそのWEBメールを見て、コウ・ウラキ中尉は暫しディスプレイに魅入った後、キーボードを叩く。。
『僕は自由になった。だから、鳥を捕まえに行けるよ。何時だって。高く飛び上がってしまう前に、捕まえてしまいたい。もう、我慢が出来ないから、部屋を飛び出してしまおう。』
 幾つかのソフトを走らせて、送信。
 転送を繰り返している筈だ。届いただろうか。少し待っても宛て所不明で戻ってはこない。
 その代わり、返信があった。
『To K
 27.May A.M
 金持ちのシャーロットが会いたがってる。
 鳥が君を見つけるから。
 From.A』
 簡潔だが、隠すことのないメッセージだった。
 送信元はまだ隠されていたが、こんな内容を送ることが出来ると言うこと。
 その事に、コウは深い感慨を覚えていた。

「キース! キースっ!!」
 PCを落とし、キーロックを掛けると、隣室の友人の元へと押しかける。
 この基地へ来て四年、配置換えになっていないのは奇跡に近い。
 いや、おそらくは見せしめなのだろう。服役より、懲罰房より、あの大地に突き刺さるものを毎日眺める方が余程に辛い。
「……何だよー、コウ……昼寝くらいさせろって」
「メールが来たんだ」
「誰から」
「自由になったって!! 僕、今から親戚殺すから」
「はぁ!? 何言ってんだ、お前」
「忌引きで休暇申請だ!」
「…………何処に行こうって言うんだよ」
「東さ! キースも行くか?」
「…………話が見えないんだけど」
 コウはそれはもう満面に笑みを浮かべて、キースの耳元に顔を寄せた。
「……アムロが逃げた。えっと……シャーロットで、会う。」
 コウにとて、小声で話をすることくらいは出来た。アムロの状況がはっきりと分かっているわけではない。
 世情がどうしようもなく悪化しているのは分かっていた。今、この状況で、ティターンズがアムロを野放しにするわけがない。
 初めのメールで「逃げた」と言っていた。なら、誰かに聞かれるのが拙いことくらいは分かっている。

 コウ自身への監視は、もう疾うに緩んでいた。むしろ、最早無関心の様だった。
 友人や彼女へメールを送る他に、全て軍へ恭順して見せた結果でもある。
 コウに近しい所にいる人々はそう厭なものではなかったし、ティターンズが嫌いとはいえ、旧アルビオンクルーでティターンズに入った人間とも、細々ながら親交が続いていたこともあったのだろう。更には、家柄も軍には関わりがないとは言え悪いものではなかったし、士官学校時代の成績表や人物評も、コウに悪く働くものではなかった。
 出所後の形式だったのだろうと、今なら何となく理解できる。
 だから、今のコウには、少しばかりの休暇を……理由をでっち上げれば、取れないものではなかった。

 キースは、コウの囁きを、唖然として聞いていた。
 思いもかけないことだった。
 コウがまだ、アムロとたまのメールを交わしていることは知っていたが、しかし。
「シャーロット……ノースカロライナのか?……やばいんじゃないのか? それ、本当に……あの人か?」
「……分からない。だけど、たまに来てたメールと同じ感じに身元不詳だったし。危なくても、それでも、行く。向こうから僕を見つけるって言ってるし」
「厭だぜ、見つけられた途端にズドン、とか」
 撃つ真似をしてみせる。
 コウは、苦笑した。
「どのみち、僕はよく我慢したと思うよ」
「…………ああ」
 全くだ。
 コウは、アムロと出会ってから、少しずつ変わった。
 大人になったのだと思う。年を取るというものは、そういう事なのだろう。

「止めても、行くから」
「分かったよ。止めない。だけど、俺は行かない」
 それは、想像していたのだろう。コウはまったく大人びた表情のまま、深く頷いた。
「帰って来いよ」
「ああ。それはね。帰ってくると思う。その後どうするかは、それからの事だから」
「俺も、それから決める。とにかく、確かめたいんだろ? なら、止めないさ」
 拳を差し出すと、軽く打ち付けてくる。
「じゃあな」
「うん。6月になる前には、帰れると思うから」
「無事でな」
「勿論!」

 コウは嘘を吐くのが苦手だ。
 だが、そのしどろもどろな感じが却って真実味を増したのだろう。
 突然の申請にも、案外、すんなりと休暇の許可は下りた。
 遠縁の伯母が危篤……とは、自分でも良く言ったものだと思う。
 監視が付くのかどうか……それが心配でならなかったが、基地指令の様子などから、それを伺う事は出来ない。
 賭けてみるしかない。
 それでも、ともあれ、駆けつけなくてはならないと思った。例え、そのまま出奔しなくてはならなかったとしても。
 三年前に交わした遺書と銀の指輪の入った小さな袋を引っ掴み、コウは基地を飛び出した。

 そして、五月二十七日。

 初めての街。
 シャーロットシティは、金融と商業の盛んな地域で、観光客はともかくも、人の出入りの多い地域でもあった。
 確かに、お互い気を使う立場ではあるので、誂え向きといえば、そうなのだろう。
 その中で、コウなりに考えて繁華街へ出向く。

 街角のキオスクでコーラの瓶を買い、片手にしながら仕方なく街中をうろつく。
 カジュアルも行き過ぎずお坊ちゃんらしい格好でショーウィンドゥを覗く姿は、本当にただの青年で、街の風景に融け込み過ぎて相手が見つけてくれるものとも思えなかった。
 思えば、こんな小旅行の様な休暇など、たまに彼女に会いに月へ行く程度で殆どなかった。
 アムロの方から見つけてくれるというなら、今日一日、街中をぶらついているしかないのだろう。
 それなりに楽しむしかないのだろう。
 時が来て、会えなければ、自分は帰るだけだ。

 日当たりの良い公園のベンチで、ハンバーガーを片手に一休みする。
 時間はまだギリギリ午前だ。
「……本当に……会えるのかな…………」
 本当に、あのメールはアムロだったのだろうか。
 ハンバーガーを全部口に押し込み紙くずを近い屑籠へと投げ込む。
 外さなかった事に満足しながらコーラの最後の一口で口の中のものを流し込み、瓶を無造作に片手にしたまま背をベンチに預ける。
 うんと頭を仰け反らせた。天気が良い。気候はそろそろ夏にも近く、暑くて眩しかった。
 まだぎらぎらとした輝きはなかったが、暑い。
 アムロに初めて会ったあの時も、暑かった。
 力の失せた手から、瓶が転がり落ちる。それは、割れることなく地面を転がった。
 溜息が零れる。
 しかし、コウの倫理観はゴミをそのままにする様にも出来ていない。
 緩慢に身体を起こして、瓶を拾おうと身を屈めた。

 と。
 ふと影が差し、誰かが先にその瓶を拾う。

「あ……すみません」
「……ここは、ゴミ箱じゃないよ」

 柔らかな声。
 響きと耳当たりの良い、優しい声音。

「あ…………」
 顔を上げる。
 日差しが邪魔で、顔が陰になっていた。だが。

「ああ……」
「お待たせ、コウ」
 深くキャップを被り、コウと同じような……何処にでもいる青年の格好をしている。
 赤茶けた癖毛は見えなくても、それは、確かに、三年ぶりに会う友人だった。

「良かった……会えて……」
 お互いに、見た目はそれ程変わっていない。最初で最後に会った、三年近くも前から。見た目も、それから中身も、それ程大人びられないでいた。
 その事に安堵もし、また僅かな寂しさを覚えずにはいられない。
 三年前と変わらない、何処か厭世的な微笑を浮かべて、アムロはコウの前に立っている。
 背も記憶と変わらず……だが、また少し窶れた様に見える。
「痩せた?」
「……かな。元々食べる方でもないしね」
 コウから見ればひどく薄い肩を竦める。
「よく……出られたな」
「ああ…………でも、ちょっと時間が掛かったし、それでも……今も、時間が足りない。付き合ってくれるか。ここは人が多いから」
「ああ。…………ああ!」
 コウは立ち上がり、がばっとアムロに抱きついた。
 込み上げるものがあり、そのまま暫くアムロを抱き締める。
 アムロも抗いはせず、暫く経って、ぽんぽんとコウの背をあやす様に軽く叩いた。
「僕も、嬉しい。だけど……僕達は、お互いに、軍内だと有名人だから」
「僕はアムロ程じゃないけどね。…………行こう。知ってる店でもあるのか?」
「知り合いがね。ちょっと、下町になるらしいけど。僕もこの街は初めてだから、迷うかも」
「僕は大丈夫だけど、危なくないか?」
「いざとなったらボディーガードがいるから大丈夫だ。それに、コウだって守ってくれるだろ?」
 微笑みは、まだ、何処か寂しく見えた。

 手を引かれ、繁華街の路地へと入り込む。
 アムロの足に澱みはなかった。
 複雑な通りを立ち止まることなく、左右へ曲がり、一人が通るのがやっとの路地を抜け……それでも、繋いだ手は離せなかった。
 幾度目かの角を曲がったその先に、目指す扉はあった。

「ごめん下さい」
 入り口は、バーの扉に見える。だが、まだ空いている時間でもないだろう。
 アムロは薄く扉を開け、顔だけ中に突っ込んだ。
 きょろきょろと店内を見回し、もう少し扉を開ける。
 奥の暗がりから、声が掛かる。
「遅かったな」
「……仕方ないだろ。貴方と一緒だと悪目立ちするんだから。迷わず来られただけでも、褒めて欲しいな」
 肩を竦めながらそう言って、コウを中に引き込み慎重にドアを閉める。電子キーを掛けるとは、念の入った事だった。
「……ふぅ。ペリエ、ある? 外、暑い」
「あるよ。ライムか?」
「いや、普通のがいい。コウは? 何か」
「ぼ、僕も、同じので……」
 バーの中には、その奥にいる男と、アムロと、コウの三人しかいない様だった。
 アムロは迷わず奥のカウンターに座る。手を引かれたままのコウも、それに従いその隣に座った。
「…………君は……」
「え?」
 男の声がひどく不思議な気がして、改めてカウンターの向こうを見る。

「あ…………あれ? 何処かで……お会いしました?」
 暗い室内でサングラスを掛けている姿は異様だが、その下の、髪や整った鼻や口元、そして、何より声に聞き覚えがある気がする。
「コウ・ウラキ……今も、まだ少尉かな?」
「いいえ。中尉になりました。ええと……」
「アムロ、君が会いたがった友人とは、ウラキ中尉の事だったのか」
 男はそこで、サングラスを外した。
 美しい顔が露わになる。
 甘く整い過ぎた感のある顔立ちに、鋭いアイスブルーの瞳。額に傷。
 こうまで分かりやすい程の美貌を忘れようとしても、忘れられるものではない。
「あ…………ああっ! エゥーゴの、バジーナ大尉……? え? ええと……何で? アムロ、エゥーゴに入ったのか??」
「違うよ。繋がりがないわけではないけどね。……それより、何で貴方がコウの事を知ってるんだよ」
 冷えたペリエの瓶に直接口を付けながら、アムロはクワトロ・バジーナを睨む。
「一度ね、振られたのだよ。せっかくのクリスマスに……それなりに力を注いで口説いたのだけどね」
「そりゃあ、正解だよ、コウ。こんなのと付き合ったら、人生最悪だから。彼女は、元気か?」
「ああ。今は、月に。暫く帰って来てないけど、たまに会いに行くから」
「そっか……いいな。彼女とか。俺も誰かいればいいんだけど」
 ペリエの小瓶を半分程飲んで、テーブルに置く。空かさず、クラッカーにクリームチーズとカットフルーツを乗せたものが出された。
 礼の一つも言わずアムロは一つ摘んで口に銜え、残りをコウの方へ押す。

「本当に……まだ、ちょっと信じられない。アムロにこんな風にして会えるなんて」
「僕もだ。……背中を後押ししてくれる人がいたからね。だから……やっと、逃げ出せた。だけど……いろいろ、まだ複雑かな。それでもね、抜け出せたら、まずコウやキースに会いたいって思ったんだ。だから、無理させて貰った。今日の夕方までしか、時間はないんだけど。キースは?」
「ごめん。あのメール、僕には確証があったんだけど」
「ううん。いいんだ。そのうちきっと会えるだろうから」
 アムロがペリエを飲み干すのと同時に、クワトロがグラスを差し出す。
 薄切りのレモンを縁に掛けているが、アルコールではないのだろう。
 クワトロは、妙に気の付く男である様だった。

「僕はね、カラバで活動する。多分、暫くは。まだ宙には上がれそうにもないけど……今、動かなくてはいけない事は、分かるから。カラバなら、ハヤトもいるし、カイさんなんかも、たまに顔出してくれるみたいだし」
「ハヤトさんにカイさん……それって、元WBの? 雑誌で名前を見た事がある」
「エゥーゴにも、ブライトがいるけどね」
「ホント? 凄い……勢揃いだ」
 グラスに刺さったストローに口を付ける。その癖毛を、何故かクワトロが撫でている。アムロは振り払いもしない。
「だけど、僕は……軍人ってものから、暫く離れたいんだろうな、きっと。だから、エゥーゴではなくて、カラバに。エゥーゴは、連邦軍内から発足した機関だから」
 コウは、二人を眺めながらも、何の疑問も抱かなかった。
「どっちも名前と、活動は聞いてる。エゥーゴについては、昔バジーナ大尉からも聞いたし」
「勧誘しに行ったんだな、わざわざ。コウを引きずり出そうとするなんて、貴方、酷いよ。僕を引っ張り出すより酷い」
 漸く、クワトロの手を振り払って睨む。
 クワトロは軽く肩を竦めた。
「私は、元より星の屑を知っていた。実行前からね。私には、MAを寄越してやる程の事しか出来なかったが。……その完遂を最後まで阻止しようとした人間がいるとなれば、気にもなるさ。それが、ティターンズに入りもせず、連邦の、片田舎で燻っているともすれば尚更な。彼の話を聞いて尚のこと、エゥーゴに入る事を勧めたのだけどね。振られた。私の誘いを無下に断ったのは、君達二人だけだよ」
「七年も前の話をするなよ。今は敵対しないって言ってるんだ。コウがいいパイロットだって分かったっていう事に関しては、貴方の目を認めるけど」
 アムロを無視し、クワトロはコウを見詰めた。
「こういう言い方はしたくなかったので、以前には避けたのだ。あの時には、まだ危急に迫っていなかったしな。君が、私の事を覚えていてくれたなら、いずれ来てくれると信じていた。……だが、最早時間がない。ティターンズもなりふり構わなくなっている。……先日、五月十一日に、ジャブローで核爆発があったのを知っているか」
「ええ…………エゥーゴが核攻撃をしたって。その前に、ジャブローは引っ越して、被害は最小限だったって聞きましたけど」
「そんなに都合良く引っ越しなど。核を使ったのは、ティターンズだ。我々エゥーゴは地球を守りたいという考えから組織された面が強い。核などを使っては、堪ったものではない」
 コウは、納得したと言わんばかりに、何度も頷く。
「ああ………………そう言う事ですか。……貴方がいたことを知ってるから、どうも、おかしいと思ったんです。貴方は凄く偉い人に見えたし、地球を休ませなければならないって言った人が、そんな作戦許すわけないって」
「これから、益々私には君の力が必要となるだろう。だから、聞いてくれたまえ。君のことも、もう一度勧誘したい。二度目には、ともかくアムロはついてきてくれたから、君にも期待したいのだがな」
 薄暗い光の中でも、澄んだ青い瞳はその色と輝きを失わなかった。
 コウは緊張して、言葉の続きを待つ。

「…………アナベル・ガトーを追いたいのだろう、ウラキ中尉?」

「っっ!?」
 コウは発せられた名前に硬直し、目を見開いてクワトロを見詰めた。
 言われた意味が分からない。
 前回には、そんなことなど言われなかったと思う。
「昔、話を聞いた時には、私もまだ言える事ではなかった。……彼は、死んだ。死んだ者をただ一人で追うのには、多大な犠牲と力がいる。追いついたのかも、まだ遙か遠いのかも、自分の中にしか基準がないのだからね。だが……私と共に来てくれれば、私は、君が彼に追いついたのか、追い越したのか、はたまた、まだ手の届く所にさえいないのか、教えて上げられるだろう」
「貴方ねぇ! いい加減に……っ」
 アムロの口を片手で塞ぎ、コウに顔を近づける。
「……なっ…………んで…………」
 コウは喘ぐ様にそれだけ何とか吐き出した。
 何故、この男ならば、それを教えてくれるというのだろう。
「私は、ガトーを知っている。恐らく、君よりは、ずっと」
 アムロを抑えながらコウの耳元で囁く。
 少しハスキーな声で。
 脳髄が痺れる様な感覚に、コウは泣き出しそうに顔を歪める。
「私はね、かつて、ガトーの同僚だったのだ。そして彼の事を気に入っていた。私にはとても真似できない、実に実直で雪の様に真っ白な男だったから」
 息が出来ない。
 死にそうだ。こんな事で、死ねるものなら。
「彼は、私が彼の名を持ち出す事をよしとしないだろう。だが、私は、君が欲しい」
 ゆっくりと、耳殻に注ぎ込まれる毒が、コウの全身へと巡っていく。
 この男は何を言っているのか。

「っう、」
 クワトロが小さく呻いた。
 はっと現実に引き戻されるや、隣から伸びた腕がコウを抱き寄せる。
「コウ! こんな男の言い草なんて、聞くんじゃない!!」
 手を噛んだのだろう。指を押さえ、クワトロは苦笑している。
「貴方、自分がどれだけ残酷な事をしているのか、」
「分かっているよ。だが、使える人材というのは一人でも多いに越した事はないのだ」
「貴方や僕がララァを追うよりずっと辛いんだって、何で分からないんだ!!」
 ヒステリックなアムロに対して、クワトロは何処までも冷静だった。
「……分かっていると言っている。だが、彼には、まだ術がある。死んだ者の代わりは誰にも出来ない。だが、ただ……私達はそばにいて欲しいだけで、分かり合いたいだけで、ララァの魂の行方さえ分かれば、きっと……解放される筈だ。ウラキ中尉の追うものは、違う。勝たねばならないものだ。乗り越えねばならないものだ。私なら、彼を導いてあげられると、そう言っているのだ」
 さり気なくアムロの手をコウから引き離す。
 クワトロはカウンターを回り、二人の背後に立った。
「…………どうして…………っ…………」
 もう、コウは殆ど泣き声だった。
 あともう少しガトーの話をされたら、呆気なく自分は頽れてしまいそうな気がする。
「アムロには、きっと分からないだろう。だが、私なら……きっと、君の気持ちがより多く理解できると思う。私にアムロがいるのと同じに、君には、ガトーがいるのだろうから」
「……貴方にとってのアムロが、ガトー……?」
 最早、声が潤みきっている。
 アムロは毒の様なクワトロの声を聞きたくなく、耳を塞いでカウンターに顔を伏せた。
「幸いな事に、私のアムロは生きている。君のガトーは死んでしまった。君の魂を連れて。宙に、彼の魂は輝いている事だろう。今でも。輝く星屑の一つ一つに、彼の魂が宿っている。星の屑とは、そういう作戦だ。成功の暁にも、生きている確証など、初めから少ない、その様な……」
 言い募っているうちに感極まったのだろう。クワトロの言葉が止まる。
 緩く首を振り、クワトロは小さく溜息を吐いた。
「……私は卑怯な事を言っているな。ああ……全く…………」

 沈黙が重い。
 重くした理由が自分だと分かっているから、クワトロは尚のこと、苦々しげな表情を隠そうとはしなかった。
「そう……言いたくなる程には…………私は、ガトーが嫌いではなかったのだよ。だから、君が、ガトーの最期に戦ったのが嬉しかった。ガトーが言った言葉を君は教えてくれたな。君とガトーは戦い、勝敗を決する事は出来なかったけれども……お互いを認めた。そうだ……そうだな。そう言う事だ。分かるか?」
 分かりたくない。
 コウは強く首を横に振った。顔を上げられない。上げれば、この酷い顔をアムロにも見られてしまうだろう。
 だが、それでも、聞かなければならない事があった。
「…………貴方は…………誰なんですか? エゥーゴの大尉、それだけじゃ、ないんでしょう?」
 ジオンの人間なのだろう。そして、デラーズ紛争を、止めたかった人だ。
「貴方は……ジオンの、何なんですか?」
「私は…………一年戦争の時、ガルマ・ザビを失策で喪い更迭されるまで、ドズル・ザビ旗下で、ガトーと同僚だった。士官学校時代には、彼は私の先輩だった」
 クワトロは長い溜息を吐く。その時代を悔やんではいない。だが、多くのものを……他人も、自分の心も、失い過ぎた。

「……私の当時の名は、シャア・アズナブルと言う」
 自分の名がどれ程轟いていたか、自覚はあった。
 まるで他人事の様に、その名を口にする。
 ……実際他人の名だ。本名より通りが良く、そうなる様に自身の手で有名にしたものだとしても。

「……シャア……アズナブル………………赤い彗星!?」
 意外な名前に、コウは思わず声を上げた。
 アムロは舌打ちをしたが、混乱しているコウには聞こえない。
「まさか……本当に?」
「白い悪魔がここにいるのだから、赤い彗星がいたとしてもおかしくないだろう?」
 アムロの髪に優しく触れ、クワトロはコウに微笑みかける。
 コウは驚きの余りに俯く事を忘れてただクワトロを見詰めた。
「尤も……これでは悪魔と言っても小悪魔だがな」
 赤茶けた髪に口付ける仕草さえ、コウには特別なものとして理解するだけの頭がなかった。
「……白い悪魔……ああ、ジオンなら、そうなるのか…………じゃあ、あの、クリスマスの日、貴方が言ってたライバルってアムロのことだったんですね。でも…………何で、二人が一緒にいて、同じ目的で戦おうなんて……だって、二人は、敵同士で、」
「戦争に於ける敵か……難しい問題だな、それは。君の追いかけたものは、実に分かりやすかったのだろうが。その当時私の敵は、アムロではなかった。アムロの敵だとて、私ではなかった。いや、危険だと思った事はあるし、憎んだ瞬間もあるが、今は、同士だとも感じている。ティターンズという目的を別にしても……私達は、お互いでなくては理解し得ない感情を知ってしまっているから」
「分かりません、そんなこと!」
「ガトーは敵。ああ、そうだろう。君にとっては。だが、君は善悪で戦争が起こると思う程の子供でもない。相手の事情を知れば、敵ではなくなる。追いかける理由がなくなる、それが怖いのだ」
 息が吸えない。胸に痞える熱い固まりが邪魔をする。
 コウはただ、口を開閉させた。
 クワトロは畳み掛ける。
「だから、君に戦う理由をあげよう。男になればいい、ウラキ中尉。ガトーは、紛う方なき男の中の男であり、見事なまでの職業軍人だ。壁は高く厚い。乗り越えた時、君は確かに、ガトーと一つになれる」
「何です、それ……っ」
「執着と恋は似ている。今のままでは、恋人も気の毒だ」
 分かりたくもない言い分だった。
 もうどうしようもなくなって、完全に固まってしまう。
 そんなコウを尻目に、乾いた音が立った。
 クワトロの皓い頬が赤くなっている。
 頭に置かれた手を振り払い、アムロが、平手を打ったらしかった。

「いい加減にしろよ。せっかくの再会に水を差すな!」
「……時間がないのだよ」
「僕は、コウを誘う気なんてない。せっかく北米で自由になったんだから、ただ、会いたかっただけだ。貴方の都合で押し通そうとするな。迷惑なんだよ!」
 アムロはコウの身体に両腕を回し、クワトロから庇う様にぎゅっと抱き締めた。
「コウ、こんな馬鹿の言う事を聞くな。戦わないでいいなら、それに越した事はないだろう? 軍人が戦うって言うのは、結局……人殺しをする事でしかないんだから」
「アムロ、そうして、君まで逃げる気か?」
「戦わなくちゃいけない事は分かってる。僕は、それしかできないから……カミーユみたいな子供を戦わせるくらいなら、僕が戦うさ、だけど!」
 コウは暫く呆然としていたが、身体を引き裂く様なアムロの悲鳴に我に返る。
 緩く頭を振り、アムロの手をそっと外す。
 アムロの言い分は、大変まっとうなものに聞こえた。
 だが、自分は分かった上で軍人をやっている。
「アムロ……ちょっと落ち着いた。だから、大丈夫だよ、僕は」
「コウ、だけど、」
「…………アムロ。アムロは、やっぱり、まだ軍人にはなれてないんだ……それが、ちょっと嬉しい。だけど……僕は、アムロと違って軍人だから。何をする仕事のなのか、ちゃんと、よく分かった上で、それでもこの仕事を選んだんだ。戦うのも、敵を倒すのも、それは当たり前だ。仕事なんだから。……戦う相手がいるのはいい。戦いたい相手はもういないけど、戦う相手と戦う理由があるなら、それでいいんだ。バジーナ大尉は、それをくれるって言った…………」
「コウ、駄目だ!」

「ニナが可哀想、か…………そうかもなぁ…………」
 ガトーと自分の間で揺れた女性。
 あの時には、全く理解できなくて、ニナはガトーを選んだ様にも思えて絶望もした。
 しかし、彼女は待っていてくれた。
 待っていてくれた彼女に対して、自分は何をしてやれたのだろう。彼女はガトーを忘れようとしてくれている。なのに自分は、数年たった今でも、彼女を考えるよりガトーを追う事の方がずっと、深く、心を占めてしまっている。
 身を焦がす程に、強く。
 恋だなどと生易しいものなどでは決してないが、それは確かに執着なのだろう。
 恋人もそっちのけで、自分が執着しているものと来たら疾うに失われた命とその影だ。
 可哀想だ、確かに。そんな事も考えて上げられない程には。
 あの瞬間に裏切ったのは、彼女ではなく自分だったのかも知れない。

「前にバジーナ大尉に会った時から、ずっと、僕だって考えたんだ。……あの時より、ティターンズの横暴は酷くなってる。オークリーなんて片田舎までお偉い方々は来ないけど、話にはたくさん聞いた。毒ガスに、核……そんなものには従えない。……あの、4年も前の一件が、ティターンズの成立を促した事は知ってる。あれを止められていたら……ティターンズは、もう少し時間が掛かって作られただろうし、今程の権限も持たなかったのかも知れない。分からないけど…………でも、そう思うなら、僕にも、きっと、責任の一端はある」
 少し温くなったペリエに口を付ける。
 そして、真っ直ぐにクワトロを見た。
「僕にはやっぱり、ジオンの意思は分からない。だけど、餅は餅屋って事は分かるし、地球からただ宇宙を支配しようって、それが、間違ってる事は分かる。ティターンズの施策で、益々地球が駄目になっているのも。……アムロは自由になった。自由になって、戦いを選ぶなんて言ってる。本当は、戦う人じゃないのに。僕の彼女は月の人で……月は、コロニーとは少し違うけど宇宙にある。僕が動く理由はただそれだけでしかないのかも知れないけど、何かをしなくちゃいけないのも分かります。僕は軍人で、戦うのが仕事だ。本当にちゃんとした職業軍人なら、自分の陣営で任務を全うするんだろうけど……生憎、僕はそこまで割り切れてない。このまま燻ってても、ガトーには勝てない。追いつけもしない。ただ、田舎でじっとしているだけじゃ」
「来て……くれるか」
 コウは、はっきりと頷いた。
「貴方に連絡するだけの踏ん切りは、結局僕一人じゃ付けられなかった。だけど、アムロの顔を見ていたら……僕が戦わなくて、アムロが戦うなんて、あっちゃいけないことだと思う」
「コウより、多分僕の方が戦えるよ。多分…………ちゃんと、MSに乗れるまで吹っ切れたら」
 怯えていても、三年前にはあれ程にMSを扱えていた。操縦技術はやはり、アムロには誰も叶わないのだろうとは分かる。
 だが、コウは首を横に振った。
 戦う力を持っているのと、戦える事とは、違う。
「そう言う事じゃないんだ。吹っ切らなきゃいけないことが、アムロにはたくさんあるだろ? 僕には、そんなものないんだよ。ただ、何処の陣営に着くのか、その決断だけだ。何処にいたって、戦うんだ。そう言うことなんだよ。軍人してるって言うのは」
 アムロも燻っている。目を見てそう思った。
 まだまだ戦う人ではない。
 その迷いを捨てたら、アムロは誰の追随も許さない程本当に強くなるのだろうが、そうなって欲しくないと思う。
 アムロが余計な戦いに赴かない為にも、自分が立つ意味はあると感じた。
 もう一度、クワトロを見る。
「だけど、とりあえず……一度基地へ帰ります。片付けたいこともあるし、キースにだけは言っておきたい」
「コウ……何で…………」
 泣きそうな顔をしている。
 そんな表情をされては、益々アムロを戦わせたくなくなってしまう。

「ごめんね、アムロ。僕のことを考えてくれてるのは、分かるんだけど。…………僕の戦いは、終われないままずっと続いていて……決着させたいんだよ。だけど、どうすればいいのか分からなかった。バジーナ大尉は、僕にそれを教えてくれるって言った。……負けるなら負けるでいいんだ、完敗でも。だけど、今のままじゃ、そんな決着すらないんだよ。ガトーは、僕を置いて死んじゃったから。…………決着がないなんて、ホント、落ち着かなくて厭になる」
 クワトロの態度など気にも掛けず、アムロの頭に手を乗せた。
 アムロもクワトロを振り解き、コウに飛びついた。
「アムロ!」
 四年ぶりに触れたアムロは、やはり何処か細く小さかった。
 遠慮もなく額をぶつける様に合わせた。コウには何の力もないが、アムロに自分の持っている熱を少しでも分けたいと思った。
 まだ、アムロは燃えられないでいる。
 発火剤の一つにでもなれればいい。
 アムロがどうでも戦う道しか選べないのなら、再燃するしかないのだから。

「……戦える様になるまで、アムロは無理するな」
「…………ああ…………」
 コウの思いは、アムロになら的確に伝わる。
 アムロは深く息を吐き、ゆっくり頷いた。心の奥がちりちりと焚き付けられている。
「無理は……したくても出来ない。まだ動けないんだ……いろいろ錆びてるみたいな感じで」
「オイルを差して磨いたので済む話ならいいんだけど」
「パーツ交換しないと無理だったりして。何せ七年もののの旧式だ」
「……君達は、全く」
 クワトロはそこで漸くアムロとコウを引き離す事に成功し、アムロを腕の中に抱き込んだ。
「アムロ、君は機械などではないだろう。そんな言い方は気に入らないな。ウラキ中尉も、そんな物言いは困る」
「ごめんなさい」
「機械みたいなもんだよ、僕なんか」
「その言い方も不愉快だ。機械人形なんぞ」
 アムロは暫く逞しい腕の中で藻掻いていたが、そのうちに諦めた様に力を抜いた。
「機械など欲した覚えはない。私は」
「僕なんて欲しいと思われても、それこそ困る。離れてくれ。貴方と馴れ合うつもりはない」
「厭だ。君はまだ自分の価値を分かっていない様だからな」
「…………うるさい。コウ、助けてよ」
 コウに手を伸ばす。
 その手を取って引っ張ってみたものの、クワトロの腕は力強かった。
「子供かよ、全く……」
 ふっとアムロは腰を座っていた椅子から前へ滑らせ身を落とした。動きに一瞬戸惑うクワトロの腕から抜け出る。
 軽い動きでコウの腕を辿り、その背中まで逃げる。
「アムロ、君は……まったく!」
コウの肩に後ろから腕を回し、ぶら下がる様に抱きつく。
 コウは、何となく嬉しくなった。
 触れるのを何処か怖がっていた数年前とは違う。アムロから抱きついてくれるのはいい。
 キースや他にも仲のいい人間には抱きついたり飛びついたりなど何も考えずにしてしまうコウには、それ以上でもそれ以下の行為でもなく大した事ではなかった。
 ただ、クワトロはこの世の終わりの様な顔をしてコウを睨む。

「……あ、あの、アムロ…………何でかな。バジーナ大尉が睨んでる気がする。ちょっと怖いんだけど。綺麗だから余計に」
「ほっとけ、あんなの」
「そう言ってもなぁ……。僕も、アムロが自分を機械みたいに言うのはあんまり好きじゃないな。僕が言い出したんだけど」
 怒っている理由はそこではないだろう。
 だが、コウが気付く筈もない。
「……そういう話の方が、僕が話しやすいからだろ。ありがたいと思ってるよ、コウには」
「僕もそういう話の方がしやすいんだから仕方ないんだけどな」
「だからコウはいいんだよ。凄く楽だ」
「そうかなぁ……ニナにはたまに怒られる。情緒がないって。だけど、ニナだって、口を開けばMSの話しかしないし」
「そういう彼女が羨ましいよ。……っていうか、コウみたいな彼女がいいな。話し合うし、気楽だし」
「ええー…………ああ、うん、でも、ニナよりアムロの方が楽。だから、僕もアムロみたいな彼女がいいかも」
 顔の距離はアムロが飛びついている為にひどく近い。そんな状態でくすくす笑いながら楽しげに話す二人。
 クワトロがギリギリと奥歯を噛み締めたのが分かって、アムロは益々コウに抱きついた。
 堪えきれなくなって低い声がクワトロの口から洩れる。
「君達は、一体どういう関係なのだね」
「……はぁ?」
「………………え? 関係、って、ええっと…………友達?」
「友人を彼女にしたいだなどというのか、君達は」
「……鬱陶しい。もう帰っていいよ、貴方。コウが送ってくれるから帰りは大丈夫だし」
 アムロはひらひらと手を振った。
 クワトロは手を伸ばしアムロを引き離しに掛かるが、今度は上手く行かない。
「君と共に帰らねば、私がカツ君やカミーユやハヤト館長に怒られてしまうのだが」
「怒られる、って……何処の子供だよ」
 ぎゅうっとコウの首に縋りながらアムロはクワトロを睨む。
 絞め技の様で少し苦しい。
 コウはぺちぺちとアムロの腕を叩いた。

「アムロ……ちょっと苦しいんだけど」
「この人に言ってよ。コウから離れたらまた触ってくるんだから」
「あの……バジーナ大尉。アムロ、厭がってるんですけど」
 まあ、この男がシャア・アズナブルだというなら、触れられるのはそれは厭だろうと思う。自分だとて、例えガトーが生きていたとしたって安易に触られたくなどない。
「……私を何だと思っている、アムロ」
「………………変態」
「君ねぇ……」
「変態だろ。服装センスも色感覚も最悪だし、何かやたら触ってくるし、かと思えば散々気に障る事ばっかり言うし。無駄に偉そうだし、馬鹿な名前名乗ってるし!! もういい加減にしてくれ! 俺はコウといた方が楽だし、落ち着けるんだよ! 貴方といたって俺は乱されるばっかりだ。貴方は、カミーユの相手をしていればいいだろう!?」
「ちょっと待ちたまえ! 何故そこでカミーユの名が出てくる!?」
 あからさまに狼狽えて、クワトロは叫んだ。
 コウは喧嘩を始めてしまった二人をどうすればいいのか分からず、ただ困る。
 アムロの腕の力は存外に強く、痛い。
 耳元で悲鳴に似た声を上げられて辟易するものの、そんな状態のアムロを引き離す事は出来なかった。
「俺なんか別に逃げ出したりしなくて良かったんだよ。そうだろ。どうせ戦えないし、MSになんか乗れないし。乗れない俺なんか、何の役にも立たないって」
「馬鹿を言いたまえよ。先日君に救われたばかりだろうが、我々は。君以外の何処の誰が、ただの輸送機で可変MSなんぞ撃退できるものか! 私とカミーユは、MSに乗って交戦した上で、あまつさえ撃墜されかけたというのに」
「あれはただの運だろう!? 敵の意識はこっちになんてなかったんだから」
「その運を引き寄せられるのが、君の力だろう」
「馬鹿言うな! 人がそんなに便利になれるわけがない! 運を引き寄せられるなら、あんたになんか出会っているもんか!」
「そうして自身を過小評価し続けて、得られるものは何だ。君は、私が認めざるを得ない数少ない人間だというのに、それでは……私の人を見る目が間違っているようではないか」
 その、何処までも自分主体の物言いに、心底呆れる。
 アムロはクワトロを睨み付けた口を噤んだ。

 困った。
 コウは本気の喧嘩に入ってしまった二人を見比べて、小さく溜息を吐く。
 クワトロも自分と同じようにアムロに火を付けたいのだ。だが、大きな薪にいきなり火を付けようとしても引火する筈がない。
 手順を急ぎすぎている。短気なのだ、この人は。
「アムロ、ちょっとだけ緩めてよ。僕、苦しいから」
「…………ごめん…………」
「バジーナ大尉も、そんな怒らないで下さいよ。怖いです」
「…………アムロが分からない事ばかり言うからだ。君を怒ってなどいない」
 羨ましいと思う。アムロと、クワトロを。
 こんな言い争いが出来るのだ。
 戦え、と、そう言ってくれるのだ。
 目的を同じにして、共闘する道が残されているのだ。
「何か論点ずれてません?」
「アムロがカミーユの事なんぞ持ち出すからだ」
「カミーユさん、って誰です?」
「今ガンダムMk-IIに乗っているエゥーゴのパイロットだ。アムロと似た感覚と才能を持っている、なかなか優れた少年だよ」
「少年……子供が乗ってるんですか」
「そうだな……子供というと彼は怒るかも知れないが。ハイスクールの歳だ。まだまだだな」
 アムロだとて、初めて戦ったのはまだ子供と言っていい歳だった筈だ。
 一年戦争と、今の争乱は性質が違う、そう思っても、子供までが戦場へ出ているなら同じ事だ。
 戦うのは、軍人の仕事だ。子供の仕事ではない。
「……そっか…………なら、分かってはいるんだろ、アムロ。子供を戦わせちゃいけないって」
「………………ああ。分かってるよ。戦いに赴く子供なんて、僕達だけで十分だったんだ。……だから、僕は戻らなくちゃいけない。子供が戦えるなんて、示してしまった僕が……戻らないと……」
「じゃあ、喧嘩なんてしなくていいじゃないか。分かってるんだから、アムロなら乗り越えられるよ」
 コウはアムロの片手を取った。
 そして手を伸ばすとクワトロの手も取り、二つの手を重ねる。
 二人は戸惑って振り解こうとしたが、コウが許さなかった。
「仲直り! ってのも変か? でも、ライバルだけど敵じゃないって言ったし。敵じゃないなら、仲良くだって出来るだろ、多分!」

 敵ではないのだ、この二人は。
 世が世なら、自分とガトーもそんな風になれたのだろうか。
 想像も出来ないが、こんな、普通の喧嘩をする事が出来たのだろうか。
 クワトロはアムロを認め、アムロもその事は満更でもない様に見える。
 コウには、羨ましかった。
 生きて、こんな風に、口で喧嘩が出来るという事が。
 ただの喧嘩が出来るという事が。

「ウラキ中尉、君という人間は……羨ましいな、その素直さは」
「……コウらしいよ。まったく」
 アムロは肩を竦め、軽くクワトロの手を握る。
「コウに免じてやるよ」
「…………そうだな。私も、少し口が過ぎたかも知れない。君を前にすると、どうしても感情が抑え難い」
 強くアムロの手を握り返し、クワトロは微笑む。
 それを見て、コウもほっとした。
 クワトロが微笑みを浮かべていないと、少し不安になる。余裕のない姿は彼らしくないと感じる。相手がアムロだからなのだろうとは思うが、それでも。
 コウもつられて微笑む。
 アムロも、それを見て表情を緩めた。
 コウの笑顔には何処か、人を和ませるものがある。
 クワトロ……シャアがいるのにそんなに和めるのは、コウがいるからだと確信できる。
 衝突するしかないNT。それを繋ぐOT。
 シャアの理論には、何処か破綻がある。そう感じる。

「コウって凄いよな……」
 しみじみ呟く。真っ直ぐで揺らぎのない様は、相変わらず羨ましい。
「え? 何が?」
「垣根がない所が。……シャアだって、コウの事は気に入ったんだろ? じゃないと、貴方がわざわざ勧誘なんてするわけない」
 クワトロから手を離し、それでも、コウとは繋いだままで残す。
「ああ……そうだな。可愛らしいとは思うよ。一年半ほど前に会った時から、余り変わっていない様だ。その純粋さが損なわれなかった事は、まったく喜ばしい事だと思う。……だが、君達は仲が良過ぎると思うのだがな」
「だって、友達だから。そう……だよな? コウ?」
「う、うん……仲良過ぎるかなぁ……?? 普通に、仲いいだけだと思うけど」
 アムロもクワトロも、正直な所「普通の友人」というものが良く理解できていない。
 コウがそう言うなら、これが普通なんだろうとアムロは思う。
 また、クワトロにはまったく以て「友人」という存在を理解するつもりもなかった。役に立つ、立たない、自分が求める、求めない、そして邪魔かそうでないか、その程度の基準しかない男だ。
「……普通、なのか、これが」
「……違うのかな…………普通って、何?」
 コウの問いかけは中々難しい。
 二人も首を傾げる。
 この三人では、コウが一番「普通」なのだろうと言うことは分かる。だからこそ、そのコウに問われても困る。
「考えもしない、と言うことが、普通なのだろうな、恐らく」
「貴方は考え過ぎるんだよ。いろいろと」
「そうかな……」
「そうだよ」
「…………そうか。だから、ウラキ中尉が羨ましいのかも知れないな」
「僕達二人とも、な」
 アムロはやっと微笑む。

「あ! そうだ!!」
 儚い笑みに、コウは忘れていたものを思い出す。
 戸惑う二人を尻目に、胸ポケットから小さな袋を取り出した。
「これこれ! アムロにあげようと思って持ってたんだ。覚えてますか、バジーナ大尉、あの時」
 口を開けて袋をひっくり返すと、テーブルの上に小さな銀のリングが転がる。
「何、これ」
「……ああ! まだ持っていたのか。彼女にも渡さず」
 クワトロにも見覚えがある。
 そして、その時の会話を何となくだが思い出した。
「そうか……あの時の話題の主は、アムロだったのだな」
「幸せを分けてあげたい友達がいるって言ったでしょう? ニナには何時でも電話できるし、幸せにするって決めてたけど……あの時の僕には、アムロのことは心配で仕方ないのにどうしようもなかったから。アムロ、手を出して。アムロになら入ると思うんだ。僕より手が小さいから」
「……指輪?」
「うん! いや、クリスマスプディングの指輪の幸せなんて、一年しか持たないものかも知れないけどさ。一応……アムロにあげたくて取っておいたものだから」
 素直に差し出された手を取る。
 コウやクワトロに比べれば何処か華奢だが、節高く筋張って、指先はかさついている。機械弄りは好きなままなのだろう。指の腹にはすっかりオイルが沈着してしまっている。アムロらしい、いい手だった。
 その小指へと、指輪を嵌める。
「……よし。やっぱり、アムロになら入った!」
「これ……何なんだ?」
 指輪の填った手を目の位置まで上げてみる。シンプルな、銀色の指輪だ。性別は問うまい。
「前の前のクリスマスに、バジーナ大尉がオークリーに来て僕が会った日なんだけど。バーで食べたクリスマスプディングに入ってたんだ。僕の指には少し小さくて、小指の先に引っ掛かる程度でさ。アムロになら入るんじゃないかと思って、取っておいたんだ」
「クリスマスプディング? 何それ」
「クリスマスに食べる……プディング」
「それは何となく分かる」
「中に指輪とかコインとか入れてさ。取り分けて、それが当たった人には幸運があるって言われてるんだ。地球の欧州地区にある旧イングランドの伝統だ」
「……ふぅん…………」
 もう一度、じっくりと指輪を見る。室内の明かりを受けて、鈍く光っている。
 優しく、温かい輝きだと思った。ぎらぎらとした光を持つクワトロとはまるで違う。
 こんな輝きを持っているからこそ、アムロはコウと友達となったのだ。きっと。

「ありがと、コウ。……嬉しい」
 少し照れて、指輪を嵌めた手を胸に押しつける。
「アムロが喜んでくれたなら、僕も嬉しい」
「…………恥ずかしいぞ、君達。指輪など……恋人同士でもあるまいに」
 これで素なのだから恐れ入る。
 クワトロはあくまでポーズを崩さず、しかし心底呆れて肩を竦める。
 これが「普通の友人」というものなら、世の中冷めた友人ばかりの様な気がするのは気の所為か。
 自分の為にグラスへ冷蔵庫から出したアイスコーヒーを注ぎ、半分程一気に煽る。
 気恥ずかしくて見ていられない。
「ニナにだったら……ちゃんとしたの、買って贈ったし……こういう縁起物とかは、やっぱり一番幸せになって欲しいって思ってる人にあげたかったから。……厭か? アムロ。指輪とかって……そんな深い意味とかはないんだけど」
「深い意味があったら厭だな。だけど、もの凄く純粋な好意なのは分かるし。だから、嬉しいんだって。難癖つけるな、シャア」
「しかしだな……」
 承服できないらしいクワトロはまだ何かぶつぶつ言っている。
 アムロはその口に、まだ随分残っていたクラッカーを無理矢理突っ込んだ。
 少し、黙る。
「コウに会えて、ホントに良かった」
「僕もだよ。もう一回戦える……それがこんなに嬉しいなんて思わなかった。別に自分はそんなに好戦的な方じゃないと思ってたんだけど」
「こんな奴にコウがついていくのは、もの凄く厭なんだけど」
「アムっ……ぅ」
 租借して飲み込んだばかりのクワトロの口へ、アムロは更に二、三個クラッカーを押し込む。
 少し可哀想に見えて、コウはその前に残りのアイスコーヒーを置いてあげた。
「戦いの中心は、何処かな」
「…………宇宙、だと思う。ティターンズの本拠地は今のところ地上だけど…………多分、それだけじゃ終わらない。何となくだけど。グリプスをどうにかしないといけないだろうし、それだけでもなさそうだ。シャアは宇宙へ行くし……人の意識を宇宙に向ける戦いだから、これは」
「それなら、やっぱり……僕も宇宙に上がるしかないんだな。そこで、アムロを待ってる」
「僕は何時になるかなんて分からないよ。もしかしたら、やっぱり行けないかも知れない」
 不安げなアムロの肩を抱く。
 アムロは甘える様にコウの肩へ頭を押しつけた。

「……それでも、待ってる。僕は多分、もう一回宇宙に出たいんだ。たくさんの事を教わって、たくさんのものを得て、そして、たくさんのものを失った場所に……まだいろいろ忘れ物をしてきてる様にも思うし」
「側で戦ってはくれないのか」
「……アムロはそれを望んでる?」
「いや……どうかな。コウが魂を宇宙に残してきてしまった事は分かるから。それに、僕ももう一度宇宙に上がらなくちゃいけない事も分かる。……コウがいてくれるなら……宇宙に、行けるかな。僕も。あの時……コウと一緒ならMSに乗れた様に」
「僕は、自分があまりにも宇宙を知らないことを知ってる。だから、知りたいんだ。でないと、戦う意味もちゃんと理解できないままだろうし……それじゃあ、一生ガトーの事なんて分からない。それは困る。意味がないから」
 顔を上げ、前を見据え、きっぱりという。
 アムロは少しコウから離れ、着ていたジャケットのポケットから、しわくちゃになった紙を一枚取り出した。
「宇宙で死んだら本当に見つからないぜ」
「……遺体の回収も出来ないかもな」
「……遺書の更新をするかい?」
 手アイロンで紙を広げる。
 懐かしい紙。懐かしい文字。
「ああ……! アムロも、するか?」
 指輪が入っていたのと同じポケットを探り、コウも折り畳まれた紙を取り出す。
 ペンを取り出して、コウはしわしわの紙に書かれた日付を二重線で消した。
 今日の日付に書き直し、さらに一言書き加える。
「『死んでも友達!』か……らしいなぁ、コウ」
「はい、アムロも!」
 ペンの尻を向ける。苦笑しながら受け取り、アムロが持っていたものよりは多少保存状態のいい紙を広げる。
 同じ様に……しかし、メールアドレスも二重線で消し、書き直す。もう少し、自由なものへ。
 少し悩んで、アムロも一言を書き添える。
 しかし、コウがそれを見る前に、アムロは紙を再び小さく折り畳んだ。
 コウの手の中へそれを押し込む。
「仕舞ってて。僕が死んだら、それを墓碑に。……遺書らしいだろ、この方が」
「ああ……」
「何を書いた」
 漸く口の中をすっきりさせたクワトロが口を挟む。
「秘密だ。貴方にだけは絶対」
「何故だ」
「…………だから、秘密だって。コウも、絶対教えるなよ。中身も、帰るまで見るな」
「えー……うん。アムロがそこまで言うなら、分かった」
「ウラキ中尉も、疑問に持ちたまえよ」
「え、でも……僕は、帰ったら分かるし」
「自分本位だな。私が知りたいと言っているのだ」
「……貴方のそれが自分本位でなくて何だって言うんだよ」
 苛立ったアムロは、とうとう皿ごとクワトロの口に突っ込んだ。
「っ……くっ……」
 歯と陶器の皿が、危険な音を立てる。
「……アムロ、ちょっとやり過ぎじゃないかな」
「いいんだよ。この人にはこれくらいで。さっさと片付けて、それ」
 コウの手をぐいとポケットへ突っ込ませる。

「仲いいのか悪いのか、分かんないな、アムロとバジーナ大尉って」
 ポケットのファスナーを閉め、丁寧に「遺書」を仕舞う。ドッグタグより大切な証だ。
「悪いよ。最悪だ」
 もう随分と気の抜けたレモンスカッシュのストローを唇に挟んで弄ぶ。拗ねている様な仕草だ。
「……そうかなぁ……僕から見たら、随分と羨ましいんだけど」
「羨ましいって!? 何が!」
 無理にストローをグラスに差す。かなり溶けた氷が涼やかな音を立てる。
 コウは僅かに散ったテーブルの水滴を指先で拭った。
「口論が出来ることとか、そうやって……触れ合える所とか。話が出来るだけでも凄いことだ。……分かるだろ?」
 熱はそのままに、それでも静かに呟くコウに、アムロも自分の失態を知る。
 コウの前では、拙かった。
「ああ…………うん…………」
 コウが何を羨んでいるのか理解できる。
 ストローをグラスに差したまま、行儀悪く少し吹く。
 シャアなどと分かり合いたくもないが、その余地が残っていると言うこと自体が、コウには羨望の対象となるのだ。
 アムロは口を噤むしかなかった。
 コウの目の前でシャアと口論なり何なり、諍いを起こすこと自体が残酷な行為になる。
「……ごめん。こいつと仲直りは難しいけど……コウの前では我慢する」
 口を押さえて痛みに耐えているクワトロを横目で流し見て、アムロは頭を下げた。
「うーん…………我慢とかはいいんだけどさ。何だか、仲良さそうなんだけどなぁ、アムロとバジーナ大尉って」
 コウには、下らない喧嘩をしている様に見える。
 アムロにはそんなものもとても必要だと思うから、それはそれでいいのだろうが……お互いが、その下らなさに気が付いていないのが、コウには少し可笑しかった。
 さっきの口論だってそうだ。
 本気モードの喧嘩に突入しかけてしまっていたが、何のことはない。
 クワトロが優し過ぎて、そして、アムロのことを大切に思い過ぎて、少し齟齬が出ているだけだ。
「バジーナ大尉、大丈夫ですか?」
「ぅ…………ぁあ…………」
 少し涙目になっているのが分かる。皿なんぞを突っ込まれては、確かに痛かろう。
「……仲良さそう……? 僕と、シャアが?」
「……そう見える」
「っ!! 何だよ、それ!」
 毛を逆立てた猫の様だ。凄い目で睨むなと、コウは人事の様に思った。
「バジーナ大尉は、もの凄くアムロのこと認めてるのに、アムロは自分のこと何にも分かってないんだもん。そりゃあ、大尉だってイライラするよ。バジーナ大尉と僕が似てる、って、大尉が言ったの、分かる気がする……」
 追う立場のものにしか分からないのだ、こういう事は。本人だけが知らない。
「コウと、こんな変態の何処が似てるって言うんだよ」
「性格とかはね、違うと思うよ、それは……僕はこんなに優しくないし、難しいことも考えられない。だけど……なんて言うのかな。追いかけるっていう立場だけは似ていて、だから、そういう所だけは分かるって思う」
 クワトロを見る。
 少し立ち直って、まだ口元を押さえてはいたがコウを肯定する様に目元を微笑ませて頷いていた。
「追いかけるのってね、もの凄くパワーがいるし、大変なんだよ」
「分かってるよ。僕だって……ずっと、シャアを追ってきた。初めてガンダムに乗った日から、ずっと……ずっと……」
「でも、追い越した。その後は?」
「その後?」
「追いついたら、追い越したら、もう追えないんだよ。今のアムロは追いかけられる立場。だろ?」
「……こんな抜け殻を追いかけたって、仕方ない」
「そう思うから、バジーナ大尉はイライラするんだ。追いかけてたのに、追いかける対象が消えてしまったら。……それでも、アムロはまだ生きてるから、大尉もまだマシだって僕は思うんだけど」
 七年は、長過ぎたのだ。
 目が覚めるには、まだ時間が掛かる。

 コウは、指輪の填ったアムロの手を取り、小指を絡めた。
「みんな待ってくれてるんだ。ホワイトベースにいた人達と一緒に、戦うんだろう? 元通りになったら、もっとちゃんと話が出来ると思う。僕とも、バジーナ大尉とも。な、約束!」
 旧アジア地区の風習の「指切り」という仕草は、アムロも知っていた。
 コウの意図も分かる。
「……うん…………努力する」
「分かった、って言わないのか?」
「…………分かったよ、コウ。コウがそう言うなら」
 指を絡めたまま、上下に振ってみせる。
 コウは満足げに、にっこりと笑った。

「さて、と。なぁ、お腹空かない?」
 程よく話が纏まったことにも満足して、アムロから手を離しコウはぐっと伸びをした。
「コウは、空いた?」
「うん。アムロに会う前に、ハンバーガーは一個食べたけど。僕、結構食べる方だと思うんだ。アムロに比べたらかなり」
「……そりゃあね。ハンバーガーなんか、午前中に一個食べたら夜まで何も要らない。北米の食べ物って、何であんなにサイズが馬鹿みたいなんだ?」
「えー……丁度いいけどなぁ。というか、ちょっと足りない」
「……コウは、食べそうだよな」
 背は十cm程しか変わらないが、体格としては二回り近く違う気がする。上半身に筋力の偏った様なクワトロよりも、足腰もしっかりとしている様にも思う。
「シャア、貴方、何処か知らないか? コウが満足しそうな店」
 クワトロも、そろそろ痛みが引いてきたのだろう。顔から手を離して、水を何口か含んでいた。
「そうだな……ハンバーガーは勘弁願いたい。出資者の一人がマクダニエルだからな……そろそろ食べ飽きた。チャイナタウンでよければカラバの支援者がいる。落ち着いて食事も出来るだろう」
「そう。じゃあ、そこでいい?」
「うん。中華か。オークリーにはないから新鮮だ」
「僕も外食なんて、本当に久しぶりだから」
「仕方がない。私が奢ろう」
「当然。財布なんて持ってきてないし」
「…………君らしいよ、まったく」
 ジャケットを簡単に羽織り、アムロの肩に手を回す。
 アムロも、もう振り払いはしなかった。
 目に見える二人の様に、羨ましいながらコウは安心する。

 手に入れられなかったもの。
 その、望みがあるのかどうかも分からないもの。
 この二人に希望を見た気がして、コウは勢いを付けて立ち上がる。
「ほら、さっさと行こう! 僕、もうお腹ぺこぺこだ!」
「元気だな、ウラキ中尉は」
「その呼び方、外じゃ駄目ですよ」
「分かっているよ。……コウ君」
「っっ!」
 アムロをエスコートしながら、すれ違い様にコウの耳元で囁く。
 その、背筋を撫でられる様な声音に、コウは耳を押さえて真っ赤になる。
「行くぞ、コウ君」
「っ〜〜〜〜!! はいっっ!!」
 大股で追い越してドアを開ける。
 入ってきた日差しに、三人は目を細めた。


作  蒼下 綸

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