頭を欠いた軍隊は次第に収束していく。
 ティターンズは役割を追え、エゥーゴもその過半数を失った。
 白くペイントされたリック・ディアスの中で戦いが引いていくのを感じながら、コウは脱力感に襲われていた。
 帰艦するまで気を抜けないのは分かっている。
 事態は帰還と掃討へと移っていた。
 アクシズは一時引いているのが分かる。一人勝ちだ。態勢を立て直して次へ移るのだろう。
 エゥーゴも立て直しを迫られている。
 コウの母艦は辛うじて残っていた。だが、また、燻った思いの残るまま戦場を後にしなくてはならない。
 これが運命なのかも知れない。

『ウラキ大尉、撤退命令が出ています。直ちに帰艦して下さい』
「了解……」
 重く息を吐く。
 任された小隊は、六機編成の所がコウを含め半数になっていた。
 厭な……そして、酷い戦いだった。
 三つ巴ともなると、これ程混乱するものなのか。
 ペダルを踏み込み機体を反転させる。
 今後のことは、コウ自身、考えるべき立場にはない。エゥーゴに与すると決めた時から、その全体の意志がコウ自身とずれない限り、そのまま命令通りに戦うだけだ。
 ただ、ひとまずの決着に、少しの休息が欲しかった。

 母艦の被弾状況は深刻ではあったが、何とか帰還できない程ではなかった。
 全体の状況をブリッジに聞いたが、随分混乱していて状況が把握できない。
 残っている戦艦は、この間の他にアーガマとサラミス級が数隻だけという話だった。
 アーガマが残ったと言うことは、少なくともブライトは無事だと言うことなのだろう。
 所属パイロットの消息までは、今の状況では確認できなかった。
 カミーユもファもこの戦いに駆り出されたまでは分かっている。それを思うと本当に居たたまれない。
 そして、クワトロ……。
 クワトロが無事でなければ、誰がエゥーゴを纏められるというのだろう。あれ程までに強烈なカリスマがなければ、地球圏を掌握し纏め上げることなど出来ないだろうに。
 コンソールパネルをゆっくりと撫でる。
 リック・ディアスはクワトロが作らせ、名付けた機体だと聞いている。
 喜望峰を発見したバルトロメウ・ディアスの名を冠したのは、常に先を見続けているクワトロに、実に相応しい名前だと思えた。
 アクシズをどうにかしない限り、まだ戦いは終わらない。だが、ティターンズが敗北したことで、喜望峰を超えることは出来た筈だ。

『戦闘宙域離脱完了しました。パイロット各員、機外待機願います』
 出来るだけ冷静に務めるオペレーターの声が羨ましかった。
 熱く火照ったままの心が疼いて仕方ない。
 決着の着かない戦いに決着を付けたかった。どれだけ不運なのだろう。
 ヘルメットを脱いで首の後ろへ掛け、ハッチを開ける。コックピット内よりは些か涼しい気のする空気が入ってきて、深く息を吸った。
 疲れ果てているのは確かだ。経験はある。補給を繰り返し、不眠不休で戦場へ飛び出していく。
 薬で誤魔化しながら戦い続けた、あの時よりも更に過酷だ。
 上手く体勢を掴むことも出来ず、ずるりとハッチから滑り落ちていく。整備士達も疲れ果てているのだろう。誰もそれを止めはしなかった。
 ふわふわと浮かびながら床面まで辿り着く。足裏のマグネットを付けることもなく、ただ微妙な場所に漂う。
 それでも、眠りたいとは思わなかった。
 アーガマの状況が気に掛かる。
 あの艦に何かあったら、自分も厭だし、アムロも困る。

「ウラキ大尉、お疲れ様でした」
「ああ……」
 漸く一人がコウを捉える。生き残ってくれた部下の一人だ。
「ご無事で」
「……君も」
「どうぞ」
 足を床に着け、差し出されたドリンクを受け取る。
 それ以上お互いに言葉はなかった。
 死んだ仲間。沈んだ艦。そして、まだ続く戦い。
 重く息を吐き、ドリンクを口に含む。水に少しのミネラルを加えたそれは、美味いとは言い難いものの疲弊しきった身体には丁度良かった。
 頭に少し掛けようとして、ここが宇宙空間であることを思い出す。
 玉になって浮かぶ水をぱくりと口に含んで俯いた。
 冷たいシャワーでも浴びて、その火照りをどうにか沈めてしまいたい。
 だが、まだ待機は解けていなかった。
 そこへ。
『ウラキ大尉、至急ブリッジまでお越し下さい』
 艦内放送が響く。
「……?」
 こんな時に何の用だというのだろう。
 ドリンクのパックを部下に預ける。
「ちょっと行ってくる」
「了解です」

「…………え?」
 我が耳を疑う。
 艦長から何を告げられたのか、理解できなかった。
「……………………もう一度、お願いします」
「クワトロ・バジーナ大尉が消息不明だそうだ。アーガマから入電があった」
 ダカールでの演説以後、エゥーゴの求心力の中心にいたのがクワトロであることは誰もが理解していることだ。
 艦長の表情も、ひどく陰鬱だった。
「まさか……っ、だって、あの人は」
 赤い彗星だ。もの凄い腕のパイロットなのだ。自分が生き残ったのに、死ぬなどと言うことはあり得ない。
「百式は戦艦の爆発に巻き込まれ破片のみ回収。クワトロ大尉は見つからないと。アーガマもぎりぎりの状態で、捜索は不可能。残念だが……」
「……そんな…………」
 それではエゥーゴはどうなるというのだろう。
 まとめ役は必要なのだ。今、まさに。だと言うのに消えて言い訳がない。
 それに、まだ、自分はクワトロを倒していなかった。また勝ち逃げされたというのが余計に腹立たしい。ジオンの兵はそんなに自分を置いて逝くものなのか。
 足下がすとんと抜け落ちてしまったかの様な感覚を覚える。寒い宇宙に一人放り出された様な、急に世界が全て遠離ってしまった様な、そんな感覚がする。
「君がクワトロ大尉の紹介でエゥーゴに来たと聞いたので、伝えた。以上だ。待機に戻って構わない」
 クワトロが居なくなれば、戦力は激減だろう。アーガマはエゥーゴ全体の旗艦でもある。無事に戻ってくれなくては、全てが瓦解してしまう。
 我に返る。
 あの子供達はどうなっただろう。
「…………あ、あの、アーガマの……他のパイロット達がどうなったか報告は」
「もう少し落ち着いたらもう一度通信を試みる。その時に聞いてみよう」
「お願いします!」
 せめて生きていてくれないと救いがない。
 子供達まで死んでいく様な戦場は、ただ人類の終焉を表している様に思える。
「大尉も疲れているだろう。待機を」
「……はい」
 ブリッジの空気も微妙に澱んでいる。
 コウは勢いのない敬礼を一つ残し、その場を後にした。

 待機室のチェアに座っても落ち着く筈もない。
 艦所属の一個小隊は壊滅しコウの隊も半分が撃墜されたこともあって、部屋は妙に寒々しかった。
 膝を抱え込み、その間へと顔を埋める。
 涙は流れてこない。
 ただ、自分の回りの空気が重いことだけは感じていた。
 ティターンズには負けなかった。しかし、アクシズには勝たなかった。これから地球を目指してくることだろう。そして、ジオンの……ザビ家の再興を目論むのだ。
 ガトー達の遺志は、確実にアクシズへと受け継がれている。
 自分はまた止められないのか。
 しかしまだ戦う道が、止める道が残されているだけ、あの時より幾分マシだ。
 今度こそ、絶対に止めなくてはならない。
 その為には…………。

 友人達の顔が浮かぶ。
 キースはアムロの側にいるだろうか。カラバに協力していると連絡は受けている。
 アムロはどうしているだろう。この戦場の悲惨さを彼はきっと感じている筈だ。
 地球から、宇宙を見上げて。
 彼が来てくれたら、どれ程心強いだろう。
 だが、クワトロがいない今、彼は表立たずとも中心には居なくてはならない人間の筈だった。
 会いたい。
 痛切に思う。
 恐らくまだアムロは知らないだろう。クワトロが居なくなったことなど。
 アムロが自分と同じ目に遭ってしまう。
 風の噂には、立ち直って前線を張っていると聞きはしたが、シャーロットであったあの日以来直接には会っていない。印象はあの時のままだった。
 一番最近交わしたメールだとて、もう三ヶ月近くも前になる。
 クワトロの、ダカールでの演説の直後に来たメールへ返して以後、コウの方が忙しくなって返すに返せなくなってしまっていた。
 寄港地はまだ聞いていない。だが、何処かに寄ったら、必ず連絡を入れたいと思った。
 出来ることなら、顔を見たい。
 前の様に夜を徹した馬鹿な話をしたかった。
 お菓子を目の前に山積みにしたり、酒瓶を幾つも転がしたりして。
 馬鹿をやりたかった。
 どうしようもなく。

「くっ…………」
 思い切り、目の前の椅子の背を殴りつける。
 そんなことごときで気は晴れないが、そうでもしないと破裂してしまいそうだった。
 状況が変わらない。今でも、ずっと。
 自分は前に進む気でここにこうして参加したにも関わらず、結局は足踏みをしている。
 目を開けたらガトーが居なかった、あの時と変わらない。
「畜生……っ……」
 自分に戦う意味をくれると言った男が居なくなってしまった。
 また置いて行かれてしまったのだ。自分ばかり……命だけあっても仕方がない。
 アムロなら理解できる筈だ。そしてきっと、アムロも同じ様に感じる筈だ。
 一刻も早く会って、ぶちまけてしまいたい。
 代わりに……思い上がりかも知れないが、アムロの慟哭も受け止めてやりたかった。

 辿り着いたのはフォン・ブラウンだった。戦闘宙域から近く、また、この艦は追撃を逃れていた為に早々に入港できたのだ。
 アーガマはアクシズの追撃を受けながらサイド1の方向へ逃れているらしい。まだ無事でいることにほっとした。
 カミーユもファも生きていると聞いて、余計に安心している。
 数ヶ月ぶりにもなる感慨の空気は新鮮で軽い気がした。
 通路を抜けて管制塔へ入り、そこから休息室のあるフロアへ出る。
 半日の休息が与えられていた。
 僅かの時間でも眠りたいとも思ったが、それ以上に街へ行きたかった。
 攻撃を受けはしたものの、壊滅はしていない。
 軽い食事を摂って、外へ向かう。
 どれだけ身体が疲れていても、じっとしているのは堪えられなかった。

「コウ!」
 外へ出るなり、聞き覚えのある声に呼び止められる。
 足が竦んだ。
 振り返ることが出来なかった。声の主も、それ以上声を掛けてこない。ただ、まだそこにいるのは分かる。
 女の声だった。甘ったるい、しかし何処か育ちの良さを感じさせる、声。
 声を聞くまで意識の外だった。戦いの火照りがまだ冷めない心には、重い。
 唇を噛み締める。
 動かないコウに焦れたのか、近寄ってくる気配がした。
「…………お帰りなさい。貴方の所属している艦が入港するって聞いて……居ても立ってもいられなくて」
 声は震えていた。
 デ・ジャヴを覚える。
 やはり、時は動いていなかった。

「生きていてくれて……良かった……」
 精一杯の言葉を掛けてくれているのは分かる。しかし、やはり振り向けなかった。
 彼女の顔を見てしまったら、本当に四年前まで時を遡ってしまいそうだ。
 かといって、走って逃げることも出来なかった。
 黙ったままのコウの背に、軽い衝撃が来る。
 縋り付いてくる腕に、コウはなされるがままだった。
 背に感じる柔らかみに、何故か苛立つ。こんなものを感じている場合ではない。今は、まだ。
「……まだ……何も終わってないんだ」
「もう、十分じゃない。貴方は……十分に戦ったでしょう?」
「ジオンを倒さない限り、何も終わらないんだ。分かるだろ、ニナだって!」
「……あんなの、もう過去の亡霊じゃない!」
「何言ってるんだ!」
 思わず腕を引き離し、ニナの身体を軽く突き飛ばす。
「っあ」
 蹌踉めいたニナを支え直す余裕もなかった。
 バランスを崩したニナは、その場に尻餅をついてしまう。
 しかし、コウには謝るつもりもなかった。
 拳を握り、ニナに背を向ける。
「まだ何も終わってないんだ! 現にアクシズはあって、地球圏へ侵攻してきてる。ザビ家の再興なんて許せるわけないだろ!?」
「それが……どうして貴方でなくちゃいけないのよ」
 立ち上がることも出来ず、ニナは勢いを失ってぺったりとタイル敷きの地面に座り込んでいた。
 手を貸してくれるくらいの気遣いはあった筈の男の変化に、今にも泣き出しそうな顔を向ける。
 視界に入るのはただ、妙に広い気のする背中だけだった。
「多分、俺じゃなくたっていいんだろう。戦える人がいるんなら。だけどそういう事じゃないんだよ。ニナには分からないだろうけど。俺は……戦いたいんだ」
「私が居るのに、また戦いに出るって言うの?」
「……他に、どうしろって言うんだよ!」
「戦いになんて出なくていいじゃない! 貴方だったら、アナハイムに就職だって出来るわ」
「それで、敵味方関係なくMS作って売り渡せっていうのか!? 冗談じゃない!」
 ティターンズとの戦いを見れば厭でも分かる。今更綺麗事を言うつもりはなくても、自分にはとても堪えられない。アナハイムに務めるくらいなら、この月の最下層でジャンク屋でも営んだ方が余程ましだ。
 この手で殺した、ジオンの兵の様に。

 あの時戦ったジオンの兵達とは、現在のネオ・ジオンはまた違う様に感じる。
 ザビ家を再興した後の狙いが分からない現状のネオ・ジオンは気持ちが悪かった。
 ガトー達の思惟と今のネオ・ジオンはまた違ったものに発展している様に思えてならない。
 まだしも、ガトー達とエゥーゴの方が近しいのかも知れないとさえ思う。
 その場その場では怒りに任せて戦うことしかできなかったが、コウにもそれくらいを考える頭はある。
 クワトロに賛同したなら、自分もまたジオニズムに取り込まれているのだろう。個人的なことを除いてもまだ、戦いたいと思うなら、余計に。
 そして、そのクワトロが率いたエゥーゴととネオ・ジオンが決別している今、どちらがより一層歪んでいるのかは明確だった。クワトロの言葉は、そういう点に於いて信じるに値すると感じている。
 クワトロが居なくなった今、少しでもその意志を継げるものが集まって動かなければならない筈だ。

「そんな言い方……酷いわ……私達だって、そんなつもりで作ってるわけじゃないのよ!?」
「君がどんな思いで作っていたって、結果は同じだろ」
「エゥーゴに資金を提供しているのがアナハイムだって事くらい、みんな知ってるわ!」
 言いながらも、さすがに声を潜める。
 コウは苦々しげに舌打ちをした。この場で幾ら話しても、お互いにいい結果にはなりそうにない。
「ニナ……悪いけど、今はまだ君を迎えに来られる状態じゃない。待っててくれなんて言わない。だから……ごめん!」
 漸くニナを振り返ったかと思うと、深く頭を下げる。
 他にどうすればニナの気が済むのかなど分からない。ニナに同調できないなら、ただ謝るしかなかった。
「……待っててなんて、あげないんだから」
「……うん」
「絶対、待っててなんてあげないから! あの時みたいには」
「ああ……」
 ニナはコウへと手を伸ばした。縋る様にではなく、精一杯の自尊心を保って。
 コウはその手を取り、ニナが立ち上がるのを助ける。
 尻を軽く払い、ニナはヒールの踵をぐっと踏み締めてコウを睨んだ。
「私に男運がないことだけは、よく分かったわ。ガトーも、貴方も、本当に……男って、どうしてそんなに馬鹿みたいなの?」
「ごめん……」
「嫌いよ、男なんて……」
「ああ……」
「キスして。それで、お終いだから」
「き、キス!? こんな所で」
「こんな所でこれだけ派手に喧嘩したんだから、今更ないでしょ」
 ニナは怒った顔のまま、それでも目を閉じ、くっと頤を突き出した。
 とてつもなく、困る。
 立ち止まってまで眺める人はいないが、気が付けば周りを行く人々は挙ってコウとニナを振り返りながら通り過ぎていく。
 ニナは間違いなく美人だったし、コウはコウで体格が良く何処か見栄えがする。思わず目がいくのも仕方のないことだろう。
 そのままでは許してくれそうもない雰囲気を感じて、コウは意を決し、ニナの肩を掴んだ。
 そのまま顔を寄せ、そっと唇を重ねる。
 深いものにはならず、コウは直ぐに顔を離した。
「…………ごめん、ニナ」
 ニナは触れ合ったばかりの唇を引き結び、俯いた。
 このままでは一層別れ辛くなる。
 コウはそのまま、街の方へと走り出した。
 ニナはもう、コウの背を追うことはなかった。

 この街を、自分は逃げる様に走ってばかりだ。
 先の戦いに巻き込まれた所為で、そこかしこに爪痕は見えた。
 人は、逞しいものだ。簡単な修復を済ませ、人々はもう普段の生活を取り戻している様に見えた。
 自分の日常は、まだ遠い。
 入り口にモバイルスポットのステッカーを貼ってあるカフェを見つけ、入った。
 アメリカンのトールサイズを頼んで、奥まった席に陣取る。
 モバイルツールを取り出して、数ヶ月ぶりにメーラーへと繋いだ。
 溜まったDMの間に挟まるキースやアムロからのメールに目頭が熱くなる。
 一つ一つ見ていくが、戦いのことなど何処にも書いてなかった。
 ただ、他愛もない日常が綴られているだけだ。
 その事が何より有り難く、また嬉しい。彼らも、自分と同じ想いでいるのだと感じられた。
 何を書こうか迷いながらも、キースには返事が遅れた詫びと、彼が書いてくれたのと同じ様に他愛もない軽口を送り返す。
 アムロへは、しかしそれだけで済ませるわけにはいかなかった。
 運ばれてきたコーヒーを口にしながら、文面に困る。
 もともと文章や手紙を書くのが得意ではない。
 クワトロが消息不明になったこと、アーガマは何とか無事でいること。
 それから、下船直前に聞いた、アーガマ所属の少年パイロットのこと。
 いい子だから頼む、そう言われていたのに、自分には何も出来なかった。
 生きているだけでも良かったと念じでもしなくては、本当にやるせない。
 ティターンズを掌握した人物を倒したのがカミーユだったと知らされても、それで壊れてしまっては元も子もなかったのに。それに、ファのことも心配だった。カミーユの側にいたいから戦場に出る、そう言った華奢な少女。彼女もまた傷つき頽れそうになっていることだろう。
 思いつくままに書き進める。
 膨大に量になっていくが、手は止められない。
 纏まりが悪い、繰り返し同じ事を書いているかもしれない。けれど、今はこれしか手段がないのだから仕方がなかった。
 お互いに時間が取れて、顔の見える通信でも出来ればいいと思う。
 会って話したいのだ。本当なら、直接に顔を見て、声を聞いて、縋り付いてしまいたかった。
 アムロなら分かってくれるだろう。この名状しがたい心の内を。無意識の確信があった。
 ただ「分かる」の一言が欲しいだけ。しかし、本当に分かってくれる人でなければまた苛々とするだけだ。
 アムロも十分に苦しんでいるのに、自分は酷いとも思う。自分がぶつけるのと同じ様にアムロにも吐き出して欲しかった。
 あの、四年前の夏の日の様に。

 送信して、暫く画面に見入る。今どこにいるのかも知らない。
 被弾状況は深刻で、恐らく三日以上はドッグから出られないだろう。アムロがメールを見られる状況なら、数日のうちに返信はある筈だ。
 地球上のティターンズも、ほぼ壊滅している筈だった。その掃討と、カラバ、エゥーゴの再編に走り回っていることだろうが、アムロは誰より宇宙の状況を気に掛けている。
 温くなったコーヒーを啜り、ニュースサイトを幾つか見て回る。
 自分は全く時節に取り残されてしまっているが、しかし、知りたい様な情報は何処にもなかった。
 地球の異常気象だとか、政府高官の誰が死んだとか、それと同じ様にしてこんな時でも流れる芸能人の離婚話だとか、今知りたいのはそんなことではない。
 クワトロの消息や、カミーユを助ける方法や、エゥーゴの行く末や、アムロや自分が進む道、そう言うことを、教えられるものなら教えて欲しい。
 そんなことは誰にも出来ないと分かっていても、苛立ちを隠せなかった。
 目を反らせ、気を取り直して、好きだったアーティストや衣類、靴などのメーカーサイトを巡ってみる。
 まだ日常は遠い。
 キースと休息日に街でいろいろなショップを冷やかしに行った頃が懐かしい。まだそれから一年も経っていない筈なのに、妙に昔の事の様に感じる。
 アムロだったらどうなのだろう。休日にはどうやって過ごすのだろうか。好きな服は。音楽は。
 お互いの内面は深く知ってしまったけれど、その他には何も知らなかった。
 しかし、そんなことを知らなくても、友情は成立している。それが希有で掛け替えのないものだと言うことは、よく分かった。
 深く息を吐く。それが香ばしいのが、妙に心地よかった。

 暫くそのまま、見るとはなしにサイトを巡りながらコーヒーを飲み終え、しかしまだ帰る気にもならずにシングルのエスプレッソとビスキュイを頼む。
 苦みが少しだけ、気を紛らせてくれる。
 ビスキュイをデミダスカップに浸して画面に目を移す。
 と、片隅にメールの新着を知らせるアイコンが点滅を始めた。
 開けると、アムロからだ。
 妙に早いが、地球の時間など気にしていなかった。アムロも休息時間だったのだろうと深く考えずメールを開ける。

『今シャトルに乗ってる。明日には月に着く』

 簡潔なメールだった。
 我が目を疑い、ヘッダを見る。
 間違いなく、アムロからのメールだ。
 慌てて小さなキーボードを叩く。
 メールが出来るなら、メッセンジャーも可能な筈だ。ソフトを立ち上げ、アムロからの繋がりを待つ。
 ややあって、アムロの接続が知らされた。

『宇宙に来られるのか?』
『仕方ない。君のメールより先に知らせが来た。あいつが居なくなったなら、代理が立つしかないから。こっちの代表はまだたくさん処理があるから、僕が代わり』
『大丈夫なのか』
『今はな。君からのメールとこれのお陰だ。さっきまで、もの凄く気持ち悪かったけど。メールに気付かなかったら、ホントに死にそうだったかも』
『会えるか? 会いたい』
『今、月?』
『うん。フォン・ブラウンにいる』
『そっか。じゃあ、会えると思う。僕もフォン・ブラウンに行くから』
『代理って?』
『出資者と会議。勿論僕だけじゃなくて、他にもっとお偉いさんがメインだけど、一応な。代表とは確かに旧知の仲だし、名前もいなくなったヤツに負けないのは僕だけらしいから』
『それでも、よく
 どう言えばいいのか分からない。手が止まる。
『全く、あいつだけ逃げるなんて狡いよな。絶対何処かでにやにや笑って見てるんだぜ。性格悪いったらないよな。後でいいとこ取りする気で居るんだろうから』
 その物言いに、打ち込んでいた言葉を消す。
『死体は、まだ見つかってないって』
『そりゃそうだろ。逃げ足だけは一人前なんだから』
『それって、まさか』
 暫く間が開く。
 一分近くの時が経ってから漸く文字の続きが映し出される。

『あのさ。君、もしかしてあいつが死んだと思ってる?』

 息を呑んだ。
 表示された文字列に指が震える。
 通常のキーボードより遙かに小さなパネルではキーを押せない。
 躊躇っていると、また新たに文字が表示される。
『生きてるよ。死んでるわけない。あいつが死んだら、僕には絶対に分かるから』
 確信に満ちた言葉。気休めなどではないと分かる物言いに見えるが、咄嗟には信じられない。
『本当?』
『ああ。分からないわけがないから。何処にいるかとか、たった今どんな状態かとかは分からないけど』
『危ない状態かも知れないって事?』
『少なくとも意識はしっかりしてると思う。意識まで危険な状態だったら、多分僕を探しに来る筈だから。それに、しぶといんだよな、あいつ』
『でも見つからないって。漂ってたらヤバイよ』
『心配しても始まらないさ。ごめん、そろそろミノフスキー粒子の濃い辺りに入るみたいだ』
『ああ。明日何時?』
『1130着予定。現在の予定では十三番ゲートだってさ。手が空いてたら迎えに来て』
『了解。申請しとくよ』
『楽しみだ。よく考えたら、直接会うのってまだ三回目なんだっけ』
『そういえば。全然そんな気しないけど』
『僕も。ああ、もう』
 唐突に通信が切れる。ミノフスキー粒子濃度の濃い宙域へ入ったのだろう。

 止まってしまったメッセージウインドゥを見詰め、呆然とする。
 放り出された気分だ。
 表示されている文字を眺める。
 生きている。その文字が何より鮮明に映る。
 アムロになら分かるのだろうか。アムロも、クワトロも、NTだから。
 気付けば、カップの中のビスキュイはふやけ、崩れていた。
 少し顔を顰めながらスプーンを使って飲み、もう一度画面のメッセージ履歴を見る。

 クワトロが生きている。
 あの、美しい人が……ガトーに繋がる人が、生きている。
 鼻の奥にじんとした疼きを感じた。ふいにディスプレイがぼやける。
 慌てて手の甲で目元を拭った。
 戦う理由はまだ残されている。
 アクシズ……ジオンと戦うこともそうだが、クワトロから一本取ることもまた挑戦できる。
 そういう分かり易い、単純な構図が今の自分には実に必要なものに思えた。

 ぱんっと頬を叩いて気合を入れ直す。
 鬱々としていた気持ちが、少し晴れているのを感じる。
 アムロと話せたこと、それからクワトロの生死に希望が見い出せたことで、コウらしい前向きさを取り戻し始めていた。

 艦へ戻り、夕方からのブリーフィングに出席する。
 そこで、先にアムロから聞いたカラバの人間が来る旨が伝えられた。
 先の戦いで何処も人手が足りない。ドッグ入りのこの艦所属の中からも数名の護衛を出して欲しいとの要請に、コウは一も二もなく手を挙げた。
 折角暫しの休息の取れる時に面倒な任務を受けるコウに、艦長は不可思議そうな視線を向ける。
 アムロとコウの繋がりは、クワトロとブライト、そしてカミーユしか知らないことだ。
「休養が潰れるが、構わないのか?」
「はい。是非」
「そうか。フォン・ブラウン市のエゥーゴ支部からも人が出るから、君一人が負うわけではない。アクシズの動きは月へ向けては今のところ見えないから、気楽に行けばいい」
「了解です」
 受け取った簡易的な辞令に書かれていた場所は1130に第十三番ゲート。
 アムロの言っていたのと同じだ。その中に居ることだろう。
 嬉しそうに、大切そうに紙を片付けるコウを、周りの人間は不思議そうに眺めた。

 翌日。
 コウはいそいそと港の十三番ゲートに向かった。
 久々に真面な制服を着た気がする。糊の利いたスラックスが少し擦れて痛い程だ。
 あれから、アムロは変われたのだろうか。足踏みをしている自分と違って。
 うろうろとゲートの前をうろうろしているうちに、同じ格好をした人間が数人増える。そして、一台のシャトルが到着した。

 一般客の降りた最後に、スーツにカラバの記章を着けた男が三人と、その後ろから連れ立った男女が降りてくる。
 男はふらふらとしながら女に支えられていたが、タラップに足を着くなりその場に崩れ落ちてしまう。
「あ、っ!」
 咄嗟にコウは要人達の横を擦り抜け、男に駆け寄った。
 赤茶色の頭に華奢な身体。カラバのジャケットに包まれた肩もほっそりとしている。
 見間違う筈もない。
「何よ、貴方」
 側の女が甲高い声で噛みついてきたが、それを無視して助け起こす。
「医務室に」
「…………いや…………」
 口元を抑えたまま顔を上げない。
 半ば抱えたまま見回すと、要人達の方は他から来たエゥーゴの人間が応対していた。
「大丈夫じゃないだろ。連れて行くから」
「貴方何なのよ!」
「……ベル……やめろ、彼は……っ…………」
 顔が蒼白で指先まで血の気を失い冷たくなっている。
 どう見ても危ない。
「少し横になった方がいい。宇宙酔いとかだろ?」
「ベルトーチカ…………あの人達に……会議には、間に合わせるって……君は、彼らの方に……」
「えっ? ……ええ!」
 絶え絶えな様子で指示を受けて、ベルトーチカは渋々アムロの側を離れ、要人達の方へ駆けていく。
 その間に、コウはアムロを抱き上げた。
 体重はニナより軽い程に感じる。それなりに腕力のあるコウにはさほど辛い重さでもない。
 一瞬拒もうとした様子は分かるが、直ぐに手はずるりと垂れ下がった。
「しっかり!」
「…………気持ち……悪ぃ…………」
「取り敢えず、港の医務室まで連れて行くから」
「…………任せる…………」

 駆け込んだ医務室のベッドへ横にして、額に冷たいタオルを置く。
 医務室とは名ばかりで、医務員が控えているわけでもない。カーテンで仕切られたベッドと薬剤や包帯などが入りながらも鍵の掛かった棚が並んでいるばかりで人はいない。
 暫くじっとしていたが探る様に腕が伸ばされ、コウは深く考えずにその手を取った。小指に、指輪が嵌められている。
 まだ血の気は戻らない。
 浅く早い呼吸を繰り返す唇は、時折吐き気を堪える様に歪んだ。
「ああ…………」
「何か飲む?」
「…………いい…………」
 シャトルの中に比べれば空気はいいものの、入り交じる消毒や薬の匂いに吐き気は治まらない。
「…………何処か……別の所、ないかな…………医療施設、嫌い……」
「何処かホテルとか取る? 僕の船も今はドッグ入りで出入りは面倒だし」
「ん…………」
 タオルをずるずると口元まで引っ張って覆う。
 ややあって、大きく肩が上下した。深く息をしたのが分かる。
「…………ちょっと落ち着いてきた」
「会議1500からだっけ? 行けそう?」
「行くよ。……何の為にこんな気持ち悪い思いしてまで宇宙に来たと思ってるんだ」
 寝返りを打ってコウに背を向けるが、繋いだ手は離さない。
「久しぶりなのにな…………コウ、悪い」
「無茶するよ。まだ行けないって散々言ってたのに」
「…………地球からじゃ……遠すぎて」
「?」
「あいつの事…………あいつが消えたの、地球や他のコロニーより、ここが近いだろ……だから…………」
「……そっか…………そうだな。でも、だからって無理し過ぎだ」
「うん。会って早々こんな様ってのは……ないよな」
 七年以上ぶりの無重力帯の感覚も大変に辛かったが、それ以上に数多くの思念の漂うこの宙域が酷く重く圧し掛かってくる。
 戦場の痛みは地球で十分に思い出しその中に身を置きもしたが、それに宇宙の感覚が伴うとどうしようもなかった。
 だが、繋ぎ合わせた手から伝わる優しく強い思念がアムロに落ち着きを齎していく。
 微かな陰りを感じても、それでも、コウはアムロが知る中でもやはり強い人間だった。
「両手、貸して貰っていい?」
「何?」
「コウの強さを分けて欲しい」
「強くなんてないけど……そんなことでいいなら。はい」
 空いた手を差し出す。アムロはまたごろりと寝返りを打ってコウの方を向くと、両手を繋ぎ合わせた。
 時間を掛け、ゆっくりと息が吐き出される。
 コウにはアムロが何をどう感じているのか分からない。沈黙が怖いとは思わなかったが、少し居たたまれない気分になる。

「…………あいつ…………ここに居そうだな……」
「え?」
 顔を軽く振ってタオルを落とし、気怠げな視線をコウに向ける。
 コウは目を瞬かせて見詰め返した。
「宙域と距離……それから、あいつの昔からの仲間とか、さ。今感じはしないけど、一番可能性が高いと思う。それに……さすがに無傷じゃないだろうし。大層なご身分だから、おちおち怪我も出来ない。馬鹿みたいだけど……」
 重ねた掌が熱い。
「何で出て来ないんだろう。あの人だったら、どうにかして直ぐに繋ぎを付けられそうだと思うんだけど」
「周りの判断か……本人が今動けないか、どっちかかな。どちらもありそうだと思うけど。…………ダカールの演説から後、地球でも旧ジオン派が大分騒がしくなってたから」
「クワトロ大尉がアクシズに行く可能性もあるって事?」
 真剣に尋ねる。
 アムロはきょとんとした顔でコウを見ると、次の瞬間盛大に笑い出した。
「ないない! 絶対ないよ、そんなこと!」
「何で絶対って言い切れるんだ?」
 アムロは長く繋いで少し汗ばみ始めていた手を解き、軽く身体を起こした。
「あいつは、アクシズを許せないんだぜ。それが、どうして与したりするんだよ」
「でも、あの人は……その、元々向こうの人だし」
「アクシズの主眼はザビ家の復興と、そのザビ家による宇宙の掌握だ。シャアが目指しているのは独裁じゃないよ。あくまで、スペースノイドの自治と……全人類の覚醒だ。目的が違って袂を分かったのに、戻るわけないと思う」
「分かるのか?」
「分かるよ。これ以上は、コウには説明できないんだけど……分かる」
 笑ったお陰か、顔色は随分良くなってきている。
 その事にはほっとしたが、コウには釈然としない思いが残っていた。
 アムロが言う通りだったとしても、クワトロは本来地球連邦に与する人間ではない。
 ティターンズが消えた今、エゥーゴもカラバも地球連邦に歩み寄り、摺り合わせて併合されるであろう事は、コウにも分かることだ。
 旧ジオン派の輩が勢いづいたなら、厭でも担ぎ出されるだろう。それがアクシズと組まないという確証は、コウに持てる筈もなかった。

「…………あいつは、動いてしまうと思う。ジオニズムの為に。カミーユが壊れてしまったなら、尚更」
「どうして」
「勘……って言っても駄目かな。会わないと……俺にもよくは分からない。だけど……そんな気がするんだ。そう言うのもあって、あいつを捜したくてここまで来たんだけど」
 ゆっくりと身体を起こして、ベッドの上に座る。
 まだ少し気分が悪そうだったが、概ね取り戻している様に見えた。
 軽く髪を掻き混ぜる指に指輪が光った。
「それ……まだしててくれたんだ」
「え? あ、ああ……。シャトルの中で嵌めたんだ。ベルトーチカには勘ぐられて怒られたけど……これがなかったら意識もやばかったかもな」
 光に透かす様に手を広げ、指輪を眺める。
 三度の出会い。その友情の証。
 戦いの中でも忘れずに持っていてくれたことが嬉しい。
「想いって、大きいんだ。……それが分かる」
 指先で辿る。簡単な細工もな銀の輪は、体温が移って何処か温かかった。
「ベルトーチカはいい子だけど……少し、違うんだよな。守ってくれるものとか……そういうのとは。男として情けないとは思うけど、こういう時はちょっときつい」
 笑ってみせる顔は、コウが知っているアムロのものではなかった。
 何かを吹っ切っているのが分かる。もう、戦うことに怯えていたアムロではない。
 瞳が揺るぎなかった。
 こんな表情を出来る様になったアムロを護ることは、コウには出来そうにもない。
「僕だって、何も守れない」
 クワトロが勝てない程の存在。目を見れば感じられる確かな強さ。
 揺るぎないもの。力強いもの。
 惹かれるのは、分かる。
「こんな風に静かにちゃんと話せて気兼ねの要らない相手って言うのは、それだけで守られてる気になる。この環境を作ってくれたのは、コウだろ。だから」
 目を細める様にして笑う。
 釣られて曖昧な笑みを返すと、アムロは軽く吹き出した。

「僕もさ、ちょっと覚えた。友達との付き合い方とか。だから、気を使わなくて大丈夫だよ。キースってホント、いい奴だよな」
「カラバに行ったってのは聞いたけど、会ってた?」
「うん。僕の隊じゃないけどさ。……そうだ。コウ、今度地球に降りられる様だったら来てよ。キースにも会えると思うし、部下とか紹介するから。コウは……少し話聞いた方がいいかもって思うんだ。シャアから聞いただけじゃ、偏ってると思うからさ」
「何?」
 アムロは笑みを消し、真っ直ぐにコウを見た。人の目を見て話せる様になっている。本当に、別人の様だ。
 重々しく口を開く。
「……カラバやエゥーゴの趣旨は、ジオニズムに限りなく近い。だから、旧ジオン派の賛同者も結構居る。…………まだ、追ってるなら、知るのは悪い事じゃないと思う」
「ジオンと……一緒に?」
 あれは、敵だ。
 コウの顔が強張る。アムロは困った様に小さく首を傾げて、後頭部を掻いた。
「…………不思議だと思うよ。僕だって。…………あの頃の僕には、敵だって……それだけしかなくて。仲間が次々死んでいって……それは勿論許せないけど、ジオンには、シャアやララァだっていた。個々人の問題じゃないって、今は分かる」
「だけど、今だって敵はジオンだ」
「違う。ネオ・ジオンだ。一枚岩じゃない。旧ジオンの人達が戻ろうとするのは止められる話じゃないけど、ジオンは別れるよ。ハマーンと……シャアに」
「クワトロ大尉となら、アムロは一緒に行けるのか?」
「それを話したいから、あいつを捜してるんだ」
「ああ…………でも!」
 敵対できるのだろうか。
 地球であった時の二人は、齟齬はあっても通じ合えている様に見えた。
 一緒に行けなかった時、アムロはどうするつもりだというのだろう。
 不安げにアムロを窺うと、柔らかな表情で受け流される。
「分かんなくていいよ。僕も、まだ整理できてない。あいつと違って政治をやろうとか思想がどうとかなんて気はないしな。…………ああ……まったく、あいつってば何処に居るんだろう」
 ベッドに後ろ手を着いて天井を見上げる。
 クワトロの姿がそこにある様に気がした。素気ない口を利きながらも、アムロは深くクワトロのことを考えている。
 自分がアムロに会いたがった様に、アムロもクワトロに会いたいのだろう。

「アムロは、いつ地球に戻っちゃうんだ?」
 手伝ってやりたい。しかし、自分達の間には、いつも時間が足りない。
 初めは三日。次は数時間。そして……。
「明明後日。今日の午後と明日一日が会議で、明後日が一日オフで、その次の日に帰る」
「僕は明後日出航なんだ……時間がないな。大尉を一緒には捜せないかも」
「今日も明日も会議は夕方には終わると思う。その後、付き合ってくれよ」
「ああ。僕の任務は、アムロ達一行の護衛だから」
 こんな流れになろうとは思っていなかったが、アムロと一緒にいられる時間が長くなるのは素直に嬉しい。
「コウが護ってくれるのか。それはいいな」
 少し笑って、アムロは大きく欠伸をした。
 ぱたりと身体を倒す。
「今何時?」
「えっと……1225時」
「ここから会議場までどれくらい?」
「三十分はかからないと思うよ」
「じゃあもうちょっと大丈夫かな。……ごめん。ちょっとだけ寝たい」
 コウへと撓やかに手が伸ばされる。掬い取ると、嬉しげに微笑まれた。
「三十分で起こしてくれ」
「待たせるのか、あっち」
「……寝てないんだよ。シャトルでは無理だったから。このままだったら会議中に寝る」
「うーん…………分かった。でも僕も寝ちゃうかもな……僕もあんまり寝てないんだ、あの戦いから」
「…………寝坊したら謝ればいいさ。寝入ったら、離していいよ」
 繋いだ手を軽く上げてみせる。そして、さっさと目を閉じてしまった。
 身体を丸める様な寝方は何処か子供っぽい。
 初めて会った時は、少し触れるだけでも厭がっていた。それだけ親しくなれたのだろう。たった三度の逢瀬でも。
 腕時計のアラームを三十分後にセットする。
 足先で側のパイプ椅子を引き寄せて座り、手に温もりを感じながらコウも軽く上体を倒す。アムロに重ならない様に気を使いながら目を閉じた。
 繋いだ手を離したくないのは、自分もだった。

「んー…………」
 温かい。
 人の体温は自分を落ち着かせてくれるが、女とは違う確かな手触りがひどく不思議だった。
 不快ではない。しかし……。
「ぅ…………」
 まだ眠い。
 寝惚けて止まない目を何とか薄く開けると、さらさらとした直毛の黒髪が視界に入った。
 腕の中に抱き込んでいる身体は大きい。クワトロと、同じくらいに。
「…………あ…………あれー…………」
 どうして自分はコウを抱いて眠っているのだろう。
 腕を解くと、コウも眠っているのが分かった。
 戦いの後、まだ大した休養を貰っていないのだろうから、少しの間でも睡眠を取ってしまうのはよく分かる。
 手を繋いでいるうちにコウにも睡魔が訪れたのだろう。そして、そのまま自分が抱き込んでしまった様だった。
「コウー。起きろよ。今何時?」
 揺さぶってみても起きない。大型犬が眠っている様な印象の姿は、何処かシャアに重なって見えた。
「コウってば」
 腕を上げさせて、時計を見る。
「……うわ。コウ! 起きろっ!! まずいよ!」
 強めに揺すっても起きない。
「ちぃっ」
 面倒な重さだが仕方ない。持ち上げ、足を使ってベッドから蹴り落とす。
「…………っ……痛……何……え? あ……あれ……」
 強かに床に身体を打ち付けて、漸くコウの目も覚める。
「起こしてって言っただろ!?」
「……え?」
 腕時計を見る。
 時刻は1430を回っていた。

 青褪めて、飛び起きる。
「うわぁっ! 拙いよ、これっ!」
「何でコウまで寝てるんだよ!」
「仕方ないだろ、眠かったんだよ! 寝ちゃうかもって言ったじゃないか! ちゃんとアラームだってセットしてた! 何で二人とも気付かないんだよ!!」
「知るか! とにかく急がないと。コウ、顔腫れてるぞ。寝てたのがバレる」
「アムロだって」
「僕はいいだろ。僕の体調不良でこうなってるんだから。ああ、寝癖が」
「濡らして抑えれば直ぐに直るよ」
 部屋の隅の手洗い場へ駆けていく。
 鏡を覗き込んで、腫れぼったい目に愕然とした。
 凄い勢いで顔を洗い、濡れた手で髪を整える。
 言った通り直ぐに真っ直ぐに戻った髪に、アムロは妙な感動を覚えた。
「凄いな。真っ直ぐって」
「アムロは……それ、寝癖?」
「櫛入れても一緒だから多分違う。目が赤いのは直らないな……お湯出るか、ここ」
 コックを捻る。
「ああ……出た」
「タオル……と」
 棚の引き出しを漁れば出てくる。熱い湯で濡らして絞り、コウの顔に押しつけた。
「少しマシになる筈だから。エレカ手配してくるから早く来いよ」
「……僕が護衛なんだけど」
「時間ないだろ?」
「うん」

 二人が議場へ駆け込んだ時、既に中では顔合わせが始まっていた。
 アムロの体調不良が原因での遅刻と言うことで、お咎めは辛うじてなくて済んだ。
 明日が本会議と言うことで、顔合わせの他は議事法や裁決法の決定だけに留まる。
 二時間程の会議の後は晩餐会に雪崩れ込む様だったが、アムロは体調不良を押し通して席を外した。アムロの手引きで上手くコウも抜ける。
 綺麗なプラチナブロンドの女がもの凄い目でこちらを睨んでいたが、彼女はアムロの代理を務めざるを得ない上に紅一点である。逃れようもない様子だった。

「あー……それこそ指輪の一つでも買うかな」
「あの子?」
「ああ。宥めるのはちょっと大変かも」
 カラバが仮名で取っていた宿へ一度入ってアムロはジャケットを脱ぎ捨てた。
 コウにはアムロの服は着られないので、厭でも制服のままになる。
 取り敢えず街で羽織るものを買うことにして、連れだって街へ出る。

 思えば朝食後何も食べていないが、アムロは気にした様子もない。
 その食の細さを心配しながらもコウは早々に根を上げ、手軽に食べられるファストフードを求める。
「マクダニエル……って言っても、分からないよな、多分」
「出資者だっけ。……でも違うな。居ないと思う」
「ああ……」
「あいつの方から繋がろうとしてくれれば、直ぐ分かってやれるのに」
 苛々と爪を噛む。
 アムロが頼んだものはSサイズのウーロン茶一杯だけだった。
 もう嘔吐感などは薄れている様だが、相変わらず食欲はないらしい。
 ハンバーガーを種類を変えて四つにLサイズのポテト、ナゲットにこれもまたL寸のドリンクをトレーに乗せているコウとは対照的だ。
「この街なのかな」
「分からない。だけど…………何となく」
「手がかりもないもんな……」
「僕の勘だけってのは、やっぱり無理だよな……付き合わせて悪いと思ってる」
「いいよ。どうせ晩餐会とか苦手だし。……でも、難しいよな、このままじゃ……」
 ぺろりとポテトとハンバーガーを食べ終え、ドリンクのストローを口で銜えて弄ぶ。
 適当に買ったジーンズとシャツで、コウもすっかりただの青年になっていた、
 アムロと顔を突き合わせてひそひそと話していても、ファストフード店にすっかり融け込んで誰も気に掛けない。

「探しても見つかってないんだよなぁ。アーガマの捜索能力で見つからないなら厳しいよ」
「探索履歴はハックしてみた。死んでないって確証はしてるけど、やっぱりちゃんとは分からないみたいだ。フォン・ブラウンでの動きが一番顕著みたいだったから、一番怪しいんだと思ってるけど」
「ハックって……ちゃんと聞けば教えてくれるよ?」
「あいつに知られるのが厭だ」
「何で?」
「……僕に対して絶対道を残してるんだ。あいつなら。だから、乗ってやらない」
「何それ」
 アムロの言い分が理解できない。
 ナゲットも腹の中に収め、ドリンクで流し込む。
 アムロはコウを全く見ていない様子で視線を空間に移し、不愉快そうに眉を顰めた。
「あいつも、僕に会いたがってる。それだけは…………厭になるくらい、分かる。だから、あいつの誘いには乗ってやらない。会いたい癖に出てくる気がないなんて卑怯だ。だから僕の力だけであいつを捜す。見当違いなことばかりしていたら向こうからコンタクト取ってくる可能性もある。そうなったら、引き摺りだしてやるんだ。僕の前に」
 音を立ててウーロン茶を啜る。
「意地?」
「……そうかもな」
「だけど、そんな余裕あるかな……バジーナ大尉、怪我とかしてるかもって言ったの、アムロじゃないか」
「あいつの手足は幾らでもいるよ。最悪、あいつは首から上だけでも……生きていける」
 飲みきった紙コップを握り潰す。
「……会って、話さないといけないんだ。だけどあいつの道に乗せられるのだけは厭だ」
 きっぱりと言って、また爪を噛み始める。
 迷いはない様だった。
 ただ、取っ掛かりがないだけだ。
「取り敢えず、出るか? ここでじっとしてても見つかるわけない」
「ああ。そうだな……」

 往来に出て当てもなく歩き始める。
 しかし、ふとアムロは足を止めた。振り返り、周りを見回し始める。
「どうした?」
「ん…………何か…………触られてる気がする……」
「えっ?」
「ああ…………いや…………」
 表情が見る間に険悪になっていく。
 唇を噛むや、アムロは急に走り出した。コウは慌てて後を追う。
「アムロ!?」
 足はコウの方が随分早いし持久力もある。周りを見回しながら懸命に走るアムロに並んで、周りの様子を伺った。
 コウには何も分からない。
 アムロの足は止まらず、道程に躊躇いもない。
 やがて、一つの広場に辿り着いた。

「……はっ…………ぁ…………」
 汗ばみ、すっかり息が上がっている。
 首筋に滲む汗を手の甲で拭い、アムロは周りをぐるりと見回す。
 賑わっている広場だった。緑が多く、昼間ならさぞ降り注ぐ光が心地いいことだろう。
 まだ遅い時間ではないので人通りは多い。
「アムロ、大丈夫か!?」
「何処だっ!」
 コウの手を振り払い、叫ぶ。
 一瞬人々が足を止め、注目した。
 コウは居たたまれずアムロの袖を引っ張る。
「アムロ?」
「……っ…………」
 泣き出しそうに顔が歪む。
 唇が、微かに動いた。しかし、声は出て来ない。
 何を言ったのか、コウには分かる気がした。

「アムロ……こんな人の多い所には、いないよ」
「………………でも……居るんだ!」
 コウに掴み掛かる。コウは困ってアムロを見下ろした。目線は少しばかりアムロの方が低い。
 胸倉を掴み上げられたが、コウは動じなかった。
「気持ち悪い。何で、こんな……っ! 何処かで見てる!」
「事情があるんだよ、きっと」
「……分かってるよ! だけど!」
 細い手首を掴んで、ゆっくりと手を離させる。
 コウに掴まれたまま、アムロは地面に膝を付いた。
「くそっ……コウ、離せっ!」
 手首を捻って外そうにもコウの握力はそれなりに強い。
 アムロは身体を震わせていた。
「……気持ち悪い…………っ…………」
 俯いて咳き込む。
 思わずコウも側に身を屈め、背を撫でる。
「出てくる気がないなら……俺に触れるな!」
 辛うじて立ち上がる。
 身体の内側を撫でられている様な感覚に震えが走る。
 地球であった時とは比べものにならないダイレクトな感覚は、それほどシャアが傷つき苦しんでいることの証の様にも感じた。
 だが姿も現さず求められても答えられるわけがない。

 もう一度、唇だけが動く。
『シャア』
 そう、分かる。
 どれだけ昂ぶっていても、口に出来る筈のない名前だと分かっていた。
『シャア』
 コウがガトーを呼んだのと同じ程の昂ぶりと熱で名前を口にする。
『シャア』
 それでも、まだ求められるものがあることに、コウは羨む。
 クワトロは生きている。なら、まだ求められるのだ。
 アムロも、自分も。
 堪らなくなって、アムロの肩を抱く。

 額を合わせた。
 アムロは驚いて目を丸く見開き、コウを見る。しかしコウは動じず、その状態の不審さにも気が付かない。
「アムロ……帰ろう」
「…………分かってる……」
「またちゃんと話せるよ」
「………………分かってる…………」
「時は、来るよ。きっと」
「……………………分かってるって!」
 ここが往来だという自覚はありながらも、どうしようもなくなってアムロは叫んだ。
 その叫びにコウは知る。
 あの時の自分と似た様なのだ。
 五年も前の、戦いの中で全てを放り出された時の自分と。
 直接手を合わせていたわけではなくても、そう言うことなのだと思う。
 勘のいい方ではないが、この慟哭には覚えがあった。
「でも……また会えるから」
「っ」
 アムロの顔が強張る。
 気休めにコウが口にした言葉が一瞬にしてアムロを引き戻した。
 吹っ切った筈の燻りが焚き付けられる。

「コウ……離せ…………」
「もう大丈夫?」
 顔を覗き込むと強張ってはいるが多少の落ち着きはある。
 確認して手を離す。
「………………大丈夫。そうだ。……彼女が僕の所にいるってあいつが信じてる限り…………また、時は来る……」
 震える息を深く吐く。
 シャアに対するカードはまだ、アムロの手元にあった。
 もう少し身体の力を抜いたのを見て、コウはほっとする。
「……僕もその時にはバジーナ大尉に会いたい。今度こそ決着付けなきゃ! 結局最初の一回以来、全然手合わせできなかったから」
 コウなりの気遣いが分かる。
 アムロはやっと、口元の強張りまで解いた。

「……僕とするか? 僕もコウとやってみたいな。あいつが認めたなら」
「やる! でも……それこそ、これからどう再編していくかに寄るよな。……出来るなら、アムロと一緒に戦ってみたいけど」
 これ程アムロに影響を及ぼすなら、クワトロが生きていて、これから先のことも考えていると言うことに疑いはもう持たない。
 自分達も先を考えなくてはいけない。
 コウはぐっと拳を握り、上へ突き上げた。
「忘れるなよ、アムロ! 約束!」
「忘れないよ。早くできたらいいけど……アクシズの動きと、これからのシャアの動き次第……だろうな」
 やんわりとコウの手を下ろさせる。
 コウは意識の外の様だったが、アムロはそろそろ衆人の目が居たたまれなくなりつつあった。
「アクシズか…………全然分からない。だけどガトーとは何か違うって思う」
「コウから聞いた話だと、確かに違いそうかな。僕も曖昧にしか理解できてないけど。あいつが説明してくれれば分かり易そうなのに」
 まだ微かに重い息を吐く。
 気配が厭わしい。気を許せば簡単に昂ぶってしまいそうだった。
 クワトロがエゥーゴ代表としての役割を最後まで果たすつもりなら、それを支えてやるつもりくらいはあったというのに、クワトロは逃げたのだ。
 もう受け入れてやる謂われもない。
 唇を噛み締める。
 コウはアムロの様子にあまり気付いていなかった。
「バジーナ大尉は本当に動くのか?」
「暫くは動かないかも知れないけど、じっとしていられる人間なら……エゥーゴになんて参加もしなかった筈だろ」
「そうかな。もの凄く優しいから、仕方なく参加したのかとも思った」
「仕方ない部分はあっただろうけど、それだけで動く人間じゃないよ。動機はもっと純粋だ。あいつなら」
 繋がりが羨ましい。
 アムロは何処までもクワトロを理解している様に見えた。
 ガトーなら自分をこうまで理解してくれただろうか。
 自分なら、これ程ガトーを理解することが出来ただろうか。
 お互いに、それだけは無理だったろうと思うが、アムロも初めてクワトロ……シャアと戦った時には理解できなかったと昔言っていた。
 時があれば分かり合えたのだろうか。
 その時を許されたアムロとクワトロが羨ましかった。

「……なぁ、アムロ。僕も一緒に、バジーナ大尉を追いかけてもいいかな」
 何かをするつもりで居るなら、そんな道もある筈だ。
「……辛い道かも知れないぞ」
 シャアがアムロやコウと同じ考えで同じ道を目指すかどうかは分からない。
 シャアにはゼロか百かしかないし、気も短い。
「それでも、さ。何もないよりいい。僕に戦いの意味をくれるって言った人だから。僕に、ガトーを追い越すことを許してくれた人だから」
「……僕には、止められないよ。コウが、何かを追いかけてないと死んでしまいそうだって事は、分かる」
 道の半ばで倒れそうになった時に支えてくれる手を拒める程、アムロは自分が強いとは思っていない。
 俯いて、小さく頷く。

「ああ……何だか疲れた。帰ろうか」
 溜息を吐き、気を取り直してぐっと伸びをする。
 さり気なく手を繋ぐと、クワトロの気配が薄れるのを感じた。
 身体の芯がまだ震えていたのが掻き消されていく。
 何処かほのぼのとしたコウの空気はアムロにとって優しい。
「ホテルまで送るよ」
「その前に……コウ、アクセサリーとか選んだことある?」
「あるけど……ああ! あの女の子に何か買うって言ってたっけ」
「まだ開いてる時間だろ。ちょっと付き合ってくれよ」
「いいよ。アムロを送るまでが僕の仕事なんだし」
「頼む。何処か店分かるか?」
「うん。前にニナに指輪買った店なら」
「そこでいいや」
「ちょっと戻るよ」
「任せる」

「うわー……ホントにここ?」
「駄目なら、他探すよ?」
「いや…………コウって、金持ち?」
 店へ入ろうとするコウの手を引っ張り、アムロは躊躇する。
 如何にも高級店という店構えは、どちらもジーンズ姿の男二人で入るには抵抗を感じた。
「普通だと思うけどな。閉店近いし、入ろ」
「ああ……うん」
 繋いでいた手を離す。
 途端に、ぞわり、と背筋に悪寒が走った。クワトロの気配がする。
 アムロの様子には気付かずに、コウはさっさとドアを開けて中に入ってしまった。
 慌ててアムロも追う。
 店内に入ると、益々気配は濃厚になった。
「何で……あいつ」
 コウは早速ケースを覗いている。
 二人の格好があんまりなもので、店員は付いていなかった。
「アムロ、どんなのがいいんだ? あの子、指のサイズ幾つ?」
「…………あ……っ、ああ……指のサイズ、って、何?」
「…………何、って……指のサイズの号数はどれくらいかって」
「指にもサイズなんてあるのか? 知らないよ、そんなの」
「じゃあ、指輪は止めた方がいいかな。ピアスとかは?」
「穴開けるのって危なくないか?」
「…………何がいいかな」
 アムロが非常に疎いと言うことはよく分かった。
 女性に贈るという面ではコウも頼りになるわけがないが、それなりに自分用のアクセサリーは買ったりもする。アムロよりは幾分マシだ。
「店の人に見立てて貰えば?」
「そうだな……」
「すみませーん。見立てて欲しいんですけど」
 自分のことではないのでコウも戸惑いがない。
 手を挙げて店員を呼ぶ。
 閉店準備をしながら、一人の店員が寄ってくる。
「何方様への贈り物でしょうか」
「女の子になんですけど……アムロ、あの子幾つ?」
「十九……だったかな」
「アムロ……アムロ・レイ様で!?」
「っ……」
 そう言えば顔も名前も知られた人間である。
 アムロの顔が引き攣った。
 思わずコウの後ろへ隠れる様に逃れる。
 しかし店員はアムロへ一礼すると奥へ引っ込んでしまった。
「……何なんだろ」
「……さぁ……」
 人の目は嫌いだ。コウのシャツの裾を掴む。

 奥に下がった店員は、直ぐに戻ってきた。支配人らしき人物を連れている。
「アムロ・レイ様、ようこそおいで下さいました。わたくしは当店の支配人でございます。あるお方から贈り物をお預かりしておりますので、どうぞ」
 挨拶と共にクッションに乗せられた瀟洒な箱が運ばれてくる。
 ショーケースの上に置かれ、箱が開かれる。
 目映い光が溢れて見えた。

 鎮座しているのは美しい細工のブローチだった。台は金と白金、ルビーとダイヤモンドがあしらわれている。
「うわー……」
 アムロより先に覗き込んだコウは、感嘆の声を上げる。
 見事としか言いようがない。美しいながら雄麗で、男物であることは分かる。
「アムロ、これ……さぁ」
 鈍いコウにもさすがにこれだけ露骨な色を示されれば分かる。
 コウの横から恐る恐る顔を覗かせたアムロは、箱の中身を見て嫌悪感をありありと浮かべた。
「…………馬鹿か、あいつは」
「凄いな、これ」
「こちらも、お渡しする様に言われております」
 もう一つ小ぶりな箱が出され、開けられる。そちらには細身でシンプルなデザインの指輪が一つ。
 二つ折りにされた紙が側に置かれている。
 厭な予感がしながらも開くと、何処か癖のある文字が現れた。
 読んで、アムロの眉間の皺は深くなっていく。
 最後まで取り敢えず読んで、アムロは手紙を両手で丸めて捨てた。
 慌ててコウも拾い上げ、読んでみる。


親愛なるアムロ・レイ

君に会えないことを残念に思う。君が喜ぶものとは思えないが、受け取って欲しい。私を思い出す標にでもしてくれ。時が来れば必ず会いに行く。その時には君とまた通じ合えると信じている。

指輪はベルトーチカに。君は彼女を怒らせてばかりなのだろう?
関係をこじらせては君の為に良くない。女は怖いものだよ。別れるなら後腐れのないように気を使った方がいい。サイズは丁度いい筈だ。

愛を込めて シャア・アズナブル

 自分のことではないのに、コウは顔を真っ赤にして手紙を小さく畳んで片付けた。
「大尉……凄いな。こんな言葉僕には絶対出て来ないよ」
「…………あいつ…………」
「大尉が選んでくれて良かったね。アムロの彼女の指輪のサイズまで知ってるなんて凄いな」
 全く深く考えていないコウの台詞に頭の血管が切れる音を聞いた気がする。
「巫山戯るな! あいつは何時ここに来てこれを?」
 掴み掛からんばかりの勢いで支配人に尋ねる。
 しかし、支配人は困った様に頭を下げた。
「申し訳ございませんが、郵送でのご依頼を頂きまして」
「封筒は?」
「こちらですが……現金とお品の指定は入っておりましたが、差出人様のお名前などはなく」
「…………あの野郎っ…………」
 歯軋りをする間に箱は二つとも綺麗に包装される。
 高級感の漂う紙袋に入れられ、アムロに差し出された。
「どうぞ、お受け取り下さい」
 要らない、と突っぱねようとしたが、何故か受け取ってしまう。
 あの男から形あるものを貰うのは初めてだった。
 形あるものは何時か壊れる。しかし、そんな儚いものでも形があると言うことがひどく大きい。
 押しつけられた紙袋の持ち手が、手から離れない気がする。
「っ……」
 アムロの顔が歪んだ。
「アムロ……?」
「…………帰るっ」
 紙袋を引っ掴み、アムロは店を飛び出す。
 コウは軽く店員達へ頭を下げつつ、アムロの後を追った。

「巫山戯るなーーーーーっっ!!」
 往来へ飛び出すなり、アムロは思い切り叫んだ。
 紙袋を掴んだ手が怒りで震えている。
 思い出す標など必要ない。あの男の事を考えれば、厭でも頭に血が昇る。
 忘れたくても絶対に忘れられない。モノなどなくても、どのみち繋がりが腕に刻み込まれてしまっている。
 渡すなら直接渡して欲しかった。そうすれば、躊躇いもなく叩き返して拳の一発でも食らわせてやれただろうに。
「…………ちぃっ……」
 厭な男だ、何処までも。
 宝飾店など他にもあるだろうに、あの男はコウがここにいる事も、アムロの行動も読んでいるのだ。余計に腹が立つ。
 そこまでするのに、何故会いに来ない。
「アムロ!」
 コウに呼び止められても返せない。
 血が沸き立って噴出してしまいそうだ。
「あの手紙、本当に大尉からかな?」
「知るか! あいつの字なんて見た事ない!」
「もの凄くいいものみたいだったな、それ。バジーナ大尉、本当にアムロの事想ってるんだ」
「あいつの話なんかするな! 帰る!」
 こんな街にいるのはもう厭だ。
 やはり、来るのではなかった。あの男に引き摺られるべきではなかった。
 顔を歪ませるばかりのアムロに、コウは掛ける言葉が殆ど見つからなかった。
「とりあえず、ホテルまで戻ろ」
 背を軽く叩く。アムロはこくりと頷いた。
 手を、差し出す。
 口がへの字に曲がり、目元も酷く歪められる。癇癪を起こす子供そのままの顔に、コウは苦笑した。
 きっと、自分もガトーに対してはこんな表情をしているのに違いない。
 アムロが自分と等身大の位置にいる事に、妙な感慨があった。
 コウにとってのガトー、クワトロにとってのアムロ。だが、コウとアムロも近い位置に立ち、クワトロとガトーも同じ平面に立っている。
 人とは、そんなものなのかも知れない。

 アムロは差し出された手を暫く見詰め、そして、繋いた。
 大きな手。温かい手。
 ダカールで確かに繋ぎ合わせた手を思い出し、歩き始めたコウに付き従いながらも顔を上げられない。
 迎えなど来ない。
 アムロが望むような形でシャアが存在してくれる確証など、持てはしなかった。

 ホテルに辿り着くや、ロビーで待ち構えていた女が飛び付いてくる。
 喚いているが、甲高い声では何を言っているのかよく聞き取れない。
 アムロが後ろ手にコウへと謝る仕草を見せる。それに気付いてコウはそっとロビーを出た。

 明日また会える。
 しかしその後は……。
 軍再編の時に希望を述べるくらいの権利は欲しいものだ。
 自分も指輪の一つでも持ってもう一度ニナに謝りに行けばいいのかも知れないが、カラバに参加しているらしいアムロの彼女とは違う。ニナに理解して貰えるとはやはり思えなかった。
 飲んで帰りたい気分になって繁華街へと足を向ける。
 ふと何処かで嗅いだトワレの香りがした様な気がして振り返ったが、街の雑踏に個性はなかった。
 街の宵はまだこれからだった。


作  蒼下 綸

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