「はい、これガトーにあげる!」

「…………この、大馬鹿者!!」

 怒りに充ち満ちて怒鳴りつけられ、コウは目を大きく見開いたまま立ち尽くした。
 手には、零れんばかりの花を付けた桜。はらはらと花弁が舞う。

「貴様、何と愚かな事をする!! 一体何処の枝を折ってきた!」
「きれいだから、ガトーよろこぶかとおもって」
「桜を折る奴が何処にいるか!」
「だって、」
「言い訳をするな!」
「でも!」
「折ったのは何処の枝だ!?」
「となりの、こうえん」
 桜の枝を手にしたまま口をへの字に曲げてガトーを見上げる。
 叱られて、コウは目一杯涙を溜めていた。
 コウには怒られる理由が分からない。
 公園には大きな桜の木が植わっていて、それも程よい辺りから枝分かれしていたものだから、よじ登って桜に埋もれて楽しんでいた。
 桜の花弁の淡い色やはらはらと散っていく様を見ていると何故かガトーを思い出して、今朝園に来る前にこっそりと一枝だけ折って持ってきてしまったのだった。

 怒られた事に納得できず、コウは涙を堪えながらガトーを睨む。
 だがガトーはガトーで、子供の無神経さに怒り心頭でこちらも余裕がない。
「桜の木を折るなどと、正気の沙汰とは思えん」
「だって、ガトーにあげたくて」
「そんなものは要らん! 咲き誇る花の美しさも愛でられぬお前に語る舌などない!」
「なんで? だって、きれいで、ガトーみたいだから、だから」
「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿と言うが、貴様は本当に馬鹿か」
「なにいってるのかわかんない、ガトー」
 とうとう堪えきれない涙がぽろぽろと溢れ出す。
「っ……」
 ガトーも、そこで漸くコウが未だ幼い子供である事を思い出した。
 怒りをぐっと抑え、拳を握る。

「桜は不用意に切ってはならぬ木だ。折った所から細菌が入り枯れる事もある。傷に弱いのだ。考えてみろ。お前も、怪我をすれば痛いだろう? 木も同じだ。……お前は優しいのだから、分かるだろう」
 噛み砕いて諭す様に言うと、次第にコウの表情が強張っていく。
「うっ……ひっく……」
 糊の効いたハンカチが顔に押し当てられ、涙と一緒に流れ出した鼻水も拭う。
「泣くな。……分かったなら構わない。だが、二度とするなよ」
 桜の枝を取り、側の机から挟みを出して折り口を切る。
 ハンカチをコウに渡して、枝を部屋の花瓶に生けた。
「美しいな。確かに」
 小さな身体を抱き上げる。
 コウの行為は許せるものではないが、好意は理解できる。
 息を吐いて自身の気を落ち着かせ、コウの頭を撫でた。
「お前の迎えが来たら……迎えの人に伺って共に見に行こうか」
 桜の花は嫌いではない。華やかでありながら、儚く、美しい。咲き誇る美しさより、その散りゆく様の美は好ましいものだ。
「……うん……いいの?」
「ああ。……今日は、私は早出だったから十七時に帰る。お前の迎えもそれくらいの時間だろう?」
「でもね、ぼく、ガトーとふたりでみたい!」
「それは無理だ。私はお前一人の先生ではないし、お前を勝手に連れ出してはお迎えがいらした時にも心配なさろう。だから……今は」
 抱き上げたコウを花瓶の前で下ろす。
 はらりと舞い散った花弁が漆黒の髪に落ちた。
 コウの性格そのままに屈託のない髪に触れ、解きほぐす様に花弁を払ってやる。
 桜がガトーの様だとコウは言ったが、その桜自体は余程コウに似つかわしいと思う。見るからに日本人であるコウ以上に桜が似合いそうな子供もこの園にはそういない。

 ぼちぼち室内にも園児が増えつつある。
 コウを膝に上げ、共に桜を愛でながら大体が揃うのを待った。

「すごいでしょー!!」
「ああ、こら、走るな」
 コウの迎えには、大体隣に住んでいるという大柄な女性が来てキースと共に引き取っていく。おおらかな性質らしく、コウの花見を邪魔しはしなかった。
 コウの望みの二人きりというのを阻害したのは親友のキースだったが、コウは既にガトーと二人で見たいといった事を忘れている。問題はない。  桜の木は本当に大きく、ガトーが登っても耐えられそうだった。
「ガトーもおいでよー!」
「お前が落ちた時に受け止めねばならんからな」
「おちないよーだ! あ、うわっ!!」
「コウ! うわぁぁあああああ!!」
 下にいるガトーを見下ろして偉そうにも胸を張りかけたところでバランスを崩す。直ぐ側に居たキースに身体が触れ、割を食ったキースは呆気なく落下した。
「くっ……だから、お前は……」
 キースをがっちりとキャッチし、地面に下ろす。
 コウを見上げ睨み付けたが、脳天気にコウは二人をを見下ろしていた。
「キース!! だいじょーぶ?」
「きをつけろよ、コウ!!」
「ごめんー!」
「まったくもう」
 怖かったのだろう。キースは何処か涙目で、もう登ろうという気は失せていた。走って保護者の所へ戻っていく。

「お前も、気が済んだら降りてくるんだぞ」
「ガトーもいっしょにのぼれたらいいのに」
「花見はここで十分だ。……美しいな」
「ガトー…………すごくきれい。やっぱり、このおはなとガトー、にてる!」
「桜と、私が?」
「うん! あのね、ガトー……だけど……ぼく、ちょっとだけ、このおはなきらい」
 コウがいる位置よりさらに上へと伸びる満開の枝を見上げる。
 風が吹き、一層花弁が舞った。
 二人の視界が淡い桜色に埋められる。

「何故、嫌う?」
「だって……」
 桜吹雪の中でガトーを見下ろす。
 淡い色に紛れ、ガトーの姿が半ば解けている様に見えた。

「ガトーがきえちゃうから!」
「コウ!」

 ふわり、とコウの身体が枝を離れる。
 咄嗟に腕を伸ばしたガトーの中へ、丁度良く落下する。
「馬鹿な! お前は」
 コウ一人、ガトーにとってはキースと同じで大した衝撃ではない。
 ただ、真っ直ぐに見上げられ、地面に下ろすに下ろせなくなる。
「ガトー、きえないでね。どこにもいかないでね!」
「馬鹿な事を……私の何処が、桜の様に儚く思えるというのだ」
「きれいだから……すごく……すごーく、きれいだから!」
 ぐりぐりと顔を胸板へと擦り寄せられ、ガトーはより一層困惑する。コウの反応は予測外の事が余りに多い。それが可愛らしくもあり、憎らしくもあった。

「綺麗……か」
「うんっ!」
「光栄な事だな、それは」
「あのね、ガトー」
「ん?」

「また、いっしょにみようね。ぼくがもうすこしおおきくなったら、ふたりでみられるんでしょ?」

 大きくなったらコウは卒園して行く。
 だが満開の桜と同じ、華やいで輝く様な笑顔を見せるコウに、ガトーは何も言えなかった。
 四月。これからまた一年は始まる。


作  蒼下 綸

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