「シャア、誕生日おめでとう!」
「「おめでとう!!」」
その唱和に面食らう。
戸口で固まったシャアに、ガルマは得意満面の表情で微笑みかけた。
「……これは、何だ?」
学年別に寮に設えられた談話室が、派手に飾り付けられている。
用があるから付いて来て欲しい、そう言われて連れて来られた先には、級友達が待ち構えていた。
「何、って……君は、自分の誕生日を覚えていないのかい?」
「……誕生日?」
シャアは一層顔を強張らせる。
忘れていた。自分の誕生日も、シャア・アズナブルの誕生日も。
「君はその他の何でも出来るのに、自分のことに関しては適当なんだな」
「……生まれた日に、それ程感慨を覚えたことなどなかったよ」
エドワウでいた頃には、それでもささやかな誕生会はあった。この日ではなかったが。
自分の本当の誕生日など、まだひと月以上も先の事だ。
「……ごめん。迷惑だったかい?」
乗り気ではなさそうなシャアに、ガルマは少し萎れて上目遣いに様子を伺ってくる。
シャアは気を取り直して極上だと自負する微笑を浮かべ、ガルマと、次いで同級生達に視線を送る。
心地良くないわけではない。
「いや。少し驚いてしまってね。ありがとう、ガルマ。みんなも」
途端にぱっと輝くガルマの顔はひどく幼い。否、ガルマだけではない。同級生達も、まだどこか幼さを残している。
それはそうか。まだ、自分達は十五、六の子供だ。
未成年ゆえに酒はないが、それ以外の支度は揃っていた。ガルマが発起人なのだろう。そうでなくては、寮で出来ることなどもっと限られる。
ケーキも十分人数に足る大きさが用意され、ビュッフェ式に食べ物が並んでいた。
男寮と女寮は繋がってはいるものの容易く行き来できるわけでもないので、むさくるしくも男しかいない。
ただ、女はおらずとも何処か華やかな空気が漂うのは、ひとえにシャアとガルマの為だろう。十人並みの女が何人寄せ集まろうが、この二人の持つ華には敵わない。
二人共にそんな事は歯牙にもかけていなかったが、周りの男子達は許される限りの目の保養に努めている。
「女の子がいればもっと良かった、かな」
「そうだな。うん。……今から呼ぼうか? 君の誕生日だといえば、皆来るだろう。女子だと、クラスメイトじゃなくても来るかもしれない。君は人気があるから」
「君は何でも本気にするなぁ……冗談だよ。女の子は嫌いじゃないが、男同士が騒ぐ場には向いていない」
進んでテーブルに並べられたグラスを手に取る。中身はジュースだ。
テキサスコロニーでは随分荒れてもいたし、誰もその点を咎める者がいなかったから既に酒を飲み慣れてはいるが、学生に無理を言っても仕方がない。
「さあ、ガルマ」
「ああ。みんなも持ったかい?」
自分もグラスを手にして見回す。シャアやガルマに遠慮をしていた者達も、それぞれグラスを持った。
「では……シャア・アズナブルの誕生日を祝して、乾杯!」
「「乾杯!」」
化学香料などではない、本物の果実の味わいのするジュースに口をつける。
美味だが、シャアは一瞬眉間に皺を寄せた。
「美味しいだろう、シャア」
「あっ、ああ……本当に。さすが、御曹司だな。久しぶりに口にした」
地球にいた頃はともかく、その後はそうそう手に入るものでもない。
「兄上に、ルームメイトの誕生日を祝いたいと言ったら取り寄せてくれたんだ。君が喜んでいたことを伝えておくよ」
「兄上? 校長が?」
「いや、ギレン兄上だ。それに、向こうのケーキはうちの家でよく頼むズム・シティの人気店のパティシエが作ったんだよ」
ガルマも口にするし、また、ガルマの沽券にも関わることだからそんなことになったのだろう。
得意げなガルマを誉めそやす周りの連中に対して、シャアは唇に笑みを張り付かせるのが精一杯だった。
ケーキやジュースに罪はない。だが、口の中には苦味が走っていた。
「はい、どうぞ。今日は君が主賓なのだから、一番に取らなくちゃ」
切り分けられたケーキの乗った皿を差し出される。受け取りはしたが、口に運ぶ気にはなれない。
躊躇うシャアに、ガルマは悲しげに眉を顰めた。
「甘いものは嫌いだったかな?」
「いや……ありがたく頂くよ。君の一家が甘いものがお好きとは知らなかった」
「姉上がね。凛々しい方だけど、女の人だから。甘いものや美味しいものもお好きなんだよ」
言われてみれば、ザビ家唯一の女だ。キシリアに対してあまりいい思い出はないし、あまりに猛々しくて忘れていた。ガルマなどより余程男らしい。
「君のご家族には意外性があるな。ギレン閣下も弟君の友人の為にわざわざこんなものを取り寄せて下さる方だとは思っていなかった」
「そうかな……。ギレン兄上も、優しい方だよ。歳が随分離れているから少し近寄りがたい感じはするけれどね。小さい頃は叱られたこともあるけれど、頭ごなしではなくて幼い僕にもちゃんと理を諭して下さったしね」
それは小難しい理屈を捏ねるしか出来なかったからではなかろうか、という突っ込みは、心の中に仕舞う。
ガルマにとってのザビ家と、ジオン公国民が見るザビ家、更にはシャアが感じているザビ家と、それぞれに皆印象が異なる。
「そうだ。今度公邸においでよ。兄上が手入れをしていらっしゃる、見事な温室があるんだよ」
「…………温室……?」
「そう! ちょっとした植物園のようになっているんだ。兄上が分類をして、育てていらっしゃる。もともと兄上は、生物学に興味がおありだから」
「それで、あんな本を書いたのかい?」
ジオン・ダイクンの意思を歪めて世に広めた男だ。ギレンというものは。
「僕にはよく分からない。兄上は頭が良すぎて、父上にもよく分からないんだって」
ギレンを慕い、尊敬しているのがよく分かる。ドズルに対する甘えや、キシリアに対する背伸びとは違う、純粋な憧憬を感じた。
それに値する男なのか、ギレン・ザビが。
そのことが妙に腹立たしい。
「兄上にお会いするのは、君にとっても悪くないと思う。君を紹介できれば、僕も鼻が高い。君は、本当に優秀だから」
「それは、こんな場で言うものではないな。僕一人を贔屓してはならないだろう?」
「他の皆だって! 皆で一緒に行けばいいよ。公邸の見学なら、ドズル兄の許可だって下りるだろう。なんなら、次の休日にでも」
王子様には誰も逆らえない。
否。今のサイド3に、公王一家に招かれて拒む者などいないだろう。プロパガンダは成功している。
ガルマに自覚がないのが、尚のこと腹立たしい。この傲慢が誰の血の上に成り立っているのか、考えたこともないだろう。
「やっぱり……興味ないかな、君は」
眉間に深い溝を刻んだままのシャアに、ガルマは恐る恐る尋ねた。
シャアの機嫌を損ねたくない。それも、こんな日に。
「……いや。閣下が世話をしている庭には興味がある。忙しい方だろうに」
「生物学は兄上のご専門だからね。いつも気にかけていらして、年中いろいろな花が咲いている。地面に咲く花も、木に咲く花も」
ぞっとしない。
ガルマか……まあ取り敢えずは女のキシリアならばともかく、ギレンと花という組み合わせがどうにも想像できない。家族には違う面も見せているということなのだろうか。いや……ガルマには、と言うべきか。
あの不遜な男でさえ、末弟には矢鱈甘い様子が分かる。
上手くいけば近づけるかもしれない。それは、無益なことではない筈だ。
「楽しみだな、それは」
「良かった。じゃあ、ドズル兄に頼んで、公邸との調整をつけて貰っておくから」
周りから歓声が上がる。得意げなガルマに、シャアは口の端を引き上げるのが精一杯だった。
その公邸に何故住めているのか理解しているのか。
その公邸の、本来の住人を、知っているのか。
その地位が何によって成り立っているのか、ガルマは知りもしない。
父親も、兄姉達も、ガルマには何一つ教えていないだろう。真実などジオン・ダイクンとデギン、そして、ギレンの他には知り得ることでもないのだから。
ジンバ・ラルの言い分を一から十まで信じているわけではない。ただ、奪われたものがあるなら相応しい者の手に取り戻すだけのことだ。
「……ァ、シャ……シャア」
「…………何だ、ガルマ」
幾度か名を呼ばれていたらしい。我に返る。
心配げに見詰められ、シャアは眉を顰めて顔を背けた。
「ごめん。具合が悪いなら、パーティーはお開きにしよう」
目出度いことだ。シャアの渋面をガルマはそう受け取ったらしい。眉間の皺を解き、シャアは小さく微笑みかける。
「いや、別に。……済まない。少し考え事をしていた」
「そうか……ならいいんだけど」
無闇な詮索を好まないガルマの品位ある性質は助かる。
シャアを疑うことを知らない無垢な瞳に伺われ、思わず顔を背ける。グラスを煽り顔を隠したが、それが喉へ一層の苦味を走らせた。
「気に入ってくれたかな」
「…………ああ」
この傲慢を詰り、踏み躙ってやることは容易い。
だが、未だだ。
握り潰しそうになるグラスをテーブルへ置き、ガルマの耳元へ顔を寄せる。
「だが、こんな大掛かりなものでなくても良かったのに。君が開いてくれるなら、二人きりでも良かった」
毒を込めて、他へ洩れぬように囁く。
ガルマの鼓動が跳ね上がったのが分かった。一瞬にして耳が赤く染まっている。
簡単なものだ。ガルマの感情はチェスピースの様にシャアの思うがままとなる。
「勿論皆と過ごすのも楽しいが、そういう、ささやかなのもいいと思う。ことにここではプライベートが少ないから。……君も、そうだろう? ザビ家の御曹司」
ガルマは擽られた気分になって軽く首を竦めた。声も、言葉も、ガルマを静かに擽り、煽る。
「……わ、分かった。では、あとで、部屋で改めて……」
「楽しみにしている。ご家族に頼らずに、君が何を用意してくれるのか」
シャアの声は口付けそのものの響きを帯びていた。しかし、余韻に浸ることなく離れてしまう。
熱く疼く耳を押さえ、潤む瞳でシャアを見詰めるが、シャアは既に皆の輪に戻っていた。
当然だろう。今日の主賓はシャアだ。その為に、ガルマは場を用意した。それだと言うのに、皆と談笑するシャアの姿に微かな不安と苛立ちを感じる。
部屋で。
そう、言った。
今以上のものを一人で用意ができるものだろうか。シャアがどうすれば喜ぶのか……それを考える時間は本来素晴らしく幸福なモノであるだろうに、ガルマはシャアの姿を眺めるばかりで何も考えられなくなっていく。
シャアを喜ばせたい。それは、自分に叶えられる事だろうか。
シャアは二人きりの時、誰か第三者が一緒にいる時以上に深い一線を引いてしまう様に思う。
手にしたグラスに口を付けるが、最早味はしなかった。
終
作 蒼下 綸