補給艦と接触した直後で、ブリッジもそこはかとなく楽しげな空気が漂っていた。
 コロニーからコロニーへと転々としているものの、敵と言える存在が見つからないのだから戦闘などもなく、ただ哨戒と訓練をしながら宇宙空間を進んでいる。
 日々、暇と言えば暇なのだ。だから、こうして補給……それだけではなくて嗜好品や手紙の類までが届くともなれば、皆浮き足立つのも仕方がなかった。
 キャプテンシートに座っている自分でさえ、ともすれば尻が浮きそうなのだから、他の誰を責めることが出来るだろう。

 頼んでいた酒は届くのだろうかとか、発注した本は見つかっただろうかとか、眼前のモニターや空間を鹿爪らしく見てはいるものの気がそぞろなのは仕方がない。
 そこへ、ドアがスライドする。
「キャプテン、補給物資と、人員転換のリストが届いた」
 キャプテン、という言い方に何処か軽い響きが含まれている。ブライトは視線も寄越さず、大袈裟に溜息を吐いて見せた。
「……何でわざわざお前が持ってくる。待機中じゃないのか」
「これから非番なんだよ。ついでだ」
 柔らかな身のこなしで近寄って、童顔が微笑む。
 十五の時からの付き合いだが、やはり、それから十余年も経ったとは思えない。
 書類の束をブライトに渡し、キャプテンシートの肘置きに軽く腕を載せて凭れ掛かった。
「アムロ、これは?」
「更についでだよ。ブライトだってこれから一時休息だろう?」
 封筒が一通。
 宛先はブライト、差出人は……その息子と娘からだった。
「ハサウェイとチェーミン? 何でミライじゃないんだ」
 触れた硬さから、中身がディスクなのは分かる。
「中を見れば分かるんじゃないか? じゃあ」
 ふわり、と身を翻したアムロを引き留める。
「ああ、待て。……これから非番なら……少しだけ付き合え」
 戦闘中ではないものの、ここは職場だ。アムロの顔を招き寄せ、耳元に口を寄せる。
「何に」
「いいものが届く。飲めん口じゃないだろう?」
 にやり、と笑うとアムロも笑う。
「それはそれは…………って、いいのか、キャプテン?」
 非番と一時休息は違う。
 咎めと窘めの入り交じる視線に、ブライトは肩を竦めた。
「この補給で届いている筈なんだ。今は舐めるだけだ、俺は。大体、お前と同時に休息なんぞ殆どないんだからな。たまには良かろう」
「……了解。艦長室で待ってる」
「おい、何でお前が」
「艦内は把握してるからー」
 引き留めようとするブライトを簡単に躱して、アムロはブリッジを後にした。
 唖然としていたブライトも一つ咳払いをし、艦長とMS隊隊長の成り行きを面白そうに眺めていたブリッジクルー達を睨んだ。
「12:00より休息に入る。以後、一時間、副艦長に権限委譲のこと」
「了解しました」

「それで、何?」
「お前は……まったく」
 立ち上げた端末にディスクを差し込む。
 アムロは既に届いたばかりの酒をグラスに注いで一人楽しんでいた。
 ブライトは瓶を手にすらしていない。部屋へ下がる時に引き取りに行くと、既にアムロが受け取った後だった。
「別に、ミライさんに何かあった訳じゃないんだろ?」
「ああ…………うん……」
 さすがにディスプレイを覗き込む様な真似はしない。少し離れたソファに座って足を組み、グラスを傾ける。
 ディスプレイを見ている目が優しく微笑んだのが分かり、アムロは酒で湿った唇を舐める。
 羨ましくないと言えば嘘になる。そういう安定感はブライトとミライならではなのだと分かる。自分には、望んでも仕方のないものだ。
 自分は、そういうタイプの人間ではないと分かっている。
「今……幾つになったんだっけ? 子供達」
「上が十一で下が八つだ」
「そんなになるのか……」
「ああ。俺達も年を取るわけだよ。……今回の映像は、ハサウェイとチェーミンだけの力で撮ったんだそうだ。それで、二人の名前だったんだな」
「嬉しそうだな、お父さん」
「まあな。子供の成長があるから、こんな所にだって居られる」
 手を伸ばし、アムロの手からグラスを取る。
 一口だけ含んで、またアムロに返した。
「中々だな。評判だけで頼んでみたが」
「次も期待してるよ」
「……前頼んだのも、そういえば気が付いたらなくなっていたな」
「結構いけたぜ、アレも」
「お前なぁ……」

 やっと画面を落とし、アムロに向き直る。
「食事は?」
「これからだ」
「なら一緒にどうだ」
「そうだな……食べてやるか」
「何だ、その物言いは」
「ブライトと食べるとうるさいんだよな。食べる順番とか、よく噛めとか、好き嫌いするなとか」
「……お前の食べ方が汚いからだろうが」
「やだなー、これだから父親ってのは」
 グラスを空ける。
 童顔ではあるが、アムロは案外酒に強い。聞けば、飲み慣れてしまったからだと笑っていた。
 童顔が勝って気付きにくいが、割りに整った顔は、アムロがそれなりの歳になっていることを物語っている。
「何? 俺の顔に見惚れでもした?」
「ああ……いや、そういう訳じゃないんだが」
「だよなぁ。美人は見慣れてたもんな」
「何のことだ」
「WBの時だってセイラさんがいたし、ミライさんだって素敵な人だったし。アーガマだってシャアとかカミーユとか美人だったろ? その後に至っては、美少女侍らせてたって?」
「茶化すな。そんなこと、考えたこともないぞ。大体、クワトロ大尉やカミーユは男だろうが」
「いいんだよ。考えるくらい。それに、並の美人なんて目じゃなかったろ、男とか言っても」
「俺にはミライが居る。他なんぞ」
「ふぅん……」
 アムロの目が、奥底を攫える様に細められる。
 疚しいことはない筈なのに、居たたまれなくなって顔を背けた。

 ややあって。
 飽きたのかアムロは視線をブライトから外した。
 もう一杯、と瓶に手を伸ばすと、その前にブライトが瓶を遠ざける。
「ケチ」
「食事に行くんだろう。俺には余り時間がないんだぞ」
「…………分かったよ」
「言っておくが、俺の勤務中に入るなよ」
「そこまではしたことないって。ただ、逃げ場が欲しかったからコード解析させて貰っただけだよ」
「……逃げ場?」
「一人でいたくない時の、逃げ場。チェーンじゃ可哀想だしな」
 うんと伸びをしてソファから立ち上がる。
「お前……」
「行くんだろ」
 どことなく元気がない。
 まだ座ったまま、ブライトはアムロを見上げた。
「…………お前、ちゃんと、眠ってるのか?」
「寝てるよ。多分。夢を見るから寝てんだろ。寝てないと、さすがに訓練中に飛ぶ」
 今は宇宙も表面上凪いでいるので戦艦内とは言えそれなりに規則正しい生活を送れている。職務上の理由で寝不足などはない。
 それはそうだろうが、しかし。
「何時からだ。そんな」
 咎める様に言われ、アムロは首を竦めた。
「シャアを追い始めてから。……仕方ないだろ。こればっかりはさ。分かってるんだ。あいつだって、どうせ熟睡なんかしてないさ」
 爆睡できる様な性格なら、そもそも今こんなことにもなっていないだろう。
 いろいろと神経質で、考えすぎの男だからこそ、軍備を整えて起とうとしている筈だ。
 それでも何処か苦しそうなアムロに、ブライトも立ち上がってアムロの頭を掻き混ぜる様に撫でた。ただでさえふわふわと纏まりも落ち着きもない髪が一層な事になった。
 少し恨めしそうにブライトを見ながら、それでも手を振り払いはしない。
「お前なぁ…………だから俺なんぞを羨むんだ。いい加減所帯でも持て。そうすれば俺の所なんかに逃げ込まなくてもいいだろうが」
「俺には、そんな甲斐性なんかないよ。それに、別に実際勝手にここに入った事なんてない。その程度には寝てるし、休んでるから平気」
「平気って顔じゃないな」
「やだな、ブライト。信用してよ。ヘマはやらない。俺だって死にたくないし。…………そか。ブライトは眠れるのか。……確かに、所帯持つといいんだろうな」
「帰る場所があるのはな」
「そういうんじゃないよ。…………シャアを追うって、ブライトにとってどういうんだろうって」
 微笑みの質と、トーンが僅かに変わる。
 ブライトは漸く手を離し、難しい表情になった。
 アムロは何処か困った様に微笑む。
 ここ数年のことだ、こんな風に、アムロが柔らかな表情をする様になったのは。

「ちゃんと聞いたことなかっただろう? そういうこと」
「仕事だからな。仕方ない。お前だってそうだろう?」
「……そうかな。……仕方ないのは確かだけど、仕事は関係ない。あんな馬鹿、俺が止めなきゃ誰が止められる」
「……お前らしいよ。だがな、それは思い上がりというものだ。だから俺はここに居るんだろう」
「そうかもな。……ブライトには、その権利があるよ。……時間がないんだろ。食堂に行くか」
「ここで食べてもいいがな、そういう話をしながら」
 アムロは少しの間ブライトの顔を眺め……そしてゆっくりと首を振った。
「…………遠慮しとく。あんなのの話しながら、補給日の食事なんて楽しめるか」
「……それはそうだな」
 酒の肴にはなるだろうが。と肩を竦める。
「……非番が合えば、一回夜でも徹して話してみたいけどな。ちゃんと……聞いたことないから。ブライトの同僚だった男の事なんて」
「ああ…………そうか」
「うん。……因縁の関係だとか何だとか、祭り上げられてもう随分になるけど……あいつに会ったのなんて、手の指の数に足りる程度だ。ブライトの方がよっぽど知ってる相手だろ?」
「……そうとも言えんだろうがなぁ…………」
 綺麗な男だった。本当に、いろいろな意味で。
 ふと顔を思い出す。無粋な程大きなスクリーングラスに隠された、淡い色の瞳と、その奥に潜む氷の欠片の様な孤独も。
 酒の肴にしかなりはしない。
 今更、そんな孤独を思い出してやった所で彼は戻らない。
 決別して、道を見出してしまったのだから。
「…………行くか、食事に」
「ああ。今日はちょっと特別メニューだしな。何が出るか楽しみだ」
 アムロはさり気なくブライトの肘に手を置き、軽く引いた。
 そのスキンシップが、一瞬赤い軍服の男と重なって見える。
「……っ……」
「どうした?」
「い……いや…………」
 掌で一度顔を撫で、気を取り直してアムロの手を解き部屋のドアを開ける。
「コードは変えておくからな」
「いいよ。好きにプロテクトでも張っとけば? 巡航中は俺も結構暇だからさ」
「……ろくな大人にならなかったな」
「そりゃあ……多感な時期の父親役が、たった四歳上なだけの若造じゃなぁ」
「言ったな、お前」
「うわっ、と! 先に行ってるから!」
 掴み掛かろうとするとドアの間からアムロはするりと逃げてしまう。
 スライドバーも握らず、アムロぽんぽんと壁や床に軽く触れながら先に角を曲がって行ってしまった。
「…………まったく…………」
 一度本気でじっくり話す時間を取る必要性を感じながら、ブライトは壁のスライドバーを握った。


作  蒼下 綸

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