「ねえ、アムロさん、相談があるんですけど……いいですか?」
コウが訪ねて来たのは、アムロが丁度自室で書類を纏めていたところだった。
余りに切羽詰まった様子だったので、つい手を止めて頷いてしまう。
コウは殆ど泣き顔で、部屋に入って戸を閉めるなりアムロに縋り付いた。
「……俺、ガトーに嫌われてるのかな……」
「は?」
「……せっかく戻って来てくれたのに、ガトー全然俺と会ってくれないんです。何か、ずっと俺を避けてるみたいで……」
「……順を追って話してごらん」
捨て子犬の様な目で見詰められては、他に対処の術もない。アムロは溜め息を吐きながら、よしよしとコウの頭を撫でた。
「トレーニングルームで一緒になっても、俺が入った途端何処か行っちゃうし、ご飯も一緒に食べてくれないし、部屋行っても殆どいないし、一緒に寝てもくれないし……」
「寝て……って、コウ、ガトー大佐と!?」
アムロはまじまじとコウを眺めた。
コウはガトーの事が好きだ。それはよく分かっているが、ガトーの性格上、そしてコウの疎さから、そんな関係は想定外だった。
「?……そりゃ、子供っぽいとは思うけど……でも、だって、ガトーって暖かいし、何だか落ち着くし、優しいし……一緒にいるとよく眠れるんです」
ちょっと拗ねた様に言うコウが可愛くて、つい再び頭を撫でる。子供扱いを嫌うコウだが、アムロだけは拒まない。大人しく頭を差し出すようにして撫でられている。
「ごめん。おやすみなさいって意味の『寝る』なんだね」
「……? 他に何かあるんですか?」
アムロはその返答を聞いた瞬間に、何となくガトーの苦労が分かった気がした。
「……ねえ、コウ。ガトー大佐とキスしたこと、ある?」
撫で撫でし続けながら試しに尋ねてみる。
コウは瞬時に真っ赤になった。
「……あ、ある、けど…………」
「どこまでのキス?」
「どこまで……って……」
更に紅くなって俯く。
「……キ、キスはキスでしょう。それも、色々あるんですか?」
「…………君がガトー大佐としてるの、俺にも出来る?」
「出来ますよ。俺、アムロさんの事好きだし」
何の躊躇いも臆面もなくそう答えられる。アムロは苦笑して、コウの頭にぽんぽんと手を置いた。
「………………よく分かったよ」
要するに頬や額、唇でも軽く触れるだけ……と言う事なのだろう。
アムロは軽く疲れた気分になった。質問を変える事にする。
「コウ、ニナと付き合ってるんだよね?」
「え……はい」
「ニナとは?」
「……キスは……しました……」
耳や首筋に至るまで紅い。
「それ、ガトー大佐にしてるのと同じ?」
コウは質問の意味が分からず首を傾げた。暫く考えて口を開く。
「ガトーの時とは違う気分になりますけど……」
「どんな?」
「……ガトーとキスするとどうしてか泣きたくなります……」
「そっか……」
アムロは一度コウを強く抱き締めると、軽く突き放した。
コウが言葉に出来ない事を感じ取る。
自分がシャアに抱く想いと幾つかの共通点を見つけて、一瞬アムロの顔が歪んだ。
好きだとか嫌いだとか、そんな限りのある言葉で言い表す事など出来ない絶対的な運命。互いにどんな相手と遍歴を重ねようと、決して変わる事のない関係。
自分はそれに、中途半端な形で抗う事しかできない。しかし、コウはそれを受け入れ、認めている。その違いが羨ましく思えた。
「……教えてあげてもいいよ。ガトー大佐の本心を知る方法」
コウとガトーなら……シャアが幾ら望んでも作り上げる事の出来なかった関係を見出してくれるかも知れない。
アムロは自分の口を突いて出た言葉に唇を噛んだ。
コウ達を実験台にするつもりは、表面上、ない筈だ。
「本当……ですか?」
コウは期待に満ちた目でアムロを見詰める。アムロは打算的な自分の感情に、ますます追い込まれた気分になる。
「うん。でも……後悔して欲しくないから、少し確認させてくれ」
ニナにも申し訳ないと思うが、感情の抑えが効かない。
「どちらかと必ず一生一緒に過ごせと言われたら……ガトーとニナ、どちらを選ぶ?」
「……………………ガトー」
「どうして?」
ほんの僅かな躊躇いの後の言葉に、アムロは苦笑しながら尋ね返す。
コウは少し困った表情をして言葉を選んだ。
「えっと……それは、ニナとだって一緒にいたいけど、でも……絶対ガトーを追い越してやるっていうのが俺の目標だから……少なくとも、追い越すまでは離れたくないなって思うし、ガトーにどうやったら勝てるかって考えてるとき、ニナには悪いけど……ニナの事、考える余裕なんてないし……」
アムロの苦笑が段々泣き笑いの様に見えて、コウは語尾を曖昧に濁した。
コウの想いがアムロには痛い。純粋で強いコウの思念は、精神的に大人になってしまったアムロには辛いものとしかならない。
「大丈夫ですか?」
「うん……どうして?」
「何だか泣きそうに見えるから……」
「何でもないよ。じゃあ、次の質問。ガトー大佐の事、好き?」
「勿論」
今度は何の躊躇いもない。それどころか、今更どうしてそんな事を聞くのだと言わんばかりである。
アムロは追い打ちをかける様に質問を続けた。
「何があっても、何が起こっても……例えば、君の心や身体に消えない傷を付けられても……同じ様に好きって言える?」
「ガトーはそんな事しない」
即答である。アムロはその信頼の寄せ方に危惧を覚えた。
「でもまた……DCに戻らないとも限らないんだよ?」
「それは……俺、落ち込むとは思うけど、傷つけられたりしない。だって、ガトーはガトーの信念に基づいて戦ってるだけだから。人の考えに靡いたりするガトーを見るより、敵対した方がずっとマシです。それでもし、身体が傷つけられたって構わない。俺と考え方がズレたら全力でガトーと戦う。それが、ガトーに対する礼儀だと思うから」
真っ直ぐにアムロを見詰めて答える瞳は純粋だった。
コウの純粋さは危険だ。が、ガトーの背を追いかけ続ける限り、道を踏み外す可能性は低いであろう事は分かる。ガトーの義や忠を重んじる姿勢はアムロにとっても好ましいものだし、男として、懐の深さも感じ取る事が出来る。
ガトーはシャアとは好対照に位置する男だ。コウの相手がシャアの様な人間でなくて良かったと、心底安堵する。ガトーならば、コウにとってそれ程マイナスに働くとは考えられない。
「…………分かったよ。最後にもう一つ。俺の事、嫌いにならないでくれよ」
「そんな事、一番あり得ないですよ」
コウは明朗に笑って答える。アムロは複雑な表情を浮かべた。
「…………ならいいんだけど……。コウ、少し屈んで」
コウの方がアムロより幾分背が高い。アムロに肩を押さえられて、コウはは少し身を屈めた。
アムロの小作りに整った顔が近づく。そして、互いの唇の距離が0になった。舌がコウの唇を辿る。柔らかく温かいその感触にコウは身を震わせた。
「ア、アム……っ……ん」
驚いて名前を呼ぼうとした隙に、アムロの舌がコウの口内へと入り込む。
舌先で歯列や歯茎を辿ると、コウの身体は面白い様に跳ねた。
アムロは反応を伺いつつ、自分よりずっとしっかりした身体を抱き寄せ、更に深く唇を合わせる。
「ぅ……ぁ…………」
鼻に抜ける声がひどく甘い。舌を絡め取り、舐め転がす。コウは涙目でアムロを見詰めたが、アムロは目を閉じてただ丁寧な口付けを続けた。
コウの戸惑いも、微かな恐怖心も全てがアムロには伝わっている。宥める様に、殊更優しく口接する。
コウはアムロの背に手を回し、抵抗に拳を打ち付けようとした。しかし、思いの外頼りなく細い感触に躊躇し、ただ縋り付く様になる。
ただ、アムロの唇を気持ち悪いとは思わない。悪寒に似た震えが腰の窪みから首筋へと駆け上がっても、その感覚さえ心地よく感じる。ただ、その感覚と息が継げない事とで意識に霞が掛かってくる。
「ん……ぁっ……」
アムロの唇が角度を変える度に必死で空気を貪る。互いの唇から溢れた唾液を拭う事にも思い至らず、コウはただアムロの導きに従っていた。
そしてコウが自分の身体を支えていられなくなった頃、アムロは漸くコウを解放した。
「……大丈夫かい?」
「は……はい……」
混乱は未だ収まらない。コウは呆然としたまま床に座り込んだ。自分が何をされたのか明確には理解できていない様だった。
「今の……何……」
「キスだよ。大人のね」
知らなかった? と苦笑しながら尋ねられ、コウは力一杯何度も頷いた。その子供っぽい仕草に、アムロは何故か哀しそうな表情を浮かべた。
「でもこれは、心から特別だと思える人とじゃなきゃしちゃいけない。それこそ、人生を賭けられるくらいにね。……ガトー大佐の事が本当に好きで、ニナよりもずっと一緒にいたいって思ってて……人生を賭けてもいいって思えるなら、大佐にしてごらんよ。きっと大佐も、これが特別な事だと分かってる筈だから……」
「でも……ガトーが俺を特別だって思ってくれてなかったら?」
コウは今にも泣き出しそうに黒目がちの瞳を潤ませて尋ねた。アムロは優しく微笑んでコウの頭を撫でる。
「ガトー大佐も照れ屋だからな……とにかく、すぐに答えを求めちゃいけない。照れ隠しに君を叱る……なんて事も、ガトー大佐だったらやりかねないし。でも、君だったらきっと大丈夫。ちゃんと、誠心誠意、大佐も答えてくれる」
ニュータイプの勘で答える。戦闘に関する事より、人心の機微に関わる事の方が、余程当たる自信がある。
「ただね、これをして、どんな事が起こってもガトー大佐の事を嫌いになっちゃ駄目だよ」
「はい。ありがとうございました」
アムロが言った事の半分も意味は理解できていないだろう。しかしアムロはそれ程心配しなかった。
きっと大丈夫。そんな気がするだけだが、自分の勘はそれなりに当てになると思う。
差し出されたアムロの手を取り、コウはゆるゆると立ち上がった。その手の小ささ、華奢さに少し驚きながら手を離す。
「それじゃあ、お仕事の邪魔をしてすみませんでした」
ぺこりと頭を下げる様がやけに幼く可愛い。アムロは密かに苦笑を洩らした。
「いいよ。何かあったらいつでも相談においで。失敗しても、ちゃんとフォローしてあげるから」
「はい。ありがとうございます」
コウは少しすっきりした顔でアムロの部屋を出て行った。
アムロは戸が閉まるのを見計らい、手元の書類に目を落として長い溜め息を吐く。
「あー────あ。俺、何してんだろ。ガトー大佐も大変だろうけどさ……」
そっと、まだ濡れている唇に触れる。コウの純朴さが思い出され、一人笑みを零した。
─終─
作 蒼下 綸