初めの印象は、お互いに決して良いものではなかった。
片や、最高軍事機密を手にしてしまった民間人で。
片や、正規軍人の著しく少ない船に乗り込んでしまった青年将校で。
将校はすぐに、戦艦内の最高責任者にして最年長者になってしまったし。
衝突も多かった。
それでも……。
何か感じるものはあったのか。そのうちには、少しずつ気を許す事も出来たのだろうか。
「ブライト、食事、少し取った方が良いのではなくて?」
「ん、ああ……」
「もう少し、敵も動かないと思うわ」
優しく声を掛けるミライに生返事を返し、ブライトは手元の書類を眺め付ける。
「命令書?」
「ああ。上の人間も無茶を言う」
側のテーブルに手にしていたトレイを置き、ミライはブライトの手元を覗いた。
格式張った形式の文書が書かれている。
疲れた表情のブライトに視線を移し、ミライは小さく溜息を吐いた。
「ここにガンダムがあるから、なのでしょうね」
「そうだな……だが、連邦内にアムロよりあれを使いこなせる人間などいないのが現状だ」
「そのアムロは今どうしていて?」
書類を避け、ブライトの前にサンドイッチが載った皿を置く。
「すまない。……あいつなら、ガンダムの整備をしている筈だが……」
「そう……。フラウ・ボゥが捜していたものだから」
「なら格納庫にはいないんだな。全く……」
乱暴に文書を置き、サンドイッチに手を伸ばす。ミライは小さく微笑んだ。
「少しくらいは自由があっても良いでしょう。何処をふらついているにしても、休めるときに休んでおかなくては。身体だけではなくて、心も……」
「しかしいつ戦闘配備になるのは分からないんだぞ」
「今のは、貴方にも言っているのよ、ブライト。また倒れられても困るのだし、あまり根を詰めないで」
「分かっているよ。しかし……」
「これは没収ね。後で検討しましょう。何も貴方一人だけで背負い込む必要はないのではなくて? それは確かに元々の軍属は貴方だけかも知れないけれど、私達だって何かの役には立てると思うのよ」
ばらけていた書類を纏め、抱えてミライは微笑んだ。ブライトは諦めて溜息を吐いた。手に持ったままだったサンドイッチを口に運ぶ。
「貴方は少し厳し過ぎるのよ。自分に対して……」
「厳しいくらいが丁度いいんだ。出なくては、この艦は纏められない。ただでさえお偉方の目は厳しいのだからな。ミライだって、捨て駒になどなりたくないだろう」
添えられたコーヒーを一口、二口飲み込んで、ブライトはミライを見詰めた。
ミライは静かに見詰め返し、小さく頷いた。
「だったら、生き残ってやるしかないんだ。死にたい人間なんて……ここにはいやしない。生き残るには……皆を統率して、出来得る最高の条件で敵と当たるしかない。その為には……疎んじられようと、どう思われようと、厳しくあるしかない」
「……分かっているわ。皆……。…………アムロは多分機関室だと思うわ。あの子、根っからの技術屋なのね。少しノイズが聞こえるって、何日か前から気にしていたから。……行って来たら? 毎日ブリッジとこの部屋との往復でしょう。もう少し動くのも悪くないと思うわ」
置かれた空のカップを手に取り、盆に戻す。皿も綺麗に片づけられていた。
「美味しかった」
「ありがとう。今日の当番は私だったのよ」
「そうか……」
見つめ合って微笑む。こんな状況下なのに流れる暖かな空気が不思議で、ブライトは僅かに表情を柔らかくした。
ミライに言われた通り、少し歩くのも悪くはない。艦内の様子を見て回るのも、それなりに自分の責務だと思っている。
ブライトは少し遠回りをして機関室に行ってみた。
「アムロ、いるのか」
顔を覗かせて名前を呼ぶが返事はない。
だが、何か金属の触れ合う音を聞いた気がしてブライトは中に入った。
計器の類の横を抜け、奥まで行く。
「アムロ……。いるのなら返事くらいしたらどうだ」
少年兵の制服は、腰のベルトで辛うじて床に落ちてはいないものの、完全に上半身から脱げている。薄手のランニングは、オイルで少し汚れていた。
アムロは至近距離まで近づいているブライトに気付きもせず、配管や機材の細かな部分を弄っていた。
「アムロ」
「…………ブライトさん、床に落ちてるバールを取って下さい」
機材から目を離さず手を動かしたまま、急にアムロが頼む。
「気付いていたのなら」
「取ってくださいってば」
後ろに手を伸ばし、早く渡せと手を動かす。ブライトは呆れた表情をしながら、床からバールを拾った。
泳いでいる手にその端を握らせる。思いの外、小さい手だった。
「もうちょっとで終わりますから。話は後で聞きます」
「あ、ああ……」
何かに没頭している時のアムロは、周りが全く見えなくなる。これではフラウ・ボゥも苦労する訳だ、とブライトは苦笑を洩らした。
何となく他に見るものもなくて、少し周りを見回した後アムロを観察してみる。
肉付きの薄い身体だ。どこもかしこも細い。
少年とはいえ、自分がこの年齢だった数年前を思い出しても、これ程ではなかっただろう。背もそう高くないし、顔も丸みを帯びた輪郭の所為か、実年齢より幾分幼く見える。
この目の前にいる幼げで華奢な少年が、今全宇宙が注目するMSパイロットなのだと思うと、ひどく不思議な気分になった。
機械弄りが心底好きなのだろう。一心不乱に手元を見詰めている。
そのストイックな表情が何故かブライトの心の琴線に触れた。
時々、アムロの表情にどきりとさせられる事がある。こうして何かに没頭している時の表情が何よりだ。
「アムロ……」
戦闘に集中している時も、こんな表情をする。
生き延びる為に、必死でその手を紅く染めていく。
思春期故か、元来の性格か、ひどく感受性が強くナイーブなアムロが、気づいていない筈もない。
MSの戦闘において何より怖いのは、人を殺している感覚が希薄になるという事だ。しかし、アムロは……アムロなら。
ブライトがMS乗りになりたいと思わなかったのは、人でありたかったからだ。
男として、MSに憧れなかった訳ではない。ただ、機械同士の戦い、人の生死が実感し辛い戦い、そういったものに無意識の嫌悪感を抱いていた。
けれど、この目の前に居る少年は……。
「終わりましたよ。ブライトさん。……ブライトさん?」
アムロの少し高い声でブライトは現実に引き戻された。
「あ、ああ……すまない。フラウ・ボゥが探していたんでな」
「そうですか。艦長直々に?」
「たまには艦内を歩くのも悪くない」
子供に武器を取らせ、戦わせているのは連邦軍だ。自分はその一部。たとえ自分がその事を拒んでいたとしても、同罪だとブライトは思う。
自分が生きる為に。他の、何人ものクルーが生き残る為に。
アムロの力を利用しているのは、お偉方だけではない。
ブライトは口の中が苦くなるのを感じた。
「すまないな、アムロ」
「……どうかしたんですか?」
「いや……お前は、MSに乗るより、機械を弄っている事の方が好きだろう?」
アムロの瞳に戸惑いが浮かぶ。
「そりゃ……そうですけど……」
ブライトの真意が掴めず、アムロは首を傾げてブライトを見詰めた。
「でも、僕が戦わなきゃ、この船は沈んじゃうんでしょう? 僕以上にガンダムをうまく扱える人なんて、ここにはいないんだから」
自信過剰とも取れる台詞だが、アムロの上げる戦果は疑い様がない。
「それに、僕が戦っているのは、ブライトさんの所為じゃない。ホワイトベースから降ろして貰えないんなら……それだって、軍が悪いと思うけど、ブライトさんが悪いわけじゃないし、僕だって死にたくないし」
ブライトの様子が少し不安定な事を感じたのか、アムロは出来る限り言葉を選んだ。
責任感の強いこの艦長の事が嫌いではない。それは、たまに腹の立つ事もあるし、精神的余裕のない時は今言った事と正反対の事を、つい言ってしまいはするのだが。
「ああ……すまない。まだ少し、疲れているのかもしれないな」
「うん。休んだら? まだ完全復帰って訳じゃないんでしょう? 大丈夫だよ。多分、まだ数日は何も起こらないと思うから」
「根拠は」
「ないよ。でも、分かるんだ」
アムロは片手に修理道具の入った箱を持ち、もう片方の手でブライトの手を引いた。
まだまだ少年らしさを残した手は、身体つきに違わずひどく華奢だった。
ブライトの鼓動は何故か跳ねたが、その理由を自覚する前に、アムロは離れていった。機関室の扉が開く。
ブライトはその事に気付かなかった振りをして、アムロの後を追った。
−終−
作 蒼下 綸