気が付けば目で追っていた。
「後ろにも目を付けろ」なんて無茶な言い分さえ納得せざるを得ないような凄まじいパイロットなのに……妙に危なっかしくて。
自分の事にはまるで無頓着で、下手をすると数日食事も摂らなかったり。
艦内の何もない所で転けたり。
手に抱えた書類を良く床にばらまいたり。……宇宙空間だと洒落にならない。
はっきり言って、コックピットに座っている時か、機械を弄っている時以外、まるっきり日常生活不適合者だろう。
癖の仕草で親指の爪を噛みながら、目は自然にアムロの姿を捉える。
自身に関する事は全くだが、それでも、全クルー、全パイロットから最も厚い信頼と羨望を一身に集めている副艦長であるというのも、また不思議だが事実である。
ブライト艦長の補佐を完璧に務めるどころか、ロンド=ベルにとってはそれ以上の存在だろう。
歳が幼かったり、その上家庭に恵まれなかったりする者にとっては、それこそほとんど母親に対する様な慕いっぷりである。
……ブライト艦長がお父さんでアムロさんがお母さん……。
というのは、ロンド=ベル内でほぼ暗黙の了解事項だった。
実際アムロは全パイロットの総括であるし、細かい事まで言えば、、電化製品の修理から、子守、喧嘩の仲裁、個々の戦闘データ分析から、メンタルケアまで、一手に引き受けていたりもする。
頼まれれば断り切れない穏和な性格もあるのだろう。
しかも、とびきりの美人ときている。
確か29とか、それくらいの歳の筈だが、どう多めに見積もっても20歳そこそこにしか見えない。
綺麗で、優しくて、何でも出来る癖に天然ボケなお母さん。
その例えに自分で深く納得する。
いつからだろう。その隣にいつもいたいと思う様になったのは。
いつからだろう。たとえば、艦長とか、クワトロ大尉とか、とにかく自分以外の誰かと親しげにしているのを見ると、ひどく腹立たしく思う様になったのは。
自分の事だけ見ていて欲しい。
自分の事だけ構って欲しい。
他の誰でもなく、この僕と。
あからさまに邪な感情で接しているクワトロ大尉になんて渡したくない。
二人が並んでいる姿に、どうしてもプレッシャーが肥大してしまう。
どうしてもっと早く生まれなかったんだろう。
どうしてもっと早く大人になれないんだろう。
それが、悔しくて、悔しくて……。
「どうしたの? カミーユ」
柔らかい声。まだ少年の様で、けれども、内包されている深みがまるで違う。
「……? あ」
ふ、と顔を、小作りに整った面立ちを至近距離で認識した途端、発していたプレッシャーが掻き消える。
代わりに赤面し、頭がパニックに陥った。
「大丈夫かい? 何だか凄く怖かったけど……」
「す、済みません! 別に、アムロさんがどうとか言う訳じゃなくて……」
「うん。それは分かるんだけど……シャ、じゃない、クワトロ大尉が君に何かしたのかな、って」
憂えた様に眉根を寄せる仕草にも風情がある。カミーユはただ呆とその様を見詰めた。
「何かされたらちゃんと僕に言うんだよ。しっかりお灸を据えておいてあげるから」
「はい。でも……アムロさんこそ、何もされてないでしょうね」
「え?」
しっかり1テンポ遅れて、白い頬に朱が差す。
やっぱり、という思いと共に、薄らいでいた怒りが再燃を始める。
あの変態赤男が!!
「あ、あの、カミーユ……それ、あんまりハマリ過ぎてて洒落にならないから、口に出すのは止めときなよ。ね?」
心の絶叫は簡単に筒抜けてしまう。
ニュータイプが便利なのか不便なのか分からなくなる瞬間でもあった。
アムロは笑いを噛み殺すようにして顔を歪ませていた。
そんな様も堪らなく愛らしく見え、カミーユは思わず心の中でガッツポーズを取った。
「はぁい」
しかし、口では良い子のお返事を返す。
「……今の、ジュドーとかに聞こえてたら大尉も可哀想だねぇ、さすがに」
「ちょっとくらいいいですよ。俺のアムロさんに手を出す方が悪いんだ」
今度はたっぷり2テンポは経って、アムロは耳まで紅く染める。
可愛いな……と一頻り感涙を流して悦に入った後、カミーユも十分鈍く自分の台詞に気が付く。
「あ、あの、えっと……俺達の、ですよね。あはは……俺、何言ってんだろ……」
照れ隠しに頭を掻く。
と、すっとその手が取られた。
「あ、アムロさん!?」
空なのか、海なのか……ただ無限の青が二人を包む。
それはひどく優しく、暖かくて、アムロそのものの様だった。
「…………ああ、カミーユは本当に可愛いね」
「そんなっ! アムロさんの方が100倍は可愛いです!!」
思わず力んで叫んだカミーユに、アムロの顔が近付く。
微かな音が額で立った。
カミーユは一瞬何をされたのか明確に分からず、少しだけ離れたアムロをまじまじと見詰めた。
「ごめんね。今はこれだけ。カミーユくらいの歳だったら、もっといろいろ考えちゃうだろうけど……」
申し訳なさそうなアムロに、やっと何が起こったのかを理解したカミーユは握られていた手を握り返し、強くアムロを抱き締めた。
「全然平気です! アムロさんが側にいてくれる限り、大丈夫ですから」
あんな変大尉とは違うんだから!
その言葉聞こえているのかいないのか、アムロはカミーユの頭をなでなでしながらその滑らかな頬に軽く口付けをした。
「戦いがね、落ち着けば……ちゃんと応えてあげられるかも知れないんだけど」
「俺、頑張りますから!」
戦っている限りは、少なくともアムロの側にいられる。
終わったら終わったで、今、何かもの凄く嬉しい言葉を聞かなかっただろうか。
「うん。……大丈夫。きっと、もうじき終わるから」
「はい!」
アムロに断言して貰うと、疑惑も確信に変わる。
その言葉を疑う、なとどという観念は、カミーユの中になかった。
ただ、撫でてくれる手が心地いい。
ニュータイプとしての共感だけではなく、アムロの空気がただひたすらに心地良かった。
「頑張ろうね、僕のカミーユ……」
甘い声音での囁きとその内容に、カミーユが有頂天になったのは言うまでもなかった。
−終−
作 蒼下 綸