「帰りなさい、カミーユ。君を編入することは出来ない」
「どうしてです。僕は戦えます! もう、治ったんです。だから」

「……君に、シャアを殺せるのか?」

「……………………それは…………それしか、手がないんなら…………」
「……ほら、迷った。だから、君は帰りなさい。俺だけでいいんだ。あいつを殺すのは」
「厭です! 僕は、」

「あいつを殺すのは、僕だけでいいんだよ」


「君はもう、帰りたまえ」
「どうしてです。僕は戦えます! もう治ったんです。だから」

「君にアムロを殺すことは出来ない。アムロに、君を殺すことも出来ない」

「貴方の側にいたいんです。それは、許されないことですか」
「アムロと戦うのは私一人でいい。アムロに殺されるのも私だけでいい」
「どうして、そんなこと」

「アムロの手に掛かるのは、私一人でいいんだ」


 古ぼけたTVの画面には、赤く仰々しい軍服を身に纏った美丈夫が映って、熱弁を振るっている。
 この一週間に満たない間に幾度も流された、ネオ・ジオン総帥のインタビュー。
 綺麗な顔、綺麗な目、綺麗な言葉。
 嘘ばかりだ、こんな男。

 始まってしまった。

 そうだ。始まってしまった。
 あの愚かな理想主義者の、全てを賭けた贈り物が。

 相変わらず綺麗な顔で。よく響く声で。偉そうに。
 宣戦布告は形通りのもの。
 けれど、貴方をよく知る者にとっては、全く違う意味を持っていた。

 本当に愚かな人だ。
 こんな事をしたって、あの人は貴方のものになんてならない。
 永遠の鼬ごっこのくせに。
 それを、あの人も、貴方も、半ば楽しんでさえいたくせに。

 テレビを見つめ、親指の爪を噛む。
 ソファで隣に座っている、いつもはその癖を注意してくれるファも、食い入るように画面に見入っていた。
「いつかはこうなるって…………分かっていたけど……」
 お互いに重ね合わせた手が震えている。
 カミーユは、そっとファを抱き寄せた。
「やっぱり…………行きたかった?」
「……………………いいんだ」
「無理しなくていいわ。悔しいのでしょう?」
「少し」
「カミーユ……?」
 カミーユは俯き、触れ合っていない方の手で髪を掻き毟った。

 死んでいく。
 フィフス・ルナの落ちた地は遥か彼方だが、あまり距離は関係ない様だ。
 またシャアは、自らの手を穢したのだ。
 それも、最も彼自身が嫌悪する手段を以って。

 流れ込む感覚に、酷い悪寒と嘔吐感を覚える。
 苦しむカミーユを見ていられず、ファは強く抱き締め返した。
 柔らかな身体がカミーユを包む。
 ボディーソープと体臭の入り混じった甘い香りが鼻腔を擽った。
「また、たくさんの人が死ぬのね……」
「うん……」
 それだけではない。
 もう、シャアにはこれ以上生きる気すらない。
 これは、壮大な心中だ。

 ファがいるお陰で救われている。
 心の底からそう思う。
 この触れ合う身体がなければ……全ては元に返っていた。
 今だってそうだ。こうしてファが触れてくれていなければ、もっと強く激しい思念に頭の中を掻き乱されていたに違いない。 
 そう……引き摺られる程に。心の片隅が未だ引っ張られている。けれど引き摺り込まれないのは、この温もりと柔らかさに救われているからなのだ。

「ん……」
 微かな声を立て、ファに擦り寄る。
 もっと深くその存在を感じたかった。
 引き寄せられるように、唇を重ねる。
 もっと。
 もっと、深く。
 心が全てファに包まれるまで。

 舌を差し入れてもファは拒まない。
 深い口付けがカミーユを安心させるのだと知っていた。
 そして、その先の行為も。
 ただ触れ合うだけではなく、より深い繋がりが心の絆すら強めていく。
 抱き合ったまま、ファはソファに身を倒した。

 柔らかい。
 カミーユはファの胸に顔を埋め、目を閉じた。
 死に逝く人々の恐怖や無念さに侵食されようとしていた身体が、ファの温もりと優しさに満たされていく。
 触れ合う唇から溶け合い、互いの身体の境界線をも越えられる気がして、より深くファを求める。
 直接に触れ合いたくて、ファの衣類の中に手を差し入れた。
 くすぐったさにファは僅か身を捩ったが、それだけだった。カミーユの手が上手く触れられるよう、自ら服の裾を軽く持ち上げてみせる。
 すかさず、その隙間からカミーユの手が滑り込んだ。
「あっ……」
 性感ともくすぐったさとも区別の付けられない感覚がファの身体を走り抜ける。
 互いに、互いが欲していることは分かる。通じ合う行為ほど、充足感を得られるものはない。
「身体がなければ……本当に一つになれるのにな……」
「そうね……でも、身体がなければ、こうして触れ合ったりできないわ」
 カミーユの頬に触れる。
 面映ゆそうに目を細めるカミーユが愛おしくて堪らない。
「私はこのままでいいわ。貴方の顔を見られるもの」
「僕も……君を見ていたい」
 細い腰に手を回し、ぐっとファを抱き寄せる。
「あの人達だって、この温もりを知っている筈なのに」

「僕達みたいに、安心して全てを任せられる人っていうのがいないんだよ。お互い以外に……でもね、僕達だってここまでの関係になるまでに色々あったろう? 男と女でそうなんだもの。男同士だと余計、難しかったんだ」
「そうね……私は、アムロさんには会ったことがないし、二人がどんな風だったかなんて知らないけれど……クワトロ大尉はあんな人だったから、男の人としては腹が立ったり、受け入れられなかったりするんでしょうね」
 抱き寄せたファの肩に顔を押し付ける。
 ファはそれを許して、カミーユの髪をそっと撫でた。
「あの頃は大尉が一方的にアムロさんに好意を持っているようにしか見えなかったけど……それがただの好意じゃなかったって、証明されてしまったな」

 7年前のあの頃、僅かに、けれども確かに触れ合っている彼らを見ていた。
 彼らにとっての全ての始まりから今日までの、丁度折り返し点。
 あの時に、既に今日のこの日の事は決まってしまっていたのかも知れない。
 傍目から見ていても、クワトロでは役者不足だった。けれど、二人の間にはそれを補って尚余りある過去と感情があった。
 齟齬のある過去と、激しすぎる感情とが二人の溝を埋め、覆い尽くし、ついには互いを呑み込もうとしている。

「ただの好意で、ここまでのことは出来ない?」
「出来ると思うかい?」
「いいえ。……大尉にとって、アムロさんって人はそういう価値のある人なのね。……認めてしまえるわけではないけど、少し、羨ましいかも知れないわ」
「僕にそこまでのことは出来ない?」
「…………する必要がないでしょう?」
 ファの唇がそっとカミーユの額に触れる。
 カミーユの目が心地よさそうに細められる。
 それと同時に服の中に滑り込んでいた手が、ファの下着の中に入り、花芯を掠めた。
「っあ……ン……」
 カミーユの頭を撫でていた手が軽く髪を掴む。

「……アムロさんもアムロさんだ。あの人も嘘ばかり」
「嘘?」
「そうだよ! 大尉を殺すのは自分だけなんて……聞いてるこっちが恥ずかしいだろ。どんな告白だってんだ」
「……分かる気がするわ。殺してしまえたら……どんなに楽かって」
「僕を殺す?」
「……そう、思ったことがないわけじゃないのよ」
 唇を重ねる。
「殺すのは簡単なのよ。…………人なんて簡単に死んでしまうんだもの。そんなことばかり、知って」
「ああ…………」
「…………狂ってしまった人を見るのは、堪えられないもの…………」
 堪らない。
 ファはカミーユに擦り寄る。
「ん……っふ……」
 カミーユの指が入り込んでくる。くちくちと聞こえる濡れた音が、淫らというより涙の代わりの様に思えた。

 身体を繋いでも、心が遠い。
 ファには分かっている。
 ファを抱きながら、カミーユは別の人を抱いている。別の人に抱かれている。
 もうじき、死んでしまうのに。
 馬鹿だ。カミーユも、あの二人と同じように。
 それでもいい。
 勝った、そう思った。

 カミーユは、結局ファを選んだのだ。
 そうでないなら、カミーユの能力と思い切りがあれば、無理矢理ついていくことは出来た筈なのだ。ロンド・ベルでも、ネオジオンでも。
 アムロの言葉、シャアの言葉、それもあっただろうが、こうしてカミーユはここにいてくれる。
 誰かの代わりでも、そうでなくても、自分を抱いてくれる。
 それ以上の贅沢など、言える筈もない。
 TVの中でもPCの中でも雑誌の中でもなく、この暖かく確かな腕だけが、現実なのだ。
 ファには、そんなささやかなものでも十分に満足だった。
 それだというのに、男というものは、まったくどうしようもない生き物だ。

「……いいのよ、もう一度……掛け合っても。貴方の実績を引っ提げて行けば、ラー・カイラム詰めでなくたって、ロンド・ベル隊に入り込むことは出来る筈でしょう?」
「…………あんなにはっきり邪魔者扱いされてまで潜り込む程、厚かましくない」
「でも、カミーユは行きたかったんでしょう?」
 もう一度、側に行きたかったんでしょう?
「カミーユ」
「…………もう、いいだろう。アムロさんが失敗するなんてあり得ないから、アクシズは落ちない。後は、殺される大尉に……シャアに、おめでとうを言うだけだ。鼻で笑ってやるんだ…………それだけだ」
「あっ……ん……カミーユ…………」
 ファの力は弱い。それでも、カミーユの事だけは、誰よりも深く、深く通じ分かると自負している。
 カミーユしか知らないし要らない。それで十分だ。
「TVを消して……ね?」
「…………ああ……」
「聞きたくないの。大尉の声なんて」
「分かったよ」
 電源が落とされる。
 カミーユは聞いていたかったのだろうと思う。けれど、ファにはとても許せない。
 クワトロ……シャアの、破綻した理論など聞いていても仕方がない。
 人にまだ夢を見ている。だから、一度は守ろうとした地球を壊そうとする。
 愚かな男。
 姿だって、名前だって変わってしまった。あれは、ファの知らない人間だ。

 絡み合う足。吐息。熱。
 カミーユの頭を掻き抱きながら、ファは伝わる宇宙の色を見る。
「…………あたしは…………何処にも行かないから…………」
「ファ…………」
「…………ここに、いるから…………」
 言葉の続きを飲み込む様に唇が合わさる。
 目を閉ざし、互いに、互いの熱に溺れる他、何も考えたくなかった。
 それだけで、よかった。
 例え、天から何が振ってこようとも。


作  蒼下 綸

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