その場から近かったのはガトーの部屋だった。抱き上げたまま、問答無用でコウを部屋に運び入れる。
「コウ……貴様、一体大佐に何をされたのだ……」
「…………ん…………わかんない……」
ただひたすら、じゃれつく子猫の様にガトーに擦り寄る。
「……離れろ」
「やー……がとーといっしょがいい……」
殆ど呂律が回っていない。更には幼児化傾向にまである。……それは、常と余り変わらないかもしれないが。
「……何か飲んだのか?」
「ん……じゅーす……」
さすがに弁えてはいるだろうから後に引くようなものでもなかろうが、「薬」の一言がかなり気にかかる。
じっくりとコウの様子を観察してみるが、アルコールに酔っているものとも判別がつかなかった。
「酒ではなかったのだな?」
「…………うん。たぶん……」
「多分、というのは何だ」
「…………ぅん…………えっとぉ……」
埒があかない。
「コウ!! いい加減目を覚ませ!」
「……さめてるよ……」
「どこがだ」
「……だから……そーやって、がとーがおこるから……おさけはいりません、って……ちゃんとじゅーすにしたもん……」
すり、と頬を擦り合わせる。いい年をした男同士だが、そんなにちくちくしたりざらざらしたりはしない。
確かに、至近距離でもコウからアルコール臭はしなかった。
一体何を飲ませたのか。ふつふつとクワトロに対する怒りが再噴する。
「全くあの方は……!!」
縋り付いたままのコウの腕をそっと解かせ、ベッドに横たえさせる。
「や……がとー……」
剥がされた腕を再びガトーに伸ばす。しかし指を絡め取られ、ベッドへ押さえつけられる。
「おまえはそこで暫く眠っているがいい。私は少し用を思い出した」
「たいいのところにいくの? ……でも、おれ、だいじょーぶだよ」
「構わんから寝ていろ。そんなふらふらした状態で艦内を歩かれては迷惑だ」
「やだ、がとー……いっちゃ、や……」
「甘えるな! 先程の様な説明が出来たと言うことは、頭の中身は大丈夫なのだろうが!!」
「だいじょーぶだよ! だけど……その……」
火照っている頬が更に赤味を増す。潤んだ目がじっとガトーを見詰めた。熱を孕んだ黒目がちの瞳がきらきら濡れ輝いている。
「がとー……たいいのことなんて、いいから……おれの、そばにいて……」
凄まじい台詞にガトーは凍り付いた。
全くコウは心臓に悪い。分かっていないところが尚更悪い。
絡めたままの指がぎゅっとガトーの手を握る。身体の大きさに比例してガトーの手の方が大きい。コウもしっかり男の手をしている筈が、力無いことも手伝ってひどく嫋やかに見え、ガトーの鼓動が跳ねる。
「あのね……なんか、おれ……あつくて…………」
「あ、ああ……見れば分かる」
クワトロの物言いからして、明らかに性交渉を行う補助としての薬を盛ったのだということは分かる。救いはアッパー系ではなくダウナー系だろうということくらいか。
「シャワーでも浴びてすっきりしてこい」
「……たてないよ」
情けなく弱々しい声を聞いて、ガトーは実に奇妙な表情をした。
「全く……意地汚く食べ物に釣られるからだ」
「だって……かんぱいしよう、って、いわれたんだ……」
「何にだ」
「んーと、おれたちのちかづきにー! それに……たいいはじょーかんだもん。あんまり、いやとかいえないし……」
コウの舌の回りが怪しい所為で、音を言葉に変換するのに戸惑う。じょーかん……上官か。
確かに、幾ら民間人の多い艦だとは言え、コウもガトーもクワトロも立派に職業軍人である。普通に考えても上官に逆らえるようには出来ていない。
本当にしてはいけないことなら、コウならば拒むだけの気概もあるが、勤務時間外に、それも酒ではなくソフトドリンクを飲むことを禁じる法などある筈もない。
それ以上はコウを叱ることも出来ず、ガトーはますます困った顔になった。
まあ、そもそも、目と感情の遣り場に困ってとりあえずコウを叱ってみたものの、あからさまに悪いのはクワトロである。
怒りをそのままクワトロにぶつけることが出来ればよいのだが、コウが甘えて離れるなという。こんな頼り無げなコウを無下にも出来ない。
その上、今のコウは薬の所為でやたらと熱っぽく、多分にガトーの錯覚だろうが艶めかしい。
思わず頭を抱えたくなるが、コウの手前取り乱した様子は見せられない。見せたくない。
そして更に妙な表情になる。悪循環だった。
「あの……がとー……おこらないで……」
「ああ……分かっている」
そうは答えても声がひどく低い。コウは不安気にガトーを見詰めた。それでも、どうあっても目を反らすことのないコウの姿に、ガトーもやっと眉間の皺を浅くする。
「お前に怒っているのではない。そう怯えてくれるな」
「うん……」
それでも情けない表情は消えない。しかし、ガトーがその表情を可愛らしいと思ってしまった時点で、二人のこれからの行動は決定した。
宥めるキスを額と頬に与える。コウも漸く表情を緩め、全てを委ねるように目を閉じた。
「がとー……もっと」
甘えた声音に導かれるまま、鼻先や瞼にも唇を落とす。
「……もっと、だよ…………ねぇ」
差し出す様に、僅かに顎を上げる。薄く開いた唇が、無意識に誘っていた。
啄む様に幾度か重ね、そして、深く。
「ん……」
微かにジュースの甘味が残る唇は格別だった。甘やかな唾液と更に加わる甘さが、ガトーの理性を解かしていく。
「分かっては……おらんのだろうな……」
「なぁに?」
「……何でもない……」
濡れた唇を親指で拭ってやる。しかしそこで、コウは何を思ったかその指を軽く噛んだ。
ぞくり、とガトーに欲望の種が萌芽する。コウの様子は誘っているようにしか見えない。
「よせ、コウ…………」
自然に声が低くなる。
「ん……やぁ、がとー……」
耳に近いところで洩らされたガトーの声に、コウはふるりと震えた。
「嫌?……何がだ」
「……はなすな……」
耳を手で覆い、身を竦ませている。ガトーには、何となく思い当たる節があった。
今まで付き合った女も……男も、大抵自分の声に反応する。自覚はあまりないが、どうやら「クる」声らしい。
「……お前はいつも無駄に話しかけてくるくせに、私にはそれを許さぬと?」
コウの反応をもっと見たくて、ガトーは更に耳元に口を寄せ、そっとコウの手を離させて囁いた。面白いようにコウの身体が跳ねる。
「んっ……ぁ……や……やめっ……」
逃げようとする身体を抱き寄せる。身体はさっき抱き上げていた時よりも、更に熱くなっているようだった。
「どうした? コウ?」
無意識でも響く声がガトーの意思によって更に熱く濡れる。コウは可哀想になるくらいに震え、うるうると潤んだ瞳でガトーを見詰めた。その視線が頼りなげに揺れる。
「……やめろよ……」
この間で大体コウの悦い所は分かっている。そう言えば、なかなかの感度を見せていた気がする。あまり記憶にないのは、宥めるのが優先で、睦言の一つも囁く余裕がなかった為だろうか。
コウの反応が一々楽しい。ガトーとて、ただひたすらにお堅いだけの人間ではない。いつまでこんな初々しい様を見せてくれるのかは分からないが、どのみち初めだけなのだから、出来る限り楽しみたいのが人情だろう。
「コウ……」
「や、も……がとーのばかぁ……」
えぐえぐと半べそでそんなことを言ったところで、ひどく可愛らしいだけである。
「ん……っゃ……あ、そんな、トコ……さわるな……」
耳朶を唇で挟みながら、そろりとコウのシャツの裾から手を差し入れ、胸の飾りを探り当てる。コウは微かに身を捩ったが、それ以上は身体を動かすことが出来ず、ただ萎縮した。
「……がとーなんてきらいだ!」
悔しそうに唇を噛んで、キッとガトーを睨む。泣き腫らして紅く染まった目元が、例え様もなく幼艶だ。
「そうか……嫌い、か。では、もう嫌われることを恐れる必要はないのだな」
「ふぇ?……んっ、やっ、ぁ!」
かし、と甘噛みされていた耳朶に歯が立てられる。その上、胸を弄っていた指先が突起を捉え、少し強く抓んだ。コウの身体が跳ねる。
「やっぁ……がとぉ、やめて! おれ、やだっ!」
その勢いに僅かに怯み、コウを煽る手が控えられる。
ぷるぷると震えている様は、耳を寝かせて怯え蹲るこうさぎの様だった。
「……しかしな、コウ……この間と違って、それはなかなか、どうにも収まりがつかんぞ」
「……なんでぇ……?」
「お前はシャ……いや、クワトロ大尉に一服盛られたのだ」
「……いっぷく……? おくすり? なんで? なんの?」
「ああ、薬だ。何の薬かは詳しく分からん。しかし、その薬の所為で、恐らく今のお前の身体には力が入らんのだろうし、昂ぶりやすくなっているのだろう。何故こんなことをしたのかは……分かりたくもない」
説明するにも、最後は吐き捨てるように言う。
「さっき……いち、にじかん、っていってたよね……? それまでこのまんま?」
「おそらく……な」
見る間にコウの表情が翳り、再び不安そうになる。
それを見て、ガトーは慌てて取り繕った。泣き顔は、やはり苦手だ。努めて優しく髪を撫でてやる。
「大丈夫だ。恐らく、それ以上には後に残らんだろう。あの方とて、それくらいはわきまえていらっしゃる…………筈、だ」
微妙に断言しきれないところが辛い。まあ、推察される薬を持っていた理由が、今のところアムロしか考えられないので、大丈夫だとは思うのだが。
「なんか、ほかに、ほうほうないの?」
「時が過ぎるのを待つしかない。その他の方法は……先程お前に拒まれてしまったからな」
「え、あ……そんな……」
コウはひどく複雑な顔をした。しかし、複雑なのに考えていることは手に取るように分かる。
「アルコールと同じ様なものだからな。早く回れば早く抜ける。……二つに一つだ。選べ。このまま時が来るのを待つか、それとも私に一切を委ねるか」
まだまだ怒りも冷めやらぬが、クワトロに対して微かな感謝の意が浮かぶ。本当に、ごく僅かに、だが。
コウは選択を迫られて、面白い程焦って困った顔になった。
「どうする?」
そう尋ねながらも、一つの答えを期待している自分に気付いて苦笑する。こんなに余裕がない自分は久しぶりだ。……否。そうではない。コウを相手にしたときだけ、やけにゆとりがなくなるのだ。
「……がとー……なにするんだ?」
「知れたこと。……熱いのだろう? ここも……ここも……」
指先がコウの身体を辿る。脇腹を擽り、緩やかに股間へと。
「っ……ぁ……いやだ、っ」
「では、このまま待つのだな。分かった」
「ぁ!」
ぎし、とベッドを揺らしてガトーが離れ立ち上がる。
その腕を、コウは咄嗟に掴んでいた。
「……いかないで!」
潤んだ目からは、今にも涙が零れそうだ。
ガトーはにやりと笑って、目尻をそっと指先で拭った。
「よいのだな?」
コウには、こくりと頷くことしかできなかった。
−続−
蒼下 綸 作