「あー! アムロさんだ!!」
 食堂の片隅で、人よりかなり遅い昼食を録っていたアムロの耳に、そんな大声と、ぱたぱた言う足音が聞こえてくる。
 苦笑しながら音の方を振り返ると、案の定、コウが駆け寄ってきていた。
「コウ。艦内で走っちゃ行けないって、いつも言ってるだろう?」
「はい。ごめんなさい! この間はありがとうございました! あの後、大丈夫でしたか?」
 勢いよく頭を下げられる。
 アムロはなかなかお礼の意味に思い至らず、フォークを持ったまま首を傾げた。
「あの、ガトーのことで、相談に乗ってもらって、ありがとうございました。カミーユ、大丈夫でしたか?」
「あ、ああ! ……コウこそ、大丈夫だった? あのバカに何もされなかった?」
「バカ? えっと」
 今度はコウが首を傾げる。
 心配される様な覚えがない。
「クワトロ大尉だよ。大丈夫だった?」
「ああ! はい。ちょっと大変だったけど」
 アムロの目がきらりと光る。コウは気付かなかった。
「何かされたの?」
「よく分からないけど、ジュースを頂いたら何だかぼーっとして、熱くなって……でも、ガトーが助けてくれたから!」
「あンのバカが……」
 思わず低く洩れる。
 アムロにはクワトロの行動が手に取る様に分かる。
 自分ならともかく、全く他人のものにまで手を出すとはどういう了見だというのか。後でしっかりとお灸を据える事を心に決める。
「ガトー大佐が助けてくれたのか? 優しくしてくれた?」
「はい!! いつもより優しかった!」
「…………良かったね、コウ」
「はいっ!」
 満面の笑みを浮かべて返事を返すコウは、とてつもなく幸せそうだった。

「ぎゅってしてくれて……寝たら治ったから」
「…………そっか……」
 思わず返答に困る。
 あり得ない。少なくとも、アムロの相手のあの赤い男なら、一晩付き合わされるだろう。
「いい人だよね、本当に、ガトー大佐って……」
 羨ましい。そういう、健全な付き合いも許されるこの二人が。
「コウ。いい人を見つけたよね。……ちゃんと幸せになるんだよ」
「うん! あ、じゃあ……今から、ガトーと一緒に筋トレするんだ」
「そう。行ってらっしゃい」
 来た時と同じように、唐突に。コウは走って食堂から出ていった。
「……もう。艦内は走っちゃ駄目だって…………」

 コウを見送ったあと、手元の食事に視線を移す。
 すっかり食べる気は失せていた。
 いたずらにポテトサラダへとフォークを突き刺す。

 ガトーの理性に賞賛を送りたい気持ちであると同時に、微かな不安が過ぎる。
 あれだけ純粋に己を慕う者。しかも、無垢なままで……。
 想いを受け止め、肉体的な関係にまで発展していることを考えると、この先の問題点も思い浮かべられる。
「よし」
 過保護だとは思うが、コウはあまりにも放っておけない存在だった。

 仕事をこなしつつ彼らのトレーニングが終わるのを待って、ガトーの部屋へ行く。
 気配は一つ。コウはいない様だ。こういう時は気配に敏い事も便利に思った。
「ガトー大佐、構いませんか?」
 ブザーを鳴らし、ドアが開くのを待つ。ややあって、ドアがスライドした。
「アムロ大尉、何か」
「話があるんですが。……ウラキ中尉の事で」
「コ……いや、ウラキの事で?」
「ここでいいなら、ここでもいいけど……入れて貰えますか?」
「……ああ。……どうぞ」
 アムロの言わんとする事は、何となく察せられる。
 ガトーは渋々アムロを部屋に入れた。
 階級はガトーの方が上でも、パイロット隊長であるアムロの方が権限が上だ。

「ウラキの事とは」
 個室には椅子が複数あるわけではない。アムロにはデスク付属の椅子を勧め、ガトー自身はベッドに腰掛ける。
 アムロは座るや足を組んで、ガトーをじっと見詰めた。
 沈黙が、痛い。
 かしましいのは好まないし自身もあまり口数の多い方ではないが、ただ見詰められるだけではどうにも居たたまれない。
 こういう場合は呑まれた方が負けだと分かってはいても、声を掛けずにはいられなかった。
「アムロ大尉」
 ガトーが沈黙を破ったのが契機だったのだろう。アムロも漸く口を開く。
「先日は、どうも。クワトロ大尉がコウに酷いことしたみたいで」
「いえ……問題はなかった。大したものではなかった様だし、あれは、コウが軟弱だった事もあるだろう」
「貴方に聞いておきたいんですけど……コウの事、貴方はどう考えてる」
 つ、と目が細められる。
 ガトーにはNT能力などないが、触れたら切れてしまいそうな程の鋭さは感じる。最強の戦士だという事は肌で感じた。
 気圧される、というのはガトーにとって滅多にある経験ではない。
 改めてアムロの立場を納得する。士官学校を出ていれば、同じ程の階級にいたことだろう。
 返答に困り、ガトーは軽く眉を顰めた。
「どう……とは」
「コウと、したんだろ?」
「は、はぁ…………っ!?」
 一瞬言われた意味を理解できず間の抜けた返答になる。
 鉄面皮は揺らがないが、首筋と耳朶が薄赤く染まる。
「した……とは、その」
「何だ。単語で言えって?」
「いや……しかし……」
 お似合いと言えばお似合いなのか。実直なガトーの反応に、アムロは脳内メモを付けた。
「どうなんだ? コウからは、聞いてるんだけど」
「なら、私に尋ねる必要はないだろう」
「貴方からも聞かないと、判断できないだろ。コウは……ただ貴方が優しくしてくれるって純粋に喜んでたけど。でも、貴方は肝心な事を未だコウに言ってないんじゃないのか?」
 視線が刃なら、切り刻まれそうだ。
 ガトーは下腹に力を込めた。

「それで……私に、何を言えと」
「それも分からないなら、コウを弄ぶのはやめてくれないか」
「弄ぶとは……また、クワトロ大尉に毒されでもしたかの様な言い様だな」
「今のところ俺が許さないけど、ちゃんと手綱を捕らえていないと何があるか分からないんじゃないか? クワトロ大尉は節操ないし。コウをは可愛いと思ってるのは貴方やあいつだけじゃないよ。俺だって。……知ってる? コウにキスされたろ。ディープキス。アレを教えたのは誰だと思う」
「……さあ。ニナ・パープルトンとは、そんなこともあるだろう」
「違うよ。……俺だ。実施でね」
「なっ」
 思わず気色ばむ。
 しかし何処までも冷たい目のまま唇だけで微笑まれ、ガトーは硬直した。
「コウはいい子だからね。俺だって気に入ってる。貴方が責任取れないなら、コウを渡すわけにはいかないんだ」
「随分と……過保護のようですな。アレは、そう子供ではないと思うが」
「貴方だって同じ程子供扱いしているだろう? 俺にとって年若いパイロットはみんな弟か息子みたいなものだからね。みんな大切だから少し余計に構ってしまうのは認めるよ」
 「お父さんみたい」と、そう言ったコウの声が蘇る。
 ガトーは思わずこめかみに手を当てた。
 父親でいてやるつもりはない。そんな抱き締める以上には触れられもしない様な関係など、これ以上鬱憤を溜めたくはないのだ。コウの性質がああでなければ……もっと早くにしっかりと関係を叩き込んでやるものを。
 自身の性格を棚に上げ、ガトーは苦々しげに眉根を寄せた。
 面白い様に苦渋に満ちていく顔を見てアムロは立ち上がり、ガトーの頬の横へ垂れた髪をくっと引っ張った。顔を近づける。
「コウが子供じゃないって分かってるなら、責任くらい取れよ。貴方が、本当にコウが一心に想って追いかけるくらい立派な男だって言うなら」
 挑発されている。
 つくづく、この状態のアムロと敵対していなくて良かったと思う。勝てる気がしない。
「責任、とは」
「クワトロより真面な男なんだろう? 貴方は。……コウは未だ、何も分かってないよ。貴方とニナがどう違うのかとか、自分の気持ちが本当にどんなものなのかとか」
 あと僅かで触れ合ってしまう。
 ガトーは固まった。
 妙な艶気はあると思うが、コウ以外の男に興味などはないし、大体アムロに指の一本でも触れたことが知られたらクワトロが果てしなく鬱陶しい。
 アムロはお構いなしに顔を寄せ、完全に圧し切ってしまう。

「貴方だから大丈夫だろうと思ってコウを止めなかったことを、俺に後悔させるな」
 額に浮いた汗が一筋流れ落ち、頤まで伝う。
 それを拭うことも出来ず、ガトーは息を呑んだ。
 何処か薄い色をした瞳がすっと細められる。ガトーは背筋が寒くなるのを感じた。
「分かったら、返事は?」
「……了解した。責任を取れない行動を取った覚えはない」
「コウね、クワトロに、貴方と恋人同士じゃないのかって聞かれて狼狽えてた。ニナのことだったら即答できただろうにね。……相手を不安にさせないことは、大切だと思う」
「分かっている」
「なら」
「今、私は貴方に了解の返答をした。出来もしない答えを言ったつもりはない」
「そうか」
 漸く髪を引っ張っていた手を離し、アムロは数歩の距離を取った。
「信用してるよ、ガトー大佐。じゃあ、邪魔したね」
「いや……こちらこそ、アレがご心配を」
「…………そういうのが、コウを子供扱いしてるって言うんだよ。大佐は、コウの、何?」
 ドアに手を掛け、アムロは振り返る。
 ガトーは見送りに立ち上がり、返答に困って足を止めた。
「貴方がどういう答えを出してもいい。それがコウを傷つけても、それはそれで仕方がないよ。だけど、ちゃんと結論は明確に。中途半端は貴方だって厭だろう?」
「それは、勿論だ」
 アムロはガトーを見上げ、猫の様に目を細めた。
「俺は当事者じゃないからね。口出しはここまで」
「ああ……」
「じゃあね。次の出撃は、貴方もコウも待機にしておく。コウはともかく、貴方は無理だろ?」
「必要ないが……いや、好意は受け取ろう」
「貴方も難儀な性格だよね」
 ドアを開ける。アムロはガトーを見上げたまま廊下へ出、軽く肩を竦めた。
 軽く頭を下げるガトーに微笑み、そのままドアを閉めた。

 先までアムロが座っていた椅子へと座り、ガトーは宙を睨んで暫く考え込んだ。
 アラートが響くまでに、どうにか結論を付けてしまいたいが、なかなか考えは纏まらない。
 否。
 結論はもう疾うについている。
 言葉を考えあぐね、ガトーは一人誰にも見せられない様な百面相を続けた。


作  蒼下 綸

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