「あー、面識のある者も多いだろうが、アナベル・ガトー大佐だ。これから再び我々ロンド=ベルと行動を共にして貰うという事で──」

(夢……じゃない、よな……)

 朝会の場。
 ブライトの長口舌も耳に入らない。コウは黙って紹介されている、ブライトの隣に立った大男を見詰めていた。
 アナベル・ガトー。戦場で幾度も剣を交え、叱咤されてきた。いつも、自分の五歩も十歩も先を歩んでいる男。

 それが、今、目の前にいる。

 漂流中のところを救出されたのはつい数日前の事だ。怪我がそんなに軽かったとも思えないが、平然とした様子で立っている。
 歓迎のレセプションがあらかた終了するまで、コウは身動ぎもせずにガトーを見ていた。

「コウ。おい、コウってば!」
 肩を揺さぶられる。そして漸く目の前で心配そうにしている友人に気が付いた。
「なっ……何? キース」
「……何、じゃないよ、全く……。ぼーっとしてるから心配してるんだよ。……やっぱりさ、あいつがここにいるなんて信じられないのは分かるけどさ……あんなのに食ってかかるのはちょっとな……さすがに命が惜しいよ。お前も無茶するなよ」
「しないよ。もう!」
 頬を膨らませて答えつつ、それでも目はガトーを追う。

 ガトーはクワトロ大尉と談笑していた。しかし、和やかそうな見かけとは裏腹に剣呑な空気が漂っている。それが二人の持つ風格と相成って、凄まじいまでの威圧感とプレッシャーを醸し出していた。当然近寄る者は誰もいない。

 視界が開けているのをいい事に、しげしげと観察してみる。
 艦内で一、二を争う長身のクワトロより更に上背があり、身体の重厚感も一から二割り増し。クワトロは撓やかで均整の取れた身体だという印象だが、ガトーはしっかり、がっちり、としか言いようがない。
 しかし巨漢と言う程無粋なものでもない。服の上からでも窺い知れる程、無駄とは無縁の身体だった。

 羨ましく思う。自分の腕や胸に軽く触れ、眺め、肩を落とした。
 男としてはそれなりだろうが、軍人としては標準レベルでしかない。むしろ、筋力は足りない気がするし、身長も彼らに比べて随分低い。
 ……比べる対象が悪いと言う事に、コウは気付かないまま落胆していた。

「コウ……お前、本当に大丈夫か?」
「えっ……?」
「さっきからガトー大佐眺めて百面相してさ」
「大丈夫だよ。何でもない。……なあ、あの二人、正反対だと思わないか?」
 小さくガトーとクワトロを指す。キースは二人を見、慌てた様に目を反らす。
「髪のカラーリングだろ。そんな事よりあんな二人眺めてるなんて正気じゃないぜ」
「うん……」
 キースの言葉に、何故か釈然としない。

 確かに髪の色は対照色だ。しかし、黒髪のコウから見れば同系色でしかない。金と言ってもクワトロは、それは見事な白金髪で、ガトーは銀。コウの中ではどちらも変わらない。
 そして、二人共、男のコウから見てもいい男だ。思わず見惚れてしまう何かがある。明らかに系統は違うのだが。
 コウは首を捻った。自分は何故二人を正反対だと思ったのか。それが分からない。

 ふと、クワトロがコウの方を振り返った。コウは自分の考えに没頭していて気付かない。
 キースが慌てふためきコウの腕を引っ張る。しかし、時既に遅し、クワトロは歩み寄って来ていた。
「ウラキ中尉、私の顔に何かついているか?」
「は……あ、クワトロたい……い……? ……い、いいえ! 失礼しました。別に、何も……」

 目前に美しい顔が迫っている。そこで我に返り、訳もなくコウの鼓動は跳ね、頬に朱が差した。一歩後退り、クワトロから離れる。サングラス越しにもその美貌は隠し切れていない。クワトロのアップは心臓に悪かった。
「何もないのならば、そんな熱い視線で見詰めないでくれないか。勘違いをしてしまいそうだからね。それに、君に見詰められていると、ガトー大佐も落ち着かない様だ」
「俺……そんなに見てましたか?」
 火照ったままの頬に手の甲を当て、上目遣いにクワトロを見る。
「そうだな…………少なくとも、艦長が話している最中からずっと、ガトー大佐の事を見ていただろう。既に三十分以上は経過しているな…………そうか。私はガトー大佐のついでなのかな?」
「そっ、それは……」

 今のコウにとってクワトロは、はっきり言って、ガトーを眺める際の比較対象物以外の何物でもない。言うなれば、ミ=フェラリオの隣に置かれたタバコの箱の様な存在に過ぎないのだ。

 コウは答えに窮してじっとクワトロを見詰めた。
 考えている事がそのまま瞳に出てしまうコウの純粋さに、クワトロも反応を失う。
「ウラキ中尉はガトー大佐を気に入っている様だな」
「そんなっ……ただ、俺は…………もう、二度と一緒には戦えないって思ってたから……何だか、ここにガトーがいるのが、凄く不思議で」
「嬉しいのだな?」
 コウは目を大きく見開いてクワトロを凝視した。
 耳や首筋まで赤く染まる様がやけに子供染みて可愛らしい。
 純粋さとは凶器である。
 思わずコウの肩に手を伸ばしたその時────。

 クワトロの背筋を凄まじい悪寒が走り抜けた。

 背後に強烈なプレッシャーが渦巻いている。
 恐る恐る振り返ると、額に青筋を浮かべながらも微笑んでいるアムロと目が合った。
 人混みの中でもきっちり、はっきり、感じ取る事が可能だった。
 慌てて手を移し、コウの背中に当てる。そして、軽く押した。
「それはガトー大佐に直接言えばいい。彼も、出戻りで肩身が狭く思っているだろう。一人にでもそう言って貰えると嬉しいものだよ」
「そう……でしょうか」
 クワトロを振り返り、不安げな色の揺らぐ澄んだ瞳で見詰める。
「そんなものだ。さ」
 もう一度背を押してやる。これ以上コウに構っていると、クワトロ自身の身も危ない。

 クワトロに背を押され、コウは数歩、ガトーの方へと踏み出した。バランスを崩しかけて蹈鞴(たたら)を踏む。

 と、不意に力強い腕が抱き止めた。
「気を付けろ」
「あ……ありがとう」
 鼻先に触れる匂いに覚えがある。懐かしさに涙腺を弛められながら、コウは頭上にある顔を見上げた。

 綺麗な銀髪と、燻し銀の顔立ちが視界に入る。
 医務室で眠っていた時のガトーが思い出され、訳も分からないまま泣き出したい衝動に駆られる。しかし、ぎりぎりで踏み止まり、コウは努めて明るい表情を作った。

「傷はもう大丈夫なのか?」
「あんなのは傷のうちにも入らん」
「そっか……丈夫だもんな、ガトーって」
 自分で口にした「ガトー」という響きがひどく甘くて、コウは忍び笑いを洩らす。
「こちらをずっと見ていたな」
「うん……何だか、ガトーがここにいるのって、信じられなくて。不思議で……何か、照れくさいな」
 軽くガトーの身体を突き放して一人で立つ。何故だか危なっかしく見えてガトーは手を伸ばしたが、コウはそれを避けた。

 コウはガトーから少しだけ離れ、僅かに俯き加減で子供染みた言葉を繰り返す。
「生きてて良かった。あんな状態で、よく生きてたよな。ホント」
「再び生き恥を晒す事になってしまったが……」
「ううん。そういう事じゃなくて……。ここで、こうしてガトーと話が出来るなんて、もう二度とないと思ってたし。それが、凄く不思議でさ。……嬉しくて」
「嬉しい、だと?」
 ガトーの声音からほんの僅か、剣呑な空気が和らぐ。
「そ。だって、また一緒にいたっていいんだろ。今度こそ、貴方を抜かすチャンスなんだから」
「私を抜かす、だと」
「パイロットとしてとか、男としてとか……なんか負けっぱなしで凄く悔しいからさ。もう一度、一緒に……いたくて……」
 照れた様に頭を掻きつつ、上目遣いにガトーの様子を窺う。澄んだ黒目がちの瞳がガトーを捉えた。

 言っている言葉がどの様に受け止められるのか、その殆どを理解していないのだろう。
 ガトーはひどく疲れた気分になり、掌で顔を一撫でした。
「……ウラキ少尉、ここで言うには不適切な言葉だな」
「何?」
「……いや………………分からないならいい」
 純粋さは凶器である。
 その言葉を実感として噛み締める。
 しかし、コウ一人に喜ばれただけで、すっと気持ちが軽くなるのを感じていた。

 純粋、率直、悪い言葉ではない。

 ガトーの口元が微かに綻んだのを見て、コウはにっこりと笑った。
 背伸びをしてガトーに抱きつく。
「お帰り」
「ああ」
 僅かだがガトーの肩に体重が掛かる。コウの顔がぐっと近づく。
 頬で小さな音が立つ。その意味を理解するのに五秒以上の時間が掛かった。
 コウは少し紅い顔をしてガトーを見詰めていた。
「お帰りって言ってるんだから、ただいまだろう?」
「ああ。……ただいま」
 ガトーには自分の中に生じた暖かい感情が何なのか、よく理解できなかった。とりあえず、コウの言う通りに返す。
 コウは満足げに頷いて。極上の笑みを浮かべた。
「ここ、居辛い?」
「…………そう、だな。私を信用しない者も多いだろう。当然だとは思うが、少し、な」
「じゃあ、俺の部屋に行こ。話したい事たくさんあるし。ガトーの話も聞きたい」
 ガトーに半ばぶら下がっている状態だったコウは床に降り、ガトーの手を掴んだ。

 子供は最強である。

 再度その手の言葉を噛み締めてガトーはコウに従った。
 自分の信念に基づいている以上、別にここが居辛かった訳ではないのだが。確かに、コウの話を聞きたいと思った。
 と言うより、コウと二人きりになってみたかった。

 その後何が二人の間で起こったのか…………。
 翌日、敵の襲来がなかったのは幸いだった。

−終−
作 蒼下 綸

戻る