「ニナ、ガトー知らない?」
「ガトー?……見てないけど」
「そっか……ありがと」
格納庫を覗くだけ覗いて去って行く。ニナは首を傾げてコウを見送った。
目の前では丁度デンドロビウムの整備が行われていたのだ。それにコウが手も口も出さないとは、珍しい事だ。しかし、メカニックの少ないこの艦ではニナも貴重な戦力である。気にかけている暇はなかった。
コウは艦内を彷徨き、出会う人全てにガトーの居所を尋ねた。しかし誰に聞いても芳しい返答はなかった。
表情がどんどん暗くなって行く。箝口令でも布かれているのかと思う程、ガトーの行方が分からない。しかし、ガトーの性格上、誰にも言わず艦を出るとは考えられない。ガトーが潜入員ではないという前提の話ではあるが。
コウはぶんぶんと頭を横に振って考えを振り払った。ガトーを少しでも疑った自分に腹が立つ。
涙目をごしごし擦りながら、少し頭を整理しようとコウは食堂に入った。
と──────。
「ガトー!!」
人も疎らな食堂の隅。スポーツドリンクを片手に紙の束を眺めているガトーがいた。
トレーニング帰りなのか、ラフなスウェット姿である。
「……ウラキ」
姿を見るなり猛ダッシュで自分の向かいに来たコウの行動の意図が掴めず、ガトーは唖然としてコウを見詰めた。
さっきまで目元を擦っていた所為で紅くなっている。興奮しているのか上気した頬と相成って、ひどく子供染みた可愛らしさを強調している。
「……何か、用か?」
何故かこんな、五、六歳程しか歳の離れない男を可愛いと思ってしまう自分を不審に思いながら、ガトーはコウに尋ねてみた。
コウが言いたい事は薄々感じている。このところ意図的にコウを避けていた事についてだろう。
しかし、ガトーには分からなかった。
怒ったり、詰ったり……という予測は立てていたが、コウがあまりにも哀しそうで泣き出しそうなのが理解出来ない。
「ガトー、逃げるなよ」
唇を噛んで低く言うなりコウはガトーに抱きついた。
「ウラキ……っ!?」
ガトーの銀髪は少し濡れていた。思いの外いい匂いがする。トレーニングの後シャワーを浴びたのだろう。
コウはガトーのシャンプーやコロンの香りを嗅ぎ、ひどく落ち着いていく自分を感じていた。
「何でっ?……何で俺を避けるんだよ……」
こつり、と額を合わせる。縁の濡れた瞳が伏せられ、ガトーの目前に来る。
「何故……泣く」
「分かんないよ、そんな事! ただ……久しぶりにガトーに抱きついたら……分かんない……でも、凄く安心して! 嬉しくて! 仕方ないじゃないか………」
ぎゅっとしがみつくコウをどう扱えば良いのか分からず、ガトーは何となくそっと頭を撫でてみた。さらさらとした手触りは悪くない。
コウは少し顔をずらし、ガトーと頬を合わせた。そのまま抱きついている。子供をあやす様に頭を撫でられ、コウはゆっくりと目を閉じた。ガトーの仕草に安心しきって身を任せる。ガトーに少し擦り寄る仕草をした後は、全てガトーのなすがままだった。
「何で俺を避けてたんだ? 俺の事を嫌いなのなら、邪魔だからあっちへ行け、くらい言えばいいのに。そしたら、俺だって……ガトーの邪魔したりしないのに……」
「そうではない。別にお前の事を嫌ってなど……」
「じゃあどうして?」
真っ直ぐに尋ね返され、ガトーは答えに詰まった。
コウの事を少し鬱陶しく思う事もあるが、その剥き出しの好意が嬉しくない訳ではない。ただ、ここまで純粋で率直な感情をぶつけられた事がなく、どう応じて良いものか分からない。そして何より、自分のコウに対する感情がなんなのか、名付ける術を持っていなかった。
「お前は……私の事をどう思っているんだ?」
「どう、って……?」
「……感情としてだ。人間として、私の事をどう思っている。その……好きだの嫌いだの、そういう言葉でも構わないのだが……」
「好きだよ!!」
即座に返され、ガトーは思わず赤面した。
「俺だって、嫌いな人の側に引っ付いて回ったりしない。ガトーこそ、俺の事、どう思ってんだよ!?」
尋ね返され、返答に困る。ガトーが困惑している事に気付き、コウは今にも泣き出しそうに顔を歪めた。
「嫌いならはっきり言えばいいのに」
「だから、嫌いではないと……」
「無理しなくていいよ」
コウはガトーから離れ、一、二歩下がった。
淡く微笑んで、ガトーを見詰める。堪えきれない大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「あ……あれ……?」
唇に涙が落ち、その味に自分が泣いている事を知る。コウは慌てて目を拭ったが、遅かった。
「ウ、ウラキ……?」
コウの様子に、ガトーははっきりと狼狽えた。どうも泣き顔というものには弱い。老若男女関係なく、どう対処して良いか分からない。
「ごめ……俺、どうしたんだろ……」
手首の辺りでごしごしと涙を拭い続けている。
ガトーは腕を掴んで顔から外させ、その目尻に唇を寄せた。
「ガ、ガトー!?」
ガトーの顔がアップで視界に飛び込んできた事に驚いて、コウはびくりと身体を竦ませた。そしてその後、ガトーの行動に気付き紅くなる。
そのコウの様子に、ガトーも自分の行為の意味に気付く。全くの無意識だったが、この状況下でどんな意味を持つのか……コウ程鈍い訳ではない。
ガトーも紅くなる。
まじまじとガトーを見詰め、コウは再びガトーに抱きついた。
「逃げるなよ」
「なっ……っ」
コウはガトーの口に唇を押しつけた。逃げられない様ガトーの頭を手で押さえ、アムロにされた手順を辿る。
舌を差し入れ、歯列を辿る。呆然としているのを良い事に更に奥へ進み、舌を探ったところでどうすればよいのか分からず動きを止めた。
困ってガトーを見ると、しっかり目が合う。また涙が込み上げた。
不意にガトーの舌が動く。コウの舌を絡め取り、緩々と舐める。
「ぅぁ……」
ガトーが応じてくれた事が嬉しくて、コウはより深くガトーに齧り付いた。
アムロの時とは全く違う、それでも同じくらい心地よい感覚に包まれて、コウはガトーに身体を預けた。
比較的コウはがっしりとしている方だが、輪をかけて体格の良いガトーは動じない。
「…………んぁ……」
唇の間から立つ濡れた音に煽られ、コウは耳まで紅く染まった。それでもガトーから離れたくなく、必死で縋り付く。
ガトーの舌が蠢く度、痺れる様な感覚が腰の辺りに蟠(わだかま)って行く。そのうちにその感覚は足に降り、膝が震える。体重を支えきれず、崩れたところをしっかりと抱き留められた。
「大丈夫か」
唇を僅かに離して尋ねるガトーに、コウは弱々しく微笑んで見せた。息が継げず、少し朦朧としている。
潤んで焦点の定まらない瞳をガトーは美しく思い、そう思った自分に首を傾げる。
「ガトー……ガトぉ…………」
少し掠れた声がガトーの耳を擽る。それに性感を刺激されたが、ガトーは踏み止まった。
濡れた頬が頬に触れる。しがみつくコウの腕が力強く少し痛いと思ったが、ガトーはそのまま大人しくコウに抱き締められていた。
「……ガトー、ずっと、一緒にいてよ……」
甘える様なコウの声に心地良さを感じる。男だろう、とか、大人だろう、とか、軍人だろう、とか、そういった言葉が全く浮かばなかった訳ではない。しかし、それを遙かに凌いでコウを受け止めたいと思った。
ガトーはコウの頭をよしよしと撫でながら考えた。
この艦に女は多いが、娼婦の類など全くいない。それどころか、そんな単語でも口にしようものなら、五分後には宇宙の藻屑だろう。性欲処理は個々で何とかするしかない。
そして、生粋の軍人であるガトーには、ある種の貞操観念が抜けていた。
要するに、「男同士」という枷など思いつかない。どうせ、兵士宿舎ともなれば慰め合いと称した性欲処理など茶飯事である。その中で惚れたのなんだのというのもよくある話だ。
コウが分かった上で言っているかどうかは置いておいて、ガトーはコウの想いをそういう形で受け取った。
そして更に考える。
自分自身はコウの事をどう思っているだろう。
何故か可愛いと思ってしまったり。
何故か甘やかせてしまったり。
トレーニングに付き合ってみたり、一々自分に突っかかってくるのがどうしようもなく……。
どうしようもなく…………いとおしい。
その言葉に思い至った瞬間に、溜飲が下った。
「……分かった。コウ」
そう、一言。
途端に周囲から一斉に歓声が上がる。
驚いて二人が見回すと、艦内のほぼ全員が集まり、拍手をしたり、コウに駆け寄ったりしていた。
「コウ、良かったな!」
「え、え……?」
キース達に祝福の言葉をかけられても、コウには何の事だかさっぱり分からない。
何事だか分からずコウは不思議そうにガトーを見た。ガトーは真っ赤になりながら眉間の皺を深くし、拍手している人々を睨んでいた。
「ガトー、これ、どういう事?」
「貴様…………さては、私を捜して艦内中の人間に声をかけて回っただろう」
「え? う、うん。……だって見つからなかったから……」
駄目だった? と不安そうに見詰められ、ガトーは感情の行き場を無くした。老若男女……ではなく、コウの涙に殊更弱い事に気付いたがどうしようもない。
「行くぞ」
「え、でも……」
祝福してくれる人々に揉まれて身動きが取れない。ガトーは人垣を掻き分け、コウをひょいと抱き上げた。そしてそのまま、すたすたと食堂を出て行った。
「ガトー、降ろせよ。自分で歩けるから!」
藻掻いて、ぽかぽかとガトーの肩を叩く。痛くはないが鬱陶しいらしく、ガトーはそっとコウを床に降ろした。
「みんな、あんなに何を喜んでいたんだろ」
まだ首を傾げているコウに呆れた視線を送る。
「……分からないのか」
「何? ガトーには分かるの?」
「…………いや…………」
何故皆が成り行きを見守っていたのかは分かるが、ガトーにも何故祝福されているのかは分からない。
ただ、民間人が多い割に、自分たちが肯定的に受け止められているのだという事だけは分かる。
それは恐らくコウがみんなから好かれているお陰だろう、と一人納得し、ガトーはコウの肩に手を置いた。
「……コウ、私の部屋へ来い」
「うん」
ガトーと二人きりになれる事がただそれだけで嬉しくて、コウは思い切りよく頷いた。
「……分かっているのか」
「何を?」
この状況下個室で二人。ガトーは大人の男として当然の事を考えている。しかし、コウには伝わらず、相変わらず首を傾げていた。
「貴様も軍人だろう」
軍人が全員男同士の関係を持っている、などという暴言を吐きたい訳ではない。しかし、上下の関係や、同い年の人間が数多く集団行動を取るのが軍である。噂だの何だのには事欠かないであろうし、経験のあるなしに関わらず、大体の察しが付くのが大人というものだろう。
しかし、コウにその手の「常識」は通用しなかった。
「そんなの答えになってないよ」
「教えて欲しいのか」
「勿体ぶるなよ」
拗ねる顔も愛らしい。思わず鼓動の跳ねた自分に対する照れ隠しに、無言でコウの手を引いた。
そのまま自室まで連れて行く。
ガトーの頭の中は、どの様にしてコウに大人の関係を教えるかで一杯だった。
その後は……言うまでもないだろう。
−終−
作 蒼下 綸