「はい、コウ。これ、貰ってちょうだい」
 その日、何となくそわそわしている艦内の片隅で、コウはニナからリボンをかけられた箱を受け取った。
「何?」
「今日はバレンタインデーですもの」
 にっこり笑ってそう言うニナとは対照的に、バレンタインデーの一言にコウは凍り付いた。

 全く恋人達の行事には疎いコウだが、バレンタインに何をどうするものかくらいは知っていた。
 その上、コウは名前や人種は日系であるものの、生まれも育ちもオーストラリア。日本人の風習とは無縁で……要するに、この日には恋人同士が贈り物をするのだ、という認識と発想しか持ち合わせていなかった。
 そして……ニナへの贈り物など、全く念頭になかったのである。
 そもそも、現在地は宇宙で、花束だのお菓子だのとなかなか入手できる状態にはなかったが、それでも、ニナはこうして箱詰めの何かを用意している。

「あ、ありがとう、ニナ……でも、その……」
 何も用意してない、と言う前に、ニナは笑みを深くした。
「……分かってるわよ。こんな日の事なんて、覚えてなかったんでしょう。いいわ。戦いが全部終わったら、ショッピングに付き合って貰うから!」
 コウはそれを聞いて明らかにほっとして、胸を撫で下ろした。微笑んだニナの目が、きらりと光った事にも気が付かず……。勿論、ショッピング代はコウ持ちのつもりなのが、通りすがりの人々の目には明らかだった。
 さすがはOL。ただで彼氏に物をくれてやる気はない様だ。
「ごめんよ、ニナ。後でカード贈るから! それに、今度ちゃんと埋め合わせするから」
「期待してるわ。じゃあ、私、整備の続きがあるから」
「うん。ありがと」

 ニナのプレゼントは、本物のガンダリウム合金を使ったガンダム試作一号機ゼフィランサスのブースター換装型の百分の一模型だった。プラモデルより更に精巧に作られている。それはそうか。本物の図面を引いた人間のお手製である。その横に小袋に入ったカカオクッキーと、バレンタインカードが入っている。クリスマスにはデンドロビウムを貰ったから、釣り合いとしては丁度どいい。
 ガンダリウム合金は横領品だろう、とか、そんな事はコウの頭には浮かばなかった。ただ、ニナがちゃんと自分の好みを踏まえてくれた事が嬉しい。
 それを部屋のベッドのサイドテーブルに置いて、コウは照れくさそうに微笑んだ。

 そうして、ごろりとベッドに転がる。いつ敵襲があるか分からないとはいえ、今はとりあえず非番だ。
 ごろりとしながらも、コウは悩んでいた。

 ガトーにどうするか、である。

 ニナと付き合っていると思っているが、また、ガトーとも同じ様な意味で付き合っているのだとも思っている。
 ニナへのプレゼントは何とか納得して貰ったが、問題はガトーへのプレゼントなのである。

 バレンタインデーのプレゼントといえば菓子類や花束が多いが、どう見ても、ガトーは甘い物が好きな様には見えなかった。そして、場所が場所なだけに、、生ものである花も入手は難しい。
 いや、別に、相場だと行っても、食べ物や花に固執する必要もないのだが、そうしたっていまいち贈り物が浮かばなかった。そもそも、女性陣に比べて格段に根回しは苦手である。宇宙では入手できる物にも限りがあり、その中でプレゼントになりそうな物は、何一つ見当たらなかった。

「どうしよう……」
 思いだしてしまっては気になる。
 貰ったクッキーを囓りながら考える。

 が。

「……………………………………苦い」
 カカオクッキーに見えていた物……それは、お約束通り、真っ黒焦げになったプレーンクッキーだった。


「あ……」
 悩んだままシャワーを浴びて、まあ食堂で何かつまもうと思い廊下に出たところでキースに出会す。

「コウ。……どうした? あんまり顔色良くないぜ」
「何でもないよ」
「そうかぁ?……まあいいや。それより、これ! 見てくれよ、モーラがさぁ〜」
 コウの様子を大して気にかけず、胸のポケットから見慣れないフレームの眼鏡を取り出す。
「俺がいつも同じの付けてるから、って、作ってくれたんだぜ。予備の眼鏡のフレーム! すげぇだろ〜!」
「へぇー……」
「さすがだよな。まあ……丈夫だからって、ガンダリウム合金の切れっ端使ってるのは内緒だけどな」
 ガンダリウム合金のお手製……ニナと一緒だ。
「そっか……手作りか……」

 確かに、買えないのなら作ればいい。
 問題は、欲しい物が分からない、という事だ。

「なぁ、キース。キースだったら、プレゼント、何貰うと嬉しい?」
「え? そうだな……。くれるもんなら、何だって大抵嬉しいけどな。……まさか、ニナさんに何も用意してなかったのか?」
 それは、キースにとっては重大な問題の様だった。コウはその剣幕に圧されてしどろもどろになる。
「そ、それもあるけど……。ガトーに何あげたらいいのか分からなくって……」
「ガトー?…………ああ、そっか……そうだよな。そういえば、そういう関係になっちゃってたんだっけ……そんなの、直接聞けばいいじゃん。欲しいものも自由に言ったり聞いたり出来ない関係じゃ、意味ないぜ」
 キースは殆ど投げやりで、だがしかし、コウには十分な答えだった。
「そう……そうだよ。聞けばいいんだよな。ありがとう、キース!」
 さっきまで暗く沈んでいたコウの顔が一瞬にして輝き、ぎゅっとキースを抱き締めて頬に一回キスをした。
 そして、次の瞬間にはそこから走り去っていた。

「…………あーあ。何で男なんかに攫われなきゃなんないんだよ……」
 男の中で、コウから厚い友情の証としてキスを貰えるのは自分だけの筈だったのに。
 何やら、ガトーに大して心中複雑なキースだった。


「ガトー」
 ガトーの居場所は大体、自室かトレーニングルーム。でなければ食堂と決まっている。
 案の定、探しに駆け込んだトレーニングルームにガトーはいた。

「……何事だ?」
 警報が鳴ったわけではないから敵襲ではない。息せき切って走ってきたコウを不審げに見遣る。

「あ、あのね、ガトー……えっと……」
 あんまり急いで来たもので、咄嗟に頭が回らなくなっている。
「少し落ち着かんか」
「う……え、と……あのね、ガトー……何か、欲しいもの、ない?」
「何だ、急に」
 質問の意味が分からない。
「ん、じゃあ、ガトーが貰って嬉しい物、って、何?」
「今特に欲しいものなどはないが……」
「じゃあ、お菓子とか、好き?」
「あまり口にはしないな」
「………………そっか」

 コウが目に見えて落胆した事が気にかかり、ガトーはマシンから降りてコウを壁際のベンチへと連れて行った。
 そこに座らせ、自分はその足下に膝をつく。何故か、頭の位置は大差を見せない。

「どうしたんだ、一体」
「うん……あの、今日、バレンタインなんだけど……ごめん! 俺、すっかり忘れてて、ガトーに、プレゼントとか、何にも用意してなくって……」
 俯き加減になるコウの顔を下から覗く。
「バレンタインデー……?」

 そういえば、そんな行事を耳にした事がある様な無い様な。
 興味のない事に大した記憶力を割くつもりもないガトーは、その名称も、意味も、朧気にしか思い出す事が出来ない。

「それは……どういう日なんだ?」
「え? えぇっと……好きな人に、プレゼントをあげる日、かな。キリスト教の、バレンタインっていう恋人とか友人の守護聖人の日で……あんまり詳しい事は知らないんだけど」
「お前はクリスチャンだったか?」
「一応……そういうところで育ったし」
「そうか……しかし、今の会話で分かっただろうが、私もお前に何も用意していないぞ」
「いいんだ、そんなの! でも、俺が忘れてたのが、悪いなって。勿論、今日中にカードは渡せそうなんだけど…………それで……ねぇ、何か、欲しいもの、ほんとにない? 俺、ガトーがどんなものが好きかとか、全然知らないんだもん」

 コウの目は真剣だった。コウは、何事に対しても、殆ど気を抜く事がない。気の抜き方を知らないのだ。
 ガトーは真摯な瞳に見詰められて苦笑した。

 欲しいものは…………今、この瞬間に、ただ一つだけ。

「……私も、そのイベントを知ってしまったからには、貴様に何かせねばならんのだろうな」
「いいってば、でも、」
「まあ、聞け。私もお前に何かをしてやりたくなった。しかし、今この場で貴様の好みを聞いたところで、準備はしてやれん。そもそも、次の補給だって、いつになるか分からんのだからな。それは貴様も同じ事だろう。……そこでだ。こういうのはどうだ。互いに、物ではなく、して欲しい事を贈る、というのは。今宵一晩、貴様に私をくれてやろう。貴様も……私の物になるか? どうだ」

 何だか、もの凄い事を言った気がする。

 何だか、もの凄い事を言われた気がする。

 二人揃って、たっぷり2テンポは間を取って赤面する。

「い、いや……他意はないぞ!」
「……えっと……何でもいいの?」
 慌てるガトーに対し、コウはやはりそこまでの深読みも出来ないで考え込んだ。

 ガトーにして欲しい事…………それはやはり、一つしかなかった。

「じゃあ、勝負だ、ガトー!! MS使ったら怒られちゃうから、ここで!」
 びしっ、とガトーに指を突きつけて宣戦布告する。
「人を指さすな。行儀の悪い! まあいいだろう。受けて立ってやるとも。貴様の気が済む迄な」

 トレーニングルームの片隅、そこそこの広さをとって剣道だの柔道だのに絶えうるスペースが作られている。壁には、何本かの竹刀や木刀もかかっていた。ただ、胴着がない。そこまでの品揃えは、さすがに期待できなかった。素振りの稽古程度の意義でしか置かれていない物だ。
「ふむ……竹刀ではなく、木刀の方が、まだ近いか」
「うん!」
 コウは小躍りせんばかりの様子で壁に掛かった木刀を手に取った。
 ガトーも、手に取ってコウと対峙する。
 にやりと笑うガトーに、コウはぞっとする程の緊張を覚えた。


「……痛い……」

 …………やはり、結果は言うまでもなくコウの惨敗に終わった。
 ガトーはちゃんと加減して、大体寸止めにしたものの、それが却ってコウを怒らせ、最終的には居合い術でも剣術でもなく、ただの殴り合いの様なものだった。それでも、ガトーにコウの攻撃は殆ど当たりもしなかった。避けられなくても、しっかりと木刀で受け止められ、実際の力比べでガトーに敵う筈もなく…………。

「くっそぉぉぉぉぉぉっっ!!」
「いい加減に諦めろ。無理して動くと、近く敵襲があっても出撃できんぞ」
 一晩そこそこに休めば、コウなら回復するだろう。

 立ち上がる力もない程疲弊したコウが運び込まれたのは、ガトーの自室だった。
 甲斐甲斐しく打ち身を冷やしてくれたり、擦り傷や切り傷に軟膏を塗ってくれたりする事に、礼の一つも言えない。頭に昇った血はまだ冷めていなかった。

「……まだ気はすまんのか」
「勝つまでやるっ!」
「……今のままでは、何十回やろうが同じ事だ」
「何をぉっ!?」
 がばっと胸座を掴んで身を起こす。しかし直ぐに激痛が走って縋り付く様に蹲った。
「ああ、こら……無理をするな」
 ぎゅっと服を掴む手を開かせ、ベッドに横たえさせる。
「ガトーがバカにするからっ!」
「馬鹿にしたわけではない。今のままでは無理だと言ったが、これから先も無理だとは言っていない。少し冷静になれ」
「う〜〜」
「唸るな!」
 冷たく濡らしたタオルを、打ち身の痣から剥がして顔に押し付ける。

「これが貴様の望みだったのだろうが。私と戦う、それだけが。違うか? なら、何故私に勝てないのか、それくらいは学び取ったらどうだ。これでは、痛い思いをしただけ損だろう」
「だって……」

「何だ。言い訳か?」
「……面がなかったんだもん」

 拗ねた様に呟く。

「……何を言っているか。初めから、そんな事は分かっていた筈だろう! それでは、貴様は、面がなくて怖じ気づいたとでも言うのか?」
 ふつふつからぐらぐらへと、はらわたの煮え具合が進んでいく。
「貴様、その様なていたらくで、よくぞ私と戦おうなどと思ったものだな!!」

「違う! 別に怖かったわけじゃないっ!」
「ほう。それでは、何故面が無くてはならんのか、理由を聞かせて貰おうか」
「だって…………」

 本気で怒っているガトー程怖いものはない。コウはその剣幕に圧されながらも、じっとガトーを見詰めた。

「綺麗だったから……」

「何?」

 意味が分からず聞き返す。
 コウは、うっすらと頬を赤らめながら、ガトーに向かって手を伸ばした。

 さらり。

 髪を一房掬って、手から流す。

「凄く……綺麗だったから……」

 きらきらと視界の端で揺れ動く銀の髪が。
 真剣に自分と向き合ってくれるその顔が。
 瞳の淡い紫が。
 寸分の隙もない身のこなしも、その体躯も。
 どうしようもなく綺麗で。綺麗で……。

 一度目を奪われたら、その後は、目を反らす事も出来なかった。

 そんな集中力でガトーに勝てる筈もなかったが、それでも、この時間を一時でも長く引き延ばしたくて無謀な戦いを挑んだ。
 勿論、勝てなかった事が悔しくもあるのだけれど、それだけではなくて。

「目が離せなくなっちゃって……面付けてたら、髪もきらきらしなかったし、顔立ちとか、目の色なんて見えなかったのに。……ずるいよ。あーあ……やっぱり、艦長とか整備班に怒られてもMSで戦って貰えば良かった。そしたら、気を取られなかったのに」
「…………負け惜しみか?」

 なんとかそう呟いて、せっかくの雰囲気を自分で壊した事に苦虫を噛み潰した様な表情になる。

 ガトーとてコウから目が離せなかった。しかし性格が邪魔をしてそんな事言える筈もない。

 紅潮した顔の可愛らしさだとか、真っ向から自分を見詰めて逸らさないきらきらと輝く黒瞳だとか、案外打たれ強い撓やかな肢体だとか、そんな……そんな事に目が引き寄せられて。
 自分と戦っている最中に、何より最大限の魅力を放つ事に、悦びすら覚えて。
 そんな事など気恥ずかしくて口が裂けても言えないが。

「負け惜しみじゃない。次は、絶対に勝ぁつっ!」
「……まあ、楽しみにしていよう」
 ガトーとしては、面を着けない方がコウの全てを楽しめて良いのだが、やはりそれは言えなかった。

「……ええと、ガトー」
「何だ?」
「俺は、何をすればいい?」
 コウは小さく首を傾げてガトー尋ねた。

 コウには、ガトーが自分に何をして欲しいのかさっぱり、全く、想像できなかった。自分にしてあげられる事があるのか……それが不安になる。

「何か、俺に出来る事、あるの?」
 そもそもガトーが言い出した事だ。きっと、何かしてあげられる事があるに違いない。

 じっと見詰めると、ガトーは決まり悪そうに視線を反らした。言いにくい事らしい。

「何でも言って?」
「ああ……その……」
 かぁっと耳が紅くなる。顔の色は変わらないのに、耳と首筋がやけに紅くなっていた。そんなところが何だか可愛らしく思えてしまうのは、多分分厚いフィルターがかかっている為だろう。
 自分からかなり凄まじい事を言ってのけたくせに、いざとなると理性がかなり邪魔をする様だった。

「言えよ。俺のお願いは、もう聞いて貰ったんだから」
「分かっている……」
 すっと息を吸い込む。それなりの覚悟を決め、ガトーはやっと口を開いた。

「コウ……私と……寝てくれ」

 とうとう言った! と感に浸る。
 しかし……。

「いいよ。はい」

 そうあっさり言ってのけて、コウはかけられていたブランケットを開け、身体をずらして自分の隣にスペースを作った。

「一緒にお昼寝したいのか? 変なガトー。そんな事、こんな特別な時に言わなくたっていいのに」

 …………何処までも、お約束だった。

 ガトーは目に見えて落胆し、がっくりと項垂れた。

「ガトー? どうかした?」
「いや……何でもない……」

 ガトーは仕方なく、適当に服を脱ぎ捨て、髪を解いてコウが作ったスペースに身体を滑り込ませた。せっかくなので、コウをすっぽりとその腕の中に抱き込む。
 汗をかいたのにまだシャワーを浴びていない。だが、コウの匂いは何故か心地よいばかりで、不潔な感じは全くしなかった。

「ガトー?」

 すり、と顔を寄せるガトーの仕草が妙に新鮮だ。こんな甘えるような仕草など、絶対に見せない人間だと思っていた。
 何となく自分の扱いがテディベアの様だなとは思いつつも、珍しいガトーが見られたので何となく納得してしまう。

「ガトーって…………なんか可愛いかも…………」
 まさに新発見だ。

「お前に優るものはないだろうな……」
 ガトーの声は、果てしなく疲れていた。

 だから、コウは成り行き任せでガトーの頭を撫でてみた。さらさらしていて、美しい銀色の。月の光だとか、そんな感じの。ガトーが拒まないのをいい事に、指先で軽く三つ編みを編んでみたりもする。


 そんな感じで、それから二人がどうしたのかは誰も知らない。
 ただ、とても、バレンタインの恋人達に相応しい、そんな時間を過ごしたことだけは確かな様である。

──終──
作 蒼下 綸

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