「あ、ガ、と……!?」
 通路の向こうへガトーの姿を見つけて、コウはいつも通り、思い切り名前を呼んで飛びつこうとした。
 しかし、その隣に人がいるのを見つけて思わず立ち止まる。
 遠くだが、視力のいいコウには全部が見える。
 ガトーは、とても楽しそうに隣にいる人物の頭を撫でている。
 そんなに優しく柔らかい表情など、コウは見た事がなかった。
 角を曲がって二人が行ってしまうまで、コウは立ち竦んだまま動けなかった。

 性分的に後をこそこそつける事など出来ない。
 何故苛々するのかも、自分では理解できていなかった。艦内を彷徨った挙げ句デッキへ向かう。
 苛立って、思い切りGP01/Fbの足を蹴ってみるが、反動で身体が浮かび上がってしまった。バランスを取る気もなく、くるくると空中を漂う。
 と、何かが足に絡みついた。
 引き寄せられる。
「コウ! 何やってるのよ!! 危ないし、邪魔でしょう?」
 今は聞きたい気がしない彼女の甲高い声だった。
 足に絡んでいるリードワイヤーを解き、逃れる様に宙を掻く。
「もう! あ、っ」
 空中で、コウは誰かにぶつかる。

「ごめんなさい!」
「気をつけろよ、コウ。無重力帯は危ないよ」
「アムロさん!」
 上手く受け止められる。
 アムロはリードワイヤーを上手く使って、コウと二人、自分のMSの方へ流れた。
 開かれたハッチの上に場所を落ち着ける。
「コウはメカニックの手伝いも出来るんだから、人手がない時は手伝って欲しいな」
「すみません」
「何かあった?」
「え?」
 思わずアムロを凝視する。困った様に微笑み返されて、コウは俯いた。
 心の中のもやもやとしたものを、どう言い表せばいいのか分からない。
 困惑する表情を見て、アムロは軽く目を眇めた。
 コウが心を砕くものは、今のところただ一つしかない。

「ガトー大佐かな、問題は」
「何で分かるんですか!?」
「…………コウは、ずっとそればかりだからね」
 これで分からない方がどうかしている。
 しかしコウは憧憬に満ちた目でアムロを見詰めた。
 この単純さこそ、アムロが羨望するものだと言うのに、そんなことには気付きもしないのだろう。
 ガトーもコウのそういったところを気に入り、守ろうとしているのだと分かる。
 羨ましい相手だ。現在のアムロの立場ではたまに守って欲しいと感じることもあるというのに、クワトロでは何もかもが足りていない。
「まだ、君達は纏まってないのかな」
「纏まる?」
「ガトー大佐と、君は、どんな関係?」
「恋人です!…………多分」
 少し進歩している。アムロは少しだけほっとした。焚き付けた甲斐は、それなりにあったのだろうか。
「ちゃんと言ってくれた?」
「はい。その…………愛してる、って……ちゃんと」
 かぁっと染まる顔が愛らしい。
「よかったね」
「はいっ」
 しかし、また直ぐに顔が曇る。
「それでも、未だ不安?」
「そういうのじゃないんだけど…………何だか、苛々するんです」
「何に」
「分からない……だけど、俺、あんなガトーの顔見たことないのに」
「どんな顔してたんだ?」
「凄く優しい顔で、笑ってた」
「ガトー大佐が?」
 想像が出来ない。
 コウはきゅっと唇を引き結んで俯いた。
「誰かと話でもしてたのかな」
「……バーニィと」
「…………へぇ。面白い取り合わせ……って程でもないか。境遇が似てるからなぁ……」

 共にDC出身だ。お互いの理由はどうあれ、通じるものはあるのだろう。
 それに、バーニィとコウは、何処か近い。歳も同じだし、純粋で可愛らしく、それなりにメカものに強い辺りも似ていた。
 バーニィの方が少しばかりおっとりとして気が弱い様にも思うが、芯がしっかりしているのでアムロも心配はしていない。
 そういえば、年上の綺麗な彼女が居る辺りも、似ていると言えば似ているのか。年上の人間が構いたくなる雰囲気を持っているのだろう。
 どちらも、アムロから見ればカミーユやジュドーなどと同じ、可愛い弟である。
 ガトーも恐らくは、似た様なものだろう。
 ただ、愛していると口にし、コウを抱いたのならその違いも、コウへの想いも、ガトーならしっかりと自覚し理解している筈だ。

「嫉妬してるんだ、コウ」
 可愛らしいものだ。
 笑みを抑えられないアムロを軽く見下ろして、コウは小さく首を傾げる。
「嫉妬? 違う。そんなのじゃない。ただ、俺が見たことない顔を他の人に見せてるのが厭だ」
「……それを嫉妬って言うんだと思うけどな」
 こうして、一つ一つ知っていくものなのだろう。ガトーが相手なら、アムロも大した心配はしていない。
「バーニィはいい子だよ」
「それは分かってます。俺だって、嫌いじゃない……MSの話なんかは合うから、楽しいし。たまにニナと仲良すぎるのも苛々するけど」
「我が儘だな、それは。ニナもガトーも、どっちも独り占めしたいのは、分かるけど」
「……そう……なるのかな……。アムロさんも、そう感じる事ってありますか?」
 清潔感の漂う顔が曇る。
 アムロはコウを見上げて微かに言葉を探した。
 女は好きだが、誰かにそこまでの執着があるかと問われると困る。
「俺? そうだな…………ない、かな。独り占めしたい人なんて、そもそも居ないから。ベルトーチカやチェーンもなぁ……好きだけど、独占したいとは思わないし」
「クワトロ大尉は、違うんですか?」
「あの馬鹿? 一番どうでもいいよ。あんなの、要らないって言っても寄ってくるんだから。独り占めどころか、ゴミと一緒に宇宙に放り出したいくらいだ」
「でも、仲いいですよね」
「敵じゃないからな、今は。……だから、仲悪くしようとは思ってない。でも特別いいわけでもないよ。コウと俺よりは、仲良くないかな」
「そう……なんですか?」
 コウとガトーよりはずっと、アムロとクワトロの方が親密に見える。
 真っ正面から尋ねられて、アムロは一層困った様に眉を寄せた。
 クワトロが触れてこなければ、そう親しくしている自覚はない。むしろ邪険にしているつもりでいる。
 ある意味、アムロも随分と天然で鈍感だった。
「あんなのはどうでもいいけど、コウはガトー大佐と仲良くしたいんだろ? だったらこんな所で悶々とするより、ちゃんと話した方がいいと思うな」
「……分かってます。だけど何か厭だって言うだけじゃ、ガトーに怒られると思う」
 コウはとかく真っ直ぐに前だけを向いて歩む為に、相手にもそれを求めてしまうのだろう。
 純粋で一本気なのは悪いことではないが、頑固も少し困る。

「でも、話聞いてくれてありがとうございました! GP03の整備、手伝ってきます。じゃ、……っあ!」
 踵を返しかけたコウは、しかしデッキの広い方へ目を遣ったかと思えば、ぱっと身を翻すとアムロの陰に隠れる様に回り込んだ。
「コウ?……………………ああ」
 アムロもデッキを見回してコウの行動の意味に気付く。
 ガトーはとかく、見つけやすくていい。その隣にはバーニィの姿がある。
 二人並んで、バーニィの現在の乗機である赤いザクへと向かっていた。
 コウは顔を背け、拳を握り締めている。
 溜息を吐く。
 良くも悪くも、本当に子供だ。
「コウ、おいで」
「厭だ!」
「いいから、俺に任せて」
「……アムロさん……?」
 手を掴み、ぐっと引っ張られる。
 振り解くより前に、アムロは宙へと身を躍らせていた。

「バーニィ、調子はどう?」
 上手く身体を流し、バーニィ達の側に降り立つ。
 アムロは無理に指を絡ませる様にしてコウと手を繋ぎ、逃さない。
「あ、アムロさん! はい。凄くいいです」
「ガトー大佐に見て貰ってたのか?」
「特別チューンですからね、この機体。俺が動かせてるのも、驚きなんだけど。細かいところは、随分見直して貰いました。やっぱり……シャア大佐って凄かったんだなあって」
「バーニィももう随分経験を積んでレベルも上がってるし、俺は驚かないな。シャアなんて、所詮ヘタレだよ。ねえ、ガトー大佐」
 挑発的な目でガトーを見上げる。
 気圧され、ガトーは軽く身体を引いた。アムロとしっかり手を繋いでいるコウが気になるが、どうも深く突っ込める気配ではなかった。
「……そうだな。ワイズマン伍長はいい腕をしているし、機体の整備も上手い。機器にも詳しいしな。あのシュタイナー中尉の下で指導を受けていただけのことはある。このザクは、私から頼んで見せて貰っていたのだ」
 表情はひどく柔らかい。弟でも見る様な目だ。
 ぽん、と何気なく金色の頭の上へ手を置く。バーニィは擽ったそうに微かに目を細め、嬉しげにガトーを見上げる。
 ガトーはシャアの同じ程のネームバリューの上、その生き方や態度は若者の憧憬を集めるのにも相応しい。
 コウは苛立ちを隠せず、側のMSの足を思い切り蹴り飛ばした。
 じんと爪先へ痛みが走る。超硬スチール合金を手加減無しに蹴っては、さすがに硬く、響く。
 痛みに一瞬顔を歪めたが、しかし、直ぐにぐっと唇を引き結んでアムロに繋がっていない手を握り締めた。
 アムロは小さく溜息を吐く。他に表す方法を知らないのだろうとは思うが、自分が痛い思いをするばかりなのは頂けない。
 ちらりとガトーを見上げる。
 ガトーは困惑と呆れの入り交じった表情でコウを睨むしかなかった。

「MSの事だったら、俺に聞いてくれていいんだからね」
「はい。ありがとうございます」
 些か歳より幼くなりがちなコウに比べ、バーニィは年相応に素直だ。歳は同じ筈だが、士官学校出のコウに比べてバーニィはもう少し長く普通の学校へ行って世間を知っているからなのだろう。
「色もカスタムしたかったらアストナージに言えばいいよ。この色は悪趣味だ」
「そうかな……自分は、そうは思いません。憧れの人の色ですから」
「そう? まあひらめきもあるし、大丈夫かな。…………じゃあ、コウ、行こうか」
 もう一度、ガトーへ視線を送る。
 冷ややかな視線のまま、アムロはただ、口角を引き上げた。そしてコウを振り返る。
「コウ」
「…………はい」
「そんな顔しないんだよ。折角可愛いのに台無しだ」
 微かに背伸びをする。見合わせたコウの顔へと近寄る。
「んんっ……う……ぅ、ぁふ……」
 絡めた手を強く引き、唇を重ねた。

「っっ!!」
 声にならない。上げそうになった叫びを必死で飲み込み、ガトーはコウとアムロを凝視する。
 バーニィも、驚きに目を逸らしていいものかこのまま見ていていいものか困る。
 呆然としている間に、アムロの舌は呆気なくコウの口内へと入り込んだ。
「ぅ……っん…………」
 コウ自身も驚いて抵抗しない。口蓋を嬲られる感覚に身体を震わせて、漸くに何をされているのかを悟る様な有様だった。
 アムロのことは嫌いではないし、これが初めてでもないからか突き放す気にもならない。ただ、繋ぎ合わせたままの掌が熱い。
 空いた手で、ぎゅっとアムロの背を掴む。
「ぅ、んっぁ……」
 アムロもコウの背へと手を回し、窘める様に優しく撫でた。
「……ぁ……ふ……っは……」
 微かに離れる度、濡れた音が立つ。ぎゅっと目を瞑っているコウとは対照的に、アムロは余裕の表情でガトーに視線を送った。
 あからさまに、挑発している。
 ガトーは頭に血が昇り、そして、ぷちり、と何かが切れる音を聞いた気がした。

「コウ!」
「っ、ぅふ、ぁ……な、何だよ!」
 心地いいアムロの唇から無理に引き離され、コウは抗議の声を上げた。
 きつくガトーを睨むが、反対に鍾馗の様な形相で睨み返されて思わず萎縮する。
「う、わぁっ!!」
 足下がふわりと浮く。マグネットシューズが離れた。
 がっちりとガトーの肩に抱え上げられる。重力はない。簡単なことだった。
「何するんだっ!」
「問答無用だ!」
 コウの腰を腕で固定してしまう。どれだけ足をばたつかせても、逃れられない。
 ガトーはアムロのことも、同じ表情のまま、睨み付けた。
 しかしコウと違い、アムロは全く動じない。
 ただ、にっこりと微笑んだ。
「コウ、後は君次第だよ」
「あ、アムロさんっ!」
 唾でも吐きかけそうな顔をして、ガトーはコウを担いだまま、勢いよく床を蹴った。
 最早、振り返るつもりもなかった。

「あ……あの……今のは一体」
 遠離るガトーの広い背中を眺めてバーニィは小さく呟く。
 アムロは軽くバーニィの肩に触れ、謝る仕草を見せた。
「ごめんね、巻き込んじゃって。お詫びに、次はファティマと高性能レーダーと超合金ニューZと対ビームコーディングつけて出ていいから。スロット4つだったよね?」
「はい……でも、あの」
「その代わり、」
 指を口の前に一本立ててみせる。
 アムロの微笑みに、バーニィは逆らえなかった。こくこくと頷く。
「それともまたスーパーガンダムに戻る? クリスとダブルシートだからね」
「いえ! あれもいい機体ですけど、やっぱりザクの方が扱いやすいから」
「そう? じゃあ、そういうことで。いいね」
 妙な迫力に押される。それに加えて、先程のガトーもコウも何処か怖くて深く立ち入りたいとは思えなかった。
 我が身は、可愛い。
「言いません。誰にも」
「そうだね。それがいいよ」
 ふわりと柔らかい笑みを浮かべる。
「……大変、ですね。アムロさんも」
「仕方ないかな。まぁ……もうすぐ終わるよ」
「何が、」
「戦い自体がね。状況は厳しいし楽観は出来なくても、そう思うよ」
 アムロがそう言えば、信じられる。バーニィも顔を緩ませた。


作  蒼下 綸

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