全部終わったら、会わなくてはいけない人がいた。

 木星へと旅立ってしまったら、もう暫く会えない。それだけじゃない。生きて帰ることが出来るのかどうかも怪しいものだと思う。
 だからこそ、ジュドーはここに来たのだ。

 先に連絡を入れたとき、ファの声はとても明るく弾んでいた。
 カミーユは次第に自分を取り戻してきているという。強大なプレッシャー源が絶たれた御陰なのか…………しかし、その事については、ジュドーの気分は早々晴れやかにもならなかった。
 救ってあげられなかった魂が、本当に安らかなのか……ジュドーには分からなかった。
 プルも、プルツーも、キャラも、ハマーンも……マシュマーさえも。
 強化人間もNTも、自分の目の前で儚く命を散らしていった。
 聞こえたハマーンの最後の声だけは、ひどく穏やかで、優しくて、ああしてジオンの怨念に取り憑かれる以前の彼女を想起させてくれはしたけれど。
 木星行きの決意を鈍らせるものはある。後は出発の日を待つだけの今になっても、まだ尚。
 それでも、ジュドーには行かなくてはならない地だった。
 それは、ハマーンが望んだ人類の姿とは違う、違う未来を模索しなければならない。そんな義務感ですらあった。

 少なくとも数年間は帰ってこられないのだ。行く前に、気にかかることは全て片づけておきたかった。
 最愛の妹のことも勿論気にかかるのだが、生きている確証こそあるが、どうしたって数日のうちに探し出すことは出来そうにもない。他に心を揺るがせるものといえば、カミーユのことしかなかった。

 グラスゴー市街地の喧噪からは離れた自然の中に、目指す建物はあった。
 旧世紀の趣を色濃く残してはいるものの、中は現代の医療の進歩にあわせて作り替えられている。
 しかしやはり、病院独特の空気は変わり様のないものだった。
 陰気な空気に辟易しながら、目当ての病室のドアをノックする。
 ……返事はない。
 そっとノブを回すと、鍵はかかっていなかった。
「入るよ」
 一応、一言だけかけてドアを開け、中に入る。

 南向きの部屋は日当たりが良く、少しだけ透かしたブラインドが下りている。
 ファの姿はない。何かの用事で出ているようだった。
 後ろ手にドアを閉め、衝立の向こうのベッドに歩み寄る。
「…………寝てたんだ……」
 浅く瞳を閉じ、息をしているのかどうか怪しい程に穏やかな顔だったが、頬に赤みが差しているお陰で生きていることだけは分かる。
 長い睫が、頬に微かな陰影を落としていた。その綺麗な顔立ちに、訳も分からないままどきどきする。
 こんな綺麗な男の人を、ジュドーは今のところ他に見たことがなかった。

 ベッドサイドに置いてあった円いパイプ椅子に座り、じっと顔を覗き込む。
 まあ、待っていればそのうちファも帰ってくるだろう。
 その時、ふと、ドアの向こうに気配がした。
 はっとして振り向く。
 心の片隅に引っかかる感覚には覚えがあった。
 知らない人、だとは思う。しかし……。

 きぃ、と微かに音を立ててドアが開く。ジュドーは咄嗟に身構えた。
「失礼する。……おや、先客か」
 足を踏み出すと深紅のロングコートの裾が翻る。
 入ってきたのは背の高い男だった。
 白金髪の、サングラスで瞳を隠した、男。
 腕に白いスイートピーの花束を抱えている。
「君、ここはカミーユ・ビダンの病室であっているか?」
「あんた……誰だ?」
 睨むほどではないが、自然に視線が険しくなる。ざわざわと感覚の端に触れる何かがあった。
 しかし男は気付かないのか、気にしていないのか、歩み寄って枕元の棚に花束を置き、カミーユの顔を見詰めた。
「今日が最後だ、カミーユ……」
 いとおしげに手の甲が滑らかな頬を撫でる。
 カミーユは起きなかった。
「おじさん……カミーユさんの知り合い?……いや、それだけじゃない……何だ……」
「お、おじっ……」
 まだ20代らしい男はショックを受けたようで言葉を失った。
 しかし、ジュドーにはどうでもいいことだった。それより、神経のざわめきが酷くなる。
 少し前に味わったことのあるような、不思議で、少し悲しくて、かなり不愉快な……。
 頭痛までしてきて、ジュドーは軽く頭を振った。
「どうしたね」

「…………貴方……えっと……ハマーン…………うん。これ、ハマーンだ……ハマーン・カーン、知ってるのか……?」
 カミーユにほぼ傾いていた男の意識が、自分に向けられたことを感じて、ジュドーはこめかみに手を当てながら男を見上げた。
「君が、何故その名前を……」
「……おじさん、誰だ」
「礼儀を知らない子供だな」
「……俺は、ジュドー……ジュドー・アーシタ」
「私は…………クワトロ・バジーナだ。エゥーゴの大尉だったが……今は、あまり意味のない肩書きだな」

「嘘吐き」
 口をついて出た言葉は、ジュドー自身殆ど意識していなかった。しかし、男を驚かせるには十分だった。
「君は……そうか。この感じは……アムロではなく、君か」
「アムロ……さん?」
「少しだけ似た感じがするな。それで……カミーユに引かれたのか」
 気配で見詰められているのが分かる。ジュドーは不愉快さを隠そうともせず、真っ向から睨み返した。
「怖いな。睨まないでくれないか」
「貴方が何にも応えてくれないからでしょうが」
「ふむ……何故君がハマーンのことを知っているのかな?」
「それこそ貴方には関係ない」
「ならば、私と彼女の関係も、君に言う必要はないな。……強いて言うなら、大人の関係、だ。理解したまえ」
 人を食った回答に、ジュドーの怒気が膨らむ。それがプレッシャーとなって男を呑み込もうとしたその時、煽ったはずの男が頭を下げた。
「すまない。撤回しよう。だから、君もそのプレッシャーを抑えたまえ。カミーユがいるのだぞ」
 小さな声で叱られて、さっとジュドーの顔が青冷める。
 ちらりとカミーユの様子を窺うと、さっきより少し眉根を寄せた顔になっていた。起きる気配がないのは幸いだった。
「……貴方が煽るからだろ」
「外に出て話した方がいい様だな……。少し散策に付き合えるか?」
「ああ……分かった」

 病院の側は、ちょっとした森になっている。かつてドルイド達が修行を積んだ空気がそのままに残る、神秘的な場所だった。
 冬の空気はまだ色濃い。葉が枯れた木も多く、微かな石畳が悟られる小道は歩くと乾いた落ち葉を踏む音がした。緑の森が持ちうる森気はなかったが、しかし濃密な何かで満たされている様だった。
 コロニー生まれのコロニー育ちであるジュドーには、土地の人間には寂れた風にしか思えなくとも、とても貴重で美しい地球の一部を見られた様に思えてひどく気分がいい。

「おじさんさぁ、ホントの名前は?」
 獣道じみた森の中の細い道を並んで歩きながら、ジュドーは男に対して不思議な親近感を覚え始めていた。
 ハマーンのことだけではなく何か……自分の何かを理解してくれる、そんな気がしてくる。しかし、それと同時に、男から立ち上る、血の入り交じった雰囲気に気分が悪くなった。もう、戦いはごめんだ。
「おじさんはやめたまえ。……よく分かったな、偽名だと」
「んー……何となく。だって、「大尉」って感じに見えないし。すんげー偉そうだもん、貴方」
 率直な物言いは嫌いではない。男はくすりと笑った。

「私は、シャア・アズナブルだ。この名ならばいいか?」
「げっ……マジ……?」
 さすがに聞き覚えのある名に少し驚く。
「さすがにこの名は知っているか」
 シャアは、満足げに微笑んだ。
「だって、無駄に有名じゃん」
「無駄に、は余計だがな」
「……何か、それでもちょっと違う感じ、する……ま、いっか。それ、一番通りがいいんだろ?」
 何が引っかかるのかはっきりとは分からない。けれどもそれは、ジュドーにとっては大きな問題ではなさそうだった。とても重要なことでないなら、気にすることもない。
「本当に勘の良い子だな……」
「やだな、おじさん。子供扱いすんなよ」
「なら私も、おじさん呼ばわりは止めて貰いたいな」
「幾つ?」
「28だ」
「殆ど俺の倍じゃん。でも…………」
 しげしげとシャアを見詰める。
「………………老けて見えるね」
「遠慮がないな」
「あんまり初めてって感じがしないから」
 屈託のない笑顔の奥が深い。

 暫く他愛もない会話をしながら歩いていると、森の中程に、カミーユが入院している建物よりはかなり小さい建物があった。別棟というよりは、物置か何かだろう。小道がある程度は整備されていたことから鑑みても、どうやらこの辺りの建物もこの小屋も併せて、一つの敷地内のようだった。
「へえ……ここまで来てもまだ一つの敷地なのか……」
「かつて貴族が住んでいた館を利用しているらしい。この側に池があってな、ここはボート小屋だったのだそうだ」
「詳しいんだ」
「まあな……」
 池がある、と聞いて、ジュドーはシャアが指さした方へ走っていった。
「気を付けたまえ」
「うわっ!」
 苦笑しながら歩いて追いかけるシャアの目の前で、ジュドーは見事に転けかけた。
 が、慌てて駆け寄ったシャアの顔を見上げ、いたずらっぽく笑う。
「へへっ。ビックリした?」
「…………子供だな」
「ちぇっ…………えいっ!」
 呆れて離れかけたシャアの腕を掴んで手を伸ばす。
 シャアの顔からサングラスが取られ、顔立ちが露わになった。
「こら!!」
「…………うわ…………」
 サングラスを取り返そうとするシャアを軽く避けながら、ジュドーの目はシャアの顔に釘付けになっていた。

 露わになった顔を見ていると、サングラスをかけている理由が少し分かった気がした。
 隠すのは勿体ない。……けれど、晒しているのは、もっと勿体ない。それくらいの美貌。

「すっげー…………何で隠してんの? そんなに綺麗なのに」
「地球は紫外線が強いからだ。私の目はそんなに丈夫ではないのでね」
 ジュドーは空を見上げ、木々の間から空の色を窺った。
 天気はよいが、森の中では見えない位置に太陽はある。
「ふーん」
「返したまえ」
「すぐ返すよ」
 ジュドーは取り返そうとするシャアの手を避けて、サングラスをかけてみた。
 見た感じとても色が濃いように思ったが、かけてみるとさほど視界は悪くならない。
「へぇ……結構よく見える」
「視界が悪くなったのでは意味がなかろう」
「そんなもんなんだ。こんなのかけたことないから、分かんないや」
 外してポケットに突っ込む。
「返したまえよ」
「俺の質問に答えてくれたら返してあげるよ」
 ジュドーはシャアを見上げ、にやりと笑った。シャアは呆れたように片眉を上げた。

「質問に依るな。何を聞きたいのだね」
「ハマーンのこと。それから、カミーユさんのこと」
「子供は知らなくて良いこともある」
「俺には知る権利がある。それに、多分、あんたじゃないと答えられない気がするから。だから、あんたに聞きたいんだ」
 迷いのない瞳だった。そして、力強い瞳だった。じっと見詰められて、多少気圧される。シャアは、子供の真摯な瞳に弱かった。
 シャアは小さく溜息を吐いた。
「まず、私の問いに応えて貰おうか。そうすれば答えてあげよう。……君のような一般の子供がハマーンを詳しく知る機会などないと思うのだが? 君はアクシズの子か?」
「俺だって、別に知り合いたくて知り合ったわけじゃない。俺はサイド1のシャングリラ育ちで、アクシズとは関係ない。だけど、成り行きでアーガマに乗っかって、ネオ・ジオンと戦わなくちゃ行けなくなって…………戦いたくなんてなかったし、戦争なんて大ッ嫌いだけど、それでも仕方がなくて……ハマーンとは何度か話もしたし、戦いもした。……でも、結局……最後には分かり合えたと思ったのに、ハマーンは死ぬ事を選んだ……それが、俺には分からなくて」
「君がハマーンと戦ったというのか? 君も、ただのNTの少年ではなかったと言うことか。しかし……彼女と戦って、よく無事でいられたものだ」
「みんなが助けてくれたからだ。……でも、ハマーンは助けられなかった。助けたかったんだ。あの人、凄く悲しい感じがしていたから。…………なぁ、俺、十分答えただろ? 教えてくれよ」
「しかし、知ってどうする。知ったところで今更ハマーンを救えるわけではない。興味本位なら、聞かない方がいい」
 シャアは小屋の入り口の段差に腰を下ろした。
 ジュドーは座り込むには体力が余りすぎていて、その前に立つ。

「ハマーンが何をしたかったか、知ってる?」
「………………ああ」
「俺には半分くらいしか理解できなかった。分かるんだけど、理解は出来なかった。……でもあんた、殆ど分かってるんだろ? あんた、何かハマーンと同じ感じ、するし」
「……何故君がその様に感じるかは分からんが……私達は思想の違いで喧嘩別れしたのだ。彼女の考えは私にも……分かるが、理解は出来ていない」
 さっきまでかなり上の位置にあった顔が自分の目線より下にあるのが少し心地いい。
 いかにも子供っぽいことを考えながらも、ジュドーの感覚は的確だった。
「嘘。同じ事考えてる」
「……頭の中を覗かれているようで嫌な感じだな」
「ぁ……ごめん。…………でも、俺には分からない理由で、俺には分からない方法で、何かを変えようとしてる…………違うか?」
 ジュドーの視線から逃れるようにシャアは目を伏せ、ゆっくりと口を開いた。
「分からない、というのは、認識できないという意味ではなく、理解できない、という意味なのだな?」
 もどかしい。しかし、ジュドーはシャアの言葉を一つも聞き洩らすことがないよう耳を傾ける。
「…………あんた、小難しいこと言うね」
「ここから先の話は、もっと難しいぞ」
「難しくなんかないよ。何で地球に大きなものを落として人を宇宙に上げようとするんだ? 俺には全然分かんない。そんなことしたって、あんた達が変えたいものは何も変わらない。もっと他に手段があるはずなのに。今……えっと、89年か。89年かけて、宇宙は今みたいな状態になって、それがたった数年で変わる筈なんてないのに。あんただけの力や、ハマーンだけの力で変えられるものでもないのに。ねぇ、何で?」

 一人の人間が自分の力を過信した所為で、おおくの無駄な血が流れ、自分達だって戦いに巻き込まれた。自分が唯一守らねばならないと心に誓った存在さえ、目の前から消えて。
 戦いは、自分から大切なものを沢山奪い去った。
 目の前の男がハマーンの轍を踏まえるのなら、また何かを失うのだ。きっと。
 これ以上は絶対にごめんだ。

「…………私は、私の望みを叶える努力をするだけだ」
「沢山の人が死ぬのが、貴方の望み?」
「…………そう思われても仕方がないが…………しかし、私は、私の大切なものだけを手に入れられればいい」
 望んで人を殺す、さすがにそんな人間にも思えない。雰囲気が含む血の香りは気分が悪くなるほどだったが、それでも、カミーユを見たときの彼の顔は、とてもそんな大それた事を考える人間にも見えなかった。
「…………否定しないのか? 何で?」
「質問が多いな……」
「ハマーンと同じ事をしたら、カミーユさんだって死んじゃうかも知れないんだよ」
「彼なら、いずれ分かってくれる」
 目を細めるようにして微笑む。その表情の先に、カミーユの存在は感じられなかった。
 ジュドーは、初めてシャアに対して微かな恐怖心を感じた。
「あんたが求めているものは何?」
「………………私にとっての幸福を追求することだ。今まで私は、他のことに労力を割きすぎた」
 微笑みが揺らぐ。
 その表情は、丁度リィナが泣く寸前の様な雰囲気だった。
 けれど、シャアの瞳は静かだった。泣くのを堪えるのではなく、泣くことを忘れているかのようだった。
「あんた…………家族とか、いる?」
「……両親はずっと前に他界している。他は妹が一人。…………もう何年会っていないか分からんがな」
「その人、何処に?」
「この周辺の国で暮らしているはずだ」
「…………妹さんも、どうでもいいのか?」
「彼女なら上手くやるさ」
 その一言で、ジュドーの理性はふつりと切れた。

「何でだよ!!」
「っ、君、」
 思い切り胸座を掴まれる。けれどさすがにジュドーの腕力と身長でシャアを立たせることも出来ず、馬乗りになって階段に押さえ付けた。
「なんで、たった一人の妹がいるのに、そんなことできるんだ!!!??」
 リィナの姿が脳裏を巡る。
「妹が死んじゃったらどうするんだよ!! もう、他に誰もいないんだろ!? お父さんも、お母さんも、誰も!! なのに、何でっ!?」
 気が昂ぶりすぎて、大きな瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちる。
「……痛い……君、離したまえ……」
 胸を圧迫されてシャアの声が掠れる。けれど、ジュドーは聞く耳を持てなかった。
「なんで……? 妹、大切じゃないのか? かけがえのないものなんだぞ!?」
「……落ち着きたまえ。何故そこまで興奮する。…………大切でないわけがないだろう。だが、彼女も大人だ。私が何をするかは伝えて、後の判断は任せるつもりだ」
 微かに手の力が緩む。シャアは軽く咳き込んだ。
「……それで、地球に残ることを選んだら?」
「…………彼女の選択だ。仕方がない」
「………………それが、大人なのか? 自分の幸せのために、家族までどうだっていいって……それが、大人なのか!?」
 再びシャアを押さえる手に力が入る。
 シャアの言うような大人になるくらいなら、死んだ方がマシだ。
「…………そうだ。それが大人だ。自分の選んだ道を歩くこと。他人に示唆をしようが、他人の道は侵さぬ事。彼女が選んだ道は彼女自身のものだ。私が何をするかを伝えた上で彼女が選ぶ道ならば仕方がない。………………それが、例え彼女自身を傷付ける選択であったとしても。……彼女にとって私はいい兄とはなり得なかった。彼女だって、今更…………分かっているだろう。私は、彼女の幸せを願いながらも、彼女とは真逆の道しか歩めなかったのだから。もう……そうして10年以上になる。分かる筈だ…………」
 真っ直ぐに見詰め返され、ジュドーは気圧される。
 何故そんな恐ろしいことをいいながら、ここまで静かに、迷いもなくいられるのか分からない。
 ハマーンのように、意思が凝り固まって身動きが取れなくなっているものとは、何かが違う気がした。
 毒気を抜かれ、ジュドーはシャアから手を離した。
「…………本当に、妹が大切?」
「ああ…………だから、彼女の意思を最優先させる。私自身の望む道に関わりがない限りはな」
「結局、自分が一番大切なんじゃないか」
「…………自分が一番ではないという人間など、私には信用できないな。人の為に、などというのは御為ごかしに過ぎないだろう? 結局、人が行う行為の全ては自分が心地よい為に行うだけなのだ」
「分からなくはないけど…………あんた、寂しい人だよな」
「否定はせんよ」

 また、だ。
 ジュドーは儚すぎる微笑みを眺めて、何故だか辛い気分になった。
 美しすぎる顔で、美しすぎる微笑みを浮かべて、酷く凄惨なことをしようとしているこの大人が、ジュドーには放っておけない気分になる。
 こんなに静かに、何にも揺るがないほどに自分の考えを持っている、そんな人間なのに……何故こんなに、空気に溶けていきそうなほど淡い微笑みを浮かべるのか。

「…………何を、手に入れたいんだ?」
「……戦争のない世界。この荒れ果てた地球の復興……それだけを願っている」
「嘘……それこそ御為ごかしだろ」
「何故嘘だと断じられる。私は、私と、私の愛するものが幸福に暮らせる世が欲しい。それだけだよ」
「その為に、多くの血を流すのか? 戦争のない世界を作るために? 矛盾してるだろ!?」
「矛盾などしていない。君だってNTだろう? OTをもどかしくは思わないか? 彼らの感覚が、より地球を駄目にしている。戦争も拡大させる。人類全てがNTとなれば、言葉すらも不要なまでに、争いはなくなる。地球に対する思いだって、一つに纏まることが出来る。そうは思わんか?」
「思わない。だって、ハマーンとは分かり合えなかった。あんたとだって、分かり合えそうにないし」
「いや、分かるはずだ。理解したいか、したくないかの違いだろう」
「理解できるかできないかじゃなくて?」
「ああ。……本当は、君だってハマーンの意図を理解しているはずだ。ただ、君の持論が彼女のそれとはそぐわず、よって無意識にそれを拒絶している。君はそれに気付いていない。そういうことだ」

「……納得できないと言う顔だな」
「だって、貴方はまだ嘘を吐いてる」
「子供ほど素直に、率直には生きられんよ」
「本当は、地球も、OTも、どうでもいいんじゃないの? そんな、外面のいいこと言ったって、あんた、嘘吐いてるのバレバレだよ」
 なるほど、この子供をアムロに近しいと感じ取ったのは間違いではなかったらしい。
 鋭敏で、しかしカミーユのように儚く繊細なのではなく、揺るぎなく力強い。
 アムロを海、カミーユを宇宙に例えるのは彼らを知るものの中では定説だが、ジュドーは言うなれば、大地だった。
 シャアは、漸くジュドーに親近感を覚え始めた。
 カミーユを今更巻き込めはしない。しかし、この子供は……?

「………………檻を壊したいのだ。重力の檻を。君も、感じるのではないか? この地球は巨大な檻だ。外の世界へ出られず藻掻いている小鳥を、宇宙(ソラ)へ返してやりたい」

 遙か彼方を見詰めるようなシャアの瞳に、ジュドーは背筋に悪寒を覚えた。
 何かが……それが何なのかは全く分からないのだが……とにかく、何かが美しかった。美しすぎるものへの恐怖心、とでもいえば、ジュドーが感じていることを少しは言葉に出来るだろうか。
 身の回りに何故か美男美女は多かったが、それでもシャアは異質すぎた。

「…………あんた、怖い……」
「そうか? 君に危害を加えるつもりはさらさらないが」
「そうじゃなくて…………地球の夕日を見たときの怖さ……みたいな……」
「地球の夕日…………? そんな大それたものではないぞ、私は。しかし…………君は、地球の夕日に恐怖を覚えたのか。…………繊細なことだ」
 伝えたいことが明確な言葉にならない。もどかしい。確かに、シャアの言うNTの感覚というものも、重要なものであるような気がしてくる。
「何で、貴方、そんなに綺麗なんだ?」
「…………私には、君が私に美を感じることの方が不思議だが? 君ほどの感覚を持っていれば、私がどれ程穢れた存在か、分かるだろうに」
「何かにもの凄く執着してるのに、自分には全然執着がない。あんたにとっては、自分自身がどんなに汚くっても、どうでもいい。……違う? 穢れていることに意味がないから、そんなものに捕らわれないから、あんたは綺麗なままなんだ…………」
「さすがにそれは買い被りだ。私ほど命根性の汚い人間も珍しいぞ」
「自分でそう言えるんだろ?」
「否定の仕様もない事実だからな」
「貴方が、本当に大切なものって何? 自分が一番大事だって言いながら、自分の幸せとか言いながら、この世で一番大切なもの、自分じゃないだろ?」
「ほぅ……………………………………しかし、もうそこまでにしておきたまえ。私の内側を知るには、君はまだ幼すぎる」
 ひらりと動いた手がジュドーの口の前に翳される。
 ジュドーは口を噤んだ。気圧されるようで、それ以上口を開けなくなる。
「君のその感覚をとても愛おしく思う。そうだな………………」
 シャアは手を収め、そっとジュドーの頭に手を置いた。
 何故だか知ったような感触がある。柔らかい癖っ毛は、少しアムロに似ているようだった。
 ジュドーもジュドーで、子供扱いされているような仕草なのにあまり嫌な気にはならない。
 シャアは目を眇めるようにしてじっとジュドーの様子を眺めた。

「どうだ、君。私と来ないか? 私と来れば、君の知りたいことは全て分かるだろう」

 それは、とても魅力的な誘いだった。
 けれど、ジュドーに選べる道ではなかった。
 もう、戦いは、ごめんだ。
 静かに首を横に振る。
「俺は、俺の信じることを見つけたい。ハマーンが目指したものとは違う、絶対に戦いに依らない道を探す。……貴方の誘いは確かに……惹かれるけど…………でも、もう、戦争は嫌だ」
「そうか…………そうだな」
 何を求めているのか…………ジュドーの頬に軽く手を伸ばしながら、シャアは決してジュドーを見てはいなかった。ジュドーに触れているつもりでもないようだった。
 ただ、空気がひどく潤んでいた。瞳には澱みも揺らぎもないのに、何故か…………。

「……………………あぁ、もう!! あんた、なんでそんな、泣くちょっと前のリィナと同じ様な顔するんだよ!! 余計にほっとけないじゃん!!」
「リィナ……? 君の恋人か?」
「い・も・う・と!! 今、行方不明だけど」
「そうか…………しかし、君の妹とは……私はそんなに幼げな表情をしているか?」
「そうじゃないけど……」
 言葉にするのは難しすぎた。
 引き寄せられるように頬へ、そして、額へキスをする。
 こうすれば、大抵リィナも落ち着いて泣き顔をやめた筈だ。
 もう一度、額の、今度は唯一残る傷跡に恭しく口付ける。そこだけは、何故か、ひどく神聖な感じがした。
「君は…………心臓に悪いな。よく分かるものだ」
「何が? でも、キスすると落ち着かない? こうしたら、大体リィナは泣きやむんだけど」
「……私は君の妹ではないからな。しかし…………安心はする。アルテイシアのことで君が私を押し倒すほどに怒った意味も、分かったよ」
「アル……?」
 長い音は苦手だ。シャアは小さく笑って続ける。
「アルテイシア。私の妹だ。君に妹がいるのなら、怒っても無理はなかったな。行方不明なら……尚更。すまなかった。大切な妹なのだな」
「大切じゃない妹なんているのか?」
「いや…………まあ、そう突っ込まないでくれ。言葉のあやだ」
「まあいいけど……」
「それより、そろそろ退いてくれないか。階段の角が痛いのだが」
「あっ、ごめん」
 言われてやっと、自分達の体勢に気が付く。
 …………結構、凄いことをしていたかも知れない。
 慌ててジュドーはシャアの上から降り、隣に膝をついて、身体を起こすシャアを眺めた。

「痛かった?」
「君の怒りの理由は分かる。気にしなくていい」
 軽く服に付いた砂埃を払う。
「妹が見付かることを祈っているよ」
「ありがとう。うん…………結構近くにいるような気はするんだけど……どうにも探しようがなくってさ。後ちょっとで俺、地球を離れるし」
「何処へ?」
「木星。…………地球圏から離れて、いろいろと考えてみたい」
「…………そうか。それは残念だ」
 それは本当に残念そうで、ジュドーは思わずシャアのコートの袖をぎゅっと掴んだ。
 放っておけない。こんな……危うい存在。
「なぁ……お願いだよ。人を、殺さないで。あんたが欲しい未来を手に入れる方法、俺が探してきてやるから。だから、俺が帰ってくるまで、待ってくれよ。沢山人が死んだら、また、俺やリィナみたいな子供が増えるだけなんだ。あんただって、そこまでのことは望んじゃいないだろ?」
「君が帰ってくるまで…………」
「そうさ。俺が帰ってくるまで。帰ってきたら真っ先にあんたの所に飛んでいって、あんたの望む世界、あんたの望む未来、全部突きつけてやる! だから、」
「そうだな…………君が帰ってくるまでか。最低でも3年……おそらくはそれ以上……私に待てと言うのか?」
「そうだよ!! 3年やそこら、待てないほど年寄りってワケでもないだろ? 俺があんたを幸せにしてやる。だから!!」

 ジュドーは必死だった。
 シャアの無茶がよく分かる。止めなくてはならないと焦燥感に駆られる。
 こんな綺麗なものをなくしてはいけない。
 こんな寂しいものを放っておけない。
 お節介だろうとは微かに思ったが、それでも。
 死んでいくかも知れない人々のことを引き合いには出しても、それ以上に、シャアの手を汚させたくなかった。

「…………分かった………………。君が帰ってくるまで、出来る限り待っていよう」
 ジュドーの瞳は真っ直ぐにシャアを見詰めていた。
 こんな風に見詰められたのは初めてかも知れない。
 これほど真摯に想って貰ったことも。
 ジュドーの言葉が、自分の想定する未来の死人達に向けられているわけではないことはよく分かる。
 ジュドーの瞳は今、ただ自分だけを映していた。
 自分でも故の分からない笑みが零れる。ここまで想われるのも、悪くない。
「…………あんたの側にいて上げられたらって思うけど……それじゃ駄目なんだ……」
「ああ。……無理強いはしない」
「絶対無茶するなよ。絶対」
「ああ。そう努めよう」

 シャアは立ち上がり、ひらりとコートの裾を翻した。
「そろそろ時間だ。カミーユに宜しく伝えてくれ」
「え……戻らないの?」
「私もそう暇人ではないのでね。しかし、君と話せてよかった」
 手を伸ばされる。握手をするついでに、その手に体重をかけてジュドーも立ち上がる。
「また、会うんだからな」
「ああ。その時は、もう少し大人になっていたまえ」
「当然!」
 手を離す。
 シャアはそのまま、歩いてきた小道を戻らず進んでいった。
「絶対だよーーっ!!」
 その背に思い切り叫ぶ。
 シャアは振り返らぬまま、けれども軽く手を上げた。

「……絶対…………絶対だから…………」
 追いかければいいのかも知れない。
 引き止めればいいのかも知れない。
 けれど、ジュドーには出来なかった。
 つい数十分前に知り合ったとは思えないほど、お互いの中に踏み込んだ気はするけれど。
 それでも、引き止められるほどには、やはり分かり合える物でもなかった。

 ジャンパーのポケットに手を突っ込んで、来た道をシャアとは反対方向に歩きだす。
「ぁ」
 カツンと硬い感触がある。はっとしてそれを握り、ポケットから手を出した。
 返し損ねたサングラス。
 ジュドーはそれをぎゅっと握って振り返った。
 既に、シャアの姿は見えなかった。
 再び会う時に返せばいい。そう思っても、何故か不安になる。
 不安な思いを抱えたまま、ジュドーは暫くシャアの進んだ道の先を見詰め続けていた。

「ごめんなさい。久しぶりね、ジュドー。ちょっとティッシュを切らしていたから、買い出しに行ってたの」
 カミーユの病室に戻ると、ファが帰ってきていた。
 カミーユの寝汗を軽く拭き取っていたところを振り返る。
 最後にあったときよりずっと明るく快活な雰囲気がする。それだけカミーユがよくなったと言うことなのだろう。
 華やいだ雰囲気に顔が綻ぶ。
「お帰り、ファさん。気にしなくていいよ。元気にしてた?」
「ええ……ああ、この花、貴方が持ってきてくれたの? 綺麗ね」
 シャアが持ってきた花束は、既にファの手によって簡素な瓶に生けられていた。
「ううん。シャアさんって人が」

「シャ……クワトロ大尉が!?」
 手にしていたタオルがはらりと床に落ちる。
 ファの反応に、ジュドーは自分の失言を知る。
「ぁ、ごめん。……ええと…………」
「…………ううん……。あの人が……来てくれたの。そう。…………あの人、何処に?」
「もう帰った」
「そう…………何か、言ってた?」
「お大事に、って」
「嘘。そんな事言う人じゃないわ」
「…………うん。でも、多分、そう言いたかったんだと思ったから」
「…………そう…………そうね。ありがとう」
 屈んでタオルを拾う。
 その拍子に、ぽたり、と雫が床を濡らした。
「ファさん!?」
「…………あの人、カミーユのことを忘れていたわけではなかったのね」
「うん。心配してた。でも、何処か……遠くに行くんだって。だから、お別れを言いに来たって……」
「そうでしょうね……」
「分かるの?」
「……この花の花言葉、知ってる?」
 白いスイートピーの花びらを軽く弄う。
 ジュドーはふるふると首を横に振った。リィナなら少しは詳しいかも知れないが、今まで花なんて無縁だ。
「あの人らしいわ。気障で。……女々しくて」
「花言葉、何て言うの?」
「…………優しい思い出。それから、門出。別離、なんていうのもあるわ。…………女の子相手ではないのにね。馬鹿みたい」
 ぎゅっとタオルを握り締め、花を見詰める。
 ジュドーは花と、ファと、それからカミーユを交互に見詰めた。
 大切な人、なのだ。ファにとっても、カミーユにとっても。きっと。
 けれど、自分には、どうしても引き止められなかった。きっと、あの場にファやカミーユがいても、引き止められなかっただろう。そんな気がする。

 そういう「大切」。

 ただ、約束が果たされることだけを切に祈る。
 大切だということが、ほんの少し、ジュドーにも分かる気がする。
 とても綺麗なものは、誰だって守りたくなるものだから。
 そして、その守る術はきっと、その綺麗なものがありたいように、そうなるようにするだけだから。

 けれど、ジュドーはまだ知らない。
 交わした約束が破られる、その日のことを。
 そして、その綺麗なものが、自ら破滅の道を選ぶことを…………。

FIN
作  蒼下 綸

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