「まあ、入りたまえ」
「お邪魔しま〜す」

 アムロの部屋からさほど離れていない位置にあるクワトロの部屋に案内され、コウは警戒心もなく中に入った。

「すまないな。チェアもソファもないのだ。ベッドで構わんかな?」
「はい」

 簡素な部屋だ。しかし、他の部屋より少々ベッドが大きい。ガトーの部屋と同じくらいだな、と思いながら、スプリングの効いたベッドに腰を下ろす。
 部屋の隅にはミニバーがあり、クワトロはそこから幾つか物を出してコウの隣に座った。

「何がいい?」
 二人の間に幾つかのドリンクが並べられる。
 酒が数種類。それから、ジュースとミネラルウォーター。

「これ……で」
 その中から、コウはジュースを選んで手に取った。
「今は正規の勤務時間ではないから、酒でも構わないのだよ?」
 柑橘類のサワーの缶を差し出してみるが、コウは固辞した。
「いえ。いつ敵襲があるか分かりませんし……あまり強くないので。もし飲んだ後で敵が来ても、MSに乗れなくなっちゃうし」
「よい心構えだ。……ガトーに倣ったのか?」
「そういうわけじゃないけど……負けたくないから。ガトーに『だからお前は』って言われるの、厭だし」

「ガトーに勝ちたいかね?」
「勿論!!」

 思わず力を入れすぎて、手にしていたジュースの缶がプシと小さな音を立てる。握られて歪んだアルミに、小さいが穴が空いている。そこから、幾筋かの液体が流れでていた。

「あ」
「おや……貸したまえ。そのままでは君も、ベッドも汚れる。グラスに注いであげよう」
「ごめんなさい」
「気にすることはない。それだけ必死になれるものがあるというのはよい事だ。……君も、手を洗いたまえ」
「はい。洗面所、お借りします」

 コウは始末をクワトロに任せ、シャワールームに隣接した洗面台に向かった。クワトロはミニバーにグラスを出して、缶のプルタブを上げる。
 コウからはクワトロの様子など、全く見えない。
 だから、クワトロがグラスにジュースを注ぎ入れることと、その他に何をしたのか、全く気がつかなかった。



 

「まあ、乾杯といこうじゃないか」
 洗面所から戻ってきたコウにグラスを手渡しながら、にこやかに言う。
「何に……ですか?」
「私達の近づきに、だ。これまであまり話をする機会もなかったからな」
「ああ……はい。そうですね」
 にっこりと笑う様は確かに愛らしい仔犬のようである。アムロとはまた違う類の可愛らしさも、なかなかに興をそそる。

 ガトーの趣味も案外悪いものではない。そう、密かににやりと笑う。

「では、私達の出会いに」
「乾杯……って、大尉、女性といつもこういう事をしていらっしゃるんですか?……恥ずかしくないですか?」
 照れているのか頬がほんのりと紅くなっている。
「うん?……ああ、まぁ……そうだな。女性は大変雰囲気を大切にするのでな。君も彼女がいるなら覚えておきたまえよ。ニナ君と随分親密らしいじゃないか。君も純情そうな顔をしてなかなかやる。あれほどの美女も、世の中には少ないぞ」
「……そんな、親しいって程じゃ……」
「抱きしめてキスの一つでもしたのなら、十分に親しいと思うが?」

 

「え?……えぇーーーー!!? っな、何で、そんなこと知ってるんですかぁ!?」

 

 あれで気づかれていないと信じていたのなら、天然を通り越してなんだか可哀想にさえなってくる。

 これを愛しいと感じるか、可哀想だと感じるかで、この子供と恋愛ができるかどうかの判断になるのだろう。
 そして、クワトロの気分は実に紙一重であった。

「秘密、だ。情報源など、明かさない方が面白いだろう?」
「面白くないけど……教えてくれないんならいいです」
 ぷう、と柔らかな頬が膨らむ。
「まあまあ、気を取り直して、飲みたまえよ」
「……はい」
 まだ少しむくれながらグラスに口を付け、こくりと一口飲み込む。

 クワトロはそれを見届けて、にんまりと笑みを浮かべた。ここにアムロかカミーユがいたら、即刻修正されそうな、それはもう厭な笑みを。しかし不幸にも、ここにいたのはクワトロとコウの二人だけだった。

「美味しーvv」
 甘くて得体の知れない……ちょうど、かき氷の青いシロップの様な味が思いの外気に入ったらしく、こくこくと残りも飲み干す。
「気に入って良かった」
 ちらちらとコウの様子を確認しながら、自分も適当にビールの缶を開けて飲む。

 

「……ん……ぁあ、あれ……」
 急に、とろりとコウの瞳が揺れる。手からグラスが滑り落る。幸い、中身は飲み干した後だった。
「どうしたね?」
 クワトロの目が楽しげに細められる。落ちたグラスを拾い上げ、力の抜けたコウの背を支える。

「……今の……お酒入ってました……?」
「いや。君自身が手にしたものだったろう?」
「はい…………」
 素直なコウは、それ以上疑うことをしない。というより、疑うだけ、頭が回らなかった。身体が火照り、視界が揺れる。

 当然、飲み物に何も入っていない筈はなかった。アルコールに弱いアムロの為に、ひっそりとジュースに薬を仕込んであったのだ。ただ、アムロもなかなか警戒心が強い上クワトロの邪気を感じて逃げることも多いので、この企みは成功していなかった。

 身体を支えるように密着したクワトロに体重を預け、熱に潤む瞳で見詰める。理由も考えられなければ、これからどうすればよいのかもよく分かっていないらしい。

「部屋に帰った方が良さそうだな」
「え……? ええ、ああ、はい……」
「それとも、ここで少し横になって行くか?」
「……それは、悪いですから……」
「いや、ここから君の部屋は数ブロック先だろう。頭でもぶつけたら大変だ。少し休んで行きたまえよ」
 クワトロの肩口に置かれた頭が緩やかに見上げる。黄味がかって健康的な肌色が、薄赤く染まっている。

 クワトロが少し笑いかけてやると、コウは暫くきょとんとした後、えも言われぬ表情で微笑んだ。

 

 赤ん坊が親の笑顔に応えて見せるように、ふわり、と。

 

「ありがとうございます」
 見ている側まで幸せになれそうな微笑みと素直な感謝の意に、良心がちくちく痛む。

 クワトロの許可を得て、ぱたりとベッドに上体を倒す。眠いわけではないのだが、全身が怠くて起きていられない。
「やれやれ、困った子だ」
 痛む良心から目を反らし、熱く火照ったコウの頬に指の背を這わせる。

 擦り寄る仕草を見せるその様は、幼児か、そうでなければ愛玩動物の様である。小動物か……そうでなければ仔犬、か。

 

「気持ちいい……」
「っ……あ、ああ……君の頬より、私の手の方が冷たい様だからな……」
 媚びてみせる事など知らぬ筈が、ひどくクワトロを誘っている。

 憂さ晴らしにでもちょっと遊んでやろう、程度の軽い気持ちでしたことだったが、さすがのクワトロにも少しばかりの良心と理性は存在していた。

 今ならガトーが最後まで完遂できなかった意味も分かる。
 こうまで無邪気で無防備では行動のきっかけも掴めたものではない。その上、何だか自分が犯罪者のような気もしてくる。……いや、既に十分犯罪を犯している、ということは置いて於いても。

 20歳前後の男に対してここまでの罪悪感を抱くことの方が何かおかしくはあるのだが、コウを眺めていると、コウの所為ではなく自分の所為だということをつくづく痛感させられる。
 アムロが固執して守りたとい思うのも、分からなくもない。コウを相手にアムロとの恋路の邪魔を怒っても、振り上げた拳を収める先がなかった。

 今まで数々の浮き名を流してきたし、これから先もプレイボーイの名を返上するつもりもないが、どうにも手の出しようがない。15歳の頃のアムロに対してでさえ、ここまで罪悪感を感じたことはなかった。

「…………迎えを呼ぼうか?」
「……いいえ……だって、それ……ガトーのことでしょ? だったら、いらない……」
「では、私が抱きかかえて連れて帰ろう」
「ええと……一人で帰れます……」
「強がりを言うものではないよ」
 指先が優しく髪を梳く。アムロとは違ったさらさらとした感触が心地良い。

 子供は嫌いではない。

 ロリコンだ、ショタコンだとあちらこちらで噂されてはいるものの、さすがに性的興味を覚える事例はごく稀だ。純粋に可愛がりたいと思うことの方が遙かに多い。

「……君は……本当に19歳なのか?」
「……え?……ええと……多分、もう、20歳を過ぎたかも……。……よく分かんないです……年とか、気にしちゃいけないところにいると思います……」
「まあ、それはそうなのだが……」
 全く以て、コウが幾つなのか分からない。アムロが29に見えないのとはまた別の話だ。アムロはまだ、若く見えるだけで十分に食えない大人である。

 が。

「余程ガトーの事を思っているのだな……」
「……はい?」
「いや……何でもない」

 微紅に染まった頬。熱に浮かされて潤んだ瞳。唇から洩れるのも、殊の外熱い息だ。どれを取っても、さあ食べて下さいと言わんばかりの筈が、これっぽっちも食指が動かない。

「仕方ないな……。厭だと言わず、大人しく帰りたまえよ」
 子供におやすみのキスをするのと全く変わらない風にコウの額へ軽く口づけると、クワトロはコウを抱き上げた。

 身長差はない。まあ、腕力だけを見ればクワトロの方が勝るが、コウの体格は……体格だけは立派な大人である。決して軽くはなかった。お姫様だっこだの赤ちゃん抱きだのが出来よう筈もなく、そのまま背に転がしておんぶする。



 

「……シャ……」

 クワトロの昔の名を呼びかけて、そのままガトーは完全にフリーズした。
 目も口も「O」の字に開いたまま、閉じる事を失念している。

「届け物だ。受け取ってくれ」
 固まっているがトーに背を向けて、コウを差し出す。
「君のだろう。これは」

「…………ウラキ中尉は……ものではありませんが……」
 声が半ば裏返り、かなり間の抜けた返事になる。
「私には頂けなかった。まあ、手を出す気になれただけ、ウラキ中尉に関しては君の勝ちだ」

「なっ……これに何かしたのですか!?」
 氷点から沸点へ。一気にボルテージが上がる。
「『頂けなかった』と言っただろう。……ウラキ中尉、立てるかね?」
 背を揺らし、半分以上眠りかけているコウを起こす。媚薬というより弛緩剤のほうが強かった為か、ひたすら怠そうである。深く触れれば火が点くのも早かろうが、現段階では眠気が勝る。

「ん……」
 眠そうに目を擦る。
「あ……がとぉ……」
 クワトロに負われている事など完全に念頭にはない様子で、ガトーに両腕を伸ばす。
「がとぉ……」
ずるり、とクワトロも支えかねて身体が擦り落ちる。慌ててガトーはコウを受け止め、軽々と抱き上げた。

「ほぅ。さすがだな」
「まったく……コウ、しっかりしろ」
ほんのり染まった頬を軽く叩く。
「ん……がとー、すきー……」
 すり、とガトーの肩口に擦り寄る。ガトーはこの場にクワトロがいることも忘れて真っ赤になった。

 クワトロはそれを眺めてにやりと人の悪い笑みを洩らす。
「ああ、薬の効果は後1〜2時間ある。まあ、ゆっくり楽しみたまえ」

「………………薬っ!?」
 ガトーが反応するより早く、爆弾を投げつけたクワトロは高く笑いながら去り始めていた。
 即座に追いかけようにもコウをこのままにはしておけず、結局ものすごい顔で睨みながらもガトーには放っておくしかできなかった。

−続−
蒼下 綸 作




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