耳慣れない小鳥の囀りに、ゆっくりと意識が覚醒していく。
 薄く目を開けると、綺麗な子供の寝顔が目前にあった。
 はっとして周りを見回し、状況を把握する。

 外が白み始めた頃までの記憶は確かだ。
 時計を見ると、まだ7時にはなっていなかった。
 一時間ほどうとうとしていたらしい。
 昨夜はシャアとの激しい行為もあって疲れていたところへの一騒動だったのだ。無理もない。

 カミーユはまだ起きないだろうと踏んで、そっと身体を起こし部屋を出る。
 そしてロビーの公衆電話からシャアへ電話をかける。病院内で携帯電話は使えない。

『もしもし』
「あ、おはようシャア、俺だけど」
 予想よりずっとはっきりした声が聞こえる。
 シャアの声を聞いて、僅かながら安心する自分がいた。
 受話器を通して聞こえる声は、いつもながらただそれだけでアムロを内側から崩してしまいそうになる。こんなに精神的に弱っていては尚更だ。
『おはようアムロ。どうだ、カミーユの様子は』
「まだ寝てる。そっちはどうかと思って。…………よくこの時間に起きてたな」
 シャアの声は寝起きのものですらない。
『書類は整った。後はカミーユの両親を説得するだけだ』
 返答から察するに寝ていないのだろう。
「連絡はついた?」
『いや、まだだ。だが、もうじき大学も開く。直接乗り込むさ。君はカミーユについていてやりたまえ。ブライトには既に連絡を入れてある』
 いざというときのシャアの行動力には頭が下がるばかりである。
「ありがと。じゃあ、ブライトは後で来るかな」
『恐らくな。それでは、私はこれから弁護士との打ち合わせの続きがある。切るぞ』
「うん。邪魔してごめん」
『いや……君の声を聞けてよかった。愛しているよ、アムロ』
 受話器越しに、軽く口付ける音がする。
 アムロもそれにつられて受話器に軽く口付けた。幸い、今のロビーに人気(ひとけ)はない。
「…………俺も。じゃあ、また後で」
『ああ』

 シャアが電話を切ったのを聞き届けてから、袖口で受話器を軽く拭いフックに返す。
 シャアの声は今のアムロにとって精神安定剤のようなものだった。
 愛の囁きに薄く頬を染めながら、カミーユの病室に戻ろうとする。
 そこへ。

「あら、アムロ。アムロじゃなくて?」

 横合いから声が掛けられる。
 振り返ると、昔なじみにして上司の妻である、ミライ・ノアが立っていた。
 園長ブライトの夫人である。

「ミライさん! ああ……こちらにお勤めだったんですか」
「ええ。……出勤にはまだ早いのだけど、気に掛かる連絡が入っていたものだから」
 ミライは非常勤の児童心理カウンセラーとしてこの病院に勤めていた。
 アムロもそれを知っていた筈だが、ここに来るまでの手配はシャアがしたし、到着してもその時には気が動転してそれどころではなかったので失念していた。
「こんな所で会うなんて……何方か入院しているの?」
「ええ……まあ、付き添いで」

「そう……大変ね」
 言いながら、ミライは手にしたクリップボードに挟んだ書類を捲り、小さく首を傾げた。
「ひょっとして……行き先は同じかしら。ブライトの園の子供さんで、付添人は貴方になっているわね」
「…………カミーユ、ですか?」
「ええ。カミーユ・ビダン君4歳。男の子。……綺麗な子ね」
 添えられていた写真に目を落とす。微かに眉が顰められた。

「ミライさんが担当なら安心かな」
「ご両親は……まだ来ないのね」
「シャアが行ってくれています。今日中には何らかの結論が出るでしょう。あいつが噛めば何だって早くカタがつきますから」
「そうね。……そうだといいけれど……」
 並んでカミーユの病室の前に行き着く。
「人見知りをする子?」
「少し」
「そう」
 一歩引き、アムロにドアの前の位置を譲る。
 アムロはそっとドアを開けた。

 静かに病室に戻ると、カミーユは起きていた。
 横になりながらもブラインド隙間から外を覗いていたのだが、ドアの開く音を聞いて振り返る。
 不安げな表情が、アムロの姿を認めて明るくなる。
「おはよう、カミーユ。起こしちゃったね。ごめんね、一人にして」
「おはようございます、せんせい」
 腕の点滴が気になって起きあがれない。
 点滴はまだ半分ほど残っていた。アムロが寝入る前には殆ど残っていなかったので、看護士が取り替えたのだろう。
「この袋が空っぽになったらお医者さんを呼ぶからね」
「はい」
「気分は? もう少し眠っていていいんだよ」
「だいじょうぶです」
 ドアは開けたままカミーユの側に座り髪を撫でる。
 カミーユは面映ゆそうに目を細めた。
 数時間前より、ずっと顔色は良くなっている。
 ベッドのリクライニングを上げ、カミーユを座らせてからドアを振り返る。
 ミライは、それでも様子を見ているばかりで入らなかった。
「せんせい、あの……」
「心配しなくていいよ。カミーユのお母さんの所には、シャアが行ってくれているから。シャアだったら、カミーユがどんなにいい子かって、ちゃんとお話ししてくれるからね。大丈夫。きっと、お母さんは来てくれるよ」
「はい」
 何も言わなくてもアムロは全てを分かってくれる。
 カミーユは安堵の笑みを浮かべた。

 ミライはその表情の和らぎを見て、漸く、ゆっくりとした足取りで中に入った。
「おはよう、初めまして」
「……だれ?」
 カミーユの顔に緊張が走る。アムロの服の端が、ぎゅっと握られた。その手を優しく包んでアムロが応える。
「ブライト先生のお嫁さんだよ。ここで働いていて、さっき会ったから」
「ブライトせんせいの……?」
 じっとミライを見詰める。
 とても優しそうな女性だ。太っているわけではないが、ふっくらと柔らかみのある容姿は温かで、見る者に落ち着きと安心を齎す。
「ごめんなさいね。廊下でアムロと会ったものだから。まだ朝早過ぎるわねぇ」
「……はじめまして。カミーユです」
 ぺこりと頭を下げる。ミライは微笑んでカミーユに近寄った。
「ミライ・ノアよ。よろしく、カミーユ」
 声も、とても柔らかくて優しい。
「どきどきするわね。病院にお泊まりしたの、初めてでしょう?」
「はい。でも……アムロせんせいがいてくれたから。ずっと、おててをぎゅっとしてくれてたから、どきどきしたけどだいじょうぶです」
「カミーユは、アムロのことが好きなのねぇ」
「はいっ!」
 元気よく返事をする。まだ胃は痛い程だが、各種栄養剤を点滴して貰ったお陰でかなり元気を取り戻していた。
「元気ね。いい子」
 アムロがするのと同じ様にふわりと頭を撫で、窓に手を伸ばしてブラインドの方向を変える。
 朝の光が室内を撫で、カミーユの頬に色を差す。
「暗いお部屋は厭だものね」
 光を背に微笑むミライは、まるで聖母像の様だった。そう美女とは言い難い容姿ながら、十分に美しい。その姿に、アムロですら思わず息を呑んだ。
 ブライトも、何という女性を妻にしたものか。……しかし、似合いの夫婦であることはよく知っている。
「どうかして、アムロ?」
「いえ……ミライさんが、あんまり素敵なものだから」
「まぁ……ブライトも、それくらいのことを言ってくれたら嬉しいのだけど」
 ころころと笑う様も、二児の母らしく慈愛に満ちている。
 窓を背にベッドの側の丸椅子に座り、アムロとカミーユを見比べてまた微笑む。
 二人は、どこか似ている様だった。
 カミーユはカミーユで、こんなにどこもかしこも柔らかそうな女性を見るのは初めてで、淡く頬を染めながらどきどきしてしまう。
 絵本に出てくる「お母さん」みたいだと思った。

「もうすぐ朝ご飯だけど、その後に先生がいらっしゃるわ。伺って、いい様なら病院内の探検に行きましょうか。病院の中って、珍しいでしょう?」
 アムロとミライの顔を交互に見比べ、アムロが行っておいでと頷いたのを受けて漸く首を縦に振る。
「アムロも一緒にね。シャアが来れば騒がしくなるでしょうから、分かるわ」
「言いましたっけ、シャアが来るって」
「聞いてはいないけど……でも、そうでしょう?」
 にっこりと微笑みかけられて、アムロは軽く肩を竦めた。
「……確かに。ナースも放っとかないだろうし、あいつも好きだから愛想いいだろうし」
「アムロも心配ね」
「いいえ、別に。そのくらいで心配していたら、あんなのと付き合えませんよ」
「まあ。信頼しているのねぇ」
「あれを?」
「そうよ。誰の所に浮気をしても、貴方の所に絶対戻ってくるって、信じているのでしょう?」
「……敵わないな、ミライさんには」
 否定はしない。
 とんでもなく綺麗な顔、中年とは思えない身体に神経を直接愛撫される様な声。その上外面はいいし、金も地位も無駄な程にある。これで放っておく女の方が信じられない。
 だが、長続きした女の存在を、十四年付き合った今でも、一人も知らない。
 あの中身について行ける女など、居はしないのだろうと思う。
 シャアの行き場は、所詮自分の所にしかないのだ。その自負はあった。
 アムロでなくては、あの全てを受け入れきれないだろう。

「居てやってるんですよ、俺がわざわざ。どうせ、他の何処にも行けやしないんだから」
「愛されているわね、シャアも。……それで、これからどうなるのかしら」
「シャアが来れば、事態が好転します。全部、任せてますから。カミーユを、助けます」
「あらあら……本当に、いいわね、貴方達」
 ミライは目を細める様にして微笑み、小さく首を傾ける。
 しかし、アムロとしてはミライ達の方が余程に羨ましい。
「俺としては、ブライトと貴女を見習いたいんですけどね。……せめてブライト並みの節操があればなぁ……」
「つまらないかも知れないわよ? そういう風に、男の人の相手が出来る人ではないから。古い人なのよ」
「……そうかな」
「そう思うわね。貴方だって、別にシャアに安定感を求めて付き合っているわけではないでしょう? 貴方も男の人だもの」
「そうですね」
 子供の前でする話ではない。
 終わりにしたい気持ちが分かったのだろう。ミライはただ微笑んだ。

 それから、直ぐに医者が来た。
 検温、血圧を取り、聴診器を当てる。カミーユは大人しかった。
「朝の食事は……重湯からだからね」
「ハサン先生、宜しいかしら。カミーユ君、少し館内をお散歩しても構いません?」
「そうですね。しかし、親御さんがいらっしゃるでしょう。警察も来るでしょうから……その後で、様子を見てということになるでしょうな。ですから……この階に留めて下さいね。また、話が終わってから、探検でも何でも、行けばいい」
「分かりました」
「カミーユ君、痛い所とか、気持ちの悪い所はないかな?」
 ふるふると首を横に振る。アムロの服を手で探り、強く握る。
「……暫く様子を見ながら、通常食に戻していきましょう。それが出来たら退院出来ます。長くても三日くらいでしょうな……だが……」
「そのお話は、後で」
「ああ、そうですね。……もう直ぐご飯が来るから、それを食べたらこのフロアにあるお部屋で、絵本でも読んで貰うといいよ。また、夜に来るからね」
 カミーユの頭を大きな手で撫でて、医者はミライに目配せをして去っていく。
「……また後でね、アムロ。カミーユも。私も、少し仕事をしてくるわ」
「はい。また、後で」
「シャアが来たら、来るわ」
「はい」

 程なく運ばれてきた食事を済ませ、カミーユはアムロに抱き上げられて部屋を出た。
 人見知りは激しいものの、怯えるわけではない。遊戯室に入り、片隅でアムロの膝に乗ってそれなりに楽しく、嬉しそうにしている。
 背中に感じるアムロの体温がとてつもなく心地いい。
 抱き締められる様に後ろから腕が回り、絵本を読んでくれる。アムロの声は本当に耳障りがよく、目覚めはしても睡眠時間の足りていないカミーユは再びうとうととし始めた。
「カミーユ、お部屋に帰ろうか」
「ん…………いや……やだ……」
 ぐずる様に振り返ってアムロに抱きつく。
「そう? ならいいんだけど……。ここは温かいからねぇ。寝ちゃってもいいんだよ」
「おはなし、よんでください」
 欠伸を噛み殺しながら言う様が可愛らしい。
「他のご本にしようか?」
「これがいいです」
 まだ手に持っていた絵本を捲り、最初のページまで戻す。
 促されて、アムロはもう一度初めから読み始めた。
 自分で読めるが、読んで貰うのはまた格別だ。
 気付けば、何人かいた回りの子供達も、アムロの声に耳を傾けているのが分かる。
 カミーユは得意げな気分になって、アムロに身体を押しつけた。アムロの膝の上は、特権的な場所だ。
 軽く身体を揺らして貰うと、また眠くなってくる。
 そうして完全に寝に入ってしまう微妙な頃合い。
 俄に遊戯室の外が騒がしくなってきた。

 本を閉じ、カミーユを抱え直した所で、遊戯室のドアが開く。
 覗いた顔に、アムロはほっと息を吐いた。今ばかりは、おめでたい金髪もありがたく思う。
 回りにいた子供達の親だの看護師だのが色めき立つのも気にせずにカミーユを抱いたまま立ち上がり、シャアに駆け寄る。
「……待ってた」
「ああ。遅くなって済まない」
 頬に触れるだけに留まる。アムロはそれだけで十分だと微笑んだ。いてくれるだけでいい。
「ん……」
 腕の中のカミーユがぐずる。
「取り敢えず、部屋の方へ。ここではな」
「ああ」
 シャアはアムロの腕からカミーユを抱き取った。カミーユはぼんやりと目を開け、シャアを認めて身を竦ませる。
「あ……」
「大切な話がある。カミーユ、部屋へ戻るぞ」
「…………はい」
 いつになく真剣なシャアの顔に、カミーユは寝惚けた頭で頷いた。

「……それで?」
 カミーユを寝かせ、ぽんぽんと叩いてあやしながら、窓辺に佇むシャアを見る。
「午後から両親とアポイントが取れた。三十分程だが……私に任せてくれていい」
「母親だけじゃなくて、父親とも取れたのか?」
「ああ。裁判所から命令書を発行して貰った」
「どうやって」
 寝入ったカミーユにブランケットを掛け直してやる。
 アムロは立ち上がり、シャアに並んだ。
 不安げな表情に、シャアはアムロの髪を撫でる。
「いろいろとね。君は気にしなくていい」
「…………大丈夫かな」
「法に抵触はしていない、と言うことだ。不安かね?」
「……ううん。そういうことでは信用してる。裏工作とか」
「根回しと言って欲しいな。それで……君はどうする」
「…………行くよ。カミーユを一人にするのは心配だけど」
「ああ。……君がいた方が、ご両親が安心するだろう」
 シャアに寄りかかる。アムロを抱き寄せる。
 アムロは目を閉じてシャアの体温をただ感じた。
 丁度鼻先に来るふわふわとした髪に口付け、シャアは後ろから強くアムロを抱き締める。不安は伝わるが、ここでしてやれることはそれくらいのものだろう。
「シャア…………」
 ふ、と振り返る。瞳が潤んで見えた。
 ねだっている、そう分かる。シャアは躊躇いなく口付けた。
「ん…………っ……」
 さり気なく回された手がシャアのスーツを掴む。
「……ふ…………」
 舌が絡み、吸われる。
 シャアの手がアムロの腰まで落ちた。流石にそれは叩き払われる。
 濡れた瞳がそれでもシャアを睨んだ。その様が愛らしく思えて、シャアは苦笑する。どんな剣呑な表情も、アムロだと思えば全てを受け入れられた。

「駄目だ、シャア」
「……誰も来んよ」
「カミーユがいるだろ」
 舌打ちが聞こえる。
「…………そうか。この子をうちで保護すると、問題だな」
「だから、俺は出て行くって」
「それだけは許さんぞ」
 額を合わせて唸る。
「君は、私のものだ。こんな子供に譲って堪るものか」
「俺はモノじゃない」
 ぺしりと触れてくる手を叩き、アムロは数歩離れた。
 困った様に、恨めしそうに見てくる視線に、呆れて良いやら笑って良いやら暫し悩む。
「いい加減にしろよ、シャア」
「…………参ったな…………」
「ブライトも来るし、警察だって来るだろう?」
「警察は後にして貰った。夕時になるのではないか?」
「いいのか? ご両親との話の後で」
「後だから、いいのさ。彼らも事件は少ない方がいい」
「…………ふーん……。そうやって、舌先で丸め込んだんだ」
「人聞きが悪いな。上層部に何人か知り合いがいる。少し待って欲しいと言っただけだ。カミーユにとってもその方がいいだろう? 虐待はとかくネタになりやすい。私達などが保護しようものなら、それこそ餌食になりかねんよ」
「…………まぁな。貴方の顔が売れすぎてるのが問題なんだよ」
「ここまで尽くしているのだよ、君の為に。今夜は優しくして貰いたいな」
「今日もここに泊まるに決まってるだろう?」
「何っ!?」
 目に見えて落ち込むシャアに、アムロはその額へと口付ける。
 頭を撫で、幾筋か乱れた髪を指に絡めて梳く。シャアは目を閉じ、アムロに擦り寄った。

「……あーー……………………構わないか、お前達」

 咳払いと共に声が掛かる。
 ぱっと面白い様にお互いが飛び退り、振り返った。
 そこには声の主……大変困った顔をした、ロンド・ベル保育園園長が立っている。
 二人の少々面喰らった顔を見て、ブライトは溜息を吐いた。場所くらい、弁えて欲しいモノだと思う。
「気配に敏い筈のお前達が気付かないとはな……」
「ご、ごめん……って、いつから見てたんだよ!」
「所構わずいちゃつくお前達が悪い。弁えんか、少しは」
 歩み寄り、アムロの頭上に鉄拳が落ちる。
「いたい〜〜……」
「ブライト、程々にしてくれ。アムロの頭の形が変わったら、私の損失だ」
 腕の中にアムロを抱き込みながらブライトを睨む。
 大体、この園長は主任とのスキンシップが多すぎる。アムロもそれを満更でもなさそうにするから余計に腹立たしい。
 口を尖らせてブライトを睨んでいる様も壮絶に可愛く見え、思わずシャアは大きな手でアムロの顔を覆った。
 しかし、容赦なく歯を立てられて断念する。
「いい加減にしろって、シャア!」
「君が愛らしいからいけないのだよ。それで、ブライト、何の用だ」
「何の…………それを聞くのか、貴方は」
 頭痛がする。
 こめかみを揉む仕草は、既に癖になっていた。
 馬鹿共は放っておいて、カミーユのベッドに近寄る。
 あれだけ騒いだが、まだよく眠っている様だ。
「全く…………」
 数いる園児の一人でしかない、と言えばそれまでだが、ここまでアムロが肩入れするのも分からなくはない。
 何より、誰よりも寂しそうな子供。勿論、種々の問題がないならば、出来る限りのことをしてやりたいと思うだろう。
 だが。

「それで……どう動く気だ、これから」
 シャアを強く睨む。
「保護をする。親との話し合い次第だな」
「お前達が引き取りたいと言うことか」
「違うな。預かりたいと言っている」
「ふむ…………勝算は」
「ないものに乗りはせんよ、私は。この街にはないが、二十四時間、連日子供を預かる施設も個人であるそうだ。君の所でカミーユを預かり、アムロが面倒を見る以上似た様なものだろう」
「……全く違うぞ。貴方は何処か考えが甘い」
「言ってくれるな。アムロが望むなら、私はそうなる様に尽力するだけだ」
 まだ腕の中に包んだままのアムロの頭に口付ける。
 アムロは眉を顰めたもののシャアに任せている。
「教育上、望ましくないと思うのだがな」
「ぎすぎすした家庭で暮らすくらいなら、まだしも愛に溢れているよ、私の家は」
「貴方の愛情は限定的過ぎる。それに……その……」
「最近は次第に社会的認知度も上がっている。君の所には敵わないかもしれないが、それなりに健全な家庭だと思っているよ。……無論、会議の際には隠さねばならんだろうがね」
「ふう…………アムロは、それでいいんだな」
 溜息を隠さず、アムロを見る。シャアの腕の中で大人しく、アムロは頷いた。
「……俺の案だよ、そもそもは。ハロを手放してでもって言ったら、こいつがやる気になっただけだ」
「それは……その気にもなるだろう。お前の覚悟の程が知れる」
 ハロはアムロの子供にも等しい。売り物などではないと認識している。
「職場に迷惑は掛けないつもりだ」
「当たり前だ。お前がいなければ、あそこは纏まらん」
「鬼軍曹がいるじゃないか。ブライトがいれば大丈夫って思うんだけどな」
「……これ以上頭痛と胃痛の種を増やさんでくれ……」
 ごりごりと親指の腹でこめかみを押す。
「せっかく病院なんだし、診て貰ってくれば?」
「原因はお前だ。全く……」
 悪びれた様子はないが、睨まれて軽く首を竦める。怒る気が失せていく。
 様子からして、今更何をどう言った所で決意は変わるまい。アムロの頑固さは、よく知っている。

「シャア、会談は何時からだ。場所は?」
「13:00に裁判所だ。場所を押さえてある。……君も出席するのか?」
「一応な。アムロ、その方がいいだろう?」
 アムロに目を向ける。にっこりと笑顔が返る。
「ありがと、ブライト。シャアだけじゃ胡散臭いしさ」
「……アムロは、私をそう思っているのか?」
「当たり前だろ? 貴方をどう見れば、信用が於けるなんて見えるんだよ。見た目も、演説も、怪しいったらないじゃないか」
 身を屈めて腕から抜け出し、追い縋ろうとする顔の額を掌で止める。
 一瞬怯んだ隙に、ブライトを回ってその背に半ば隠れた。
「…………ブライト、そこを退いて貰おうか」
「いい加減にして下さい、貴方も。アムロもだ。カミーユが起きてしまう」
「分かってるよ。……ごめん」
「いや……お前が疲れているのは分かる。だが、場所は弁えろよ」
「うん」
 くしゃりと頭を撫でられる。アムロは少し拗ねた様な表情を見せる。
 兄と弟の様な雰囲気に、シャアは歯軋りした。
「シャア、アムロをくれぐれも頼む。俺は、一度園へ帰ってまた来るから」
「承知している。……アムロから離れたまえ」
「アムロ、場所だけは」
「……分かってるって」
 もう一度アムロの頭を撫で、ブライトはカミーユを気に掛けながら去っていった。

「…………ふぅ。……もう、シャア、何でブライトにはいつもあんなに当たりがきついんだよ」
「人として信頼できる、いい人間なのは分かっている」
「だったら」
「だが、不用意に君に触れすぎる。気に入らないな」
「…………昔、俺が貴方の側にいなかった時、貴方、ブライトと仲良かったって聞いてるけど?」
 きらり、とアムロの目が光った気がする。
「っ……そ、それは……だな…………」
 勿論それはシャアの錯覚だったが、額に冷や汗が滲んだ。
「全く……子供なんだからなぁ……」
「子供の相手が、君の仕事だろう?」
「言って於くけどね、シャア。…………不安定なのは、貴方だけじゃないんだよ」
「…………アムロ…………触れてもいいかい?」
 恐る恐る手を伸ばし、頬に触れる。アムロは目を細めた。
 そのまま甘える様にアムロに抱きつき、身を屈めて髪や肩に顔を擦り寄せる。
 アムロは大きく溜息を吐き、しかし、直ぐに腕を伸ばしてシャアを抱き寄せた。
 髪を梳き、その金糸の輝きに口付ける。
「…………成功したら、ご褒美をあげるよ」
「……何でもいいのか?」
「事に依るけどね」
「……精々頑張るとするさ」
 それから二人は、ミライが扉をノックするまでそうして抱き合っていた。

続く

作 蒼下 綸