「ガトー、ゲンキカ」
「…………」
 ばいんばいんと気の抜ける音を立てながらハロが跳ね回っている。
「ガトー、ノウハレベルヒクイ、ゲンキナイ」
「……………………」
「ガトー、アソブ、ゲンキダセ」
「ええい!」
 片手で掴み、部屋の隅へ投げる。しかしまたすぐに転がり足下まで戻ってきた。

 早番で、朝一に園に来てからずっとこうだ。まだ園児達の来る時間ではないが、常にまとわりついてくる園児に加えてハロがこの様では、今日一日の苦労が簡単に察せられる。いつもならば、ハロのお陰で園児の相手をする手間が半減されてくれているのだ。半ば同志の様な心持ちでさえあったというのに、今日に限って一体どうしたというのだろう。

 基本的に園内用のハロは玩具というより保育補助の役割の方が強いく、子供達にも示しが付く様に、保育士やその他スタッフには「センセイ」を付けて呼ぶことになっている。「ガトーセンセイ」とは呼んでも、「ガトー」とは呼ばない様にプログラムされている筈だった。
 そして、業務の妨げにはならぬ様、大人へは呼ばれない限り近付かない仕様にもなっている。
 今日の様は、奇妙としか言いようがない。

「何があったのだ、お前に……」
 拾い上げ、中を開けるとセーフモードに切り替わる。覗いてみるが一見しただけではよく分からない。アムロの子供に等しいことはよく分かっているから触り辛いし、そもそもあのマニアが手塩に掛けた代物などガトーには理解できそうにもなかった。
 だが生憎、そのアムロは今日明日と地元保育士会主催の研修会の講師に呼ばれた為に出張で、園に顔を出す予定がなかった。
 様子のおかしいものを保育室へ置いておくわけにもいかない。ハロを抱えて職員室へ移る。
 机の上にハロを置きにらめっこをしているうちに、数人の職員がやってきた。

「お早う。……どうしたんだ?」
 ハロと真剣な表情で向かい合うガトー、とは、世にもミスマッチな光景である。
「ああ……キンケドゥ先生か。……貴君は、機械に詳しいのだったか?」
「詳しいって程でもないけど……何?」
「ハロの様子がおかしいのだが、アムロ先生は今日明日と出張だろう?」
「ハロか……ちょっと見ていいかな」
 口を開けたままのハロを覗き、キーを幾つか叩いてエラーチェックを起動させる。しかし、問題は表示されなかった。
「基本的にハロは自己修復出来るからなぁ。おかしいって、どんな風に?」
「私を呼び捨てにして、やたらと懐いてくる」
「…………確かに、ちょっと変だな。今日急にか?」
「昨日までは特に何事もなかったな」
「昨日は誰が最後だっけ」
 空かさずガトーは勤怠表を捲った。

 ……アムロだ。

「…………ああ……」
「アムロ先生が弄った可能性が高いな。それは、触らない方が賢明みたいだ」
 軽く肩を竦め、閉じて球体に戻す。目が暫し点滅し、いつもの赤いランプが灯る。転がり、床に落ちて幾度か跳ねると、またガトーの足下にまとわりついた。
「懐いてるなー」
 微笑ましいと言えば微笑ましい。しかし、苦笑するキンケドゥとは反対に、ガトーは険しい表情で眉間に皺を寄せる。
「……もうすぐ登園時間だ。子供達が来る前に何とかせねば」
「大丈夫じゃないか? 危害を加える様な感じには見えない」
「ハロは子供達の規範であらねばなるまい。これでは皆への示しが付かん」
「ハロ、俺は?」
「キンケドゥ! ゲンキ、ハロモゲンキ!────ガトー、ゲンキナイ」
「私は至って健康だ」
「呼び捨てはそのままか……。ガトー先生、昨日飲んだりした?」
「いや。晩酌はしない」
「一応レインの所で診て貰ったらどうだ? 昨日アムロ先生が触ってたなら、壊れてるって訳でもないだろうし、念のため」
「まだ朝の準備が終わっていない。終わって、まだ時間がある様ならば行って来よう」

 次第に早番の保育士達が揃いつつある。
 園長のブライトが入って来るに至って、ハロは漸くガトーから離れブライトの足下まで転がった。
「ブライト、オハヨウ! ブライト、ゲンキナイ」
「……ハロ?」
「おはようございます、園長。失礼。ハロの調子が悪いので、保育室から下がらせている」
「おはよう、ガトー先生」
 ブライトは身を屈め、ハロを拾い上げた。ガトーに比べれば付き合いが長い分、ブライトはハロの存在に慣れている。
「元気がないか?」
「ナイ、ナイ! ゲンキナイ。ブライト、ヤスメ」
「そうしたいんだがなぁ……。今日はアムロが居ないから、余計に休むわけにはいかないんだ」
「アムロ、イナイ。ハロ、アムロノカワリ!」
「ほぅ……アムロがそう言ったのか?」
「ハロ、イイコ! ハロ、アムロノトモダチ。ヤクソクマモル!」
「あいつも心配性だな……」
「アムロ、イイコ。ミンナ、イイコ」
「子供じゃないんだがなぁ」
 アムロがシステムを弄ったのであろう事は分かる。自分がいないなりに、園内の健康保全を試みでもしたのだろう。
「まあ、大した問題でもないだろう。ガトー先生、これはここに置いておいても仕方がない。五歳児クラスなら大丈夫だろうから、部屋へ」
「お言葉だが、園長……ハロが私にまとわりつき続けるのでは、問題が予測される」
 一人の園児が脳裏に浮かぶ。
 今日のハロなどとは比べものならない程、煩わしくまとわりついてくる愛らしい姿が。
 可愛いが、頭痛がし始める。
 コウはガトーを独占していないと気が済まない。聞き分けがないというわけではないから、言い含めれば他人に譲りはするが、ハロが相手では簡単に引き下がらないだろう。
「ガトー、ノウハレベル、テイカ! テイカ!」
 盛大にガトーの周りを飛び跳ね回り始める。一層げんなりとして距離を取ろうと試みるが、ハロはそれを許さなかった。

 ブライトに促され、渋々保育室へ戻る。園児が来始めていた。
 園児より優先して、やはりガトーに纏わりついてくる。元気いっぱいの園児達に比べ、大人のガトーが前日の疲れを少し残してしまっているのは仕方のないことだ。ハロのことでげんなりとしていれば尚更だった。

「ガトー、おはようございますっ!」
 誰よりも元気な声が響く。ガトーは、いっそう疲れた気分になって、柄にもなくのそりと声のした方を見た。
「……どしたのガトー? びょーき?」
 普段は何処までも鈍いが、ガトーのことにだけは妙に敏い。
「おはよう、コウ。鞄を置いて来い」
「はぁーい」
 黄色い帽子と鞄を壁の決められた場所へ掛け、ガトーに駆け寄る。元気のないがトーなど初めて見る。心配で仕方がない。
「だいじょうぶ?」
「オハヨウ! オハヨウ! コウゲンキ!! ハロモゲンキ!」
「ハロ! おはよう!」
 ご機嫌でハロにも挨拶をするが、ハロはおざなりにコウの周りを一周転がっただけで、再びガトーのところへ戻ってしまった。
「ハロ?」
「ガトーゲンキダセ」
 飛び跳ねて反動をつけ、ガトーの腕の中に飛び込む。
 コウはびっくりして、まじまじとハロを見詰めた。
「……ハロ?」
 コウもハロは大好きだ。いつも遊んでくれていた。それが、どうしてガトーの方へ行くのか。
 それ以上に、自分以外がガトーの腕の中に飛び込むのが癇に障る。

「ハロ! ダメ!」
 ガトーによじ登り、腕からハロを引き離す。
「……ぃでっ!」
 思い切り投げ捨てたが、ハロは壁にぶつかって跳ね返り、コウの額目掛けて返って来た。避ける間もなくぶつかり、コウは仰け反る。
 ハロは軽くて柔らかく、球体なので角もないため怪我はしない。だがその衝撃に、見る間にコウの目が潤む。額を押さえて屈み込んだコウを、ガトーは抱き上げた。

「何をしているか! 危ないだろう」
「だって……!」
 ガトーを睨み顔を上げる。
「なんでハロをだっこするの?」
「ハロが来たのだから、仕方がないだろう」
「なんでぼくよりさきにだっこするの? ぼくちゃんとほいくえんにきたのに!」
「コウオコッテル! オコッテル!」
「うるさいっ!」
 コウは再び戻ってきたハロを顔を真っ赤にして睨むと、ガトーの腕から飛び降り、ハロを引っ掴んで開いた窓から思い切り放り投げる。ガトーが咎める間もなかった。

「コウ!」
 鉄拳を一発くれてやろうと思ったが、寸でのところで手が止まった。
 泣き染めて真っ赤になった目で、ガトーを見上げている。口をへの字に曲げ、きつく睨む。
「…………コウ……」
「……ガトー、やだ」
「ハロはみんなの友達だろう。何故酷いことをする」
「ともだちじゃないもん」
「何を馬鹿な。ついさっきまで仲良くしていたではないか」
 ガトーは膝を付いて身を屈め、コウと目線を合わせる。コウは泣き顔も可愛いが、あまり見たいものでもない。
 予測より状況は良くなかった。コウが不機嫌になるまでは容易い想像だったが、怒り様が予想を超えている。
「コウ、ハロを迎えに行くぞ」
「やだ」
 コウは頑固だ。それはよく分かっている。諦めてガトーは一人で取りに行くことにする。

 と。

 穿いていたジャージが強く引っ張られた。小さな手で、コウが力一杯ジャージの端を握り締めている。
「手を放せ、コウ」
「……やだ」
「聞き分けのないことを言うな。ハロは、お前達と同じなのだぞ」
「ハロはきかいだろ」
「アムロ先生の大切な子供だ。お前と同じ、園児だ。……分からぬお前ではないだろうに」
 アムロがハロのメンテナンスをしている時だけ、コウはガトーから離れてひどく真剣にアムロの手元を見ている。機械類がやたらと好きなのは、分かることだ。
「お前がハロを窓から捨てたことを知ったら、アムロ先生はさぞ悲しまれるだろうな」
「でも、やだ。……あとでアムロせんせいにはごめんなさいするもん。ハロはアムロせんせいのこどもなら、ガトーにくっつかなくてもいいじゃないか」
「ハロが私の周りに居るのが厭なのか?」
「いやだ! ガトーはだれにもあげないもん!」
「だが、そもそも私はお前一人の先生ではないぞ」
「でもここは、ぼくだけの!」

 数歩反動を付けてコウはガトーによじ登った。ぎゅっと首に腕を回してしがみつく。ガトーの厚い胸板に全身を押し付けてくる。
「ハロにあげちゃだめ……!」
 幼い子供とはいえ、懇親の力は侮りがたい。引き離すことも出来ず、ガトーは困惑する。
「泣くな、コウ……」
 ぽんと頭に手を置くと、一層コウは顔を摺り寄せてきた。可愛らしいものだ。こんな風にハロに嫉妬するとは。
 ふっと息を吐いて気を取り直す。流されてはいけない。他の園児達も揃いつつある。
 小さく咳払いをして、コウの耳元に顔を寄せた。
「今日はここにいればいい。ハロも、明日になればアムロ先生が来るのだから、私の側から離れてくれるだろう」
 甘やかせ過ぎている言葉が他の園児に聞こえるのはよくない。抱き締めて低く囁くと、コウはふるりと身体を震わせる。耳に息がかかったのだろうと窘める様に柔らかく繊細な手触りの髪を撫でた。
「ハロを迎えに行くぞ。お前の友達ではないかもしれないが、他の子達の友達なのだからな」
「……ん…………」
 小さく頷く。それくらいなら、我慢できる。
 それからコウはガトーの腕の中で、大人しく外に転がっているハロを迎えに行った。通りすがる人達が驚いて道を明けるのが快感だった。

 この日から丸二日、コウはガトーの腕の中から片時も離れようとはしなかった。その周りを、ハロは転がり続けていた。

 翌々日。無事出勤してきたアムロが慌てて五歳児の保育室に駆け込んで来た。
 ハロは相変わらずガトーの足元に絡んでいる。

「何か」
「あ……あの、昨日と一昨日さ、ハロ、おかしくなかったか? それが心配で」
「…………現在進行形でおかしい。説明して貰おうか」
 鬱陶しいハロを掴み、アムロにずいと突き出す。アムロは罰の悪そうな顔で、上目遣いにガトーを見上げた。
 年も地位もガトーより上だが、そんな表情するとアムロは幼くさえ見える。その上妙に艶を刷いて見えるから質が悪い。
 受け取ったハロを愛おしげに撫でながら、アムロは小さく溜息を吐く。
「苦情はシャアにどうぞ。俺だってこんな中途半端な状態のハロを置いて行きたくなんてなかったんだよ」
「一体何を。お陰で一昨日から、」
「コウと仲良く出来たんじゃない?」
「そういう問題ではない!」
 思わず怒鳴ったガトーに、アムロはしゅんと肩を落とした。その少しばかり子供染みた態度に、少し怒鳴りすぎたかと反省する。

「…………ごめん。ハロのメンテナンスしてたんだけどねー。三日前の終業後。ここの部屋のハロが一番最後だったんだけど、ちょっと没頭しすぎちゃってて……あーもうむかつく。あの赤いのが来なかったら、ちゃんと完璧に仕上げられたのに! 医療ケアをもうちょっと充実させるって、悪くないアイデアだろ? 園児も大変だけど、保育士だって体調管理しなきゃ子供に迷惑なんだしさ!」
「……連絡は入れていたのか?」
「いや別に。時間なんか忘れてたし。でもちょっと日を越したくらいで、大げさなんだよ。大人の男相手に」
 反省の色はない。
 常日頃のシャアの態度を考えれば、分かりそうなものだ。アムロも、基本的には洞察力に優れ機微に聡いというのに、シャアに関してだけは対応がおざなりだ。
 本当に、何故この二人が付き合っているのか理解できない。シャアの方が一方的にアムロを好きなだけにしか見えなかった。
 アムロの付き合いがいいのかといえばそうでもないし、生活費を浮かせるといってもアムロ自身、ハロは売らないにしろその他特許でそれなりに金は持っている。ガトーには理解不能だった。

「ってわけだから、とりあえずこの子は連れて行くね。午後までには完璧に仕上げてみせるからさ。最後のプログラムの流れがおかしくなっちゃったんだよなぁ……ほんと、あいつは邪魔なんだから」
「……当分必要ない」
「そう? コウは貴方を独占したいんだから、それなりにハロだって役立ってると思うんだけど」
 他の園児にそれほど手がかからないように思えるのは、確かにハロが補助をしているからだろう。それは分かる。分かるが、何処か釈然としない。

「あ、アムロせんせい!」
 登園したコウが駆け寄ってくる。アムロは優しくその頭を撫でた。
「昨日はごめんね。ハロがガトーを取っちゃっただろう?」
「ううん。……あのね、せんせい、ごめんなさい! ハロがガトーとっちゃうから……」
「蹴ったりしちゃったかな」
「おそとにすてちゃった! ごめんなさい!」
 コウは勢いよく頭を下げた。あまりにも馬鹿正直だ。ガトーは内心肝を潰す。アムロにってハロは特別なものだし、更には本気でアムロを怒らせるなどというのは、想像するだに恐ろしい。本気のアムロを止める術は、ガトーでさえもないように思えた。
「…………そう。外に」
 コウには微笑んでいるが、その背にどす黒いものが見えた気がして、ガトーは顔を強張らせた。怒気はコウにもガトーにも向けられない。感情の矛先は、ガトーには分かっていた。
 今晩のアズナブル家の惨状が思い浮かべられ、ガトーは心の中で小さく十字を切った。



作 蒼下 綸

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