お昼寝の時間。
 寝かしつける間もなく眠る子もいれば、なかなか寝つきの悪い子供もいる。
 いつも力いっぱい跳ね回っているコウやドモンは既にすっかり寝入っていたが、幾人かはまだ寝転がっているだけで目が開いていた。
 個々人の差はあるものだから、時間を決めて昼寝をさせることにそれほどの意義は感じていない。
 それでも何とか全員を寝かしつけて、保育記録の記入に取り掛かる。この時間だけ、日々忙しい仕事の中で息をつける気になった。
 子供は好きだが、好きばかりでも仕方のないことだ。それが仕事というものである。

 数人分を書き終えたところでひと時手を止めた。軽く伸びをして子供たちの様子を伺う。
 皆、天使の様な寝顔だ。コウの顔を覗き込んでみる。
 眠っていれば本当に可愛らしい。起きている時には鬱陶しく思うことも多々あるが、この瞬間を見れば全てが吹き飛ぶ。どの子供もそうだが、とりわけ手のかかるコウは特別だった。 
 園児の誰もが知らない様な柔らかな笑みを浮かべ、眠る子供たちを見回す。
 しかし、ある一点で目は留まり、ガトーは軽く眉を顰めた。

 無言で側に寄り、そっと背に触れる。びくりと小さな身体を竦ませて、園児の一人の目が開いた。
 ガトーが起こしたのではない。不規則に動く身体を見れば、狸寝入りなど見抜くのは容易いことだ。
「眠れないのか」
 ガトーを見上げる瞳は限りのない青だ。青玉のごとく透き通り、見るものの奥底をも浚ってしまうように思える。
「……すみません。すぐに」
「眠くないなら仕方がないだろう」
 こまっしゃくれた口の利きようが可愛くない。園児に好き嫌いがあってはならない立場だが、合う合わないというものは人間同士である以上、仕方のない部分はある。
 ガトーはこのキャスバルという園児が苦手だった。
 まだ幼いというのに、ひどく大人びた瞳と思考をしている。しかも、個人的に嫌っているシャアによく似た顔立ちともなれば、あまり構いたくもなかった。
 キャスバル自身、保育士を必要としない性格と能力を持っている。ガトーの手を煩わせることも全くなく、自然目が行かない部分もあった。
「ねむくないのではありません」
「では、そのうち眠れるだろう。目を閉じていればいい」
「……はい」
 大人しく目を閉じる。
 眠っているコウは天使の様だが、外見だけならキャスバルこそ一層天使に相応しいものだろう。柔らかな金の髪に整いきった顔立ちは、シャアのこともあり行く末の先々まで透けて見える。余程何かを間違わない限り、この美しいままに大人になり、齢を重ねていくことだろう。
 だがそれでも、ガトーにはやはりコウの方が可愛かった。子供は素直が一番だ。

 目は閉じたもののキャスバルは全身を使ってガトーの様子を伺っている。
 早く離れてくれ、と言わんばかりだ。ガトーは眉間に皺を寄せた。
「眠くないなら無理をするな」
「ですが、いまはおひるねのじかんでしょう?」
「眠くなる時間は人それぞれだ。お前達の年頃なら、もう起き続けていられる者も出るだろう。小学校へ上がれば昼寝の時間などないのだしな。秋には、他の皆も昼寝を減らしていくことになっている」
 小賢しさを窘める様に頭を撫でてやると、キャスバルはゆっくり身体を起こし、ガトーを不思議そうに見上げた。
 謹厳なガトーは、規則を重んじる様に見える。イレギュラーを認めることなどあるとは考えたこともなかった。
「皆の邪魔をしないなら、何をしていても構わん」
「……せんせいは、なにをなさっているんですか?」
「私か? 帳面を書いている。お前がじっとしていた間はな」
「じゃまをしてすみません」
「いや。……絵本でも読んでいればいい」
「……せんせいを……みていてはいけませんか?」
「構わないが……面白いことはしていないぞ」
「いいんです」
 キャスバルならば、ガトーが付きっ切りでなくても大丈夫だろう。目の届くところにさえいれば問題ないと判断して、ガトーは再び机に戻る。
 するとキャスバルも立ち上がり、とことことその後を付いて来た。
 ガトーが座ると、その隣にキャスバルも座る。軽く膝が触れ合っていたが、邪魔になる程ではない。
 子供特有の高い体温を感じる。コウと同じほどの温もりがあった。
 それに今まで気がつかなかった自分に顔を曇らせる。
 硬質な美貌や揺らぐことのない表情に、キャスバルを何処か人形の様に思っていた自分がいたのだろう。
 キャスバルとて、まだ五歳の幼児なのだ。コウよりずっと落ち着き払って冷静に見せていても、年相応の部分と手持ちあわせているものだろう。
 触れ合うのが好きではない様にも見えていたが、少し違ったのかも知れない。性格的に子供らしく甘えることなど出来ないだけだったのだとしたら、悪いことをしていた。

 ぽん、と柔らかな金の髪の上へ手を乗せる。
 キャスバルも、ガトーの体温を感じて落ち着いたのだろう。そのまま膝に寄りかかり、目を閉じる。まだ眠ってはいない様子だが、その時は近い様だ。
 ガトーはそっと、キャスバルを膝に抱き上げた。
 途端にぱっちりと目が見開かれ、驚いたようにガトーを見上げてくる。
「この方が眠りやすいのではないか?」
「…………いいえ。コウくんがおきたら、せんせいがこまるでしょう?」
「そんなことはどうでもいい」
 こんな子供にまで、コウばかりを構っている様に見えていたのではどうしようもない。
 キャスバルの目元を手で覆う。
 胡坐をかいたがトーの膝上は広く、子供の一人なら楽に身体を落ち着けることが出来た。
「構わないから、眠れ」
「…………はい……」
 寝心地のいい体勢を探して暫くごそごそとしていたが、そのうちたくましい太腿の付け根へ頭を乗せて身体を丸め、キャスバルは小さく息を吐いた。
 溜息など、子供が吐くものではない。
 不愉快に思いながらも、繰り返しキャスバルの艶やかな髪を撫で続ける。

 そのうちにキャスバルが寝入ったのを感じて、ガトーも仕事に戻った。
 コウに手がかかりすぎて、他が散漫になっているのかもしれない。もう少しコウの自立を促すと共に、担任している子供達に気を配ることを一層心に決めた。

 そして数十分後。
 子供達の目が覚めた後の惨状は、また別の話。



作 蒼下 綸

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