ガッシャーーーーーーーン!!

「あ……」
「…………ぁ」

 大切なものが割れた。
 壊れた。

 ガラスの割れる音を聞いて先生達が飛んできたけれど、割った張本人達は一歩も動けなかった。









「うっ……ひっく……」
 先に泣いたのは、青い髪の、とても美しい子供だった。陶器のような皓い肌が、一瞬にして紅く染まっている。
「あ……なかないで……」
 小さな手で一生懸命青い髪を撫でる。けれども、泣きやむ気配は全く見えない。

「どうしたの? ジュドー、カミーユ? ああ!! 割れちゃったのか……。二人とも、怪我はしてない?」
 真っ先に飛んできてくれたのは、カミーユもジュドーも大好きなアムロだった。
 床に、割れたガラスと何種類ものお菓子が散らばっている。
 いつもだったらアムロが側にいるだけで機嫌のよいカミーユだが、今日はそういう訳にもいかないようだった。
 そんなカミーユの様子に少し困った顔をして、アムロは泣いているカミーユを抱き上げた。
 華奢な腕の何処にそんな力があるのか、カミーユに続いてジュドーまで、片腕ずつで抱き上げる。
「ファ、片づけ、頼むね」
「はい」
 続いて駆け付けたファに割れたガラスの処理を頼むと、アムロは二人を連れて人気のないサンルーフへ入った。






「何があったのかな?」
「……なんにも」
 アムロが優しく尋ねても、ジュドーはそれどころではなかった。泣いているカミーユを何とか慰めたいが、どうすればいいのか分からなくておろおろしている。
「……ないちゃやだよぅ……」
 小さな手がカミーユの涙を拭おうと必死だ。次第にジュドーの目も潤んでくる。
「ごめんね……やなのに、ごめんね……」
 一生懸命謝るジュドーに、ただカミーユは首を振り続ける。

「……なんで、おまえが……あやまるんだよ……っ……」
 洟を啜りながら、カミーユはキッとジュドーを睨んだ。けれど、泣き腫らした目では迫力も半減だ。
 ジュドーは何を言われているのか分からなくて、きょとんとした顔でカミーユを見詰めた。
 やっぱり綺麗だ。どんな様子でも、ジュドーはつい見惚れてしまう。
「……おまえ……ばかだろ…………」
 そんな暴言も聞き流してしまう。聞き流さなかったのはアムロだけだった。
「カミーユ、だめだよ。バカなんて、人に言っちゃいけない」
「だって……ばかだもん……」
「カミーユ!」
 いつも優しくてにこにこしているアムロが怖い顔をしたので、カミーユは口を閉じて俯いた。
「だって……わるいのはぼくで……なのに、なんで……こいつがあやまるんだよ……」

 ほとんど呟きだったけれど、その声はちゃんと、アムロにもジュドーにも聞こえた。
「ええと……わるくないよ。やなの、あげるっていったから……おれがわるいんだよ?」
「何があったのか、先生にちゃんと話して欲しいな。そうしたら、どっちが悪いのか分かるし、悪い子が、ごめんなさいすればいいんだからね」
 カミーユとジュドーの頭を優しく撫でて、アムロは床に座って二人を膝に抱き上げた。
「何か、割れちゃったんだね」
 こくり、と二人揃って頷く。
「何が割れちゃったの?」
「ビン……おれがサンタさんにもらったの。えっと……かみーゆにあげたかったの。だから、くださいってしたの。そしたらくれたの。でもね、かみーゆはやだったの。だけど、」
「ちがう!! いやじゃない!!」
 ジュドーがたどたどしいながら一生懸命説明しようとしたところを遮る。カミーユはまたぽろぽろと大粒の涙を零しながら、唇を噛んでいた。
「いや……じゃない……」
「ほんと?」
 しゃくり上げて上手く声が出せない。カミーユはただこくこくと頷いた。しかし、それで十分に伝わる。不安になり半分以上泣きかけていたジュドーの顔が、一瞬にして笑顔に変わる。
「よかった!!」
「だからっ……なんでおまえ……おこらないんだよぉ……」
「なかないでよぅ〜」
「カミーユ。君は、自分が悪いことをしたって思ってるんだね」
 二人の言っていることを聞いて、頭の中で繋ぎ合わせる。

 割れたガラスの瓶。
 散らばったお菓子。
 そしてジュドーが言ったことを合わせてみると、何となくだが状況が見えてくる。

「ねえ、カミーユ。ジュドーが言ったことが少しでも違っているのなら、カミーユも説明してくれないかな? 先生、そこにいなかったし、見てなかったから、よく分からないんだ」
 視線を合わせ、困ったようにカミーユを見詰める。
「わかんない……」
「でも、カミーユはそこにいたんだよね?」
「だけど……わかんない」
「そっか……ええと、カミーユ、でも、どうしてかビンは割れちゃったんだね」
「ちがう! われたんじゃなくて……わったんだ。ぼくが……」
 むきになって反論する。カミーユの罪悪感の根元が分かって、アムロは少しほっとした。

「分からないのは……ビンを、その……割っちゃった状況についてではないんだね」
 アムロの質問に、カミーユはこくこくと頷いた。
 カミーユはとても頭のよい子だ。そしてプライドも高い。アムロがカミーユを知ってから、カミーユが感情的に流した涙など数えるほどしか見たことがない。
 一つ年下のジュドーよりはずっと口も立つし、説明も明瞭に出来る筈だ。
「何が、分からないのかな?」
 焦らず、一つ一つ確かめていく。カミーユが大泣きするなど、きっと、彼にとってはとても重大なことなのだろう。
「いやじゃなかった……わるつもりなんてなかった…………べつに……おまえのことだって、きらいじゃ……ないし……」
「ほんと? でも、いっつも、きらいって……」
 ジュドーの澄んだ緑色の瞳が喜びと不安に揺れる。
「きらい……じゃない……」
 カミーユはまともにジュドーの顔も見られないようで、俯いたままだ。
 アムロはカミーユの頭を撫でて軽く抱き寄せた。何となく、カミーユの気持ちが分からなくもない。

「話を少しまとめてみようね。……ジュドーは、カミーユにプレゼントをあげたくて、サンタさんにお菓子の入ったビンをお願いした。サンタさんはお願いを聞いてくれて、ジュドーにプレゼントをくれた。ジュドーはそれをカミーユにあげようとしたんだけど、どうしてかカミーユはいらないって言っちゃった。それでもジュドーがプレゼントを渡そうとしたから、カミーユはつい、ビンを落として割っちゃった……これであってるかな?」
 二人の顔を交互に見て表情を窺いながら、一つ一つ確認する。

「……あってる、とおもいます」
「あってまーす。だからね、おれがわるいの。いらない、っていったのに」
「うん。そうだね。人が嫌がってることはしちゃだめだね。でも、もう、ジュドーは十分謝ったよ。ねえ、カミーユ?」
 今度は、ジュドーの頭をよしよしと撫でる。ジュドーは心地よさそうに目を細めた。
「うん……おまえは、わるくないし……わるいのは、ぼく……」
 また、瞳に涙が溢れる。
 アムロはハンカチを出して、カミーユのもう既に涙でべたべたになった頬を拭いた。
「……カミーユは、自分のどんなところが良くなかったと思う?」
「きらいじゃないのに、こいつのこときらいって、なんかいもいったし……こいつがプレゼントくれるっていうの、うれしかったのにいらないっていっちゃったし、それに、せっかくのプレゼント、こわしちゃったし……」
 洟まで垂れてくる。ジュドーはせっかく綺麗なのに勿体ないと思った。しかし、それでも、やっぱり大好きな人に変わりはない。
「じゃあ、カミーユは、もう自分がジュドーになんて言えばいいのか、分かってるね?」
「はい……………………ごめんなさい……」
 カミーユは深く深く頭を下げた。
「え? なんで……かみーゆさんが??」
「いいんだよ、これで」
「???」
 ジュドーには何がどうなったのかよく分からなかったが、アムロがにこにこしていたので、何となく納得した。

「ファ、ちゃんとお菓子はよけてあるよね?」
 アムロの一言に、二人の園児はぱっと後ろを振り返った。そこには掃除を終えて、ビンに入っていたお菓子を袋に入れて持ってきたファがいた。
「ええ、勿論」
「じゃあ、先生達のお部屋に行って食べようか。本当は保育園にお菓子を持って来ちゃいけないし、食べるのもダメなんだけど……クリスマスだからね。特別」
「えっと……ほんとはいやじゃないんだよね? だったら、ぜんぶ、かみーゆさんのだよ!」
 にっこり笑って言うジュドーに、カミーユの表情はかなり複雑だった。
「いいよ。おまえがサンタクロースにもらったんだから」
「だって、かみーゆさんにあげるためにもらったんだもん。だから、かみーゆさんのだもん」
「だって、おまえ…………」
 言いかけて、カミーユは口を開いたまま止まった。何と言えばいいのか分からない。

 カミーユは、ジュドーの家があまり裕福ではないことを知っていた。
 ジュドーやその妹のリィナが着ているものは、お世辞にもきれいだとは言い難かったし、朝夕に送り迎えする母親も、とても疲れてみすぼらしい感じがしているからだ。朝一番に保育園に来て、延長保育ぎりぎりの時間に帰るカミーユは、殆どの園児の親を見知っていた。ジュドーはクリスマスや誕生日以外にプレゼントなんて貰ったこともなさそうだった。
 けれど、ジュドーの母親はとても優しそうだったし、とてもジュドー達を可愛がっていることは分かる。それがカミーユには羨ましかった。
 自分の家とは正反対だと思う。
 欲しいものは何だって買ってもらえるし、クリスマスや誕生日でなくても、大抵ねだればどうにでもなる。
 そう、ただし、両親はそんなに優しい人達ではないように思えていた。

「ええと…………いちねんで、じぶんで、ほしいものをおねがいできるひなんて、たんじょうびとクリスマスしかないのに……おまえ、そのいっかいを、なんでじぶんのためにつかわないんだよ」
 カミーユは頭の良い子だった。言葉を選ぶと言うことも知っていた。人と距離を置くことも。思いやることも。ちゃんと知っている、良い子だった。
 アムロとファは思わず顔を見合わせて、微かに微笑み合った。
「だって……プレゼントもらったらうれしいでしょ? だから、にっこりなるもん……。おれ、かみーゆさんのわらったおかお、みたことないから……だから、それが、おれのサンタさんへのおねがいだもん!」
 今度こそ、カミーユは言葉を失って立ち尽くした。
 もう、これ以上、言える言葉が見つからない。
 唇を噛み締めた。後から後から、涙が溢れ出してくる。

「なかないでよぅ〜〜。ねぇ、やっぱり、いや? ごめんね。ごめんね〜〜」
 カミーユが激しく泣き出したのに連鎖して、ジュドーまで大泣きを始めてしまう。
 慌ててアムロがカミーユを、ファがジュドーを抱き上げた。
 アムロは心の底からこの職業に就いて、こんな子ども達に会えたことを感謝しながら、カミーユをゆらゆら揺すった。
「二人とも、本当に優しいね……。あのね、こうしたらどうかな。ジュドーはカミーユにプレゼントしたいんだから、カミーユはそれを貰えばいいし、カミーユは、サンタさんの代わりになって、ジュドーにお菓子をプレゼントしてあげればいいよ。お菓子を独り占めして全部一人で食べちゃうより、二人で半分こして食べた方がきっと美味しいよ。そうしたら、きっと、ジュドーもカミーユの笑ったお顔、見られるんじゃないかな?」
 アムロの優しい優しい、でも少し困った声を聞いて、二人は少しだけ泣きやんだ。そして、アムロの提案を考える。

 …………それは、素晴らしい提案のようだった。

 勿論カミーユもジュドーも、お菓子は大好きだった。
 少しだって食べられるに越したことはないし、アムロの言うとおり、それはとても美味しそうだった。

 その後、4人は職員室で、ブライトやガトーにやや渋い顔をされながらお菓子を食べた。
 4人、というのは、カミーユもジュドーもとてもいい子だったからに他ならない。

「……でも、おまえ、しつこくぼくのなまえきいてたくせに、ぼくのなまえ、しってるじゃないか」
「えへへ〜。だって、あむろせんせーがよんでたもん。だけど、かみーゆにおしえてほしかったんだもん」
「ちぇっ……」

 ぷうっと頬を膨らませる。
 それでも、何故か、今年のクリスマスはいつもの年よりずっと、暖かい気がした。
 そして思わずふわりと微笑んだのを、ジュドーは見逃さなかった。

 それは本当に、本当に綺麗で。
 ジュドーはぽとり、と銜えかけていたクッキーを膝に落とした。


作  蒼下 綸


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