唇に触れ、悲しげな笑みを洩らしたその時、再びアムロの部屋の戸が開いた。

「っ……シャア!」
「今、時間は構わないか?」
「…………いつからドアの外にいたんだよ」
 睨んではいるが、プレッシャーにも覇気がない。クワトロはアムロの問いに答えず歩み寄り、柔らかなラインを持った頬に手を添えた。

「ウラキ中尉と何かあったのか?」
 尋ね方が白々しい。
 親指が、まだ少し濡れているアムロの唇に触れる。アムロは勢いよくその手を払い、クワトロを睨み付けた。
「今はそんな気分になれない」
「何かあったのかと聞いている」
 不遜なクワトロの態度が気に障り、アムロは顔を背けた。

 何故か胸が苦しい気がする。服を軽く掴み、痛みと気分の悪さに堪えた。

「どうせ聞いていたんだろ。……ちょっとキスしただけだ。貴方には関係ない」
「ウラキ中尉との口付けだけで、何故そんな表情をする」
 大きな両手がアムロの頬を包む。

 途端、二人の間を得も言われぬ感覚が走り抜けた。闇と混然とした宇宙が脳裏を過ぎる。

 クワトロは思わずアムロから手を引き、一歩離れる。アムロはアムロでクワトロを突き放し、逃れる様に背を向けた。自分の身体を掻き抱いている。顔を苦しげに歪めていた。

「アムロ、今のは……」
 クワトロには先程の感覚がひどく哀しみと苦痛に満ちたものに思え、もう一度アムロに手を伸ばそうとした。しかし、寸でのところでそれを躱される。

「本当に厭なんだ。触らないでくれっ!!」

 アムロの叫びが悲痛に響く。益々身を縮まらせる様子を見て、クワトロは重く溜息を吐いた。
「アムロ……君が何を苦しんでいるのか、口にしてくれなくては分からないではないか」
「……分からなくていい」
 子供染みた口調と仕草で拒絶され、クワトロは自嘲の笑みを唇に浮かべた。
「私は君に苦しんで欲しくなどないのだよ」
「……ちょっと……コウに当てられただけだ」
「ウラキ中尉…………ガトーか」
 アムロはクワトロを振り返り、伏し目がちに苦笑しながら緩く首を振った。
「違う。ただ、コウが……あんまり純粋で可愛いから……羨ましくなっただけだ」
「君だって十分に可愛らしいさ」
 アムロははっきりと顔を伏せ、薄い肩を震わせた。クワトロにはアムロの行動の意味が掴みきれない様で、困惑した表情を浮かべる。

「俺はコウ程純粋にはなれないよ。もう……若くないんだし。コウがガトー大佐に寄せている様な全幅の信頼を貴方に託す事なんて出来る筈がないだろう。貴方は、本当は……敵、だったのに…………」
「下らない事にいつまでも囚われていて欲しくないな」
 クワトロの声音が微かな怒気を孕む。

「言ったろ。俺はコウ程純粋じゃないんだ。それに、あれ程若くもない。……貴方が望む事や、貴方の歩もうとしている道も、ある程度見える様になってる。……これ以上、本当は貴方と話すのも厭なんだ。貴方を殺してしまいたくなる」

「殺せばいい。君を抱いている時の私は、この上もなく無防備だ」
 クワトロはサングラスを外して胸ポケットに差すと、アムロを真っ直ぐに見詰めた。視線を感じ、アムロはより一層クワトロからその身を隠そうという仕草を取る。椅子に足を上げ、膝を抱えて顔を埋める。
「……だが、君が冷静になるまで待とう。今日の所はこれで失礼する。触れても欲しくない様だからな」
 詰ると言うよりは、ひどく気遣っているのが分かる。出て行こうとするクワトロの気配に、思わずアムロは顔を上げた。

「馬鹿シャア」

「…………聞き捨てならないな」
「何でそんな、無駄に優しいんだよ!」
「私はいつだって優しいだろう」
「自分で言うなよ!……抱けよ」
「君が頭を冷やす事の方が先だ。それとも、そんなに切羽詰まるほど、私を殺したいのか?」
「抱けったら!! 貴方としてる最中に、どうせそんな余裕ないだろ!?」
 アムロは椅子から飛び降り、クワトロの首に両腕を回して抱き付いた。

 そのまま噛み付く様に唇を合わせ、深く口接する。

 再び二人の間を闇が通り過ぎて行く。しかし、それは直ぐに熱に満たされ、拡散して行った。

 クワトロは適当にアムロに応えながら、その様子を窺った。
 苦しそうで、更に切なげ。だが、自分を感じようとしてくれている事はよく分かる。
 アムロの思考回路はひどくナイーブな上、とんでもなく複雑怪奇に出来ているとクワトロは認識している。どうすればアムロが傷付かず、少しでも安らげるのか……クワトロにとっては永遠の命題だった。

「ん……ぁ……」
「これは……ウラキ中尉か……」
「……ん……何?」
 クワトロが何を言っているのか理解出来ず、快楽に潤んだ瞳を向ける。クワトロはその視線に煽られながら、アムロの唇や、そこから溢れ出た唾液を舌先で辿る。
「いや、味が少し、な」
「味?……何変態くさい事言ってるんだよ。そんなの分かるものか」
「分かるさ。君のか、そうでないかくらいはな」

「……変態」
「愛する人間だけは分かるものだ。君以外のなど分かるものか」
「…………それって、ありがたがって欲しいとでも?」
「そうじゃない。君の事だけは本気なのだと、信じて欲しいだけだよ」
 クワトロのアイスブルーの瞳を何故か暖かみのあるものに感じ、アムロは慌てて視線を反らせた。

 呑まれるのが怖い。抗えなくなるのが怖い。

「……分かってるよ」
「アムロ……!」
「ほら、抱けってば」
 クワトロの手を取り、自分の双丘へと導く。
「さっきまで触れても欲しくないと言っていたのは誰だったかな」
 未だ、視界の端に闇がちらつく。クワトロは微かに気を取られながら、アムロの耳元に唇を寄せた。
「さぁね……」
 妖しく動き始める手に感覚を集中させる。目を閉じ、身体をクワトロに預けた。

「今日は……酷くして欲しい」
「……君からそんな要求を受けるとは思っていなかった。こんな様で、本当にウラキ中尉と何事も起こらなかったのだと……君は信じろと言うのか」
「本当にキスだけだよ。ちょっと深いけど。ただ……あの子の唇を初めて汚したのは僕らしい」
「ほう」
 少し意外な思いに、クワトロは微かな声を漏らした。

 あそこまで純粋に慕って来る者があれば、クワトロならとうの昔に閨で美味しく頂いている。ガトーの甲斐性がないのか、余程鈍いのか、堅物なのか……最後の一つを取り敢えず自分の中で結論付けた。

「ニナよりガトー大佐と一緒にいたいんだってさ。それに、臆面もなく好きだって。もしガトー大佐がDCに戻っちゃったらどうするのって聞いても、大佐が自分の信念に基づいて戦ってる限りは……傷つかないし、礼儀を守ってあえて敵対するんだ、って言ってた。それが……凄く純粋で、清冽だったから……」
「それで、羨ましい、か」
 アムロはこくりと頷いた。

 クワトロはそんなアムロの様が堪らなく愛おしくて、強く抱き寄せ髪に指を絡めながら撫でる。
「やめろよ。子供じゃないんだから」
「ふむ……可愛がり方というものは、そんなにバリエーションがあるものではないのだな」
「可愛くない」
「可愛いさ」
「俺の歳、分かってる?」
「……それは、ここでは何よりのタブーだぞ」
 ぴしりと動きを止めて低く呟いたクワトロに、アムロも何かに気が付いて口を噤む。
「可愛いものに年齢も何も関係ない。そうだろう?」
「……分かったよ」
 これ以上の議論も無駄である。アムロはあっさりと引き下がった。

「…………アムロ、君は、私がもし、敵対する事になったら……」
「何言ってんの。貴方が味方にいる事自体が何かの間違いなんだから。全力で倒してあげるよ。俺が貴方を、貴方が俺を倒そうとするのは、コウが大佐を追うのとは違う。大体、貴方、俺に勝てる?」
 勝利者の笑みを浮かべる。クワトロはなかなか返す言葉を思い付かず、軽く頭を掻いた。
「……今の力では無理かも知れないな」
「能力値見てごらんよ。数値化されてるの。……勝てる、って思える? 機体の性能も含めてさ」
「……分かっている。君には誰も勝てない。私も含めてな」
 そうだろう、と大仰に頷いてみせる。

 不安定さを何とか押し隠せるまでには、アムロは大人になっていた。
 その事を微かに残念に思う自分がいる事に、クワトロは苦笑を洩らす。

「でも今は……貴方と敵対したくないな。……本当に殺せる自信がない」
「私は君の味方だ。この先どんな事があってもな」
 頬に掛かる赤茶けた髪を長い指で梳いて、耳朶を擽(くすぐ)る。アムロは微かに身を捩った。
「嘘はいいよ。…………いや、嘘じゃないのか。……だから厭なんだ。だから殺せない。……あーー、もう!! いいよ。何も考えたくないんだから!」

 言うなり、いきなりクワトロのベルトに手を掛け、解く。
「……いつもながら厄介な服だよね。それに……脱ぐ過程を見ると百年の恋も一気に冷めるよ」
 そう言いつつ、手慣れた動作でクワトロの服を脱がせて行く。クワトロは大人しく、アムロに任せていた。
「君も冷めてしまったか?」
「別に。初めから恋なんてしてないから」
「私達は恋人同士ではなかったかな」
「セックスフレンドの間違いだろ」

 クワトロの服を脱がせ切った後、自分もぽいぽいと脱ぎ散らかしていく。脱皮にも似たその潔さに、クワトロは秀麗な眉を微かに顰めた。
「君は相変わらずだな」
「何が?」
「……自由なところがだ」

 はぐらかして、唇にキスを落とす。
「ん……自由なんかじゃないよ」
「君の心は誰に縛ることもできない」
「縛られてるよ。何もかも」
「……それでも君はそんなに強い」
 啄む様な口付けを繰り返しながら、二人ベッドへと雪崩れ込む。
「強くなんてないよ……」

 指が絡み合い、アムロは寝台に縫い止められる。その指先から伝わるクワトロの思惟にアムロは浅く息を吐いた。

「そっか……」

「ん?」
「貴方が俺を求める理由と、今の俺の不安定さとの繋がり」
 柔らかな皮膚に紅斑を散らされながらも、アムロは淡々と答える。
「だから俺、コウとキスしちゃったんだ」
「そうか……」
「純粋さもそうだけど……コウの強さが羨ましくて。……人はより強い魂に引かれるものだから。貴方……何故か俺の事を強いとか、思ってるみたいだし」
「現に君は強いよ」
 それに対する答えはない。アムロは既に思考の迷宮の中にいた。この状態の彼は、そう簡単には出て来ない。

 クワトロは諦め混じりの苦笑を洩らし、行為を続ける。
「抱けと言ったのは君だろうに」
「ん────……」
 絡めた指に力を込めても何の反応もない。

 片手を引っ張り、アムロの指先に口付ける。長年の機械弄りの結果染みついたオイルが沈着してしまっている。技術者の手らしく、指先は固くかさついていたが、それが尚の事美しく思えた。

「アムロ……このままでは、私はウラキ中尉にあらぬ嫉妬をしてしまいそうなのだが」

「……うん……」
 思案に暮れる瞳は、それはそれでクワトロの好むものでもある。しかし、反応も返さない人形を抱きたいと思える筈もない。

「せっかく君から誘ってくれたというのに……」
 形は十分に華奢な指先を口に含む。舌で舐め転がすと、身体だけは反応を返してぴくりと震えた。
「誘うだけ誘って放り出すとは……私は孤独で死んでしまいそうだよ、アムロ……」
「……何馬鹿なこと言ってるんだよ。貴方、自分が兎だとでも言いたいの?……せっかく分かりかけたのに……貴方の思ってる事とか考えてる事とかが邪魔で分からなくなっちゃったじゃないか」
 大人しくクワトロのなすに任せたままで、アムロは不機嫌そうに睨んだ。
「もう分かったのではなかったか?」
「……それじゃなくって……じゃあ、どうして俺は貴方とこんな事になっちゃったんだろう、って」
「そんな事か」
「そんな……って、俺にとっては結構大きいことなんだよ」

「自明の理だよ、アムロ。私が君に触れたいからだ」

 手にしたままのアムロの指を、付け根の方から舌先で辿る。
「っう……」
「やめたまえ。傷が付く」
 唇を噛んだアムロを制し、顎を掴んで口を開けさせる。そこへ自らの指を入れ、軽くかき混ぜた。
「ん……ぁ……」
 長い指に舌を絡める。立つ濡れた音に羞恥を覚えアムロの頬が微紅に染まる。アムロの指を解放し、腰を強く抱き寄せる。首筋に顔を埋め、紅い刻印を印す。
「よく舐めたまえ。辛いのは君だ」
「ぅ……ん……」
 羞恥は煽られるが、行為自体にはすっかり慣れている。アムロは躊躇いなくクワトロの指に、愛撫とも言える動きで潤いを与えた。

「本当に巧くなったものだな。初めの頃は泣き喚くばかりだったのに」
「貴方が強姦したくせに」
 ちゅぽんと濡れた音を立ててクワトロの指を口から出す。
「人聞きの悪い。あれは合意の上だったろう」
「ふん。忘れたよ、そんな昔のこと」
 潤った指が身体の上を彷徨う。乳首を掠め、臍を撫でて下肢を割る。茎に長い指が絡み、アムロは白い喉を晒して仰け反った。

 しかし、そこへの愛撫もつかの間。性急に花蕾へと触れる。
「気の早い」
「君があまりに可愛いものでね」
「……聞いていい? 貴方、羞恥心、って言葉、知ってる?」
「知っているとも。花が君に対して抱く心だ」
「……………………貴方、熱でもあるんじゃ……」
 アムロは手をクワトロの額に当てた。指先が微かに傷跡に触れる。
「うむ……そうかも知れないな。君が私の体温を否応なく上げてしまうのだ。仕方なかろう。…………しかし、君も十分に熱い様だが?」
 襞をなぞっていた指がつぷり、と入り込む。
「っん……俺、ほんとに……何で貴方なんかと……っ」
「決まっている。身体の相性が……」
 言葉は最後まで綴られることはなかった。凄まじいプレッシャーに圧され、口を噤む。

 アムロはプレッシャーを抑えると、浅く溜息を吐いた。
「確かにさ……貴方、上手いとは思うけど……それだけ男とも付き合って来たって事だよね?」
「……嫉妬か?安心したまえ。君は、私が抱いた初めての男だ」
 アムロの瞳が険しい光を帯びる。
「……ってことは、俺を抱いた後、他の男の人とも関係したんだ。ふーん……」
 図星らしく、クワトロは顔を引き攣らせて黙った。

 それでも何とかフォローに口を開く辺りは、十分に手慣れていた。
「……それでも、私は、やはり君が一番だと思う」
「いいよ。別にそんなフォローしなくたって……というか、却ってむかつくから言うなよ」
「いや、別に閨房の事だけを言っているのではないぞ」
「……っあ……」
「当然、それも含むがね」
 声を押し殺し損ねたアムロの様子に、主導権を取り戻した気分になってにやりと笑う。

「貴方さぁ……俺を女の人と同じだと思ってない?」
「まさか! 何故そう思う」
「………………やっぱりコウが羨ましいよ」
「心外だな。私よりガトー大佐の方がいいと言うのか?」
「そこを……強調するなよ、大人げない。…………ただ、ちょっとだけ……貴方に付き合い始めた頃の事を思い出しちゃっただけだから」
 蠢くクワトロの指に堪えながら、ちろりと睨む。熱に潤んだ瞳がいやに扇情的で、クワトロは言葉の半分を聞き逃した。

「初々しいよね、二人とも……男同士だって事に躊躇って…………何か、俺ばっかり悩んでるみたいでむかつく」
「失敬だな。私だって悩む事くらいある」
「………………言わなくていい。分かったから」
 アムロは深く深く溜息を吐いた。
「これ以上何かされたら俺の身体が持たないだろ。悩むくらいなら、少し控えて欲しいんだけど」
 僅かに影の差した目尻に唇を寄せる。憂い顔さえ艶めかしく見えた。
「難しいな。何分、君がひどく魅力的なのが悪い。それに……」
「何?」
「私が誘わなかったら、他の誰かが君を誘うだろう。それは面白くない」
「何言ってるんだよ。貴方以外の誰が俺にこんな…………こと……するって言うんだよ」
「…………相変わらず初い反応をありがとう、アムロ。しかし、未だに自分事には疎いのだな。私の苦労も察して欲しいものだ」
 やれやれ、と溜息混じりの台詞に、アムロは心底気の毒そうにクワトロを眺めた。
 とうとう気でも違ったかと言わんばかりである。

「まあ、そうして君が純朴でいてくれるから、私も落ち着いていられるのだがな」
 苦笑を洩らし、軽く唇を触れ合わせる。
「もう何度、似た様な会話を繰り返したかな」
「ん……分かんない。でも確かに、何回も言ってる気がするな……」
 繰り返し浅いキスを繰り返す唇を舌で辿り、続きを強請る。

 もう、これ以上の会話は無駄だ。
 それよりは、身体の芯に灯った燻る熱をどうにか逃がしたかった。
 クワトロは望み通りにアムロに深い口付けを与え、更には埋められた指の本数を増やした。
「んぁ……」
 つ、と細い腕が伸ばされ、クワトロを抱き寄せる。
「こう……さ、せめて、悩んだり、ときめいたり……そういう期間が欲しかった……のに……っぁ……」
「今は悩んでも、ときめきを覚えてもいない、と言うことか?」
「…………ぁ……や、そこっ…………」
 全てを知り尽くした指が、とある一点を逃さず捕らえる。アムロの細い肢体がびくりと跳ねた。クワトロの背に爪を立てる。
「私は、初めての時と同じ様に、君に触れるだけでこんなに昂ぶる事が出来るというのに」
 焦らす様に、掠めるだけの動きが続く。
 アムロは涙に潤んだ瞳でクワトロを睨んだ。
 その視線に、直接的な欲望がクワトロの背を駆ける。

「シャア……もう、いいから……来てよ」

 掠れた声音が堪らなくそそる。
「……結局君だって私から離れないのだろう?」
「だって貴方……俺に拒まれたくないだろ?」
「私としては君にも楽しんで欲しいのだがな」
「ばーか」
 するりと滑らかな足がクワトロの腰に絡む。

「来てってば……」

 甘い囁きと、混じる吐息がクワトロの耳を擽る。
 しかしクワトロはアムロの中から指を抜かなかった。
「まだ少し早いぞ」
「いいよ。少し痛いくらい、我慢できるし」
「我慢などして欲しくない」
 少しむくれて駄々を捏ねるように言うクワトロの額、傷の上に軽い口付けを送る。
「……本当に馬鹿なんだから。何で俺が貴方の望み通りに動かなきゃならないわけ? 俺のこと好きだって言うなら、俺の言うことだって聞いてよ。だから無駄に優しい、っていうんだ」
「そうは言うが……私は君の涙に弱いのだよ。啼かせるのは本望だが、泣かせたくはない」
「そう? でも、俺は今まで、貴方のおかげで沢山泣いてきたよ。今更じゃない」
 縋る様に腕の力を強める。
「いいから……来いよ。貴方らしくもない。…………ね、何も、考えたくないって、言ったろ……?」
 欲望に濡れた瞳が輝く。
 クワトロは引き寄せられるように口付けを落とし、アムロの望み通り、やっと指を引き抜いた。

「……………………馬鹿シャア」

「何だ? せっかくの君からの誘いだったのだ。君も随分と乗り気だったではないか」
「……馬鹿シャア」
 アムロは頬を膨らませ、枕を抱えたままクワトロを睨み付けた。泣き腫らした目元は未だに紅く、潤んだ目も元には戻りきっていない。

「馬鹿」

「それしか言うことはないのかね」
「……馬鹿ぁ……」
「機嫌を直したまえ」
 アムロの額に軽く口付けを与える。条件反射で目を閉じたその瞼にも。頬にも。そして、唇にも。
「……どうしてくれるんだ。今日の仕事、全然出来なくなっちゃったじゃないか。……誰がここまでしていい、って言ったんだよ!」
「君の分まで十分に私が働こう。幸い、気分も良くすっきりとしていることだしな」

「…………聞いたよ。今の台詞」

 きらん、とアムロの目が光る。

 ごそごそと枕の下を探る。少し動く度に疼痛が走るらしく、秀麗な顔がその度歪んだ。

「……ちゃんと録音したからね」

「…………………………は?」

 アムロは枕をクワトロの顔面に投げつけた。ギリギリの所で受け止める。その鼻先に、何かが突きつけられた。
 かちり、と小さな音がする。

──君の分まで十分に私が働こう。幸い、気分も良くすっきりとしていることだしな──

 何処かで聞いたような声が流れ出した。少しハスキーな、色気のある男の声。そして、内容。

「なっ……」
「あー、よかったぁv 昨日の晩コウが来てから中断したまま、貴方とあんな事になっちゃったから、全然仕事できてなかったんだよねぇ」
 得意げにマイクロテレコのスイッチを切りながら、アムロは実に晴れやかな笑みを浮かべた。

「戦闘と書類整理。あ、書類、これだけじゃないから、艦長室に取りに行ってね。それから、食堂の空調のメンテナンス。効きが悪いみたいだから。あと、ジュドーとシーブックの機体整備の手伝い。カミーユくらいMSに詳しいんだったら心配しないんだけど、あの二人はまだ不安だからねぇ。アストナージもスーパーので忙しいし。スーパー系は自分でメンテナンス、っていうのもなかなか難しいみたいだから。勿論、自分のもちゃんとしろよ。貴方が死んだら後味悪いし。ええと……ああ、そうそう、この間補充された備品の整理、細かいものが多いから、あんまり人にも頼めなくて……僕が発注書書いたしねぇ。でも、自動ドアのモーター、総計が10個切ってるみたいだったら、発注し直しといて、プラス10個くらいで。誰かが喧嘩する度に一つは壊れるからねぇ。それと……」
「ま、まだあるのか!?」

「俺の分まで十分に働いてくれるんだよね?」

 青冷めて口を挟んだシャアに、これ以上はない程の極上の笑みで応えてみせる。

 そう。どれだけ年相応には見えない可愛らしい容姿をしていようとも。
 アムロはこの凄まじいまでの寄せ集め軍団をまとめ上げる副艦長殿にしてパイロット統括。
 見事なまでに、食えない性格だった。

 しかし、そう成長してしまった経緯に少なからず自分が絡んでいることには全く思い至らないシャアだった。そして、この手で何度墓穴を掘ったか分からないのに、学習能力というものとも疎遠な男だった。

「あ、さぼったら、今のテープ、艦内放送で流すから」
「…………アムロ……………」

 心なしか目頭が濡れている。
 ふらふらしながら、まずデスクの書類を纏め始めたその背に、アムロは小さく舌を出して見せた。

「……そろそろ俺がこんな小細工しなくて済むようにして欲しいんだけどな……」

 クワトロには聞こえないように小さく呟く。
 そして、滲むような暖かな微笑みを浮かべた。


作  蒼下 綸