「クワトロ大尉、ご苦労様です。地球から戻って早々に申し訳ないが、ブリッジまで来て貰えないか」
 格納された金色の機体をモニターに見て、ブライトはほっと息を吐く。
『艦長も人使いが荒いな。……了解した。直ぐに行く』
 耳触りのいい声に、沸き上がるのは安堵と同じ程の不安だった。
 無事に戻ってきてくれた事は嬉しいし、地球からカツを伴って帰ったというのも心強い話だというのに。
 地球と宇宙、それもいつ戦闘状態に入るか分からない戦艦では通信もやっとで、ブライトは知りたい情報を未だ詳細には手にしていなかった。

「クワトロ・バジーナ、ただ今帰還した、艦長。無事で何よりでした」
 綺麗な動作で敬礼され、軽く返す。
「大尉こそ、よくご無事で」
「いや……強力な助っ人があったからな。だが、惜しいパイロットも亡くした」
「……ああ。ロベルト中尉は、いいパイロットでした」
「仕方のない事だがな。新たなパイロットの補充が気がかりだ」
 言葉と態度以上に悲しんでいる事は、雰囲気から分かる。
「ジャブローに関してと、現状の地上に関する報告書はここに。ロベルトの件は未だ纏まっていない」
 出力はしておらずデータの入ったディスクを手渡す。
「確かに。それで……休む前に、少し構わないだろうか」
「何だろう。叱られるようなことでもしたかな、私は」
「そうではない。その……貴方が地上で会った者達について、聞きたい」
「私でいいのか? カツ君の方が詳しいだろう」
「カツからは、またゆっくり聞く。久々に宇宙に出たカツの方が先に休んだ方がいいだろう」
「私の方が年寄りなのだがね」
「年寄りという程の歳ではないだろう、大尉」
「了解した。それで、艦長が聞きたいのは……誰の事だ」
 スクリーングラス越しながら、瞳が細められたのが分かる。
 薄い唇は微笑んでいたが、そればかりではない気配だ。
「大尉、艦長室へ。構いませんか」
「ああ。……聞かれては拙い事を尋ねるつもりかな?」
「そう言うわけではないが……プライベートだからな」
 キャプテンシートを降り、軽くトーレス達のシートに触れる。
「トーレス、後を頼む。アポリー中尉とカツには休むように伝えろ。カツの部屋は適当に空き部屋を指示してくれ。他何かあれば艦長室まで通信を回せ」
「了解しました」
 トーレスは隣のシーサーやサエグサと目配せを交わす。
 ブライトは咳払いをした。
「モニターの監視、怠るなよ。報告が遅れたら自習室行きだ」
「……了解!」

 艦長室でソファを勧め、向かい合って座る。
 湯の用意がなくコーヒーも紅茶も入らない。酒を勧めると、クワトロも拒まなかった。
「用意がいいな」
「たまには飲みたくなる事もある。秘密だがな。こんなものを持ち込んでいるのは」
「私も相伴に預かれば同罪だろう。…………それで」
 情緒はない。ストローを軽く歯で噛みながら吸わなければ中身が出ない仕様なのは、ドリンクサーバーのジュース類と変わらなかった。
 それでも、口にした時の酩酊感が心地いい。
 中身はストレートのスコッチだった。味わいから、なかなかの上物である事が分かる。
「グラスに入れてゆっくり楽しみたいものだな。こんな上物は」
「折角だからな。……父方の叔父が旧UKにいるから取り寄せて貰った」
「有り難いことだ。こうして私まで美味い酒にありつけるというのは」
 それなりに強い酒だが、顔色一つ変えず堪能する。ブライトが話し始めるのをそうして待った。
 急かす様な視線も寄越さないクワトロにその意図を知り、ブライトは息を吐く。
「……アムロに、会ったのだろう?」
「よく知っている」
「良くも悪くも、あの名前は大きい。カラバからの通信の中に、名前があった」
 ブライトも酒を口に運ぶ。
「生きていてくれただけでも……ありがたいんだろうな」
 一気に煽って容器を握り潰す。ブライトらしくない飲み方の様に思えて、クワトロはスクリーングラスを外して様子を伺った。
 あまり一気のみを勧められる度数の酒ではない。
「何時敵襲があるか分からないこの状況では、褒められた飲み方ではないな」
「…………アムロは、まだ戦っているのか」
 何処か目が据わっている。
 クワトロは軽く肩を竦めた。
「合流して直ぐには怯えていた。だが……吹っ切って、私達が宇宙へ上がる手助けをしてくれた。見事な戦い方だったよ。共に宇宙へ上がれなかったのが残念だ」
「七年も経っている。それなのに、何故……アムロはまた戦う道を選んだんだ」
「艦長?」
 拳がテーブルへと叩き付けられる。
「彼が自分自身を取り戻し戦ってくれるなら、我々の勝利もまたより確かなものになる。何を危惧している」
「アムロは、戦うべき人間ではなかった。私や、貴方とは違う。彼は……」

 WBが生き延びられたのはアムロの力による部分が非常に大きい。サイド7を出航した日から、ア・バオア・クー陥落、WBが沈んだ日まで。
 勿論、アムロ一人だけの力ではない。
 だが、ブライトにとっての真の一年戦争の始まりと終わりは、アムロによって形作られていることもまた事実だった。
 民間人だったのだ。それも、僅か十五、六の、引き籠もりの……証書すら、小学校の卒業証書しか貰ったことがない様な。
「だが、遅かれ早かれ戦場に導かれたことだろう。この時勢ではな。……彼の力は強過ぎた」
 ブライトの知る、戦わないアムロをクワトロは知らない。
 戦いたくない、人殺しなどしたくない。何故自分が戦争に行かなくてはならないのかも納得出来ない。鬱病まがいに掛かったこともある様なアムロを知らない。
 クワトロにとってのアムロはただ、戦っても倒せなかった強敵だ。それはブライトの印象とイコールにはならない。
「戦いに巻き込まれなければ、アムロは……ただの民間人のままだったんだ。あの時、ガンダムに乗り続ける事を強要しなければ」
「それが艦長の後悔か。……下らないな」
 かっと頭に血が昇る。
 クワトロを睨み付けると、思いの外静かな目で見詰め返された。
「下らないだろう。今更七年前のことを悔やんでも始まらない」
「貴方は、後悔なく生きられるというのか」
「悔やむ事はある。だが、自分を責めはしない。その時々の自分は最良を尽くしていると信じている。勿論、今の自分もな。そうでもなければ、戦いの中で己を見失って惑うだけだ。それでは、死んだ人間に引き摺られてしまう」
「ああ…………」
 そう言いながらもシャア・アズナブルである事を認めない。それは逃げの様にも感じる。自身を見失って惑うくらいなら、いっそ全てを捨ててしまいたかったのだろう。
 ブライト自身と同じ様に、シャアもまた、そう見える程強い人間ではないのだ。

「……アムロの事を思い出すと、IFばかりが頭の中を巡る」
 太腿へ肘を置いて手を組み、そこへ顔を伏せる。
「既に歩んだ道を選び直す事は出来ない。過去の自分を否定しても、始まらない」
「……貴方が羨ましい。顔を上げていられる、その強さというものが」
「強くなどないさ。ただ、これ以上失いたくないのだ。世界を。艦長もその為に戦っているのではないのか?」
「分かっている。自分が戦っている事を悔いてはいない」
 クワトロはブライトの隣に座る場所を変え、そっと様子を伺う。
 首筋がほんのりと赤く染まっていた。
 一息に飲むには過ぎた量と度数だったのだろう。
「…………酔っているな。艦長が質の悪い酔い方をするとは思わなかった」
「酔ってなどいない」
「一気に飲んだりなどするから、回りが早いのだろう? ブリッジには言っておくから、少し休めばいい。艦長が休んでいる間くらいは、私も起きていよう」
「大丈夫だ。貴方こそ休んでくれ。……こんな話に付き合わせて済まなかった。アムロは、無事で、戦っているんだな」
「そうだ。私達と同じ様に。……まだ宇宙へは上がれない様だったが、それも時間が解決するだろう」
 肩を抱く。
 はっとしてブライトは顔を上げ、クワトロを見た。酔いで目元が薄赤くなり、微かに目が潤んでいる。
 クワトロは、整えてあるブライトの髪を軽く指先で梳いた。
「……艦長にそんな顔をされては落ち着かないな」
「…………貴方にも責任はある。シャア」
「クワトロだと、何度言えば納得してくれる」
「貴方のそれは、逃げだ!」
 酔っぱらい程質の悪いものはない。普段隠しがちな本音まで零れ落ちてくる。
 溜息を吐き、困った様にブライトを見下ろす。
「私にどうしろと言う」
「アムロやカミーユが戦わなくていい道は、あるのだろう? 貴方はそれを目指してる筈だ。貴方も、同じなのだから。ブレックス准将も、その為に貴方を後継者として目し、重要な会議へ同伴させ、一介のパイロット以上の役割を求めている」
「あの方は、困った方だよ。私を買い被り過ぎだ」
「シャア・アズナブル! 貴方は何時か必ず立たなくてはいけない人だ。それぐらいの事は、私にだって分かる!」
 肩を抱かれたままの為にひどく顔が近い。しかし酔っているブライトは、その不自然さには気が付かなかった。
「……珍しいな、艦長。貴方がそこまで取り乱すとは」
「取り乱してなどいない」
「ならばやはり酔っているのだろう。少し寛いだ方がいい」
 手が伸び、ブライトの胸元を寛げさせる。常に詰め襟に封じられているせいか、首筋は妙に色が白く、それが酒酔いに仄紅く染まって見えた。

「……いいな。貴方は」
「何です?」
「ほろ酔いの色香を振りまかれても、困るな。私も。……まだ地球での熱も冷めやらないと言うのに」
 何を言われているのか、ただでさえ実直なブライトには分からないというのに、酒で朧気な頭では一層理解不能だ。
 熱くなった息を吐き、軽くクワトロの手を払う。
「何なんです」
「考えない方がいい。貴方の思考は健全過ぎて、私などより余程辛そうだ」
 ブライトの目を手で覆う。闇を宿す事を知らない瞳と目を合わせるのは落ち着かない。
「考えを休める、いい方法を教えようか?」
「なに…………っく……」
 目は覆ったまま。背筋を内側から撫でられる様な声か近づき、ぴちゃりと濡れた音が耳穴を舐る。
 震えた身体はソファへと押しつけられていた。
「眠るか、そうでないなら何か別の事で思考を満たしてしまえばいい。……手伝おう。私にも、責任があるというなら」
 ベルトが外され、その裾から手が入り込む。シャツ一枚を隔てて、何処か冷たい手が腹から胸へと撫で上げた。
「っ…………」
「シートに納まっているばかりだから、もっと華奢かと思っていたよ。パイロットばかりが軍人ではないか」
 筋肉を確かめる様に掌で撫でる。
「……白兵戦も経験している。貴方のスコープを打ち抜いた事だって」
「私の?…………ああ。木馬に一度潜入した事があったな。いい腕だった。そうか、アレは艦長だったか」
 ドズルに怒鳴られた事を思い出す。あの頃の自分はまだずっと若く、大人ぶっては見せていても怖いものなどなかった。
 懐古したい時代ではない。あの頃より自分は弱くなった。
「…………大尉?」
 ブライトは漸くクワトロの肩を掴み、思い切り押し退けようと腕に力を入れた。
 しかし、動じない。
 酔いの所為だろう。身体が弛緩している。
「大尉、何を」
「力が抜ける程酔っているのに、呂律がはっきりしているのは貴方らしい」
「う、っんん……」
 言う端から口を塞ぎ、難なく知らない舌を絡め取る。酒の芳香の入り交じる唾液は何処か甘かった。
 スラックスからシャツを引き抜いて、直接肌に触れる。レザーの手袋の感触が気持ち悪く、ブライトは身を捩った。
 唇が離れる。
「はっ……はぁ……っ……」
「酒の力とは、なかなか凄いな。私ではそうまで酔えない」
「手を…………離して下さい」
「未だこれからだよ」
「……触りたいなら、直接…………」
「ほう……」
 目が細められる。
 まだ理性は微かに残っていた。自分の要求にブライトは耳まで真っ赤に染める。
 この男に触れられるのは、厭だと思えなかった。冷たいレザーに触れられるくらいなら、生肌がいい。
「いいのか?」
「……私がしたいわけじゃない。貴方の熱が冷めないというなら……」
「ああ。……そうだな」
「ぁ……く……っ……」
 指先を軽く噛み、手袋を引き抜く。
 しっとりとした掌で、楽しむ様にブライトの脇腹を撫でた。頤が仰け反る。
 腕ががっしりとした身体を周り、背を掴む。クワトロは小さく肩を竦めた。

「アムロに……会いたいか」
「…………いや。今更…………合わせる顔もない」
 背を掴む手に微かな力が加わる。クワトロは窘める様にブライトを撫でた。
「アムロは誰も責めていなかった。敢えて言うなら、私の事だけだ。君の事を考える余地など、私は彼に与えてはいない」
「何だ、それは」
「君には、アムロに対する責任などない。それは全て私のものだ。君になど、欠片も渡してやりたくないな」
「大した執着だ」
 クワトロの胸へと額を押しつける。思考も、責任も、何もかもを独り占めしたくなる程の執着を、ブライト自身誰かに覚えた事などない。
 そうして何か一つの事で感情も思考も全てが満たされてしまったら、もう僅かにでも楽になれるのかも知れないが、今のブライトには、そしてクワトロにも、出来る事ではない。
 ただ、そう標榜する事までは出来るクワトロが、少し羨ましく思えた。
 少し顔を曇らせて自分を見上げてくるブライトに、クワトロは苦笑を浮かべた。
「ただ……誰か一人の事を考えていられるというのは、とても幸せな事だ」
「誰かに、そう思われる事も、だな。だが私には……たくさんある。妻も、子供達も、仕事の事も」
「君は考え過ぎだ。私が言えた義理ではないだろうがな。しかし、だからこそ……たまには享楽に生きるのも、悪くないと思うのだよ」
「ふ、ぁ……っ……」
 不意打ちの様にスラックスの中へと手が入り込んでくる。
「少しの休息だよ。私も、君も」
 耳に軽く歯が当てられ、ブライトは突き放すより益々強く背を掴んだ。
 態度は許容している。拒めない自分に、これは酔いの所為だと言い聞かせた。
「ことが済めば君は少し眠るといい。私が護ろう。君も、艦も」
「……しかし、貴方は、」
 いい差した唇が塞がれる。
 求められているのではない。窘められている。酔いと快楽に、意識は呆気なく陥落していく。

 クワトロが、満たされ始めているのが分かる。地上で何があったのかは分からないが、この安定はアムロが齎したのだろう、きっと。
 ちりちりと胸の片隅が焚き付けられる。
 アムロは戦いに臨む人間に安定を齎してくれる。たった三ヶ月でそうまで成長した。
 ア・バオア・クー戦直前に、弱い自分はアムロに後押しを求めさえしたのだ。
 アムロとて、不安で仕方がなかっただろうに。
「っあ……ぁ……」
 大人のものとも、男のものとも思えない程に柔らかな髪が首筋を擽る。ブライトは緩く首を振ったが、逃れられるものではなかった。
 制服の上着を脱がせ、捲り上げた白いシャツの裾をブライトの口へ押し込む。
「これは酔いと、私が熱を欲しているからだ。いいな」
 耳に注ぎ込まれる音はひどく優しい。
 無駄なまでの優しさに、ブライトは酔いにも手伝われながら目を閉じた。
 睡魔に似た感覚がふわりと身体を攫った気がして、出来る限りの力でクワトロの背を掴む。
 再び口付けられた唇から更なる酒が流し込まれたのを感じて、本当にブライトは諦める。

 求めているのは、クワトロ一人ではなかった。

 ことは、三十分程で済ませる。
 ブライトはクワトロが飲み残した分を飲ませた所為で本気で過ごしすぎ半ば飛んでいたし、クワトロも地球から上がってきたばかりでは疲れを隠せない。
 ソファから寝台へとブライトを移し、まだ僅かに残っていた酒を口に含む。
 無理にではないが、不安感や実直さにつけ込んだのは確かだ。
 顔を覗き込むと、よく眠っていた。酒が回っているのだろう。
 通信機の受話器を取りしかし受信の音量を絞る。制服を身に纏ってスクリーングラスをかけた。
『はい、ブリッジです』
「キースロンか。クワトロだ。トーレスに代われ。シーサーかサエグサでもいい」
『え、大尉? 何で』
「いいから代われ」
『はい。了解しました』
 ぷつりと一度切れ、回線が回される。
『トーレス、代わりました。艦長に何か』
 艦長室からの通信がクワトロからと言うのが不審なのだろう。クワトロは苦笑を浮かべた。
「艦長は少し休ませる。私も部屋で休むが、何かあれば全て私の方へ回せ」
『どうしたんです?』
「艦長は働き過ぎだ。私がいる時くらいは休んで貰いたい。今日一日の事だ。お前達も、艦長を煩わせない様にな」
『敵に言って下さいよ。大丈夫なんですか?』
「眠っているだけだ。起こしたくない。いいな」
『…………了解しました。敵艦を捕捉したら大尉の方へ回せばいいんですね?』
「ああ。頼む」
『分かりました』
 ブライトが働き過ぎだというのは誰もが認める所だろう。他のブリッジ要員の誰よりも、取っている休息も短い。
 通信を切り、ブライトへと歩み寄って軽く頬に触れた。
「アムロもだが……君も、自分を構わなすぎる。私が認める数少ない男なのだから、もう少し自身を大切にして貰いたいな」
「……ん……」
 薄く目が開きかける。慌ててそっとその瞼の上を撫で、クワトロはブライトから離れた。
 酒が抜ければ起きるだろう。
 そして、この休息を与えたクワトロに怒り、詰り、そして礼を言う事だろう。
 行動が読めて、クワトロは思わず笑みを滲ませる。
 純朴な人間は、嫌いではなかった。


作  蒼下 綸

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